第318話 壁


「……それで、クストディアにもその甲冑を見せてやったんだ。あいつときたら、せっかく磨き上げた鎧の表面にべたべたと指紋をつけて遊びはじめてな。やめろと言っても聞かないものだから、テッペイが指紋だらけになってしまった」


「これまで歳の近い相手と遊ぶ機会のなかった方ですから、はしゃいでしまったのでしょう。お怪我をされたと報せを受けた時はどうなることかと思いましたが、彼女とは仲良くなれたようで私も安心いたしました」


「うん。趣味も合うし、クストディアのお陰で楽しく過ごせた。滞在の終盤はこいつのせいで寝込むはめになったものの、屋敷で演奏会を開いてもらえたから歌は聴くことができた。書斎に鎧の手入れ、色々あって終始退屈することはなかったな」


「ぐえ」


 後ろを歩いているエルシオンのうめき声には構わず、サーレンバー邸で披露された演奏会の感想をカミロへ伝える。

 あんな間近で演奏や歌唱を聴いたのは生まれて初めてだったせいか、胸を打つような不思議な感動を覚えた。

 次にサーレンバー領へ赴くとしたらおそらく二年後、クストディアの十五歳記の祝いになる。その時はカミロやトマサも一緒に行って、今度こそ大きな劇場で鑑賞できたら良いなと思う。


「せっかくの公演をお楽しみ頂けなかったのは誠に残念ですが、いずれ次の機会もございます。その時は余計な邪魔が入らないよう万全の態勢を整えますので、ご家族揃ってゆっくり鑑賞頂ければと」


「そうだな、あんな騒動がなければ体調を崩すこともなく、父上と劇を観られたというのに。当面サーレンバーへは行けないが、コンティエラにも小規模な劇場はあると聞くし。機会があれば兄上たちと観に行ってみたいものだ」


「すーみーまーせーんーでーしーたぁ~!」


 背後から絞り出すような謝罪の声が上るも、それを振り返る者はいない。

 カミロに背負われたまま、リリアーナは自分の肩に頭を預ける格好で前方を見る。まばらに生えた低木とそこら中に転がる大小の岩。それ以外は乾燥した荒れ地がずっと続いている。

 丘という程でなくとも多少の起伏があるため、障害物が少ない割りに見通しはあまり良くない。目視での観察を続けているふりをして、実のところアルトの探査が頼りだ。


 目指すはイバニェス領から北上した先、ベチヂゴの森の手前にあるという自治領サルメンハーラ。

 詳細な現在地が不明のため、まずは北東へ向かって歩き、目印になるものかサルメンハーラへ続く馬車道を探している。

 途中で一度休憩を取ったものの、それ以外はずっとカミロに背負われたまま。何とか負担を減らしたくとも、下手に浮遊や軽量化などの魔法を使えばすぐにばれる。

 水を出して支度を済ませたように、多少なら体調に差し障ることもないのだが、この男にそんな言い訳は通用しないだろう。発熱がおさまるまでは大人しく背負われているしかない。

 無理に自分がついてきたことで、むしろ余計な荷物になっているような気がして、報告を兼ねた会話でもしていなければ気分が滅入るばかりだった。


「追いかけ回して怖がらせちゃったのはゴメンってば~。あのお嬢サマにも次に会ったらちゃんと謝っておくからさー」


「どうせクストディアを怒らせるだけだからやめておけ」


 振り向かないまま言葉を投げると、ずっと後ろで話を聞いていたエルシオンは急に速足になって横へ並んできた。


「ま、迷惑かけちゃった分はこれからいっぱい働いて返すからさ! 自警団での働きが認められれば、お屋敷の守衛として取り立ててもらえるんでしょ? いつかのし上がって、リリィちゃん専属護衛としてどこまでもついて行くからね!」


 自警団に入れるかどうかすら怪しい段階だというのに、そんな呑気な宣言をして満面の笑みを浮かべてみせるエルシオン。「どこまでもついて行く」というのは、おそらく昨晩話した将来の嫁ぎ先のことを指しているのだろう。

 迷惑極まりないし先々までこの顔を見て過ごすのは御免こうむるが、放っておくと何をしでかすか想像がつかない分、目の届く所にいた方が安心できるという二律背反。本当に、存在するだけで腹の立つ男だ。

 どうしてヒトに生まれ直してまで、こんな奴に付き纏われているのだろう……。


「はぁ……。どうせ何を言ったところで聞かないのだから、お前のことなんか知らん。好きにすれば良い。それよりも、そろそろ休憩にしないか?」


「そうですね、空気が乾燥しておりますから水分補給などもした方が良いでしょうし」


 疲れを微塵も感じさせない声音でカミロが応え、腰をかけられそうな岩を見つけたあたりで二度目の休憩となった。

 幼く小さな体とはいえ、長い時間背負っていれば腕も足も疲労する。ましてやカミロの片足はかつての負った怪我のせいで万全とは言えない状態だ。

 これ以上カミロにばかり負担をかけるくらいなら、多少の不満はがまんして、エルシオンに背負ってもらったほうが良いのではないだろうか?

