第284話 別れの餞別①


 朝食を終えて出立のための身支度をしてもらい、鏡の前で全身を確認する。

 ほとんど馬車の中で過ごすからあまりめかしこむ必要もないと思うのだが、客としては別れの挨拶も身綺麗にしておくべきなのだろう。

 繕ってもらった外出用のコートに新調したばかりのブーツ、玄関先からすぐ馬車に乗り込むためマフラーは巻いていない。

 ここへ持ち込んだり街で買ってきた荷物などは、朝食の間に粗方積み込んでしまったようだ。サーレンバー滞在中に過ごした部屋は、初めて訪れた時と同じように片付いている。

 生活に必要な調度品はあらかじめ揃っていたため、元々私物は少なかった。それでも見慣れてきた部屋がこうしてがらんとしている様は、何だか物寂しく思う。

 またサーレンバー領へ訪れる機会があるとして、一体何年後になるだろうか。あと二年ほどすればクストディアの十五歳記だから、その時にファラムンドがこちらに来るようなら同行を願い出てみよう。


 そんなことを考えながら、リリアーナは鏡台についた小さな引き出しを開けて、宝飾品ケースになっている中から銀色の首飾りを取り出す。

 滞在中は馬車での買い物の際に身につけたきり、他に外出がなかったためしまいっぱなしでいた精白石の護符。五歳記の祈念式に向かう途中、カミロから贈られた品だ。

 危機に陥ったときはこれに念じれば報せが届くということだが、あの庭での騒ぎの際は所持していなくて良かった。もし何かのはずみに発動したら、遠方にいてどうしようもないカミロに要らぬ心配をかけるところだった。

 首の後ろで留め金をつけて衣服の中にしまうと、胸元に冷たい感触があたる。すぐに体温に馴染んで、金属にふれている違和感もなくなった。

 イバニェスの自室でも同じように鏡台にしまっているが、外出自体が少ないためあまり出番はない。


「そのペンダント、先日のお買い物の際にもつけていらっしゃいましたわね。ファラムンド様からの贈り物ですの?」


「いや、これは……」


 カステルヘルミの何気ない問いかけに、応えかけた言葉を飲み込む。

 ただの装飾品ならともかく、これは精白石が込められている魔法具の一種だ。あのカミロが他者の目のない場所を選んで渡してきた以上、あまり軽々に出所を話さないほうが良いのかもしれない。

 そんなことを考えたリリアーナが返答に迷っていると、横からフェリバが顔を出した。


「侍従長から、五歳のお誕生日にいただいた物ですよね?」


「えっ、あの侍従長さんがこれを? あらあら、あんな澄ました顔して中々やりますわねぇ」


「またそーいう、すぐに変な方向に持ってくの良くないと思いますー。きっとお守りとか、中に香木が入ってるとかで他意なんかありませんよ」


「うん、まぁ、そんな感じだが……フェリバはどうしてこれがカミロから貰った物だと分かったんだ?」


 誰にも話したことはなかったし、あの場に同席していたエーヴィが伝えたとも考え難い。不思議に思って訊ねてみると、フェリバは指を一本立てながら得意げに胸を逸らした。


「五歳記のお祈りから帰ってすぐ、鏡台の引き出しに大事そうにしまわれたじゃないですか。きっと侍従長から貰った物だから、他のみんなには内緒にしときなさいーってトマサさんが言ってて」


「トマサが?」


「はい。私たち使用人はお仕えしている方に贈り物とかできないので。だから侍従長も、こっそりプレゼントしたんだなーって思ってて……、あ、ルミちゃん先生にもバレちゃまずかったです?」


「いいや、別に構わん」


 何でもない風にそう返しながら、温度の馴染んだペンダントを服の上から押さえる。

 これまで護身のための道具という認識しかなかったけれど、これは誕生日プレゼントだったのか。カミロは一言もそんなことを言っていなかったけれど、わざわざあの日に手渡したなら、そういう意味で合っているはず。

 あの時は中の精白石に気を取られ、ろくな礼を言えなかった気がする。イバニェスへ帰って、顔を合わせた時に感謝を伝えたら今さら何だと思われるだろうか?


 指の背で下唇をいじりながらそわそわ考え事をしていると、扉がノックされる音が響く。

 来客を告げるその合図にも慣れたもの。応対に出たエーヴィの横から堂々と姿を現したのは案の定、クストディアだった。その後ろにはいつも通り黒鎧を着込んだシャムサレムが続く。今日はめずらしく兜を取って小脇に抱え、素顔を晒していた。


「どうしたんだ、部屋が暑いか?」


「ひとこと目から何なのよそれは、ご挨拶ね。礼儀ってものを胎児からやり直したらどうなの? まったく、客に対する態度がなってないわ。これだから田舎者は嫌よ、さっさと羊だらけの辺境に帰って雑草でも齧っていれば?」


「うん、お前にも色々と世話になった。機会があればまた来るから、シャムサレムともに達者でな」


 そう言って視線を上げると、目礼を返した男は片手を持ち上げて小さく振った。それに気づいたクストディアが振り向きざまに手を叩き落とす。


「私を挟んで和んでんじゃないわよ! もう、最初から最後まで失礼な娘ね!」


「あいにくと茶を出してやれるほどの時間はなさそうだが」


「結構よ。ちょっとその間抜け面の見納めに来てやっただけ、最初から長居するつもりはないわ」


 せせら笑うように鼻を鳴らす少女の居丈高な態度も、自信に満ち溢れた表情もいつも通り。一昨日は盗み聞いた会話の内容に衝撃を受けて顔色を悪くしていたのだが、こうして見る限りどこにもその影響は残っていない。

