第312話 野営作戦会議②


 自治領サルメンハーラ。

 以前、ノーアと会った時にその存在を聞かされたばかりの交易街。

 聖王国内では入手の難しくなった魔物の素材だけでなく、魔王領キヴィランタから流れてくる資材までも取り引きされる特異な場所だそうだが、まさかこんな状況で噂の地に近づくとは思ってもいなかった。

 もちろん、最たる目的はアダルベルトの捜索なのだから、興味本位で行先を決めるなんてことはしない。

 慎重案だというコイネスと並べる形で候補へ挙げたからには、カミロにも何か考えがあるのだろう。


「お前の意見はどうなんだ?」


「はい。人手と連絡手段の確保という面からも、一度コイネスの町へ寄りたくはありますが。飛竜ワイバーンの進行方向から見て、サルメンハーラで情報を集めた方がより正確な手掛かりを掴めるのでは、と考えております。ですが、正直に申し上げて、今あの町へ向かうのはあまりお奨め致しかねると言いますか、多々問題がございまして」


「妙に渋るな、問題とは何だ?」


「これまでサルメンハーラの上層部とは何度かやり取りをしてますので、私は面が割れております。先触れもなくあの町を訪れることはまずありませんから、もし身元が知られれば少々厄介なことになるでしょう。それと、旦那様が口止めをされていたように、外部にアダルベルト様が攫われたことを悟られるわけにはいきません。あそこは大陸の端にありながらも栄える交易の場ですから、ひとたび漏れれば商人らを通してあっという間に他領へも伝わります」


 渋るのも当然の、至極もっともな理由に返す言葉がない。

 ふたりの兄は次期領主の座を巡り、今は試験期間中なのだ。どちらが後継に選ばれるにしても、この微妙な時期に醜聞の種を撒くようなことは避けたいということだろう。

 アダルベルトを捜していることを伏せるにしても、領主家の侍従長と末娘が突然訪れたりすれば、向こうは一体何事かと勘繰るのは当然の成り行き。

 行動に注意を向けられる中で下手に聞き込みなんてすれば、あっという間に話が広まってしまう。


「あー、実はそれ、オレもなんだな~」


「それ、とは?」


「いやぁ、ちょっと前に色々あってさぁ、恨みを買ってるからあの町に入ると命の危機というか、狙われてるっていうか」


「お前は問題行動を起こしながらでないと歩けないのか、サルメンハーラでは一体何をやらかしたんだ」


「しょーがないんだよ、ホント、オレ個人のせいじゃないんだ不可抗力! でも気持ちはわかるから、恨みは甘んじて受けようかなーって訳で、オレもあの町で顔バレすんのはマズイの。今は髪の色を変えてるし、フードでも被っておけばバレないかもだけど」


「わたしとて、外では髪や顔をあまり晒さないように言われている。……ということは、我々がサルメンハーラへ行ったところで、肝心の聞き込みができないのでは?」


「「……」」


 しばしの沈黙が落ちる。

 ぱちぱちと、たき火にくべている薪のはぜる音だけが夜闇に響く。


 この三人が問題なら、一度コイネスへ寄って常駐している自警団員を連れてくるという手もあるが、往復にかかる時間を考えるとそんな無駄足は避けたい。

 そもそも、聞き込みと言ってもワイバーンの行方を訊ねるだけなのだから、カミロとエルシオンを知っている者の目を避けるよう注意を払っていれば、案外どうにかなるのではないだろうか?

 高所とはいえ明らかに普通の鳥とは違う姿。通りに立つ露天商などに話しかけられれば、求める情報はすぐに集まりそうだ。


「様々な問題はあれど、今最も優先されるべきはアダルベルト兄上の安全。こうしている間にも身に危険が迫っているかもしれない。町へ入った後のことは追々考えるとして、まずは情報を得られる可能性がより高いサルメンハーラへ向かうべきだろう」


