第285話 別れの餞別②


 クストディアの不機嫌には慣れたものなので、ひとまず置いておくとして。

 少女のすぐ後ろに控えていたシャムサレムに手招きをし、衝立の奥の方に立たせる。あまり背の高い衝立ではないから頭は出ているかもしれないが、ここならフェリバたちからも見えないだろう。


「……何?」


「うん、ちょっとな。帰る前にひと仕事しておこうと思って」


 職人の手による整備の入った鎧は細部まで磨かれ、以前ついていた細かい傷もきれいに研磨されていた。材質は合成鋼のようだが、手でふれてみても余計なコーティングは為されていないし、これなら大丈夫だろう。

 背面にも回って散りばめられた装飾や留め具の位置などを確かめ、じっと立っている青年から二歩分さがる。


「シャムに何かするつもりなの?」


「安心しろ、別に危害を加えるわけではない。ごく簡易なものだが、その鎧を強化してやる」


「強化って……まさか、魔法?」


 目を見開くクストディアの前で、描き上げた構成陣が完成する。

 材質から手を加えるような強化ではなく、表面に腐食防止を施す程度だから地中の窯を使うまでもないし、これくらいなら自前の力だけでも事足りる。

 見慣れない構成に興味を惹かれたのか、周囲の精霊たちがふわふわと集まってきた。

 残念ながら今回はお前たちの出番はないぞ、と心の中で得意げに呟きながら、リリアーナは精緻なその構成を一息に回した。

 直立するシャムサレムを丸ごと包み込んだ効果円は淡い光を放ち、対象として指定した金属部分に効果を及ぼすとすぐに消えてしまう。ほんの瞬きの間の出来事だ。

 精霊眼を持たないふたりには視えていないから、何が起きたのかはわからないはず。だがそれでも何か感じるものはあったのか、シャムサレムは篭手の指を開閉すると、胸部を覆う装甲をそっと撫でた。


「……なんか、ふわっとした?」


「ふわっとかは分からんが、軽い腐食防止をかけておいた。当面の間は錆びつかず、傷もつきにくく丈夫になっている。とはいえ永続的なものではないし、サイズが合わなくなったら今度は早めに職人に見せて調整してもらうんだぞ?」


「うん、ありがとう」


 青年は緩く微笑むと、会釈のような礼を寄越してきた。その朴訥な様子もあいまって、笑った表情はとても幼く見える。

 虫がたかるような顔とは思えないが、結局あれはどういう意味だったのだろう?


「別に何も変わってないじゃないの。それにあんた、あの魔法師よりも魔法が使えるのは秘密なんでしょう、頼んだわけでもないのに何で急にこんなこと……」


 眦をつり上げながらも小声で文句を垂れるクストディアは、会話がカステルヘルミたちに聞こえてしまうことを危惧しているのだろう。

 リリアーナは人差し指を一本立てると、少女の口元に寄せた。


「お前も、あの秘密の部屋をわたしに見せてくれただろう? だからこれは、そのお返しのようなものだ。わたしは秘密を守るから、お前も内緒にしておいてくれ」


「……口封じとしては安すぎるけど、まぁ良いわ。秘密の共有ということね?」


 立てていた人差し指を掴み取ると、クストディアは片目を眇める悪い顔でにやりと笑った。

 内面の発露が激しい少女だが、何だかんだ言ってこういう笑顔が一番似合っているような気もする。


 本当のところ、何かと世話になって土産までくれた少女に何か残る形で礼をしたいと思ったのだが、クストディアが喜ぶような物品はまるで思い浮かばなかった。欲しい物なら自分で何でも手に入れられるだろうし、物を渡すよりも、シャムサレムに何かしてやる方がクストディアは喜ぶような気がしたのだ。

 目論見通りだったから、ここで変に機嫌を崩さないよう真意については黙っていることにする。


「別に魔法なんて、私は必要があれば魔法師を雇っていくらでも使わせることができるけれど、イバニェスのような貧乏領ではそうもいかないのでしょう? 世間知らずで媚び方も礼儀作法も何もなっていない小娘の数少ない取り柄として、せいぜい大事にしていれば良いじゃない」


