第307話 それぞれの役割


 前庭に残された面々が唖然と見送る中、リリアーナたちを乗せた巨大な鳥は別邸の屋根の高さを越えたあたりでその姿を薄れさせた。注意して見つめれば何とか形を捉えることはできるが、瞬きをすればすぐに見失ってしまう。

 あのいけ好かない男が何か魔法をかけたのだろう。空追う目を眇めたままファラムンドは鼻を鳴らす。

 できれば行かせたくはなかったが、感情より利益と効率を優先してしまうのはいつものこと。苦渋の最善策だ。

 相手が成体の飛竜ワイバーンで、脚に息子を掴んだまま飛び去ろうとしている。――そんなの、手持ちのどんな札を切ったところで追跡も救助も届かない。

 であれば、その他の使えそうなものを片っ端からぶつけてやるまで。


 交渉を持ち出すまでもなく、元『勇者』が自分から救助を買って出たのは幸いだった。使い物になるかどうかはひとまず置いて、送り出した以上は信じて任せるしかない。どうせ失敗したところで損はないし、リリアーナのことはカミロが命に代えても守るだろう。

 そう思考を切り替えたファラムンドが手を打ち鳴らした音で、空を見上げていた自警団員や従者らも我に返った。


「ほら、見送りはもういい、各々の仕事にかかれ。カミロは抜けたが陸路の追跡班は別に出す、物資を積んだ馬車を用意しろ。サーレンバーからの積み荷を使い回しても構わん」


 厩から連れて来られた一際大きな馬の手綱を受け取りながら、従者と自警団員らに指示を出す。

 そのさなか、荷台に隠れる位置で揺れている淡色の髪に気がついた。急ぎ足で去って行く侍女と、それを見送る少年の後ろ姿。しばらく姿が見えないと思ったらこれだ。

 馬を置いたままファラムンドは大股で細い背に近づき、後ろから襟首を捕まえた。


「うっわ、何?」


「こーら、陰で何コソコソやってんだ、レオカディオ」


 振り返り様の瞠目からすぐに可愛らしい笑顔を浮かべるも、一瞬だけ「しまった」というように口元が引き攣ったのは見逃さない。年齢の割りに妙に聡い子どもに育ったが、経験不足はこういう所に出る。

 手を放してやるとすぐに乱れた襟元を直し、居住まいを正すレオカディオ。

 何でもない風を装っても、いつもそばに控えている侍女がふたりとも見当たらない。今出かけた侍女の前に、もうひとりも使いに出したのだろう。


「お前はどうする?」


 見つかれば詰問されるのは覚悟の上だったろう。それがわかるからこそ、叱るでも問い質すでもなく訊ねてやる。案の定、レオカディオは驚いたように柳眉を跳ね上げた。

 だが、さすが切り替えは速い。にっこりと外向けの笑顔を浮かべ、視線誘導の人差し指を立てて見せる。


「僕は追跡班の方に同行させてもらおうかな。今、馴染みの商人に使いを出したから、馬力のある馬車一式がすぐに届くよ。遠出になるなら道中の物資も必要でしょ? こういう時のために顔の広い次男坊をやってるんだからさぁ、上手いこと使ってくれないと」


 芝居がかった口調で得意げに顔を上向かせる。その白い額を指先で軽く小突いた。


「あぅっ」


「そーいう売り文句はな、二心有りって顔をもっと上手に隠して言うもんだ」


「……地味に痛いなぁ。見えるとこはやめてよ、痕がついちゃう」


「可愛いお前の顔に傷なんかつけるかよ、バッチリ男前だ。それで、どこの商会に声をかけた?」


 そうして白状させた侍女の行き先は、借りを作る形になってもさほど支障のない商家だった。顔が広いと自ら豪語するだけあって、相手のことも領主家との利害関係もよく理解している。

 おまけに、しっかり飛竜ワイバーンと極楽鳥の飛び立つ方向も確認してから使いを出している。どこへ向かったのか、ドラゴンの降り立つ先はまだわからないまでも、立てた推測は自分と同じだ。


 ファラムンドは呆れと感心混じりに嘆息を漏らすと、息子を促して荷台の裏から出る。屋敷へ向かう先発隊の馬三頭と、同行する自警団員がすでに揃っていた。

 運んできた荷車を使って荷物の積み替えをする従者たち、馬具の付け替えをする団員、連絡要員の割り振りをする一団。状況は動き出している。すでに必要な指示は出したから、こちらはキンケードに任せておけば問題ない。


