第320話 無血強奪作戦


 アルトからの報告を受け、身構える男たちに自分の右手側を見るよう伝える。

 荒涼としていても岩がごろごろ転がっているような場所だから、その隙間に馬車の姿がちらりと見えたことにすれば不自然さはないだろう。

 こちらの姿が見えないよう三人揃って岩の陰から顔をのぞかせると、遠目に白い幌を張った二頭立ての馬車が見えた。

 細部までは確認できないが、サーレンバー領へ向かう際に様々な荷物を積んでいた荷馬車と同じくらいの大きさだ。行き来の荷物を抜きにしても、数人は乗っていると思われる。


「あの型は、イバニェスの商人ではないようですね」


「なら奪っちゃう?」


「「……」」


 ふたり分の白い目を向けられたエルシオンが、慌てて釈明するように手を横に振る。


「いや、だってこのまま徒歩じゃ何日かかるかわからないし、足はあったほうがいいよ。でも真正面から乗せてくれ~なんて頼んだら怪しまれるじゃん。それにリリィちゃんたちは身元が知られるとまずいんでしょ? なら手綱ごと奪ったほうが早いと思うんだよ。もちろん目撃者なんて出さないようにササッと片付けるからさ!」


 さも名案だとばかりに横暴なことを並べる男に呆れ果てる。いくら移動手段に困っているからって、何の罪もない他領の商人を害してまで馬車を奪おうだなんて思わない。

 再びふたり分の白い目を向けられ、エルシオンは狼狽したように首を激しく横に振った。


「いやいやいや、その視線はなんか誤解がある! オレは何も、殺してでも奪い取るとか言ってないからね?」


「目撃者は出さないだの片付けるだの、不穏なことを並べたのはお前の方ではないか」


「そ、それはそうなんだけど。別に殲滅しなくたって、こっちにはコレがあるわけだし」


 そう言ってどこからともなく取り出したのは、見覚えのある小さな小瓶だった。

 はっとして肩から提げているポシェットをさわって確かめると、昨晩没収したベンドナの花粉を詰めた小瓶はそこにしっかり収まっている。


「お前、あれの他にもまだ持っていたのか!」


「あはは。色々と便利な物だから、森を通るたびにまとめて採取してるんだよ。そんなわけで、コレ使って乗ってる人間を全員ぱぱっと眠らせてさ、町の手前まであの馬車を拝借するってことでどうかな?」


 指先に掲げた小瓶を振って見せるエルシオンに、カミロは一度嘆息してから気を取り直したように体ごと向き直った。


「自身が食らったものと同じ手口で利するのは業腹ですが、穏便に済ませられるならそれが一番です。花粉の効果時間に個人差などは?」


「カミロサンみたいに少量を飲む程度なら入眠作用しかないけど、まともに吸い込んだら丸一日はぐっすりだね」


「なるほど。あの頑丈なキンケードですら翌日まで寝込んだと報せを受けています。花粉の効果が切れるまで、もしくは町が見えてくるまで、休憩・・されている商人らの代わりに馬車を進めることと致しましょう。リリアーナ様もそれでよろしいですか?」


「うん、まぁ、目覚めた時にさぞ驚くだろうが。それくらいなら彼らにも不利益はなかろうし、その手でいこうか。くれぐれも乱暴はしないようにな」


 リリアーナがそう承諾を返すと、何が嬉しいのかエルシオンはへにゃりと相好を崩して笑った。


「リリィちゃんは優しいねぇ。キミが安心できるようにオレの秘密をいっこ教えてあげるよ。他の人には内緒なんだけどね、『勇者』は人間を殺せない・・・・・・・んだよ」


「え?」


 それだけ言うと、エルシオンは岩陰から身を躍らせて一息に馬車へと駆けて行った。点在する岩にうまく身を隠しながら、御者の死角となる方向から回り込むつもりのようだ。

 その身のこなしは見事なもので、魔法の補助がなくとも身の丈ほどの岩を軽々と飛び越えて行く。

 話している間も進み続けていた馬車は、発見時よりもだいぶ近づいている。この距離なら目をこらせば御者台に座る男の姿も見て取れた。退屈をしているようで、口を大きく開けてあくびをしている。


