第322話 閑話・Dialogue


 のどかな道を行く荷馬車は造りこそしっかりしているものの、領主邸で移動に使われる馬車ほど乗り心地の良いものではない。それでも軽快な揺れと抜けきらない疲労のためか、しばらく座ったまま船を漕いでいたリリアーナは、とうとう木箱に背を預けて眠りだしてしまった。

 言葉少なになった辺りから予測のついていたカミロは、手綱を持ったままちらりと振り返って目配せをする。

 それに対し「わかってますよ」とばかりに眉を上げて見せたエルシオンは、収蔵空間インベントリから毛布を取り出してそっと小さな体にかけてやった。

 真っ直ぐに寄り掛かっているため、横に倒れてしまう心配はないようだ。寝相まできちんとしていなくても良いのに、と笑いがこみ上げる。


「一晩寝ただけじゃ回復しないもんなんだね。サーレンバーでオレが迷惑かけちゃった時も、ずいぶん寝込んだらしいけど」


「ええ、報告は受けておりますよ。それ以前に、コンティエラの街でリリアーナ様をつけ回したこともお忘れなく。あの後も過度の疲労と心労から寝込んでしまわれて。おかわいそうに、よほど怖い思いをしたのでしょう」


「うぐっ……!」


 そもそもが勘違いのせいなので意図したものではなかったにしても、自分が疲労の原因となった自覚のあるエルシオンは二の句が継げず言葉に詰まる。

 身を乗り出していた木箱の上に腰かけ、悔し紛れに摘まんでいた種を灰色の後頭部へと投げつけた。

 だがカミロは首を傾けて難なくそれを避けると、右手で受け止めてすぐに後ろへ投げ返してくる。振り向いているわけでもないのに、的確に顔面を狙って飛んでくる種をエルシオンは危ういところでのけ反ってかわす。


「ちょっ、何で、まさか後ろに目でもついてるっ?」


「日常的に、こういう幼稚で短絡的でどうしようもない嫌がらせをしてくる人が身近にいるものですから」


 こともなげにそう返すと、視線を促すようにカミロは左側へと顔を向けた。


「あそこにある尖った岩は見覚えがあります。健脚な馬で良かった、このペースで進めばおそらく今晩には着けるかと。夜闇に乗じて行動したほうが人目につかず町へ入れますから、好都合ですね」


「リリィちゃんが馬車を見つけてくれて良かったねー。それにしても、土地勘や方向感覚ある人が同行してるとほんと助かるよ。オレってば昔から道に迷いやすくってさ、相方がいなくなってどうしようかと思ってたとこなんだ」


「それは初耳です、旅の同伴者がいたのですか」


「うん、最近はぐれちゃって」


 さして問題があるような素振りもなく、エルシオンは後頭部で腕を組みながら馬車の揺れに合わせて体を左右へ傾ける。

 とりあえず木箱から前に出てくる気配はないため、境界侵犯については指摘をしないままカミロは話を続けることにした。


「お困りでしたら、こちらで捜索届を出しておきましょうか?」


「いんや、もう出してもらったから大丈夫~」


「左様ですか。別邸でそんな話は聞いていないので、直近に滞在されていたサーレンバー領内で依頼を出されたということですね。捕縛時に協力者の影はなかったそうですが」


 何でもない雑談を装いながら鋭く突っ込んでくる話の転がし方が面白くなったエルシオンは、喉の奥でくつくつと笑った。


「おー、探ってくるねぇ、オレのことが気になる?」


「それはもちろん。何たってあの、一番新しい伝説と謳われた英雄譚の主人公ですからね。私の友人もあなたの伝記にはいたく感銘を受けたそうで、事あるごとにしつこく賛辞や逸話を聞かされたものですよ」


「当人がこんなんだと知ったら落胆するかな?」


「ええ、なので最後まで知られなくて良かったです。もう亡くなって八年になりますから」


 ふたりの間にしばしの沈黙が落ち、車輪の回る軽快な音だけが続いた。

 獣の生息域からは遠く、鳥の鳴き声すらも聞こえない。

 午後を回ってしばらく経つ。持ち主である商人らがいつ休憩を取ったのか不明ながらも、日が暮れる前に一度馬を休めたほうが良いだろうと、カミロは足並みに疲れが出ていないか耳を澄ませていた。

 休憩を取るならリリアーナも起こすべきだろうか。眠りを妨げるのは本望でないものの、食事と水分はきちんと取らなければ体がもたないだろう。早く町に入ってまともなベッドで休ませてやりたい。万が一にも体調が悪化するようであれば、アダルベルトの捜索どころではない。

 そんなことを考える背中に、好奇の視線が刺さっていることは何となく感じていた。


「オレも実は、カミロサンのことはちょっと気になるんだよねー」


「何かお気に障ったでしょうか。取り立ててお話しすることもない、つまらない男ですよ」


「本当につまんない人は自分でそーいうこと言わないもん。ま、堅気じゃなかろうが過去に何してようが、リリィちゃんの身内枠ってコトだし、きっちり従者としての本分を弁えてるなら別にいいんだけどさ~」


 それとなく釘でも刺しているつもりなのか。若干の不快感を覚えたカミロは首だけで背後を振り返る。

 眇めた目線の先、木箱に腰かける男はてっきり不敵な笑みでも浮かべているものと思っていたのに、予想に反してらしくもない真剣さを湛えた眼差しをカミロへ向けていた。


「……当然でしょう。あなたの方こそ、なぜリリアーナ様にそこまでの執着を? 噂に聞く限りでは、幼い少女を愛好するような下卑た性嗜好の持ち主という訳でもないようですが」


「だ、か、ら! 来る者拒まずとか方々に女作ってるとか、そーいうの全部ウソ! あんなでっちあげだらけの伝記とか信じないよーに! オレは恋多き男じゃないし小さい子に悪さもしない、ずっと本命一筋なんだよ!」


「その本命がリリアーナ様だとでも?」


「リリィちゃんは、オレの運命だから」


 交錯する視線に圧し負けたわけではない。ただ、なぜかその微笑みを直視しているのが辛くなったカミロは体勢を元に戻した。

 馬の一頭が疲労を訴えるように低い嘶きを上げる。

 頃合いだろうと考えながら、ようやく進行の目途となる場所が見えてきたため、片手に手綱を持ちながら前方を指し示す。


「あの傾斜を上ったところで、町の外壁や森が見えてくるはずですよ。あそこを下りたら一度休憩にしましょう。馬を休めている間に食事を済ませて、降車の準備をしなくては」


「りょーかい。町に近づけば野犬も出ないし、夜には後ろの人たちも目覚めるから適当なとこで乗り捨てて大丈夫だよ。あとは見つからないようにコッソリ近づいて塀を乗り越えれば到着だ。ま、その辺の細工は任せてくれていいからさ」


「ええ、小細工に関しては頼りにしておりますとも」


「言い方ぁ……」


 不満げなエルシオンの声音を背に、あと少しで休憩だからがんばれと二頭の馬たちへ応援を送る。

 それに返すためでもないだろうけれど、小さく鳴く嘶きに気持ちを綻ばせながら、カミロは薄曇りの空を見上げた。白綿に隠れた太陽はすでに大きく傾いている。

 緩い北風はそのまま、水の匂いもしない。この分なら当面は天気が崩れることもないだろう。

 ただし北上している分、コンティエラよりは幾分冷え込みが強まっているのを感じる。寒さには強い方だが上着なしで過ごせる気温ではない。

 なるべく表には出さないよう固く押し込めていた不安、攫われた少年の行方と安否を思い、ひっそりと重い吐息を吐き出した。


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