「テオドゥロを連れていけ、あれは結構使える。他に団員ふたり、商家の関係者はひとりまで。侍女もひとりにしておけ、積み荷と出立のタイミングはお前の裁量で決めて良い」


「僕にそこまで任せちゃっていいの?」


「わりと緊急事態だし、俺の息子は優秀だからな。ただし、ちゃんと無事に帰ってくること。これは厳命だ」


 そう言って騎乗する前に頭をくしゃりと撫でてやれば、レオカディオは「髪が乱れるからやめてよ」と唇をとがらせる。


「わかったよ、ちゃんと無傷で帰ってくるって約束する」


「絶対だぞ。お前に何かあったらお父さん泣いちゃうからな」


「そんな塩水の無駄遣いするくらいなら、煉瓦につけて馬に舐めさせといてよ。……第一、泣かないでしょ父上は。心の中で泣いたとしたって、そんな見えないモノはないのと一緒だよ」


 背丈のある馬へ乗り上げた父親には視線を向けず、レオカディオはらしくもなく俯いたまま数歩下がった。

 長男のアダルベルトと揃って、最近はどうにも難しい年頃に突入している。自分はもっとわかりやすい反抗期を過ごしたものだが、と苦笑を口の端に留め、ファラムンドは手綱を引いた。


「お前は賢くて目端が利く、向こうで追いついたら脇が甘いカミロの奴を助けてやれ。……おい、ヒゲ、じきに商会の馬車が着くから、追跡班の人選と積み荷についてはレオカディオに指揮を取らせろ」


「今はちゃんと剃ってるだろ! わかったよ、こっちはもういいからさっさと行け!」


 面倒そうに手を振って追い立てるキンケードに構わず、追随する二頭に合図を送ってから並足で前庭を駆けた。

 下手に急いでいる姿を部外者に見られては面倒だ。あくまで伴を連れての移動、ちょっと馬車に飽きたから自分で騎乗して屋敷へ帰ろうとしているだけ。……そう装わなければ、領主自ら馬を駆けるなんて余程の異常事態だと誰の目にも明らかだ。


 変に隠れようとはせず、堂々と通りの中央を進む。

 挨拶を向けてくる領民らには手を振って応えながら、急ぐ素振りは見せずに一路、南門へ。

 遮蔽物が減り、屋敷の方向の空が一望できる。やはり飛竜ワイバーンはあの一体のみらしく、他に飛んでいる姿は見当たらない。

 屋敷が群れの襲撃を受けたのかと思ってひやりとしたが、精鋭揃いの守衛部なら一体を相手取るくらいわけもない。救援を急がずともそう被害は出ていないはず。

 だが、おかしな話だ。飛竜ワイバーンは竜種に数えられるものの、その実体は空飛ぶトカゲも同然。おつかいが出来るほど利口ではない。

 誰かが使役しているとしたら、一体どうやってアダルベルトだけを攫うなんてことが――


「……ん?」


 南門に差し掛かかるところで、開け放った門の向こうからこちらへ駆けてくる馬が目に入る。

 速度を緩めぬまま止めようとする門番をやり過ごし、門を抜けてファラムンドたちのすぐ目前まで来ると、華麗な手綱さばきを見せて馬を急停止させた。よく慣れた馬は嘶きも上げずに、大人しくそれに従う。

 そこまで近づけばさすがに誰だかはわかるが、正直意外な思いもあってしばし言葉を失った。

 騎乗していた当人は息を切らした様子を見せることなく、馬からひらりと降りてファラムンドへ美しい礼の形を取る。


「独断でか?」


「はい、お叱りを覚悟の上で。ご到着をお待ちするよりも、こちらからお伝えに上ったほうが時間の無駄がないと判断いたしました」


「誰が叱るものか、最適解だ。そんじゃ、報告を聞こうかね」


 商人らの出入りが少ない時間帯で良かった。周囲の注目は浴びてしまったものの、軽く手を振って何でもないと返す。

 今から別邸へ取って返すよりは、守衛たちの駐在所を借りたほうが近いだろう。ファラムンドは馬に乗ったまま、ついてくるように指を動かして乗馬を促した。 


「お前も最近、ちょっとお転婆になったな」


「……お恥ずかしい限りでございます」


 言葉少に頭を下げる平坦な顔へ、色々ともの言いたげな気配が滲んでいるのがおかしい。こちらはレオカディオとは違って、昔から表情を取り繕うこと自体が下手なのだ。


 長いスカートの裾をものともせず、軽々と馬へ乗ったトマサは普段通りにぴしりと背筋を伸ばし、楽し気に目を細めるファラムンドを真っ直ぐ見つめていた。


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