「まぁ、そーだね。そこは異論なしかな」


 エルシオンが使っているような幻惑の魔法で見た目を変えてしまうという手もあるし、自分ならいつも通りフードを被ってしまえば目立たない。

 カミロも割れた眼鏡を一旦外し、何か簡素な衣服に着替えれば、普段の姿しか知らない相手には分からないと思う。

 そんなことを考えて隣を見れば、しばらく黙っていたカミロは思案顔でじっとエルシオンを眺めてから、おもむろに口を開く。


「お手持ちに、女性用の衣服はありませんか?」


「え、なんで?」


「私は良くリリアーナ様の父親と間違えられますので。あなたがご婦人に扮して、親子連れの商人を装うとか」


「え……いや、あの、それはさすがに無理があるんじゃ……?」


 珍しく語尾を萎ませながら、助けを求めるような目でエルシオンがこちらを見た。


「気にするな。カミロはごくたまに変なことを言う」


「いや、変っていうか」


「冗談はさておき、お手持ちに自警団の制服はございませんか?」


「今の冗談言ってる顔じゃなかったよね明らかに、ってか自警団の制服なんか持ってたらそれ盗品じゃん? オレのこと何だと思ってるの?」


「今さら窃盗罪がもうひとつ加わった所で何だと言うんです?」


「いやいやいや、ほんっとオレのこと何だと思ってんの?」


「あなたが護衛の自警団員に扮し、私が付き添い役で、リリアーナ様のお忍び遊学御一行様ということにすれば誰にも怪しまれず入り込めると思ったのですが。残念です、お持ちでないなら仕方ありませんね」


「なんでオレが、肝心なときに気の利かない男だなやれやれみたいな目で見られなくちゃいけないのっ?」


 ノーアから話を聞いた時から、自治領を名乗るサルメンハーラには興味があった。たとえ建前でも、遊学中として堂々と内部を見学できるなら願ってもない機会だったのだが。無理なら仕方ない。

 そんな残念に思う気持ちが表情に出ていたのか、エルシオンはこちらを見るなり、「気の利かない男ですいませーん!」と言いながら顔を覆ってさめざめ泣きまねをし始めた。


「ともあれ、ごまかすのが難しいならやはり変装して入り込むしかないか。到着までに何か良い手が浮かべば良いのだが」


 たき火が少し小さくなってきたので、脇に積んでいた枯れ枝を二本ばかり追加する。

 食糧の足しになるような植物や生き物は見当たらないが、乾燥する時期だから薪の代わりになる枝なら周囲にいくらでも落ちているのは助かった。

 食べ物はエルシオンの収蔵空間インベントリにまだ在庫があるらしいし、自分だって明日以降なら水くらい魔法で出すことができる。墜落は想定外だったものの、この分なら町へ到着するまでの野営には困らなそうだ。


「替えの普段着なら何枚かあるけど、っていうかオレが着替えるよりもまずカミロサンをどーにかする方が先じゃん。オレの方はこの通り、自分で色とか変えられるわけだし!」


「どうぞお気遣いなく」


「いやいや、バレるとお家的にマズイんでしょ、ちゃんとしないとさぁ。まずはそのオッサンくさい眼鏡を取って、おカタい服も脱いじゃって、ほらほらほら、恥ずかしがらずに~」


「どうぞ、お構い、なく!」


 カミロはそう言いながら、立ち上がって手を伸ばしてくる男の右腕を外側へ払い、襟首を掴み、反対の手を戻し際に胸元を掬い上げ、軸足を払って体勢を崩した勢いを利用し、そのままテントの横方向へ背負い投げをした。ブーツを履いた足が宙に円を描く。


「――ぐぇっ」


 落下音とともに、何度か聞いた潰れるような悲鳴が漏れる。

 一連の動作をずっと横で見ていたが、無駄のない見事な体捌きだ。

 乱れた襟元を直し、カミロは元の場所に腰を下ろす。いつも通りきちんと着込んではいるが、墜落したときに自分を庇ったせいで、仕立ての良いコートにはあちこち擦り傷ができてしまった。


「お見苦しいところを」


「いや、今のは奴が悪い。変装が必要だとしても無理強いは良くないぞ」


 起き上がったエルシオンは、後頭部をさすりながら情けない顔でたき火の前に戻ってきた。自業自得だ。


「うぅ……カミロサンって侍従のひとだよね? 護衛じゃなく?」


「当家の使用人たるもの、これくらいは嗜みの内です」


「そういえば、メイドさんも仕込み武器とか持って飛び掛かって来たっけ。物騒だなぁ、イバニェス家って何なの、ちょっとおかしくない? リリィちゃん大丈夫?」


「失礼な奴だな、仕える者が自身を鍛えるくらい当然だろう」


 口元に手を添え、わざとらしい小声を出すエルシオンを一蹴する。

 イバニェスでは自警団員や守衛部だけでなく、アダルベルトやレオカディオまでもが剣術や乗馬の訓練をしているのだ。自身を守り、仕える家を守るために修練を積むことは何もおかしくはない。

 あのトマサすら自ら望んで守衛部に参加したくらいだから、他の従者たちも日頃から相当の鍛錬を重ねているのだろう。きっとエーヴィのように何でもこなす使用人が、ファラムンドたちにもそれぞれついているはず。


「ええ、当然ですとも」


「ほら、カミロもこう言ってる」


「アー~ッ、この三人でいるとオレしか突っ込みがいないーっ!」


<心中お察し申し上げる……>


 騒がしい声を追うように、たき火にくべた枝がパチリと大きくはぜた。

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