第332話 奥底に眠る欠片の


 朝食を済ませた後、片付けとお茶の支度を買って出たマグナレアを残し、カミロとともに談話室のソファへ移動した。

 置いてある物品の買いつけなども彼女が指示したのだろうか、質素な内装のわりに調度品の質は良い。リリアーナは手近なクッションをひとつ背に置いてから、柔らかなソファへ腰を沈めた。


「それで、買い物中にどんな話を聞けたんだ? 兄上は見つかったのか?」


「ええ、聞いた話を総括する限り間違いはないかと」


 自分が起きてくるまで悠長に朝食の支度なんてしていたのだから、急を要する事態でないことは予想がついていた。

 それでも、アダルベルトの無事をカミロの口から断言に近い形で聞けたことに、途方もなく安堵する。深刻さを含まない口振りからして兄は無事だったのだろう。

 ほっと胸をなでおろし、カミロに話の先を促す。


「一昨日の夕刻に、飛竜ワイバーンを見たという証言は複数の方から得られました。町の西端を越え、森の方へ飛んで行ったと。真っ直ぐにこの町へ来て正解でしたね」


「森の方……ということは、キヴィランタへ?」


「いえ、町と森の間に降りたとか。すぐに衛兵や力自慢たちが討伐へ向かったそうなのですが、どうも仕留め損なったようですね。飛竜ワイバーンの行方はわかりませんが、その代わりに、怪我人をひとり保護し連れ帰ってきたそうです」


「……!」


 瞠目へ肯定を返すようにカミロが大きくうなずく。


「状況からしてまずアダルベルト様で間違いはないかと。容態は不明ですが、怪我人を抱えた衛兵が領事館へ帰って行くのを見たという方がおりました」


「領事館……この町のまとめ役がいる場所か」


「はい。もし重傷であれば治療院へ運び込むでしょうし、更に状態が悪ければこの聖堂へも話が来るはずです。なので、お怪我をされているとしても軽微なものではないかと推察致します。ただ、半日もあの状態で飛行していましたから、体力の消耗は心配ですね」


「そうだな……。ともあれ、兄上が見つかって本当に良かった。その領事館という所はすぐに向かえるのか?」


 そこで銀盆を携えたマグナレアが現れ、三人分のカップを低いテーブルへと並べた。食器はあまり置いていなくても、来客のための茶器はきちんと揃えているようだ。


「領事館の開門時刻まではもう少しかかるのよ。だからカミロものんびり朝食の支度なんてしていたわけ」


「たとえ開門していたとしても、リリアーナ様へご報告申し上げる前に独断で向かったりはいたしませんよ」


「ま、身分の怪しい人間が行ったところで門前払いだけどね。私は元々、今日の午前中にあそこへ行く用事があったから、このあとカミロを連れて面会に行ってくるわ。どうせここの連中は聖堂になんて興味ないもの、居残りの下っ端官吏だとでも言えばわからないでしょう」


 マグナレアは上品にカップへ口をつけ、赤い唇で弧を描く。

 その蠱惑的な笑みでようやく気づいた。妙な既視感は顔立ちがファラムンドに似ているせいだと思っていたけれど、どちらかというと生前に付き合いのあった化蜘蛛アラクネルの女王、夜御前と印象が被る。風呂へ一緒に入っても不快感はなく、親しみを感じていたのはそのせいもあるのかもしれない。

 出された香茶から漂う香りには馴染みがある。カミロが先に飲んだのを確認してから、リリアーナも湯気のたつカップを手に取った。


「ではその間、わたしはここでお留守番をしていれば良いのですね?」


「も、物分かりが良すぎない? 屋敷でもそうなの? 末っ子なんだからもっと我が侭放題しても良いんじゃない? まだ八歳でしょう?」


「イバニェス家の子女たるご自覚と、生まれながらに備え持った品性と、バレンティン夫人の教導の賜物ですね」


 カミロはどこか自慢気にそう言うが、ついて行きたくとも自分の見た目では聖堂の女官に扮することは不可能だ。マグナレアも「カミロを連れて」としか言わなかったし、最初から置いて行くつもりだったのはわかっている。

 自分とてアダルベルトの具合は気になるものの、ここで無茶を言っても仕方ない。カミロに任せておけば後できちんと報告をしてくれるし、今はとにかく、連れ去られた兄が見つかったこと、そして無事でいるらしいことがわかっただけでも十分。


 本当は聞き込みついでに町をもっと見てみたかったのだが、それこそ子どもの我が侭というもの。保護された兄の様子がわかるまで大人しくしていよう。

 澄まし顔でそんなことを考えていると、カップを置いたカミロはひとつ息をつき、まだ何か話があるのか視線をこちらに向けてきた。


「アダルベルト様のご容態は不明ですが、もし話ができる状態だとしても、ご自身の身元については明かしていないものと思われます」


「ええ、聡い兄上ならきちんと状況を理解しているはず。それに室内着のまま連れ去られたわけですから、身分の知れる物品も身に着けてはいないでしょう」


「その通りです。それにもし名を明かしていれば、いくらイバニェス家と絶縁状態とはいえ、血縁であるマグナレア様にも報せくらいは届きます。なので、面会を願い出てアダルベルト様だと確認が取れた後は、どうやって屋敷までお連れするかが問題になりそうですね」


