第319話 休憩四方山話
急に黙り込んだリリアーナの沈黙を埋めるように、カミロは杖を引きながら話を続けた。
「元々、イバニェス領は魔王領キヴィランタから聖王国を守る、最前線の砦という位置付けでその地位を盤石とした歴史がございます。大昔の『暴虐の魔王』による侵攻なども、森から押し寄せた魔物の大群は全てこの辺りで防ぎ切ったのですよ」
「うん、オレも知ってる、『勇者』アステリオの伝記は子どもの頃の愛読書でさー。峡谷越えと森越えの二手に分かれて侵攻してきて、こっちは陽動でも数は王都側より多かったんでしょ?」
「現存する記録ではそのように。激しい戦いは数十日に及び、防衛に当たった領兵と魔物の死体でこのあたり一帯が埋め尽くされたのだとか。……申し訳ありません、ご休憩中にこのような話を」
「いや、過去にあった事実だ。歴史の教師からも同じようなことを聞いている」
気遣いを向けるカミロに首を振ってから、顔を上げて辺りを見回す。かつて激戦の地となった場所も、今はまばらに草木が生えて岩が転がるばかりの乾いた荒れ地。
中には見上げるほどの大岩もあるし、付近に川がないから水を引くのも難しい。広々とした土地が手つかずでいるのはもったいないような気もするけれど、開墾にはあまり向かないのかもしれない。
そうしてしばらく遠くを眺めていた意識を戻すと、カミロからの視線に気がついた。
「手つかずの土地が気になりますか?」
「常々、お前は他人の心を読む能力でも持っているのではないかと思っている」
「滅相もない。ただ、以前に一度、アダルベルト様をサルメンハーラまでご案内した際、馬車の中からリリアーナ様と同じような目でこの辺りを眺めておいででした。人手と機会さえあれば開墾をしたいと仰って」
「そうか……。兄上は東の岩場の採掘についても語っていたし、このあたりも何か有効活用できればと考えているのかもしれんな」
前にサンルームで聞いた話だ。意欲に溢れた長兄の眼差しを思い出していると、湯気のたつカップが目の前に差し出された。ほんのりと柑橘の香りがする。
両手でそれを受け取って礼を言うと、エルシオンは一度にこりと微笑んでから何かを考えるように首をかしげた。
「んー、でもサルメンハーラの近くは、わりと畑とかあった気もするけど」
「あの辺りはもう自由にして良いと、先代の大旦那様も現在の旦那様も丸投げしておりますからね。労働力さえ確保すれば耕作もできると実証してくれました。今のところ『自称』自治領という建前ではありますが、イバニェス側としてはほぼ独立と自治を認めているようなものです」
こちらを向いて解説をしていたカミロは、そこで立てた人差し指を口元にあて、悪戯げに表情を和らげる。
「もうひとつ、リリアーナ様には先にねたばらしをしてしまいますが。他領からやって来る移住者の半数程は、希望を募ってサルメンハーラへ案内しているのですよ」
「移住? ああ、なるほど、そのお陰でサルメンハーラは新興でありながら働き手を確保できているということか。商人の交易が軸と聞いても、よくそれでひとつの町ができるほど発展したものだと思っていたが。住民の多くは移住者だったんだな」
「ええ。近年は特に隣領クレーモラからの難民が多いもので。コンティエラや周辺の町村での受け入れにも限度がありますから、定住と労働の意思をお持ちで、面接をして問題ないと判断できた方へは内々にサルメンハーラをお勧めしております」
隣領クレーモラとの関係はあまり良好なものではなく、長く揉めているらしい話が時折り漏れ聞こえる。
おそらくファラムンド的にはまだ伏せておきたい情報なのだろうけれど、自分の耳にも届くくらいだからイバニェス領内では周知の事実なのだろう。
実際、知ったところで幼い自分に何ができるわけでもない。
情報として得えてはいるものの、訪れたこともないし今のところは縁遠い厄介そうな土地という印象だ。
「前にあの街で情報収集した時に、お隣サンのことちょっと聞いたなぁ。ありふれた話ではあるけどさ、無断で領をまたぐ移住者が多くて治安に手を焼いてるんだって?」
