第298話 おすそわけ


「トマサやアーロン爺も変わりはないか?」


「はい。ふたりとも元気すぎるくらいですね」


 治療院へ向かいながらカミロと並んで話していると、歩く順番は自然にナポルが先導し、その後ろをふたりでついて行く形になった。

 商店通りとは違って人混みのない道だから、手は握らなくても大丈夫だ。


「トマサは慣れない仕事に苦労しているのではないかと最初は心配していたが、手紙でもそんな様子はなかったからな。むしろ気掛かりなのはアダルベルト兄上だ。受け取った手紙も、何だか余裕のない感じだった」


「そうですね……、疲労の蓄積に加えて最近は食も細く、夜はあまり眠れていらっしゃらないご様子です。お支えする立場でありながら力及ばず。旦那様の帰還により重責から降りることは叶いますが、それも良し悪しではないかと思案しております」


「なぜだ? 兄上の体調が優れないなら、しばらく仕事から離れて体を休めた方が良いだろう?」


 ファラムンドの留守中、領主代行として慣れない仕事を一手に引き受けていたのだ。肩にのしかかっていた責任をひとまず降ろし、ゆっくり休めるならそれが一番なのでは。

 目だけで見上げながらそんな疑問を口にすると、珍しく言い淀むカミロは言葉を探すようにしばしの間を空けた。


「……何と言いますか。アダルベルト様は責任感がとても強く、繊細で、内に溜め込む気質の方ですから。思い通りに仕事をこなすことができずお悩みの最中に、その仕事だけを取り上げるようなことをすれば、かえって心労が嵩増すのではないかと」


「あぁ……、そういう、問題か……」


 相手の気持ちを慮るとか、内心を察するというのは苦手な分野だ。曖昧な返事しかできないが、カミロがこうして言葉にする程となると、自分が思っていたよりもずっとアダルベルトは追い詰められているのかもしれない。

 長兄は普段もファラムンドの執務を手伝っているのだから、これまで通り仕事の一部を任せるという形では足りないのだろうか。

 そう思いはすれど、おそらく問題はそこではない。

 任された仕事を完全にこなすことができなかった、そんな消化不良な状態で代行とはいえ座っていた領主の席を離れること自体が、責任感の強いアダルベルトには堪えるという話だろう。


「そもそも、兄上は……、」


 口にしかけてから、先を行くナポルの耳には内容まで届かない程度に声をひそめる。


「わたしがこれを聞いて良いのかわからないが。今回、領主代行をアダルベルト兄上に任せたということは、父上の後継はもうそれと決まっているのか?」


「いいえ、そういうわけではありません。今回の代行は、お二方それぞれの得意分野を任せるという方針で決定されたものですから。サーレンバー領でも、レオカディオ様は積極的に会食などへ臨まれていたのでは?」


「うん、毎日のように外出していた。そうか、会談とか顔繋ぎはレオ兄の方が得意だから……」


 ということは、未だふたりの兄はどちらも領主の資質を試されている期間らしい。

 レオカディオとは先日少しだけこの件について話をしたが、アダルベルトからはまだ後継についてどう考えているのか聞いたことはなかった。屋敷へ戻って、少し落ち着いた頃にまたサンルームで話すことができればと思う。


「あ、お嬢様、もう見えてきましたよ。あそこにあるのが治療院です」


 数歩先を行くナポルの声に顔を上げ、青年の指さす先に目を向けた。

 大きな建物の並ぶ一角に、こざっぱりとした三階建ての屋敷が建っている。そう広くない前庭に煉瓦の花壇、物干しのロープに白い洗濯物が揺れる。一見した限りではただの家屋のようだ。

 領費による運営と聞いていたから、もっと大きな施設を想像していたのに。他がどうかは知らないけれど、病や怪我の療養をするなら、ああいう雰囲気のほうが居心地は良いのかもしれない。

 そんなことを考えながら歩いていると、隣のカミロが声音を落としたまま話しかけてくる。


「本日の面会を、情報を得るためのだしにするつもりはございませんので、先にひとつお伝えしておきます」


 区切られた言葉に隣を見上げる。カミロは相変わらずの無表情をこちらに向けているが、これは真面目な話をする時の顔だ。


「イェーヌさん……あの雑貨屋のご店主は意識を取り戻されてから体調も快復し、現在は面会へ応じるのにも支障はないそうです。そのためリリアーナ様へご報告申し上げた後、守衛部による軽い聞き取り調査を行いました。例の紙片の入手元をそれとなくお訊ねしたのですが」


「わからなかったのか?」


「ええ。亡くなられたご主人の遺した物だろうから、どこから仕入れてきたのかは覚えていないと」


 話を聞いていたリリアーナはうなずきかけてから、それはおかしいのではないかと気づく。

 あの雑貨店の前の主人は、リリアーナが訪れた三年前にはすでに故人だった。一方、構成の刻まれた栞はヒエルペ領にも問い合せをして、わりと最近作られたものだということが判明している。