 布越しであればパストディーアーとの契約にも抵触しないようだし、フードを被らせて髪や肌などがふれないよう気をつけてさえいれば――


「リリアーナ様、ご心配には及びません」


「えっ、いや、え?」


「お優しいあなたが考えそうなことくらいは、私にも察しがつきます。ご安心ください、リリアーナ様は羽根のように軽いので……という言葉を信じて頂けないにしても、あなたを半日抱えて歩く程度はわけもありませんよ」


 珍しく茶化すようにそんなことを言ってくるカミロだが、疲れないはずがない。

 だが、自分の足で歩けると駄々をこねる方が困らせてしまうし、あまり気遣ってもかえって恐縮させるのは目に見えている。

 礼も謝罪も何だか違うような気がして、曖昧に笑って返すことしかできなかった。


「荷馬車でも通りかかってくれれば良いんだけどねぇ」


「それにはまず、馬車道に行き当たらねばなりません。現在地は不明ながらも、クレーモラ領境の岩山が左手に見えますから、東の海岸線からはやや離れた位置だと推測できます」


 そう言いながら、カミロはベルトに差していた杖を動かして地面に図を描きはじめた。昨晩たき火の前で描いたような、線と丸だけの簡素な地図だ。


「サルメンハーラへ繋がる馬車道は海岸寄りなので、ひとまず北東に向かって歩いていれば、いずれは馬車道か、サルメンハーラの街壁が見えてくるでしょう」


 長い波線と、その手前に丸印、そこから飛び出る真っ直ぐの線。それぞれが森と街と道を表しているのだろう。

 今いるのがどこであれ、北東に進めばどれかに行き当たるということか。直接街に着かずとも、森か道を見つけることができれば、自ずとサルメンハーラの位置も判断がつく。

 できれば墜落地点がなるべく街に近い場所であればいい……と思いながら、言葉の中に気になるものがあったことに遅れて気づく。


「……ん? いま、街壁と言ったか?」


「ええ、あの街は少々特殊な造りをしておりまして。イバニェス領側には堅牢な壁が張り巡らされているのです」


「それは穏やかではないな。交易をしているのに関係は険悪なのか?」


「その逆だよ~」


 波打つように語尾を伸ばしながら、エルシオンは手近な小石を掴んでカミロが描いた簡易な地図に線を描き入れる。サルメンハーラを示す丸印の手前に、深皿のような曲線が足された。


「この壁、オレが最後に通った時もじゃんじゃん工事してたから、今はもっと伸びてるかもね」


「人手には不足しないでしょうし、この辺なら石材も豊富ですから。はじめは形ばかりの誇示かと思ったものですが、あそこまで真剣に造られては疑いを保つほうが難しい」


「待て、どういうことだ。そんな強固な壁の建設が、何かイバニェス領の益になっていると?」


 関係性の悪さから断絶の意味を込めて壁を作っているのかと思ったが、どうもそうではないらしい。

 しかし、そんな堅牢な壁を南側だけに作る意図なんて、イバニェス領からの攻撃を警戒しているとしか。

 そこまで考えて、壁が皿のような形をしている意味に思い至った。

 もしサルメンハーラだけを守るなら、下手に長辺を伸ばすよりも、街をぐるりと囲むように壁を構えるはずだ。なんせすぐ反対側には、魔物たちの棲息するベチヂゴの森がある。


「あぁ……、逆ってそういうことか」


「なんだ、もうわかっちゃった?」


「森から魔物が漏れるのを……いや、キヴィランタ側からの侵攻を、受け止めるための壁なのか?」


 エルシオンがさらに書き足したことにより、皿の形をした壁は街の大きさを越えて横幅を伸ばしていた。

 侵攻の受け皿、もし魔物が大挙して押し寄せるようなことがあっても、街に集まった屈強な狩人たちが仕留める、ということだろうか。


「だが、そんなことをしたら街の住民たちにも危険が及ぶだろう?」


「それは承知の上であの場所に集まったようですね。長くイバニェス領が背負っている危険を軽減するための、盾の役割を兼ねるおつもりのようで」


「盾……」


 危険だとか自ら口にしながらも、内心では複雑なものがあった。

 そういう意図はなかったにせよ、かつてデスタリオラが公布した『労働力の集結』のため、聖王国内にいた知性ある魔物たちはほとんどがキヴィランタへ移動した。結果として、現在こちら側には脅威となる魔物はほとんどいなくなったと聞いている。

 そのせいで魔物の素材は高騰し、唯一の狩り場としてベチヂゴの森に聖王国中の手練れが集まり、そのそばに交易の街サルメンハーラができたのだと。

 いかにも面倒そうに話してくれたノーアの顔をちらりと思い出す。


 未だに魔物たちの素材が稀少だというなら、デスタリオラの発した「森から出るな」という命令が死後四十年以上経った今も効いていると思えるが。侵攻の受け皿なんてものを熱心に建設するほど、何か差し迫った危険でもあるのだろうか。

 キヴィランタは肥沃とまではいかないが、暮らしていく分には何ら不足のない広い土地だ。弱きも強きも、それぞれの長所を生かして種族が繁栄していけるよう知識と技術を残してきた。

 だから、あの地の住民が何かを求めて聖王国へ侵略の手を伸ばすとは考えにくい。そもそも、遥か昔の『暴虐の魔王』による大侵攻以外、ベチヂゴの森を越えての勢力的な攻撃なんてこれまでなかったはず。

 デスタリオラの死後にキヴィランタ側で変化があったのか、それとも、まさか新たな『魔王』が立ったとか……?


 街の住民を案ずるようなことを言っておきながら、その実、森の向こうを気にかけている。

 もう自分は『魔王』ではなくヒトなのだと、頭ではわかっているはずなのに。

 どっちつかずの気持ちに息苦しさを覚え、リリアーナは外套の上からそっと胸元を押さえた。


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