第308話 空の追跡
極楽鳥が浮かび上がると同時に空気の障壁を張ってあるため、吹きつける風はほとんど遮断されている。
上空の強風には耐えかねるというのもあるし、この寒い時期にそんなものを浴びたら風邪どころでは済まない。幼い体は貧弱極まりない上、今はカミロも同行している。セトの背に乗り慣れているからといって油断は禁物だ。
エルシオンが重ねて仕込んだらしく、眼に映る構成は【
そうして薄雲に届きそうな高度まで到達すると、それまで丸々していた鳥がおもむろに翼を広げた。
体よりもいくらか色の薄い大きな羽根が左右いっぱいに展開され、吹きつける風を受けて更に上昇する。
「えっと、
「もう少し右、あっちだ。離れすぎなければわたしが方向を示せる、今はとにかく飛ばして距離を詰めろ」
「りょうかーい!」
後ろから手を伸ばして指し示すと、エルシオンは軽い口調で承諾を返し、空に浮く極楽鳥を加速させた。
自ら魔法を使って推進力を得られる翼竜や羽ばたく鳥と違い、翼に風を受けながら飛行をするのは
エルシオンの横からのぞく前方、先行する
「巣とかアジトとか、どっか目的地があるならそこに降りてくれた方が、お兄ちゃんは助けやすそうだけどね」
「そうだな、下手に空中戦をしかければ兄上を落とされる可能性もある。誰が
風を遮っているため飛行中でも会話に支障はない。リリアーナは考え事をしながらも、飛行の邪魔にならないよう効果範囲を微調整した。
この時期は空気が乾いているから、この高さまできても低雲は少なく見晴らしが良い。上空を見上げると薄く霧のような雲がかかっている。
あまり高度を上げすぎると呼吸の心配もしなくてはならなかったが、どうやら
眼下には一面の丘陵地。細く見える道沿いに村落があり、その周辺には耕作地が広がる。進行方向の右側に顔を向ければ、南海へと続く果てない水平線。
最初に飛び立った方向からは少しずれる。どうやら沿岸部に沿って曲がりながら北上しているようだ。
「……この時期は北東からの風が強まります。
ちょうど同じことを考えていたリリアーナは、海の果てから視線を戻し、自分を抱きかかえている男を見上げた。
角度のせいで眼鏡の奥の表情はうかがえない。だが、その硬い声からも何を言いたいのかは良くわかる。
「うん、東の岩場などに巣がある可能性も否定できないし、もしかしたら海を越えるのかもしれない。しかしこのままイバニェス領の北東へ向かうのだとしたら……」
地図を頭に思い浮かべるまでもなく、その先にあるものは。
エルシオンの横から顔を出して前方を見ると、丘陵地のずっと先に色濃い森が視認できた。リリアーナとして見るのも、
「ベチヂゴの森……まさかキヴィランタを目指しているなんてことはあるまいな?」
「どうだろうね、お兄ちゃんを攫わせた相手があっちに居るならそれもおかしくないけど。でも、あの森って空からは越えられないじゃん?」
エルシオンの言う通り、ベチヂゴの森は空を飛んで通過することができない。
森の上空は常に帯電しており、鳥や虫も木々の上を飛ぶことはない。おまけにどういうわけか精霊たちも言うことを聞かず、魔法で飛んで行くことも難しい。
あの翼竜セトですら、ベチヂゴの森の上空は近寄るのも嫌がったくらいだ。あそこを突破するには森の中を歩いて抜けるしかない。
「いくら
「それまでお兄ちゃんを放さないでいてくれるといいんだけどねぇ」
「お前、恐ろしいことを言うな……。もしその危険がありそうなら、お前が飛び移って脚を切るなりして兄上を救助しろ、こちら側の高度を落としてカミロが受け止める」
「え、その場合ってオレはどうなるの?」
「ふたり乗りなのだから定員オーバーだな。自力でどうにかしろ」
どうせこの高さから振り落とされたところで、傷ひとつ負わないのだろう。それならさっさと捕まえてアダルベルトを救助し、アルト経由で使役者を聞き出すという手もあるにはある。予備案くらいに考えておこう。
<付近に大きな雲もありませんし、急に風向きが変わる様子は今のところ。ただ、
捕獲したところであれを食べる気にはならないが、肉を持って帰ったらアマダが調理してくれるかな、……なんてつい想像してしまう。
食事のことを考えたら途端に腹が減ってきた。そういえば別邸に用意された昼食を食べ損ねたのだ。
「リリアーナ様、大丈夫ですか?」
「え? あ、うん。問題ない」
空腹が顔に出ていたろうかと口のあたりを押さえながら、カミロを見上げる。
