第313話 夢の精力増強最終兵器


 変装方法について男たちがあれこれと揉める中、リリアーナが小さなあくびをしたことでひとまず作戦会議はお開きとなった。

 テントと食事の準備ができるまで少し仮眠をしたとはいえ、未だ全身は重く疲労感は抜けない。体温も上がってきたような気配があり、しっかり睡眠を取っても明日は熱が出てしまうかもしれない。

 カミロには何かと気を遣わせてばかりなため、これ以上心配はかけまいとリリアーナは気だるい吐息をそっと殺し、岩から立ち上がる。


「リリィちゃん、こっちどーぞ。ひとり用のテントだからちょっと手狭で悪いんだけど」


「いや、風を遮った場所で横になれるだけありがたい」


 入口の布を持ち上げるエルシオンの横から、組み立てたテントへ入り込む。

 光源が焚き火しかないため暗くてよく見えないが、思ったよりは空間に余裕がある。今の自分は小柄だし、詰めればもうひとりくらいは横になれそうだ。


「カミロも入れそうだぞ?」


「いえ、私はこちらで。見張りが必要です」


「あ、不寝番ならオレが起きてるよ。眠くなったら代わってもらうから、カミロサンもそれまで寝てたら?」


「この男のことはきちんと見張っております、リリアーナ様はどうぞ安心してお休み下さい」


「あぁ、オレの見張りね~……」


 自身の信用のなさについて不平を垂れるでもなく、エルシオンは火にくべていた小鍋から湯気のたつ液体をカップへ移す。しばらく「ふーふー」と息を吹きかけ冷ましてから、そのカップをリリアーナへと差し出してきた。


「はいどうぞ、リリィちゃん。糖根の初露とアカカズラを煮出して、花の蜜を入れた甘~い薬湯。これ飲めば疲れも取れてよく眠れるよ」


 白い湯気とともに、ふわりと漂う甘い香り。手を伸ばしてそのまま受け取ろうとしたところで、横からカミロが遮った。


「失礼を、念のためです」


「あー、お毒味が必要なんだっけ。いいよ別に、こっちの器に半分移すからどうぞお好きに」


 一度断られることはわかっていたのかもしれない。エルシオンはあっさり引き戻すと、食事の際に使っていた器へ中身をいくらか移し、それをカミロに向かって差し出す。

 受け取ったカミロは器を揺らして匂いを確認すると、ためらいなく口をつけた。

 カップが鼻先にあるわけでもないのに、テントの中まで香りが漂ってくる。蜂蜜やシロップはここまで甘い匂いを発しない。

 香水でも食べ物でもない、以前にもどこかで嗅いだ、覚えのある芳香。

 この匂いは――


<あっ、リリアーナ様、あの中にはバンドナの成分が……!>


 アルトの発した念話が頭に響くとほぼ同時に、思い出していた。この匂いはベチヂゴの森奥深くに咲く、バンドナの花だ。

 花粉や蜜には強力な遊眠成分が含まれており、近づいた生物を眠らせて死に至らしめることで自身の肥やしとする危険な植物。匂いだけでも眠気を誘うのに、それを口にしたら……


「カミロ!」


 呼ぶ声も間に合わず傾く体。

 後ろから抱き留めるように背を支えると、エルシオンがその手から空になった器を抜き取った。

 ぐったりもたれる頭部が重い。上から顔を覗き込めばもう意識はないようで、レンズの奥の目蓋は固く閉ざされている。


「貴様……っ」


「いやいや、これには訳があってね、ひとまず寝かせてあげよう。リリィちゃんはその眼鏡取っちゃって」


 そう言うなりエルシオンはカミロの靴を脱がせ、半身を抱えるようにしてテントの中へ押し込んできた。慌てて眼鏡を抜き取り、カミロが横になれるよう奥へと移動する。

 脱力しきった長身をごろりと寝かせた男は、入口から上半身だけ入り込んでくる。そのままカミロの頭を傾け、左の側頭部を上にして手で押さえた。


「んー、血はもう固まってるけど、ちょっと腫れてるね。これくらいならすぐ治るかな?」


「……? カミロは怪我をしているのか?」


「うん。着地のあと一回バウンドしてね、そこで障壁が切れて、地面に落ちるとき頭をモロに打ってたよ。まぁ、指摘してもどうせオレとリリィちゃんの前では痩せ我慢するだろから、手っ取り早く眠らせちゃった♡」


 先にひとこと言えとか他に手段はとか、色々と言いたいことはあるが、治療の魔法をかけるエルシオンの手元を見ながらそれらの言葉は飲み込んだ。

 眼鏡のレンズが割れるような衝撃を受けたのなら、頭部を負傷するのは当然なのに。カミロの自己申告を真に受けて、それ以上の追及をしなかった。

 自身をないがしろにしてまで心配をされたって何も嬉しくはない。

 おまけに、そばにいた自分は気づけなかったのに、エルシオンの方は気づいていた。様子をうかがい、こんな遠まわしな手を使って治療までして。

 ……自分とカミロへの腹立たしさ紛れに、眠る体の二の腕あたりを少しつねってやる。


<頭部と左肩は打撲による鬱血がありますが、骨や太い血管に異常は見られません。赤毛野郎の魔法で治癒も促進されておりますので、痕も残らないでしょう。……その、軽症と判断しご報告が漏れました、申し訳ありません>


