【鳥影を追う空】

第296話 お出迎えと先制初対面


 肩を揺さぶられる振動で目を開けた。

 ぼやける視界にはフェリバの顔と、その向こう側に半眼で口も半開きにしているカステルヘルミが映る。どうやらふたりしてすっかり寝入っていたようだ。

 石畳を駆ける車輪の音を耳にしながら、リリアーナは瞬きを繰り返して意識をはっきりさせる。


「ん……起きた。もう着いたのか?」


「はい、ついさっきコンティエラの街に入りましたよ。もうじき別邸が見えてくると思います」


 朝食を済ませて中継地点を発ち、昼頃にはコンティエラに着くと聞いていた。ここで荷下ろしと休憩をしたら、屋敷まではあと少しだ。

 旅立ちのはじめは珍しかった風景も、往復をする間に見慣れて少しだけ飽きていた。持ち込んだ本も餞別にと貰った脚本もすでに読み終えているし、昨日から馬車の中では寝てばかりいる。

 降りる支度を進める間に、窓の外からは道ゆく人々の喧噪が聴こえだす。フェリバに髪を梳いてもらってからカーテンの隙間をのぞくと、別邸を囲む黒い鉄柵が見えた。


 半壊したままのアルトを詰めたポシェットを斜めにかけて、マフラーを巻き、靴ひもをきちんと結べば準備は完了だ。化粧直しに手間取るカステルヘルミを置いて、停車した馬車の扉が開かれるのを待つ。

 扉のノックにエーヴィが応じ、先に降りた侍女の後に続こうとすると、横から黒手袋をはめた手が差し出される。

 多忙な彼がわざわざコンティエラまで来ているとは思わなかった。その手を取りながら足取りも軽くステップを降りたリリアーナは、杖をつく男の顔を見上げた。


「カミロ、こちらまで出迎えに来ていたのか」


「はい。お帰りなさいませリリアーナ様、慣れない長旅でお疲れでしょう」


「ずっと寝てばかりいたから、意外と大丈夫だ。お前は、父上の方に行かなくて良いのか?」


「先ほどご挨拶はして参りました。仕事の話なら後ほどいくらでもできますから、……それよりもリリアーナ様、少し見ない間に背が伸びましたか?」


 その言葉に、はたと見上げていた顔から正面に視線を移す。

 カミロの黒いコートと紺色の襟巻、杖を持った右手、掴みやすい位置にある左の袖口は確かに前よりもちょっとだけ目線の下にあるような気がしないでもない。


「そ、そうか? うん、そうかもしれない、成長してるぞ、大きくなったかもだ。サーレンバーの食事もうまかったからな、たくさん食べて散歩もしていた。だが、そろそろアマダの作ったものが食べたい」


「ええ、アマダも他の者たちも、首を長くしてお帰りを待っておりますよ」


「まーたカミロはリリアーナを甘やかして。こんな短期間じゃ見てわかるほど背なんか伸びないでしょ」


 横から声を挟んできたレオカディオは、まだ何か言いたそうに口を開きかけてから、両手を伸ばして大きなあくびをした。

 寝具が変わると寝つきにくく、移動の馬車も酔いやすいため道中ずっと気分悪そうにしていたが、この様子なら少しは眠れたようだ。垂れた目蓋に眠気の余韻が残っている。


「ご出発までお休みになられる様でしたら、客間へご案内いたしますが」


「いや、いいよ。午後の打合せに来る商工会の面子には、僕も用があるから。それ終わったら父上と一緒の馬車で帰る。カミロはリリアーナたちと先に戻るんでしょ、湯と寝室の支度だけしておくように伝えといて」


「かしこまりました」


 軽く手を振って背を向けるレオカディオに一礼すると、カミロは再び背筋を正し、少し離れた位置からリリアーナを見た。

 こうして顔を合わせるのは二十日振りだ。大して離れていたわけでもないのに、何だか懐かしいような気もする。


「背が伸びたと感じたのは本当ですよ。それと、私などにもお手紙を下さりありがとうございます。サーレンバーでは楽しくお過ごしになられた様ですが、もう痛めた足や体調はよろしいのですか?」


「うん、そのあたりの件では心配をかけたな、もう大丈夫だ。お前には色々と話したいこともあるが、この後は昼食をとってから屋敷へ戻るのだったか?」


「そうなりますね。荷下ろしは少々かかりますから、その間に別邸の中で昼食をお召し上がり頂き、休息を取って頂く予定でおります。……ですが、その通りに行動しなくてはならないという訳ではありませんし、もしどこか散策をされたいようでしたら、お付き合いいたしますよ」