「記憶違いとか……、いや、お前の口振りからして、彼女が何か隠しているのか?」


「そんな気配があったとの報告を受けております。確かな証拠があるわけでもなく、当人はあくまで被害者ですから。こちらとしても強く訊ねることはできず」


「なるほど、大体理解した。そういう事情なら、わたしから栞についてふれるのは避けておいた方が良いか」


「会話の内容はご随意に。ただ、こちらでも調べは進めておりますので、リリアーナ様はお気になさらずご面会頂ければと思いまして」


「かえって気を遣わせたな。わかった、腹芸は不得手な自覚はあるから、さりげなく聞き出そうだとか余計なことは考えないでおこう」





 到着した治療院の中は外観同様に質素でも、所々に観葉植物の鉢やパッチワークが飾られて温かみのある雰囲気だった。

 対応に出てきた職員に挨拶を交わすだけで中へ通される。どこからか子どもの笑い声が聞こえる廊下を進み、二階の一番奥の部屋で先導するカミロとナポルが足を止めた。


「あっ、じゃあ自分はここで待機してますんで、お嬢様どうぞです」


「わかりました。誰か訪ねてきたらノックで知らせてください。ではカミロ」


「はい」


 廊下にナポルを残し、カミロが応答を確かめて扉を開けてくれたので室内へ入る。

 よく日の当たる明るい部屋には布の間仕切りが置かれ、窓際のベッドで見覚えのある老婦人が体を起こしていた。

 病み上がりのためか、それとも自分が成長したせいだろうか、以前会った時よりも一回り小さく見える。

 彼女と顔を合わせるのは三年振りだ。こちらは良く覚えていても、向こうにとっては一度見たきりの客に過ぎない。あの頃よりは背も伸びているし服装も違うから、わからないかもしれないと思うとかける言葉に詰まる。


「あの、失礼します、こんにちは」


「……あぁ、ああ、お嬢ちゃん、前にお店に来てくれた子だね?」


「覚えていますか?」


「もちろんよ、こんな可愛いお客さんを忘れるものですか。さぁさ、そんな所にいないでこちらにお座りなさいな」


 ほっと安堵の息を吐き、老婦人の勧めに従ってベッド脇に置かれた木製の椅子へ腰かける。


「この前、またお店に来てくれたんだって? ごめんねぇ、せっかく寄ってくれたのに。お嬢ちゃんが気にしてくれたお陰で、危ういところを助けられたんだって自警団の人に聞いたのよ。ありがとうね」


「いえ、このカミロが全部手配してくれたので、わたしは何も。大事に至らず良かったです」


 しわだらけの顔に、落ちくぼんだ目。柔和な印象は以前のままだが、こうして間近で見ると、やはり前よりも痩せたなと思う。

 面会には応じられるとのことだが、あまり長居をして無理をさせない方が良いだろう。


「あっ、そうそう、良いものがあるのよ」


 そう言って老婦人、イェーヌは傍らに置かれた籠の中を探り、小さな丸い紙包みを取り出してリリアーナへ手渡した。


「この前、息子夫婦がお見舞いに持ってきてくれたお菓子でね、甘いお茶の味がする飴なのよ。おひとつどうぞ、おいしいから食べてみてちょうだい」


「え、あ、ありがとう」


 手にした丸い包み紙からは、確かに香茶らしき甘い芳香が漂う。

 お茶の飴玉なんて口にしたことはないから興味はあるが、ひとつしかないためカミロに毒見を頼めない。だがせっかくの好意だし、食べてみてと言われたのは今ここでという意味だろうし、持ち帰るのも断るのも何だし。一体どうしたら。

 ――と、ぐるぐる悩むリリアーナが背後に控えるカミロを見上げると、鉄面皮の男は唇の端をほんのわずかに震わせながら口を開いた。


「構いませんよ、どうぞお召し上がり下さい」


「なぜ笑うんだ」


「いいえ、とんでもない」


「笑ってる、絶対笑ってるだろそれ」


「いえいえ」


 澄ました顔のカミロとそんな言い合いをしていると、ベッドの老婦人がくすくすと笑いをこぼす。

 さすがに気恥ずかしい。ばつの悪さを誤魔化すように、手の中の包みを開けて琥珀色の飴玉を口の中に放り込んだ。甘く、上質なお茶の香りが喉の奥まで広がる。


「……おいひい」


「お口に合って良かった。ふふふ、前に店へ来てくれた時もそうだったけど、お嬢ちゃんはお付きの方と仲良しさんなんだねぇ」


「うん」


 カミロは屋敷の侍従長だから自分のお付きではないが、口に飴が入っているため言葉少なにうなずいて返す。

 香茶の飴玉は意外と大きく、口の中がいっぱいになってしまう。このままでは会話ができない。


「リリアーナ様、私は医師の方とお話をして参ります。少々席を外させて頂きますがよろしいでしょうか?」


「ん、」


 面識のあるリリアーナだけを残し、イェーヌが気兼ねなく話せるようにという配慮だろう。

 だが、その前に用がある。部屋から立ち去ろうとするカミロの袖を掴んで引き止め、椅子を立って間仕切りの裏まで体を押して行った。


「リリアーナ様、何か?」


「ひょっと、そほに、屈め」


 問い返すこともせず大人しく従う男は、リリアーナと目線を合わせるようにその場で膝をつく。

 小さくなる気配のない飴のせいでしゃべりにくい。奥歯で思い切り噛んで、大きな塊を口の中でふたつに割った。

 そうしてカミロの頬を掴んで顔を寄せ、大きい方の欠片を舌先で押し出して男の口へと放り込む。

 自分の口が小さいものだから、唇の位置を合わせるのが意外と難しい。押し込む飴は途中でカツリと歯に当たったが、何とか落とさずに移すことができた。


「……ッ?」


「半分もらってくれ、ちょっと飴が大きすぎた。……うむ、これくらいなら問題なく話せるな。毒見も最初から半分にして頼めば良かった」


 舐めやすい大きさになった飴に満足したリリアーナが顔から手を放すと、カミロは口を押さえながら杖を支えにゆらりと立ち上がる。

 そのまま一礼し、反転すると無言のまま部屋を出て行く。退室の挨拶もなく、素っ気ない態度を見せるのは珍しい。


「物を口に入れたまましゃべりたくないのか……?」


「どうかしたの、お嬢ちゃん?」


「あぁ、いえ、何でもないです」


 かけられた声にリリアーナは慌てて仕切りから顔を出し、元の椅子に腰かけた。


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