「大事ない、なんて言ったカミロが悪い。朝になったら説教だ、まったく。わたしが同じ怪我をしていたら一大事だと騒ぐだろうに。相変らずこの男は、ほんとに、これだから」


「うふふ~、膨れてぷりぷり怒ってるリリィちゃんも可愛い~」


「戯言はいい、治療を続けろ」


 長い襟巻を折りたたんで、枕の代わりに頭の下へ挟み込む。

 エルシオンがたき火を背にしているせいでテントの中は暗く、ふたりの顔も薄ぼんやりとしか見えない。


「……うん、こんなもんかな。肩は明日もちょっと痛むかもしれないけど、顔には出さないんだろうなぁ。従者のひとも大変だねぇ、何かすごく疲れてるぽかったし、ご苦労サマサマだ」


 そんな軽口を叩きながらカミロの手袋を外し、結んであるタイを抜いて首元をくつろげる。


「あ、リリィちゃんは後ろ向いててね、上だけ着替えさせとくから。こんなお高そうな服、しわが寄っちゃったら大変……、」


「何だ、どうした?」


 エルシオンは不自然に言葉を止め、脱がしかけていたシャツの胸元を戻した。ボタンをふたつだけ開けて、黒い外套を剥ぐに留める。


「寒いから、脱がすのはやめ。コートは毛布代わりに掛けてあげよう。うん、このまま朝までぐっすりおやすみ~」


「治療のためとはいえ、本当にろくなことをしないな……。ほら、出せ」


「え? 何?」


「キンケードに投げつけた瓶の他にもまだ持っていたとは。バンドナの花粉か蜜を使ったのだろう、早く出せ、没収だ」


 渋る素振りを見せながらも、エルシオンは大人しく小指ほどの小さなガラス瓶を差し出した。中身は粉のようだから、花粉を詰めたものらしい。

 手に取るだけでも甘ったるい匂いが漂う。あまり吸い込まないように気をつけながら、ポシェットのふたを開いてアルトの横にねじ込んだ。


「カミロに直接飲ませようとしても怪しまれるから、わざと毒見を買って出るよう仕向けたのだな。姑息。姑息だ」


「そこは、頭イイって言ってほしい~。ともあれ、薬湯自体は本物なんだ、ずっと前にオーゲンやペレ爺が愛用してたやつ。リリィちゃんも後で飲んでおいて、すぐ眠れるし多少は疲れも取れるはずだよ」


「後で?」


 不自然な体勢だったカミロの手足を直しながら顔を上げると、テントの入口から上半身だけ突っ込んだエルシオンはにんまりと嫌な笑いを浮かべる。


「邪魔者がいなくなって……静かな夜に、やっとふたりきりの時間が訪れたわけだ。これからオレと……」


「眠いからわたしはもう寝るぞ。薬湯をよこせ」


「うぅ、マイペースなキミが好き……っ!」


 一度顔を引っ込めたエルシオンがカップを手に再びテントへ入ってくる。中身が半分ほどに減ったそれを受け取ると、狭い空間にまた甘い香りが漂った。

 眠気へ引きずられる感覚には抵抗感があるものの、ヒトの香水のように不愉快さを覚える匂いではない。

 仄かにくゆる弱まった湯気。カップの上に手のひらを被せて、それを遮る。

 こんなものに頼らなくてもすぐ寝入ってしまうだろうが、疲れも取れるなら有難い。

 カップを手にしたまま男の顔を見返すと、エルシオンは緩い苦笑をこぼした。


「まぁ正直なとこ、オレはあんまり眠らないんだ。この通り普通の人間よりも丈夫だし、元々夜通しの見張り番をするつもりでいたんだけど。でも、それ言ってもどうせカミロサンは聞かないでしょ? そんなことに意地張って体力を削っちゃうよりは、明日に備えてしっかり眠って欲しくてね」


「カミロが起きたら言ってやれ。ただ、半分はお前の信用のなさが原因だ。これまでの行いを省みて、もう少しまともに信頼を積み上げる努力をするべきだな」


「ごもっともで……」


 情けない顔をしながら開いた右手に、まるまると膨らんだ布袋が出現する。以前サーレンバー邸でも渡された、あの極楽鳥の羽毛を詰めたクッションだ。


「これ、良かったら使って。本当はあの時に返されたまま、収蔵空間インベントリにずーっとしまっておきたかったんだけど。他に枕の代わりになりそうなものないし」


「自分では使わないのか?」


「いや、だってリリィちゃんのおしりの温もりが残ったクッションだよ? 温度を保持したままとっておいて、いつか失意のどん底に落ちた時に顔をうずめて深呼吸すればきっと元気ハツラツ活力漲るだろうなって思ってたんだけど、考えてみたらキミと再会できたんだから金輪際もう絶望とは無縁なわけで、それならキミに有効利用してもらった方がいいよねって」


 ちょっと何を言っているのか意味がわからない。


「リリィちゃんの温もりを留めたクッションが手元にあると思うだけで元気が出てくるからオレのお守りっていうか、夢の精力増強最終兵器っていうか。顔を押し当てたらきっと良い匂いがするんだろうなぁとか、ふんわりあったかいんだろうなぁとか、ほっぺたを包む温もりだけでイっちゃいそうだなぁとか想像するだけでたまらない気持ちになっちゃって。収めた時の状態を保持してくれる収蔵空間インベントリの性能に心から感謝したもんね」


 意味はよくわからないが、何だかとても気持ち悪いので、狭いテントの中を少しだけ後退して熱弁をふるうエルシオンから距離を取った。


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