第321話 馬車同乗雑談
平坦な道とは言い難いものの、ほとんど空の荷台を引く馬車は進みが速い。大柄な馬の二頭立ては馬力もあり、踏み固められた馬車道は車輪が回りやすいようで、蹄の音も軽やかだった。
イバニェス家で使っている馬車と比べて揺れが激しいことさえ我慢すれば、徒歩で進むよりもずっと良い。
サルメンハーラへ素材の買いつけに行く商人なのだろう、荷台には道中の必要物資と食糧くらいしか積まれておらず、いつも乗っている馬車のような座席もないため広々していた。
乗っていた商人は御者も合わせて三名。エルシオンがベンドナの花粉で眠らせた男たちは、後ろのほうに敷いた寝具で安らかな寝息をたてている。
町が近づいたら御者を元の位置に戻し、「居眠りしている間に馬が勝手に進んで着いちゃった!」ということにするようだ。……こうして乗り込んだ以上は他にやりようもないため、三人が単純な人柄であることを祈るしかない。
まだ昼過ぎだというのに、緩慢な揺れは眠気を誘う。
うとうとする頭を立てたひざに乗せながら、リリアーナは荷台の前方に陣取り、御者台に座って手綱を引くカミロの背中とどこまでも続く緩やかな馬車道を眺めていた。
「リリアーナ様、ご気分が悪くなったらすぐに仰ってください」
「大丈夫だ。熱は引いてきたし、サーレンバー領との往復も馬車酔いはしなかった。レオ兄だけは何やら大変そうだったけれど」
「こればかりは体質ですからね。レオカディオ様は、色々な面が母君に似てしまったようで」
「容姿と、病弱なところか?」
「ええ。あとは食の好みや性質なども、よく似ておられますよ」
レオカディオが母親似ということは本人の口からも聞いていた。だが顔や髪色だけでなく、内面などもそっくりだったとは少し意外だ。
あのファラムンドが伴侶に選ぶほどの女性なのだから、きっと淑やかで聡明で気高く慈愛に満ちた素晴らしい人物だろうと勝手に想像していたのに、ちょっと軌道修正が必要かもしれない。
頭の中で、現在のレオカディオをいくらか縦に伸ばし、化粧とドレスを纏った姿を思い浮かべてみる。
……あまりにしっくり来すぎて、慌てて仮想の母親をかき消した。
「ん、ん-、まぁいい。それにしても、お前から母の話が出るのは珍しいな」
「些細なことまで口止めをされている訳ではないのですが、屋敷では話題に出しにくいのも事実ですね。もっとも、私の口から語れるのはこのくらいです。いずれ旦那様からきちんとお話があるはずですから、もう少しだけお待ちください」
「ん。十歳記になったら父上の部屋にあるという肖像画も見せてもらうつもりだ」
自分を生んでくれた人物なのだから、会うことは叶わずとも顔くらいは知っておきたい。
背中を向けたまま語っていたカミロにそう応えると、肩越しに少しだけ振り返り、また前を向く。
「そこの不審者は木箱を越えてこないように。領域侵犯は厳罰です、身を乗り出すのも空中侵犯ですよ」
「オレだけのけ者にしないでよ~、リリィちゃんとおしゃべりしたいよ~!」
後ろで恨めし気な声をあげるエルシオンは、荷台の中央に並べた木箱に両手をついてうねうねと身をよじらせていた。
野営の道具や食糧などの詰められた箱を横に並べて、そこから前へは入ってこないように言いつけてある。
そばに寄られると不快だという気分の問題に加え、馬車の揺れでうっかりエルシオンにさわってしまえば破裂必至。こんな所で服を汚すのは嫌だし、目覚めた商人たちが血塗れの馬車を見たら卒倒してしまうかもしれない。
「リリィちゃん、そんなとこに座ってたら風が冷たいでしょ、もっとこっち来てゆっくりしなよー」
「ああ、後でお前が御者を交代したら、カミロと一緒に休憩させてもらおう」
「つれない……! リリィちゃんが風より冷たいっ!」
手をついたまま尻を振る姿を視界に入れるのもうっとうしくて、再び前を向く。
極楽鳥の羽毛を詰めたクッションはすでに接収済みだから、これに座っていれば温かいし腰も痛くならない。
それに馬車の中はテントと同じく、エルシオンが設置した暖気の構成があるため、前方の幌を開けていてもそう寒くはなかった。
だから荷台で座っているだけの自分よりも、外気と風に晒されているカミロが凍えてしまわないか気掛かりだ。ずっと自分を背負って歩き通しだったのに、御者まで任せてしまって。
「ご心配には及びません、リリアーナ様。造りの良い馬車ですし、馬もよく馴れていて手間はありませんから。それに私は山育ちなので寒さには強いのです、この程度では風邪もひきません」
「……考えていることが逐一読まれるのは、わたしの思考が単純なせいか?」
「滅相もない」
手綱を取るカミロは前を向いたままだから、表情を見られたわけでもない。となるとやはり、この男は他人の頭の中を読む能力でも備えているのではないだろうか?