 だが、表面上の平静を取り繕っているだけだとわかる程度には、この口の悪い少女と交流を重ねてきたつもりだ。


「エーヴィ、まだ少し時間はあるな?」


「はい。旦那様方のご準備が整い次第、こちらへも報せが参ります。それに女性の身支度は長くかかるものですから、多少遅れた程度でとやかく言う者はおりません」


「キンケードも似たようなことを言っていたな……。まぁいい、わたしは少し話がしたい、お前たちも迎えが来るまでは好きにしていろ」


 部屋の奥へ足を向けてからクストディアを手招くと、少女は口を曲げながらも大人しくついてきた。

 話し声が聞こえない程度に離れれば十分だから、隣室へ行くまでもない。寝室寄りの窓際、籐編みの衝立の向こう側まで歩いてから足を止める。

 ふたりを振り返ると、シャムサレムは相変わらずクストディアの背後にぴたりと控えていた。表情が硬いから、素顔でいても兜を被っている時とあまり印象が変わらない。


「わざわざ場所を移してまで何の用よ? 言っとくけど、例の件についてはもう何も話すことはないわよ」


「うむ。あれはお互い他言無用、知らされるまでは知らない振りを通すということで納得している。こんな別れ際にまで厄介な話を持ち出すつもりはない」


「じゃあ何だっていうの?」


「一昨日はあれのせいで、うやむやな退室になってしまったからな。お前とはちゃんと別れの挨拶をしておきたいと思っていたんだ。どうせ面倒くさがって見送りには出てこないのだろう?」


 図星だったのか、クストディアは頬を膨らませて窓の外へ顔を向けた。

 緩やかに流れる雲は天高く、空気も乾いているため雨の気配は遠い。道中も降られる心配はなさそうだ。

 しばらく指先で袖のフリルをいじっていたクストディアは、何か踏ん切りがついたのか、むくれた顔のまま睨みつけてきた。


「別に、わたしが外まで見送りに出てやる義理なんて欠片もないし、あんたなんかさっさと帰ってしまえばいいと思っているもの。屋敷からうるさい小娘が消えてせいせいするわ」


「うん」


「これで何度も部屋へ押しかけて来ることもなくなるし、やかましい置物もいなくなるし、ようやく元通り、いつも通り静かに過ごせるわ。楽しい本を読んでおいしいお茶を飲んで、悠々とひとりの時間を満喫するんだから。わたしにはシャムがいるもの、あんたなんかいなくたって、別に、」


「うん」


 眉間にしわをめいっぱい溜め込んだしかめっ面は、怖いというよりも少し滑稽だったが、怒られるから何も言わない。

 こういう時はどんな言葉を返すべきかと考えてから、右手を差し出した。

 その手をじっと見たまま動こうとしないクストディアに焦れて、自分から少女の右手を取る。トマサや兄たちよりも柔らかく、ノーアよりは肉付きの良い手をぎゅっと握った。


「次は何年後になるかわからんが、また会おうクストディア。お前の十五歳記に合わせて来られたら良いけれど、もし出不精が治ったらイバニェスへも遊びに来い」


「嫌よ、馬車の長旅なんて」


「そうか……。まぁ、そうだな。無理にとは言わんさ」


 両親を馬車の事故で亡くしているのだから、馬車が苦手でも仕方ないし、それに乗って領道を通るのは余計に辛いのかもしれない。

 結局、彼らの事故は整備不全が元とはいえ、人為的なものではなかったとブエナペントゥラたちも話していた。事故の一因となったクストディアの親族についてもう少し詳しく話を聞いてみたかったが、大人たちの相談事はこれからの調査に比重が置かれていたため、それ以上のことはわからない。

 父は殺されたのだと言い張っていたクストディアだが、もしかしたらもっと前から八年前の事件は『事故』だったのだと、知っていたのかもしれない。一昨日は顔色を悪くして押し黙るだけで、取り乱すこともなかった。


 少女の部屋で不用意な発言について反省をしたばかりだ。この話題はやめておこう。

 そっと力を抜いて手を放そうとすると、今度はクストディアが力いっぱい握ってきた。


「あんたは考えてることが顔に出すぎなのよっ。もう少し自分の立場を考えて取り繕うことも覚えなさいよね、領主子女としての自覚が足りないわ。あのろくでなしな次兄ほどとは言わないけど、腹芸も作り笑いも世辞も足りてないわよ」


「うん、そうだな。父上は良い話し相手になるだろうと言ってサーレンバーに連れてきてくれたけれど、お前と話しても手本に相応しいものはなかったから、帰ったら礼儀作法の授業をもっと頑張ろうと思う」


「あ、ん、た、ねぇ……っ!」


「というのは半分くらい冗談だ。クストディアと接して学び取るものは多かったし、色々と考えさせられた。良い出会いだったと思う。お前にとっては迷惑だったかもしれんが、」


「迷惑よ、そう、迷惑だわ! 迷惑以外の何ものでもないんだからっ!」


 投げ捨てるように手を放すと、クストディアは腕を組んで再びそっぽを向いてしまう。その頭越しに何となく目の合ったシャムサレムは、口元をむずむずと動かしながら変な顔で笑っていた。



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