第330話 再開の朝、キミの選択
「……それで、どうしてサルメンハーラなんかにいるんだ。あそこは君の立場をもってしても物見遊山で入り込める場所ではない。まさかとは思うけど、宿泊場所に聖堂を使ったということは、正規の入り方をしていないんじゃないか?」
「う」
相変わらず、備える知識量が多いだけではなく頭が切れる。ほんのわずかな情報を与えるだけで、こちらの現状と事情をすべて看破されそうだ。
アダルベルトが誘拐されたという話も、自分たちがそれを追いかけてここへ来たことも、まだ他者へ知られるわけにはいかない。
もちろんノーアのことは信頼しているし、口止めを頼めば無闇に漏らしたりしないだろうが、カミロに相談もせずここで勝手に打ち明けるのはやめておこう。
「こちらにも色々あってな、詳しいことは言えないのだが。やむを得ない事情で壁を越えて忍び込んだ。バレるとまずいからこのことは黙っていてくれ」
「イバニェス家の令嬢がサルメンハーラに無断侵入した上、大した設備もない聖堂へ寝泊りしてるなんて、誰に言ったところで僕の妄言としか思われないよ……。あの眼鏡の従者、カミロだっけ。彼は同行していないのか?」
「カミロも一緒だぞ」
「そう。彼がいるならまぁ、どうとでもなるだろう」
拭き終えたのか諦めたのか、握っていた布巾をテーブルに置いて視線を上げるノーア。向き合う自分よりも少し上、天井あたりを見上げる素振りは何か考え事でもしているのかもしれない。
それはともかく、カミロが同行していると判明した途端に表情と言葉から険しさが消えたのはどういうことだ。侍従長の問題解決能力の高さを評価されているなら喜ばしい限りだが、なんとなく釈然としない。無意識に頬が膨らむ。
「なんだそれは。ずいぶんとカミロへの信用が厚いではないか。わたしの行いにはちくちくと文句を垂れたくせに」
「彼は比較的まともな大人だからね」
「む……」
今の自分が子どもなのは客観的事実でも、同じ年頃のノーアに言われるのは面白くない。
町へ忍び込んだのだって聖堂へ泊まったのだって、別に自分の希望ではなく、状況的に仕方がなかっただけ。小言だけならず、考えなしな子ども扱いをされるのは甚だ心外だ。
せっかく久し振りに顔を合わせたというのに、何と友達甲斐のない奴だろう。
……とはいえ、ここでノーア相手にむくれていても意味はない。気持ちを切り替え、見える範囲に視線を巡らせる。
差し込む陽光の角度から見て、あの蔦の窓は東向きらしい。薄水色の空は雲ひとつない晴天。この位置からは他の建物も、山も地平線も見えない。
想像通り聖堂の塔にある部屋だとしたら、相当大きな建物だと思う。カミロには訊けないとしても、ふたりの兄どちらかに訊ねればこの手掛かりだけでも場所の特定はできそうだ。
「この状態が不可抗力とはいえ、そうやって人の私室をじろじろ観察するのは不躾が過ぎないか?」
「ああ、その通りだな。悪かった」
素直に自分の非を認めると、ノーアはやや鼻白んだように視線を外してから、椅子の背もたれに体を預けた。
「まぁ、何を探っていたのかは想像がつくけど。どうせここがどこなのか分かったところで、今すぐ君にどうこうできる訳でもない。言っただろう、僕の所まで『辿りつけたら』と」
「確かに、わたしは自分の希望で遠出ができる立場ではない。だが、それでもいつか必ずお前に会いに行って、残りの質問に答えてもらうからな」
今は身動きが取れずとも、早々に居所を突き止めておくことはきっと無駄にはならない。
自ら調べものをしたり考察したりするのは好むところでも、その材料が不足している現状は手詰まりに近い。早くノーアに会いに行って欲しい情報を得ないと、疑問ばかりが嵩んでいく。
知りたがりの気性がうずき、色々と気になって仕方ないのだ。聖堂のことも、聖句のことも。
……目下、今の自分が一番知りたいのはアダルベルトの行方や誘拐を企てた犯人のことだが、いくら物知りの少年とはいえそこまで知っているはずもない。事情も明かせないし、こうして会話ができたのは個人的に嬉しくとも捜索の足しにはならないだろう。