「リリィちゃんが心配してくれるなら、オレが御者やるー!」
「交代時間の前ですが私は構いませんよ、リリアーナ様と一緒に後ろでゆっくり休ませて頂きます」
「ず、る、いっ!」
「であれば少しは大人しくしていて下さい。本来、貴公位の子女であらせられるリリアーナ様と馬車に同乗なんて、有り得ないことなのですから。同じ空間に存在を許されているだけでも有難く思って頂きたい所ですね」
振り返らないままにべもなく返すカミロに対し、エルシオンは木箱に手をついて身を乗り出しながら食い下がる。
「そーんなこと言って、カミロサンだって昨晩はリリィちゃんとテントで一緒に寝てたじゃん、使用人のくせに貴公位のお嬢サマと同衾なんてイケないんだ~!」
「何を言っているんだお前は……」
呆れて嘆息すると、追随するようにカミロも鼻で笑って横目だけで背後を見やる。
「ご存知ないのですか? テントは寝台ではないので同衾には含まれないのですよ?」
「へ、り、く、つ!」
頭のすぐそばで大声を上げられて耳がびりびりする。振り返って「声がうるさい」と苦情を言うと、エルシオンは肘の力が抜けたようにぺしゃりと沈んだ。
そのまま大人しくしていれば良いものを、うつ伏せで両手をだらりと木箱に垂らした格好のまま、しつこく声をかけてくる。たぶん、暇なのだろう。
「そもそもさぁ、オレは
「貴公位と領主の地位、どちらが先なのかはわからんが。うちの家庭教師は、数字が小さいほど立場が偉くなる順位付けだと言っていた。だから現聖王が第一位で、後継の王太子は第二位なのだと」
数年前に授業で聞いた通りの説明をすると、それを補足するように御者台のカミロもうなずく。
「ええ、その認識で間違いはありません。有体に言えば王位継承権の順位ですね。今よりずっと昔、まだイバニェス領がひとつの国だった頃、数々の小さな国がまとまって聖王国となるために、現王家の血筋から各国へと降嫁されました。その際に優先権を振られた位が、現在では貴公位と呼ばれているわけです」
「ふーん、じゃあ二位の人が次の王サマで、その人になんかあれば三位が王サマになるわけか。ちなみにリリィちゃんのお父さんって何位なの?」
「貴公位第六位だ」
「ろっ……」
口を丸くしたまま固まり、エルシオンは絶句した。そしてこわばった顔のまま少しだけ体を起こし、声をひそめる。
「お父さん、思ってたよりずっと偉かったんだねぇ」
「そうだぞ、うんと敬え」
「じゃあ上の五人がいなくなれば王サマになれるんだ?」
「またお前はそういう物騒なことを……」
どうしていちいち、そう危ない発想になるのか。転がっていた何かの種を拾って投げつけると、エルシオンは「キャー」なんて悲鳴をあげながら嬉しそうに顔面で受け止めた。
「理屈ではそうなりますが、物事はそう単純にいかないでしょう。それに、あの方は優れた領主ではありますが、支配欲とか権力欲なんて人並み以下も持ち合わせておりませんから。イバニェス領だけでも手一杯だというのに、聖王国まるごとだなんて面倒見きれませんよ」
「そーいう欲のないとこ、親子で似てるんだねぇ。でも、そっか。そうするとリリィちゃんにも、その王家の血ってのが流れてるんだ……」
転がった種を指先でくるくると回しながら、エルシオンは何やら感慨深げにそんなことを呟いた。
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