第297話 侍従長はおこだょ


 がっくりと項垂れるエルシオンは林の小屋で遭遇した時と同じ軽装に、黒い髪をしていた。リリアーナの眼にもそう視えるということは、しっかりと幻惑の魔法をかけているのだろう。

 目立つ赤い髪がなくなると、どこにでもいそうな服装と顔立ちも相まって、人混みにでも紛れればすぐに見失いそうだ。

 この男は人当たりがよく小手先も器用だし、普通に生きようと思えばいくらでも市井に溶け込めるはずなのに。無為な四十年を費やしてまで、どうして自分に付き纏うのだろう。


「……釈放されたとはいえ、お前はまだ自警団が移送するような立場だろう。こんなところをうろついてキンケードたちに余計な仕事を増やすなよ」


「移動中はちゃんと大人しくしてたんだからさ、大目に見てよ~」


「花畑での休憩中にも抜け出してきたくせに良く言う。自分から立場を悪くしてどうする、さっさと移送車へ戻れ」


 立っているカミロの陰から顔を出し、羽虫を払うように手を振れば、エルシオンは「隠れてるのカワイイ~」と目やら口元やら顔中を弛緩させる。かなり気持ち悪い。


「失礼。貴殿の事情は承知しておりますが、身分と立場は弁えて頂きたい。未だ社交にも出ておられない貴公位の令嬢に対し、みだりにお近づきになりませぬよう」


「いや、変なことはしないから大丈夫ですよ、どうせオレは触れないし」


「触れない?」


 肩を竦めるエルシオンに向かい、怪訝そうにしているカミロの袖を後ろから引く。


「精霊の呪いというか、契約というか……とにかく、こいつはわたしにふれられないんだ。指一本でも触ろうものなら腕ごと吹き飛ぶ」


 詳細な説明は難しいが、ひとまず危害を加えられる心配はしなくても良いと伝えたかった。

 納得までは至らないまでも、顔を向けてきたカミロは曖昧にうなずく。

 いきなり「触れば腕が吹き飛ぶ」と言われても、そう簡単には飲み込めない。今後の対応にも関わるだろうから、後でもう少し詳しく説明しておかねば。


「そーそー、今のとこ手出しは何にもできないからご安心ください。まずはお友達からスタートして、お付き合いをして、互いのことを良く知って、もっと深い関係になろうとは思ってますけど。深い関係っていうよりむしろ深くまで突っ込みたいっていうか」


「ははは。ブッ殺しますよ」


 わけのわからない戯言を一蹴するカミロに対し、エルシオンは露骨に顔を強ばらせる。


「なんかリリィちゃんのお父さん、噂に聞いてたよりも怖いんだけど」


「カミロはうちの侍従長だ。無礼を働いたら承知せんぞ」


「あ、お父さんじゃない? 侍従長っていうとお屋敷の人か。なるほどリリィちゃんの身内枠ね、覚えた……って、あれ? お兄サン、前にもどっかで会ったことない?」


 会ったうちに入るかはわからないが、以前この街で追い回された際にもカミロの姿は目にしているはず。コートの色も襟巻もあの日と同じなのに、まだ気づいていなかったのか。


「さぁ、どうでしょう。それよりも騒ぎを起こす気がないのでしたら、そろそろお戻りください。身内の無能を晒すようでお恥ずかしい限りですが、抜け出されたことには気づけずとも定時の確認くらいは怠らないかと。入団試験を受けたいのでしたら、ここで失点を重ねるのは得策ではありませんよ」


「あー、だよねー」


 こうして堂々と人前に立つエルシオンが髪色の偽装とあわせて纏っているのは、気配を薄める構成だ。

 こうして自分たちと会話をしている間も、周囲を行き交う者たちの視線は男を通り過ぎる。そこに誰かいるということは何となくわかっても、注意深く見なければ気に留まることはない。

 このまま別邸を離れてどこかへ行ってしまえば罰金も払わなくて済むだろうに。大人しくイバニェス領まで連行されてきたということは、逃げるつもりはないのだろう。


 まだ何か言ってくるかと思ったエルシオンは、カミロの言葉を受けて素直に踵を返した。「また後でね」なんて口の形で告げて指先を翻し、すぐに自警団の黒い制服に紛れてわからなくなる。

 幸い、奴が抜け出したことはまだ発覚していないらしく、自警団員たちに慌てている様子は見られない。


「あれは魔法が達者なんだ、見張りの者は叱らないでやってくれ」


「勿論です、相手が相手ですから。旦那様からの便りで『本物』だとはうかがっておりますが、一筋縄ではいかない人物のようですね」


「まぁ、うん、そうだな……。真面目に対応するだけ無駄だから、お前もあまりまともに取り合う必要はないぞ」


 自警団に入りたいと度々言っているのも本気かどうか定かでない。もし本当に入団を狙っているならキンケードたちには更に迷惑をかけることになるし、カミロにも余計な仕事が増えそうだ。

 本当に、どうしてこんなことになったのだろう。会話を重ねても未だにエルシオンのことがわからない。

 せっかく『勇者』の役目を終えたのだから、どこか自分の知らない場所で、適当に余生を過ごしてくれていれば良かったのに。これから先のことを思うと頭が痛くなる。

 立ち去る黒髪を目で追っていたらしいカミロは、背後に庇っていたリリアーナを半身で振り返った。


「コンティエラの一件に続き、サーレンバー邸でもリリアーナ様を付け回したとか。王室とオーゲン様からの依頼は赦免のみです。もし彼の姿が目に入ることすらご不快でしたら、私のほうで何か手を打ちますが。如何でしょう?」


「えっ……?」


 手を打つとは、一体何をするつもりだろう。あの男が本物の『勇者』だと承知の上でカミロがそこまで言うなら、奴を身辺から追い払う有効手段があるのだろうか?