 確かに、せっかくここまで余所に知られず来たのだから、屋敷へ帰りつくまで長兄の誘拐は伏せたままでないと意味がない。カミロにしろアダルベルトにしろ、身元を伏せた状態で引き取るには何らかの策が必要になるだろう。


「ま、それは後で考えればいいじゃない。まずはアダルベルトの無事を確認してからよ。屋敷にも報せを送ってやらないと、どうせ大騒ぎしているんでしょう?」


「そうですね。後発隊もこちらに向かっておりますから、合流ができたら一度コイネスへ戻ってもらい、そこから燕便を出そうかと」


「この聖堂には明後日、逃げ帰った奴の代替の官吏が来ることになっているのよ。だからもう一晩なら泊まっても構わないわ。せっかくリリアーナと会えたんですもの、ゆっくりしていってちょうだい」


 不意に柔らかい笑顔を向けられ、言葉に詰まってこくこくとうなずいて返す。

 優しい伯母、父の姉、近しい血縁者。

 あまり印象の良くない初対面から三年を経ての再会だが、こうして話していてもマグナレアは至極真っ当な人物に思える。あの聖堂での素振りにはやはり事情があったと見るべきだ。

 ……今、その辺のことを訊いてみても大丈夫か、まだ時間はあるだろうかとふたりの顔をこっそり見比べる。

 そうしてただ視線を動かしただけ、まだ何も言っていないのに、何でもお見通しのカミロには筒抜けだったのだろう。苦笑するように表情を和らげると、膝の上で長い指を組む。


「昨晩は突然、伯母君をご紹介することになり申し訳ありませんでした。旦那様としては、マグナレア様とのご挨拶は十歳記の祝いの後、密かに屋敷で機会を作るつもりだったのですよ。レオカディオ様の時もそうでしたから」


「密かに……?」


 絶縁状態なんて言っていたから、やはりイバニェス家とは聖堂もろとも折り合いが良くないのか。不安交じりにマグナレアを見ると、女は眉尻を下げるようにして笑っていた。


「私は家を出る時に、綺麗さっぱり縁を切って聖堂へ入ったのよ。だから聖堂側も他の連中も、私とイバニェス家はひどい不仲で絶縁状態だと思い込んでいるのだけど。実のところ悪いのは姉弟仲だけで、今も密かにやり取りは続いているわ」


「父上と仲が悪いのですか?」


「そこはもうどうしようもないの、ごめんなさい。お爺様が亡くなって、あの子もいなくなって、おまけに縁談だの言い寄りだのが全部面倒臭くなっちゃってね、……あなたが生まれて間もない頃に、ファラムンドと喧嘩を演じて家出したの」


「演技で済む規模ですか、あのとんでもない大喧嘩が。損壊した内装と調度品の数々、累計損害額がいくらに上ったかはご存知でしょう」


 渋い顔をするカミロの言葉をマグナレアは軽やかな笑顔でかわし、リリアーナの手を包み取った。


「対外的にはイバニェス家と不仲を演じていないと不都合があるの。だから、せっかくの五歳記のお祝いにも声をかけられなくてごめんなさいね。あの時の、精霊様の祝福は私の目にも映ったわ。やっぱりあなたが一番、あの子の血を濃く受け継いでいるのかしら」


「母の……血?」


「ええ、ウィステリアは魔法が得意だったのよ。あの五歳記をきっかけに、ファラムンドも魔法の家庭教師を探させたとか聞いたけれど」


「私はそこまでお話した覚えはありませんよ。情報源はまたレオカディオ様ですか」


 渋い顔を浮かべるカミロをまたも微笑みだけで無視し、マグナレアは銀紫の髪を愛おしげに撫でた。


「ここで会えたのは偶然だけど、こうしてあなたと話せて嬉しいわ、リリアーナ。でも、コンティエラに戻ったらまた他人に戻らなくてはいけないの。私の姿をどこかで見かけることがあっても、知らないふりをしてちょうだいね」


「はい、わかりました。あの、わたしもお会いできて嬉しかったです」


 見上げる藍色の瞳がわずかに水気を帯び、豊満な胸に優しく抱き込まれた。

 柔らかくて、温かくて、どこか甘い匂いがする。

 昨日初めて話した相手なのに、なぜか懐かしい。

 これまで母を恋しく思ったことなど一度もないけれど、胸の奥深く、自我とはまた別の部分、幼い『リリアーナ』として在る心の欠片がそのぬくもりを母と重ねているのか。不意にぎゅうと絞られるように切なくなり、涙がこみ上げる。

 だが、今の自分にはそれを想って泣く権利はない。マグナレアの胸元に顔を埋め、きつく目を閉じて涙が零れるのを必死にこらえた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る