リリアーナがそんなことを考えていると、堂に入った様子で椅子に腰かける少年はまるで睥睨するように目を細める。
「何でも答えると言ったのは僕だけど、正直そこまで固執するとは思わなかった」
「わたしの周囲ではどうしても手に入らない情報をお前が握っているんだ、今さら撤回はさせんぞ。知りたいと思ったことは満たさないといられない
「わからないことを知ろうとする行い自体を悪いとは言わないよ。好奇心や思考は誰にでも許されている精神活動だ。その範囲に制限はあろうと、頭の中は各々の自由。……ただ、君のそれは少しばかり逸脱しているように思う」
「逸脱?」
「前に会った時は、魔法の能力が秀でていることばかり驚いたけど。どうも要点はそこじゃないね。君の思考とそこに根ざす知能、単に賢い子どもって範囲にはとても収まらない」
射抜くような視線とそのまま核心を突くような指摘に、内心でギクリと震えあがる。
だが、表情にはそう出ていないはず。早鐘を打つ心臓を取り繕い、なるべく呼吸を緩やかに保ちながらリリアーナは素知らぬ顔で言葉を返す。
「それを言うならお前もだろう、ノーア。わたしが常人を逸脱しているなら、わたしよりも物知りなお前は何だと言うんだ」
「僕は自身の才に応じた立場にあるからね。それを自覚しているし、全て受け入れている。……君はどうなんだ、リリィ」
「……」
まるで、リリアーナが『魔王』デスタリオラの生まれ変わりで、二度目の生をヒトとして享受していることを全て見通しているかのような透徹した視線。
これまで周囲の誰にも明かさなかった秘密を、知られてはいけないことを、――自分すらまだ知らない真実までをも、この少年はすでに知っているのではないだろうか?
そんな考えが頭をよぎる。
「わたしは……」
喉が渇き、生唾を飲み込んだ。震えそうになる手を握りしめてノーアの赤い眼を見返す。
決意も目的も、いまだ何も変わらない。
「わたしだって、自分の持って生まれた力を自覚している。それに則した生き方ができるかはまだこれからの課題だが……、受け入れているとも。わたしは、
「君は、」
ノーアが何かを言いかけて口を開いたところで、もともと白っぽい少年がさらに薄まる。視界が少しずつ白くなっていく。
精霊の悪戯による対面はもうお終いということだろうか。
飾り気のない壁はもうほとんど見えない。濃い霧に包まれるようにして、周囲の全てが白く滲んで消えつつある。
「どうやらここまでのようだな、久し振りに話せて良かった。またそのうち会おうノーア」
「いや待て、そのうちとか言ってまた不意に現れたらたまったもんじゃない! 次も必ずこの時間帯にしろ、もし別の時間や違う場所にこうして姿を見せたら、声が聞こえていても僕は無視するからな、わかっ」
早口にそうまくしたてる声が、そこでぷつりと途切れた。
白い空間で瞬きを一回。
たったそれだけで、目に映るものが切り替わっている。視界にあるのは元通り、朝日の差し込む聖堂の客間だ。
「終わったか、唐突だなぁ」
<リリアーナ様……?>
こちらをうかがうように念話の声をかけてくるアルト、その宝玉の収められたポシェットへ顔を向ける。
「今、お前から見てわたしはどんな様子だった?」
<え? あ、少しぼんやりと空中を見ているような感じで、考え事でもしていらっしゃるのかと>
「なるほど」
実体のほうは声を出さず、身振り手振りもしていない。となると作用は念話に近いものだろう。
五感を全て持って行かれると、残される生身が無防備になり危うく感じるが、何となく魔法としての道筋に見えてきた。そのうち時間が取れたら同じことが再現できるか試してみよう。
とっくに温もりをなくした上掛けから抜け出し、天井に向かって大きく伸びをする。着替えはどうしようかと思っていると、廊下からマグナレアの声が聞こえてきた。
朝食の支度をしているのだろう。パンの焼ける良い匂いが漂っているのに気づき、同時に空腹を意識する。
「……さて、今日もわたしは、わたしのやるべきことをしよう」
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