「えっ、いいのか?」


 思ってもいない提案に目を瞬くと、カミロは少しだけ屈んで目線の高さを近づけた。


「馬車の中でお休みになられていたのでしたら、むしろ少し足を動かしたいのではないかと」


 そう言いながら伸ばされた指先が、頬の下あたりを軽く擦る。何だろうと考えてから、思い当たることがあり顔を押さえながら一歩跳び退いた。


「まさかよだれの跡が?」


「いいえ、寄り掛かっていたような跡が少しだけ、赤くついております。すぐに消えるでしょう」


「そんなことを言って、本当はよだれを垂らした痕跡だったのでは?」


 鏡がないため確認ができず手のひらで擦っていると、「信用がありませんね」と苦笑いを浮かべるカミロにやんわり手を止められた。


「余計に赤くなってしまいますよ」


「う、む……。そうだな、降りる前にフェリバが見てくれたから、大丈夫なはず」


「こんにちはっ、リリィちゃんのお父様ですか? オレ、イバニェス領の自警団に入団希望の前途ある若者です! リリィちゃんとは末永く仲良くしたいと思ってます、これから長いお付き合いになると思うんで、よろしくお願いしまーす!」


「もしご心配なようでしたら、すぐに湯を用意させます」


「いや、構わない。食事の前に手を洗うし、後で水場だけ使わせてもらおう」


 周囲を見回せば、自警団員や従者らが幾人も行き交って忙しそうにしている。

 出発の時もこんな感じだったなと思いながら視線を巡らせ、怖い顔をしたエーヴィと目が合った。大丈夫だと示すように手を振り、カミロを伴って馬車から離れる。


「そういえば、帰ってきたら何か良い報せがあると手紙に書いていたな?」


「ええ。実はこの度、カリナの復職が決まりまして。本人もいち早くリリアーナ様へご挨拶がしたいと言うので、午後までにはこちらへ来ることになっております」


「カリナが? そうか、しばらく侍女の仕事を休んでいたようだが、戻ってくるのか」


 ある日突然顔を見なくなり、代わりのエーヴィが入ったきりカリナがどうしているのか何も知らされなかったから、どうしているのか気になっていた。赤子の頃から世話になっている気心の知れた侍女だ、戻ってきてくれるなら喜ばしい。

 挨拶ということは、実際に屋敷で働くのはまだ先になるのだろうか。足を止めてカミロを振り返ると、その背後に見知った男がくっついているのも目に入った。


「そこから離れろ不審者」


「うう、リリィちゃんがやっとこっち見てくれた。スルーは悲しいよぅ、無視しないでよぉ」


 自分に合わせて視線を向けようともしなかったカミロが数歩距離を取り、肩を落として泣きまねをする男に向き直った。庇うような位置取りに、エルシオンの黒い・・頭が隠れる。


「あなたが例の、お噂はかねがね。こうして直にお会いできるとは光栄ですね」


「あ、もしかして好感触? エルシオンといいます、よろしくお願いしまっす!」


「どうもご丁寧に。私も近衛のオーゲン様とは面識がございまして、先の領主会談で王都を訪れた際には大変お世話になりました。近年は奔放すぎる友人の行動に胃を痛めて薬が手放せないとか。未だご壮健ではいらっしゃいますが、お体は労わって頂きたいですね」


「うぅ……っ」


 握手のために手を差し出した格好のまま、エルシオンが呻く。


「あぁそれから、この度の保釈金はご自身で支払われるとのこと、オーゲン様より報せが届いております。罪状とイバニェス領での刑法科料については了承も得ておりますので、書類を揃え次第ご請求させて頂きますね。これくらいはご用意してお待ちください」


 そう言いながら、カミロは左手の指を開いて見せた。


「五……? 金貨五十枚、とか?」


「まさか」


「……五百枚?」


「ご自身のなさった行いの科料がその程度の額だと本気で思われますか?」


「ご、ごせん……? え、うぇっ、まじ? いや、手持ちのいらない装備とかお宝とか売り払えば何とかなるかもだけど、五千ってもう領予算レベルじゃ……あの、すいません、ちゃんと出すんで、一括じゃなく分割払いでもいいですかね……?」


 伺いを立てるように語尾が萎む。いつも無駄に態度が大きい男だから、こんな枯れ草のようにしなびたところは初めて目にする。何だかとても清々しく、気分が良い。

 いいぞ、もっとやれ、とカミロの後ろに隠れたまま、リリアーナは拳をぎゅっと握りしめた。


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