第309話 エンドレール


 ……特に何も考えないままエルシオンに触っていたが、布越し、もしくはこちらからふれる分には問題ないようだ。

 視線だけで周囲を見回しても金光は目に映らない。

 もっとも、こんな場所で四肢爆散されたら始末に困る。風の障壁を長時間保つだけでも今の体には結構な負担なのに、大掛かりな治療魔法まで使える気がしない。

 どんなふれ方なら大丈夫なのか、その線引きを実際に試しながら確かめるわけにはいかないから、今後もなるべく近づかないようにしよう。近づかなければ触れないし、触らなければ破裂もしない。

 見上げるほどの体格差ができてしまった男の背中を見ながら、そんなことを考える。


「ちょいちょい大きめの町も見えるねー。オレも道中に泊まったことあるけど、どこもわりと小綺麗っていうか、荒れてないんだよなこの辺。イバニェス領が長く平和で、統治が行き届いてるって証拠だねぇ」


「父上は立派な領主だからな」


「うん、ちょっと口悪いけど。リリィちゃんのことすごく愛してるのは伝わってきたよ」


 エルシオンの言葉に視線を下に向けてみるが、極楽鳥の翼と男の背に遮られているため少し離れた地表しか見えない。

 延々と続く丘陵地と散見する家屋、遠くの山々、海岸線沿いには漁村らしき集落が確認できた。

 こちら側の沿岸は浅瀬がずっと続くため大きな船の出入りが難しい。だからイバニェス領は漁業があまり盛んではなく、海産物等は領内で消費する分しか獲っていないらしい。

 それでもアダルベルトから貰い受けた資料には、各年の漁獲高もちゃんと記載されていた。

 それなりに広い統治面積を持つイバニェス領だが、主な産業は農耕と畜産、それも領内で消費する分がほとんどで輸出に至る割合は低い。食糧の供給が安定しているのは良いことだが、少し気になる部分でもある。

 あとで時間があれば、エルシオンには立ち寄ったという町の様子を訊ねてみよう。


 顔の向きを戻し、カミロの腕にすっぽり収まる体勢に戻る。

 横向きに寄り掛かっていられて楽だし温かいから、何か話していないと眠ってしまいそうだ。


「カミロ、兄上と飛竜ワイバーンの様子はどうだ。もうだいぶ飛んできたはずだが」


「今のところ大きな変化は見られませんね。この方角ですと、やはりベチヂゴの森に向かっているのではと思われますが……」


「兄上は部屋着のまま吹き晒しの状態なのだろう、大丈夫だろうか?」


「ええ、その点も心配ではあります。爪に掴まれてお怪我をされていないと良いのですが。森が近づいても方向転換をする様子がなければ、こちらから仕掛けますか?」


 襲撃者の正体や居所を掴むよりも、当然、アダルベルトの安全が優先される。

 飛竜ワイバーンがどこかへ降りるのを待つよりも安全に救出できる手立てがあるのなら、このまま距離を詰めてしまっても――

 リリアーナのそんな思考を遮るように、突然ポシェットの中身が大きく震えた。


<……! リリアーナ様、ワイバーンに動きが!>


「あっ、ちょっと、何あれっ!」


 アルトからの報せとエルシオンが焦りの声を上げたのは、ほぼ同時。

 一体何事かと、身を傾けるカミロと一緒に、前に座る男の横から顔をのぞかせる。ずっと先を飛んでいたはずの飛竜ワイバーンだが、その形状を視認できるほど距離が縮んでいた。

 極楽鳥の飛行速度が上ったわけではない。向こうが、反転しているのだ。


「どうして、」


 気流に乗って飛んでいる飛竜ワイバーンが、空中で急に進行方向を逆向きにさせるなんて出来るはずがない。

 だというのに、目の前では現実として先行していた竜がこちらに向かっている。

 極楽鳥の方は巨体を風に乗せているため、速度を急に緩めることは出来ない。魔法で方向を逸らすのだって急転回は不可能だ。


 真正面から突っ込んでくる飛竜ワイバーンと、その鉤爪に掴まれたアダルベルトの姿がはっきり見えた。

 衝突するまで、ほんの瞬きの間の出来事。

 後ろから体を引かれ、硬い胸に頭を押し付けられる形で強く抱き込まれた。

 その刹那、



「――っ!!!」



 あまりの衝撃に脳が揺れ、一瞬、意識が飛びかける。

 息が詰まる。

 座っていた柔らかい感触が消えている、上も下も何もわからない、全身が不安定に揺れる、喉の奥が浮くようで気持ち悪い。

 障壁が消えて耳にごうごうと強い風の音が吹き込んできた。頬にあたる空気が痛い。

 受けた衝撃のせいで張っていた魔法が切れてしまった。


 白みかける意識を何とか繋ぎとめながら、まぶたを開ける。

 目に映るのは黒い服の腕と、その向こうに斜めの水平線、絨毯のような地面。それが、ぐるぐると回る。


 衝突して跳ね飛ばされた。

 カミロに抱えられたまま、超高度から落下している。


「うっ、く……!」


 空気の圧で思うように声も出せない。身じろぐと一層強い力で頭と背を押さえ込まれた。

 身を挺して守ろうという心遣いは理解するが、このまま落ちてはどの道どちらも助からない。声をあげるのは諦め、手探りでポシェットのふたを開けた。

 手前側のポケットに指を突っ込んで取り出したのは、領道の花畑で回収してきた精輝石、――ヒトが魔法具を用いるのに使っている精白石の、本来の形だ。

 精霊たちの力の結晶体。

 構成陣を回す助けになる物なんて、生前はその価値がどれほどか考えもしなかった。


<アッ!>


「……っ?」


 石を握り込んだところで、がくりと体勢が大きく揺れた。

 体を抱える腕が一本になり、空中で体がすべる。途端、両足が浮いてカミロから離れそうになり全身に冷や汗が滲んだ。

 慌てて空いている方の手でカミロにしがみつくと、その背後からもう一本の腕が回ってきて外套の背を掴む。腰を強く引かれ体が固定された。


「オ、レ、がー! なんとか軽くするからぁーっ!」


 エルシオンの叫び声が聞こえ、見えてはいないだろうがうなずいて承諾を返す。

 三人分の重量、しかもこれだけの高さから落ちる勢いを殺すとなると、今の自分の手に余る。

 周囲を包み込む【浮遊レビト】をアレンジした構成が視えた。ならば、こちらが受け持つのは着地時の緩衝だ。

 強く握り込んだ精輝石に念じ、構成を思い浮かべる。


(空気の、クッションになるような……落下の衝撃を和らげる、包む、障壁……っ!)


 描き込む順番も線も何もかもぐちゃぐちゃで、自分らしくない雑な構成。

 腹が圧される不快感と苦しさで思考がまとまらない。息継ぎもうまくできない。

 ともすればまぶたも閉じてしまいそうで、途切れそうになる集中を繋ぎ止めるのと、必要な効果を貼り合わせたようなコレが今は精一杯。


 三人を包み込む空気の玉が完成し、鼓膜を叩いていた風の音がやむ。

 落下の勢いも少しだけ弱まったものの、依然として回転は止まらぬまま斜めに落ちていく。頭の中と内臓がかき混ぜられているようで、上も下もわからない。


 自分にできるのはここまでが限界だ。

 カミロの胸にしがみついたまま、ひたすら障壁の維持に努めた。


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