「こういう言い方も何なのですが、便利な方ですね」


「うん、言いたいことはわかる」


 敵対すると世界一厄介な男だが、味方側にいるなら、あの類い稀な力と積み重ねた知識はこの上なく役に立つ。

 かつての自分を殺すために与えられた権能が、まさか自分の良いように使われる日が来るとは。『勇者』の権能とエルシオン個人が蓄えた力の境界はわからないけれど、どちらにせよ、あの力に助けられるなんて思いもしなかった。


 魔王城での決戦から変わらない姿で四十年、自分を捜して宛てもなく大陸中を旅してきたと言う男。

 もしこのまま歳を取らないのだとしたら、いつか自分が彼の外見年齢を追い越して、いずれは先に寿命を迎えることになるのだろうか。

 ……いや、いくら勇者であっても人間の枠から外れない限り不老ではないはず。一見して変化が見られずとも、少しずつ歳を取っているのかもしれないし。


 そういえばカミロも初めて会った時から外見が全く変わらないように見える。ヒトの青年期というのは、自分が思っているよりも案外長いようだ。

 こちらの視線を感じたのか、ずっと馬車の方を注視していたカミロが顔だけで振り向いた。いつも通りの無表情でも、少しだけ眉間に力がこもっている。


「そんなに険しい顔をして見張らなくとも、こんな所で無闇な殺傷はしないだろう。まぁ、さっきの話が本当かはわからないがな」


「監視のつもりはなかったのですが、そんな顔をしておりましたか?」


 そう言って口元を手で覆う仕草におかしな点はないものの、髪を下ろしているせいだろうか、いつもより何となく隙があるように見える。険の籠った表情でも迫力が弱まっているというか。

 少なくとも昨日の夜よりは、張り詰めた雰囲気が和らいでいると感じた。


「ずいぶん熱心に見ていたようだから。奴の動きを警戒しているせいでないなら、何を考えていたんだ?」


「警戒は解かないまでも、ひとまずリリアーナ様へ危害を加える気はないものと理解いたしました。なので、今は単純に彼の動きを目で追っていたに過ぎません。さすがと言うべきか、私からの賛辞なんて欲しくもないでしょうが、無駄のない身のこなしは見事ですね」


 そう言って再び視線を向ける先では、岩の陰に身を隠しながら素早く馬車へ近づいたエルシオンが、ちょうど幌の上へ飛び乗るところだった。

 浮遊や消音の魔法をかけているらしく、御者も気づく様子はない。そのまま幌の上で何かをした後、するりと御者台へ降りて手綱を引くと、ほどなく馬車は停止した。

 ちょうどここからの最短地点。たしかに鮮やかな手並みだ。


「奴なら強盗でも何でもし放題だな……」


「あれだけの能力があれば、犯罪に手を染めずとも金銭に困ることはないでしょう。ただし、手段を選ばずに目的を達成できるという点では、その懸念もごもっともですが」


「あぁ、うん、それだな」


 あの性格だから、何を目的に何をしだすか予測が難しい。口では自分のやりたいことを助けるだとか、そばにいたいだけだとか妙なことを度々言っているが、どこまで信用したものか。

 こうして行動を共にしているのは状況的に仕方がなかっただけで、別に奴のことを信頼しているとか心を許しているとか、そういうわけではないのだけれど。

 複雑な思いを胸に岩陰から立ち上がると、隣で膝を落としていたカミロと目線が近くなった。


「どうかご心配なく。私がご一緒している限り、彼に滅多なことはさせません」


「心配は別に……。何というか、あいつは生理的に苦手なんだ」


 そう正直な所感を漏らすと、カミロは小さく噴き出した。

 おかしなことを言ったつもりはないが、言葉の選び方が直截にすぎたかもしれない。眼鏡の向こうでわずかばかり目を細める男は、愉快そうに声のトーンを落とす。


「やる気を削ぐといけませんから、それはまだ内緒にしておきましょう」


「何か、あれだな、カミロは妙に奴の肩を持つな。朝に騒いでいる時もちょっと楽しそうだったし」


「その誤解はといておきたい所ですが、そうですね、彼にはほんの少しだけ共感を抱いているのかもしれません」


「……?」


 こんな真面目と誠実を形にしたような男が、エルシオンなんかに共感する部分などあるのだろうか?

 疑問に首をかしげると、カミロは立ち上がりざまに俯きながら囁く。


「私も、後ろを振り返ったまま前進しているタイプなもので」


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