「そこらで拾える話ですから、隠し立てするつもりはありませんが。そうした話が出るほど、住民間にも不満が広がっているのですね……」
表情を変えないまま眼鏡を押さえるカミロ。街の治安ならおそらくキンケードたち自警団が手を焼いている問題だ。
生前は「働き手ならいくらでも欲しい」と思ったくらいだから、移住を希望する者がいるなら受け入れて住んでもらえば良いと考えそうになるが。きっと
そんな思いが顔に出ていたのか、向かいに座るエルシオンが曖昧に笑って口を開く。
「ほら、五歳記なんかの節目でみんな住んでる所の聖堂に住民登録してるからさ。普通はそう易々と引っ越しなんかできないし、届出なく移住すれば治療院とか領の補助も受けられなくなっちゃうんだよ」
「五歳記の意味は父上から聞いたことがある。たしかに勝手に移られては領民の数が合わなくなり、管理もできなくなるな、そうか……」
「オレは聖堂も建ってないような小さい村の養育施設で育ったんだけど、それでも五歳記の祈念式とかはちゃんとやってもらったから。どんな片田舎でもその辺は行き届いてると思う」
五歳記は家族の一員として認められる区切りというだけでなく、領民のひとりに登録される日でもあるようだ。
五年ごとにそれを更新することで、住民の数も誰がどこに住んでいるのかも記録できる。聖王国中でこの制度が行き届いているなら良くできたシステムだと思えた。
エルシオンの育った場所のように、聖堂がない所でもきちんと慣習が根付いている。
……それでも、祈念式自体はそう古くからあったものではないと、クラウデオの手記には書かれていたが。
そういえばエルシオンの幼少期の話は、クストディアから貰った劇の台本にも場面がなかった。だから彼の出自については直接聞いたものしか知らない。
原典である伝記の方にはその辺についても書かれていたのだろうか。あまり個人的な事情を訊ねるのは気が引けるし、別に知らないままでも構わないけれど。
そんなことを考えていると、正面でその当人がにやけた笑いを浮かべながらこちらを眺めているのに気づいた。
「何だ?」
「いや、リリィちゃんのそーいうとこ好きだなぁと思って。オレのことなら遠慮なく何でも訊いてほしいな、交換条件とかなんにも要らないし、答えられることなら何でも答えるからさ」
「お前に遠慮なんてした覚えはない。ただ、回収された伝記には子どもの頃の話も書かれていたのかと思っただけだ」
「あー、うん、あの本にも載ってたよ、オーゲンも同郷だから。でもやっぱり本当のことは書かれない。出す側の事情と、読む側が求める勇者像っていうやつ? そーいうこと知っちゃうと、今まで読んだ過去の『勇者』の話もどこまで本当だかって疑わしいもんだよね。カミロサンはあの伝記読んだことあるなら、十歳記の件とか知ってると思うけど」
「たしか、祈念式のため数名のご友人らと出かけている間に、村が魔物に襲われたのだとか」
「うん、それねー。全部が嘘じゃないけど、全部が本当でもない。あの時も、大人は誰も話を聞いてくれなかったし。何でも発信する側の都合の良いように捻じ曲げられて、受け取る側も娯楽性の高い方に傾いちゃうんだよねぇ。一概に悪いことだとは言わないけどさ」
軽い調子で言い捨てるエルシオンだが、育った村が魔物に襲われたという話は初耳だった。
どれだけの被害が出たのか、場所は、理由は、相手は。もっと掘り下げて訊ねて良いものか、リリアーナが逡巡に言葉を探していると、提げているポシェットからわずかな振動が伝わった。
緊急を報せるアルトからの念話に、開きかけた口を閉じる。
<ご歓談中すみません、リリアーナ様、右手側の岩の向こうに馬車が一台近づいております>
「……!」
唇を引き結び、はっと顔を上げる。その仕草だけで、一瞬にして緊張を纏う男ふたりがリリアーナの方を見た。
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