「いや、まぁ、うん」


「あんたが魔法を扱えることを知っているからって何か得があるわけでもないけれど、拙い口車に乗ってあげるから感謝なさい。ただし今回限り、餞別として応じてあげているだけ、この私がいつでも思い通りになるなんてつけ上がらないことね。愚直に手の内を明かしているとそのうち痛い目を見るわよ、ただでさえ考えなしの綿毛みたいな頭をしているんだから、少しは軽挙妄動を控えて自分の立場を弁えることね」


 つらつらと、結び目で継いだ紐のように無限に出てくる罵詈雑言はすでに聞き慣れたものだが、よくこうも次から次へ出てくるものだと感心してしまう。

 単純な悪口でないことくらいわかるものの、これが初対面であれば無用の誤解をしてしまうところだ。実際、最初の頃はクストディアという少女を計りかねて腹を立てたこともある。実にわかりにくい、損な性分だ。

 何となく、前に出会った白い少年のことを思い浮かべる。


「……わたしのために忠告をしてくれているのは理解できるのだが、お前は相変わらずだなぁ。何だか、わたしの友人は口の悪い奴ばかりだ」


「ゆっ、ゆ……、友人?」


「うん、もうひとり最近知り合った友人に、ノーアというこれまた口を開けば皮肉ばかり出てくる博識な奴がいてな。機会さえあればお前にも紹介したいが、住処が遠いらしいから当面は難しいか」


「ノーア……って、いえ、まさかね。そんなことより、その、ええと、そう……ゆ、友人、友人ね。そうね、世間一般ではそういう言い方もあるかもしれないわね。私は別にこだわらないけど、どうでもいいけれど、まぁ、あんたがそこまで言うならそういうことにしておいても良いんじゃないかしら?」


 クストディアは一息にそう言うと、眉をつり上げたすごい形相で窓の外を見ている。

 そのまま足踏みをして、指をせわしなく動かし、そわそわと体を動かしてから、何かを思い出したように「あっ」と口を開いてシャムサレムを振り返った。


「んもう、あんたが余計な話をするから忘れるところだったじゃないっ。別に忘れたところで私は何も困らないけれど後から恨まれても面倒だから今ここで渡しておくわ!」


「何だ?」


 首の辺りを真っ赤にしたクストディアはシャムサレムに駆け寄り、彼が兜と一緒に抱えていたものをふんだくると強引に押し付けてきた。

 取り落とさないように持ち直したそれは紙の束……厚紙で挟み片側を紐で綴じた冊子のようだ。その形態には見覚えがある。


「これは、劇の台本か?」


「ええ。この前の招待の時に、座長に渡りをつけて余りを貰っておいたのよ。中身は前のやつみたいに際どい表現はないから安心なさい、大人たちに見つかったところで没収されることもないわ」


 受け取った冊子の表紙には、飾り字で『炎の英雄、その恋』と印字されていた。

 エルシオンの暗躍により聖王国中から回収されて稀覯本となったのは、たしか『焔の勇者、其の愛』だったか。こちらはその原典をいくらかいじった、演劇用の脚本ということだが――


「これを……わたしに?」


「お互い劇の方は観られなかったけれど、どうせ名前とかはあの男の要望通り変更された後だし。内容が知りたいならそれで我慢しておきなさい」


 軽く中身をめくると、登場する主人公の名前は『エルシオン』のままになっていた。劇団内の余りだと言う通り、これは奴の交渉に応じて改変がされる前の台本なのだろう。

 そこで、あの窓越しの約束を振り返る。

 ……どこかで手にする機会があったとしても、決して読まないと約束をしたのは、稀覯本となった『焔の勇者、其の愛』の方だ。演劇用にアレンジされた台本も見てはいけないとは、ひとことも言われていない。


「うむ。本は読まないと約束したが、台本なら別だな! ありがとうクストディア、帰りの馬車で読ませてもらう」


「そんなことしたら馬車酔いするじゃない、取り上げられる心配はないって言ってるんだから、大人しく窓の外の風景でも見てなさいよ長旅なんでしょう! 寒いからって無精せずにちゃんと換気もするのよ!」


「わかった、わかった。休憩中にゆっくり読むから」


 最後までぷりぷりと怒った顔を見せていたクストディアとは、そうして賑やかな別れを終えた。


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