相変らず表情が硬い。状況が状況だけに仕方ないかもしれないが、背を抱く腕もどこか強張っているような気がする。
「寒くはないですか?」
「しっかり着込んできたから大丈夫だ。お前の方こそ、どこか具合が悪いのでは?」
「いえ、特には。……リリアーナ様は、高い所は怖くないのですね」
その言葉の意味がよくわからず、答えに間が空いた。
そういえばセトの背にアリアを乗せた時などは、高すぎると言って怯えていたような覚えがある。自分はセトに乗ったり、尖塔の上で過ごした記憶があるため気にしなかったが、普通は高い場所を怖がるものなのかもしれない。
「えっと、うん……そうだな、怖くはない。見晴らしが良くて心地よいと思う」
「あーれー、もしかしてカミロサンは高いトコ怖いの~?」
「そうですね、少し苦手なのを忘れていました。屋根に上がるとか木に登るならまだしも、これほど空高くを飛ぶなんて、想像したこともありません」
何でもそつなくこなすカミロにも苦手なものがあったのか、と驚いてしまう。
普段の生活であれば、そうそう高い場所に登る機会は訪れない。高所が苦手だなんて、こんな機会でもなければわからなかっただろう。
そもそも、自分が行くなんて無茶を言い出さなければ、カミロはこんな所まで来ることはなかったのだ。自身の苦手を押してまでついてきてくれたことに、申し訳なさを覚える。
その謝罪を口にする前に、抱える腕にわずかばかりの力が込められた。
「苦手ではありますが、経験としてはそう悪くありません」
カミロの顔を見上げると、口元が少しだけ笑みを帯びている。
何か面白くてもここまではっきりと笑いを表に出す男ではない。あえて、そういう表情を作っていることくらい自分にだってわかる。
「亡き大旦那様は、珍しいもの好きな御方でしたから。私がリリアーナ様と一緒に、伝説の極楽鳥に乗って空を飛んだなんて知ったらさぞ羨ましがるでしょう。その悔しげなお顔を想像したら何だか楽しくなって参りました」
「あぁ、わたしも話に聞く極楽鳥の背に乗って空を飛ぶなんて、考えたこともなかった。見たのも初めてだし、羽根が柔らかいから座り心地も良いな」
そう褒めたのが聞こえたわけでもないだろうに、極楽鳥は「ブェェー」と腹に響く鳴き声をあげた。
「だーいじょうぶだよ。不穏な雲はないし風は穏やかだし、いくら高くても落ちる心配はいらないって。飛び立つのは苦手でも、一度風に乗っちゃえばこの通り、安定して飛べるからさ」
「そうですね……。空に浮いているというのに不思議と揺れもありませんし、鳥の背だから座っているだけでも温かい。こんな状況でなければ素直に空の旅を楽しみたいところですが」
「あはは、お気に召したなら自警団の備品に加えとく? 移動に便利でしょ?」
「確かに便利かもしれませんが、こんな人目を引く乗り物、常用はできませんよ。賄賂としてお考えでしたら諦めて下さい」
「ちぇー」
拗ねたように舌打ちするエルシオンは掴んでいる羽毛をもさもさとかき混ぜた。
その音に、リリアーナは自分が腰を下ろしている鳥の背を見下ろす。背中側の羽根は胸に生えている羽毛よりも幾分しっかりした手触り、綿というより毛足の長い絨毯のような。この上に転がって寝たらさぞ気持ちが良いだろう。
「……伝承によると、楽土へと招く巨鳥の肉は至上の美味であり、食べた者の寿命を伸ばし壮健をもたらすとか」
「ほう、極楽鳥はうまいのか。大型の生き物の肉は硬くて大味だと聞くが、うまいなら可食部が大きくて良いな。やはりむね肉かもも肉だろうか?」
「鳥ならば尾羽の付け根も脂が乗っていておいしいですよ」
「オレもまだ極楽鳥の味は知らないなぁ。もし
そんなことを言いながら首だけで後ろを振り返るエルシオンの顔を、カミロと揃って冷めた目で見やる。
「お前、背に乗せて運んでくれている相手に対し、よくもそこまで非道なことが言えるものだな。見損なったぞ」
「発想が無慈悲に過ぎますね。あくまで古くから伝え聞く話であって、この極楽鳥を食べるだなんて一言も言っておりませんよ」
「なーんかさー……ふたりともオレに対して冷たすぎない?」
これまでの行いを顧みてものを言うべきだろう。ちゃんと前を向いていろと背を叩くと、エルシオンはわざとらしい泣き真似なんてして見せながら体勢を戻した。
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