 エルシオンが消えてくれればまた以前のように安心して過ごせるし、妙なことを言って付き纏われることもなく、周囲への迷惑も考えなくて済む。良いことだらけだ。むしろ良いことしかない。


「……。ん、目に入るのも不快なのは確かだが、ちょっと邪魔なだけだ。あれは放っておいて構わない」


 いなくなれば良いとは思うのに、それを頼む言葉は出てこなかった。

 まだ奴には訊きたいことがたくさんある。それに所在がわからなくなると、何をしているのかわからなくてきっと今以上に落ち着かない。それなら奴が以前言っていた通り、目の届く範囲にいたほうがまだ安心というもの。


「左様ですか。かしこまりました」


 何かを切り替えるようにカミロは眼鏡の中央を押さえて位置を直し、今度はきちんと正面を向いて振り返る。

 二歩分の間を空けているのは立ち話のせいだろう。身長差がありすぎて、あまり近いと首が疲れるのだ。


「それと、先ほど申し上げました散策の件ですが。コンティエラへ立ち寄られることもそうありませんし、もしリリアーナ様がお疲れでなければ、一箇所ご案内したい場所がございまして」


「わたしを? お前がそんなことを言いだすのは珍しいな。歩きたい気分だから向かうのは構わないが、どこへ連れて行ってくれるんだ?」


「ここから程近い治療院です」


 治療院というと、たしか診療所とは違って領が出資している公共の診療施設だ。

 屋敷には専属の老医師が通ってくれるためリリアーナには今のところ縁のない場所だが、カミロからは以前にもその施設の名前を聞いたことがある。

 それに気づいて視線を返すと、カミロは小さく首肯して見せた。


「急に赴いて、面会は叶うのか?」


「ええ、もうお体は快復されて会話のできる状態ですし。本日伺うかもしれないと、すでに担当者へは伝えてあります」


 先を見越したそつのない回答は相変わらず。カミロのことだ、以前に報告を受けた時から雑貨屋の店主のことがずっと気にかかっていることもお見通しだったのだろう。

 出迎えの体裁を取りながら、おそらくこれを伝えるために自ら出向き、早くに声をかけてくれたのではないかと思う。本人は何も言わないから、こちらも何も言わないけれど。


 すぐに案内してくれるのかと思ったが、まだやることはあるらしい。カミロが軽く手を上げてすぐ、どこからともなくエーヴィが現れる。そしてファラムンドへの伝言らしき言葉を二、三伝えると、侍女は深く礼をして歩きとは思えない速度で立ち去った。

 それと入れ替わるようにして今度はキンケードが近寄ってくる。


「よお、カミロ」


「今回もご苦労様です。活躍のほどは聞き及んでおりますよ」


「大して役に立っちゃいねぇの分かって言ってんだろ、くそ。まぁいいや、何かあったのか?」


「これから少し、リリアーナ様と散策に出ます。あなたもついて来ますか?」


 どの道、護衛に誰かを伴う必要はあるのだろう。カミロが声をかけるとキンケードは何度か目を瞬き、しばらく思案するように上を向いてから、近くを通りかかった自警団員を呼び止めた。


「おうナポル、ちょうど良かった。ちょっくらお嬢様の護衛についてけ、オレはまだ仕事が残ってるからここを離れらんねぇ」


「え、護衛? あっ、カミロさんお疲れ様です、え、護衛?」


 呼び止められた若者はリリアーナも何度か顔を見たことがある。未だ少年のようなあどけなさを残した童顔の青年は、領道の崩落時にもこの場所にいた自警団員のひとりだ。


「形ばかりですから、同行して下さるだけで構いませんよ」


「アッ、はい! 未熟者ですがよろしくお願いします、リリアーナお嬢様もよろしくお願いします!」


「はい。こちらこそよろしくお願いします、ナポルさん」


 笑顔を作ったリリアーナが淑やかに返事をすると、キンケードは苦い顔をして後頭部を掻く。


「あー、そっか。一緒に行くならテオドゥロとか、もっと慣れたヤツのほうが楽か?」


「すぐに戻りますから構いません。では参りましょう、カミロ、ナポル」


 後ろに下ろしていたフードを被って髪を隠し、上背のあるふたりを振り返る。こちらを見下ろすナポルが「猫……?」と呟いているのは聞こえないふりをして、先導を促した。


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