第281話 お嬢様と秘密の部屋②
どうせ昼食までは時間も空いているから、誘いに対する否やはない。何か用向きのあるらしきクストディアに促され、本邸の二階へと移動する。
ここしばらくクストディアの方から訪れることが続いていたため、あの部屋へ行くのも久しぶりだった。
またいつもの長椅子で護衛と侍女には待機してもらい、長い廊下を渡って物だらけの私室へ入る。
何度も訪れているのと、一度俯瞰から眺めたことで大まかな配置とルートは覚えたけれど、室内は相変わらずの有様だ。いちいち迷路のような通路を歩いて出入りするのは、普段暮らしていて面倒ではないのだろうか。
無造作に積まれているのは高価な品ばかりだそうだが、こんなに雑然としていては落ち着いて鑑賞もできはしない。
「なぁ、クストディア。この物置だか何だかわからん陳列は、どうにかならんのか。片付けられないという訳でもなさそうだし……好き好んで部屋を迷路にしたいなら、何もこんな高価な物ばかり並べんでも」
前々から抱いていた疑問を投げかけると、前を歩いていた少女は首だけでリリアーナを振り向き、流し目を眇めた。
「高価だから意味があるんじゃない」
「?」
「これだけ値の張る壁があれば、無理して奥の部屋まで押し入る馬鹿もいないでしょう?」
その言葉に、改めて周囲の品々を見回す。磨きぬかれた瀟洒なチェストに金色の水瓶、繊細な彫刻が施された鏡台、梱包のまま積まれた紙包みには製造所名の書かれたタグが貼られている。
カステルヘルミのように、そうとわかる者から見ればいずれも垂涎の品なのだろう。それらを指して、『壁』とは……。
「先日は庭まで入り込む不審者もいたが、それはさておき、普通なら領主邸のこんな奥まで襲って来る不届き者もおるまい。シャムサレムの鎧といい、この迷路といい、お前は一体
言外に、身内の脅威を含めて訊ねれば、他人を寄せつけない少女はすべてを嘲笑うように鼻を鳴らした。
「大人は信じないわ。シャム以外は全部信じない、信用できる人間なんていないもの」
「事情を訊ねたら、話す気はあるか?」
「誰があんたなんかに」
「そうか。ならばそう思うに至った経緯などは問わないし、やりたいように生きればいい。だがな、他者に怪我を負わせるような迷惑のかけ方だけはどうかと思うぞ。グラスだの本だの、すぐに物を投げつける悪癖は控えたらどうだ?」
毛足の長い織物が敷かれ、豪奢なソファセットが置かれた一帯までたどり着いたところで、クストディアは背後を振り返った。
ここは四回目に訪れた時、レオカディオも交えて話をした場所だ。先導していたシャムサレムも数歩進んだ先で足を止めている。
「あんたなんかにとやかく言われる筋合いはないわ。少しばかり話をしたからって、いい気にならないでちょうだい」
「我慢が無理なら、投げる用のクッションを手元に常備しておくとか」
「しつこいわね! 第一、カップやグラスはともかく、本なんて重たいもの投げたことないわよ。表装が痛むじゃない!」
声を荒げ、今にも噛み付きそうな顔を向けてくるクストディアに対し、リリアーナは「おや?」と首をかしげる。
そういえば自分に投げられたのはグラスや遊戯盤の駒で、最初の入室前に会った侍女がエプロンを汚していたのは香茶だ。カップも遊戯盤の類も軽量だし、当たり所さえ悪くなければ物品のほうが壊れるだけ。
クストディアに本を投げられたと言っていたのはアントニオだが、眼前で憤る少女の様子を見る限り、嘘を言っているようには思えない。
しかし何かをぶつけたような額の傷は、治療を施す際にこの目で見ている。……一体どういうことだろう?
「うーん、でも、そうだな。確かにお前の不健康な細腕では、背厚のしっかりした本など投げられそうにないしな」
「いちいち一言多いのよ! そんなどうでも良いことを話すために連れてきたわけじゃないんだから」
そう言って頬を膨らませる令嬢は、シャムサレムの後を追って大きなソファを回り込んだ。これまでのように座って話をするのだとばかり思っていたから、戸惑いに足が遅れる。
「こっち。さっさとついてらっしゃい」
「あぁ、わかった」
これより先は他のルートでも立ち入ったことはなかったが、探査をしたアルトからは書庫だと聞いている。前にシャムサレムが奥からお茶を持ってきたし、水場か簡易なキッチンが併設されているのかもしれない。
自分の部屋に書庫がついているのは良いなぁ……なんて思いながら足を速めたリリアーナがふたりに追いつくと、衝立のように立ち塞がる大きな棚の向こうには、白い扉があった。
棚の裏手、華やかな色の壁沿いに食器棚や作業台が置かれており、どうやらここでお茶の支度をしていたようだ。
「この先が私の部屋よ」
「ここまでだって全部お前の部屋だろう?」
「居室って意味。こっち側は、前庭みたいなもんね」
ずいぶんと障害物の多い前庭だ。これまで自分は部屋にも入れてもらえず、庭でおもてなしを受けていたらしい。
「いいこと? この先で何を見ても、聞いても、絶対に他の人間には言わないでちょうだい。それが守れないなら、今すぐ出て行ってもらうわ」
「守るから入れてくれ」
リリアーナがそう即答を返すと、噛んで含めるように言い放ったクストディアは鼻白んだ様子で「フン」と上向き、ドアノブに手をかけたまま止まっていたシャムサレムに先行を促す。
その手の中には小さな鍵。前庭みたいなものとはいえ、同じ室内なのに施錠をする必要があるのだろうかと不思議に思う。
シャムサレムは慣れた様子で開錠すると、静かにドアを押し開けた。
白い扉をくぐった瞬間から、馴染みのある紙とインクの匂いに包まれる。
物が山積している部屋も十分すぎるほど広かったが、書庫だという奥の部屋も同じくらいありそうだ。天井の先が奥の棚に遮られて見えない。
窓のカーテンは全て閉め切られ、そちらへ背を向けるようにしてガラス戸のついた本棚が整然と並んでいる。
室内には仄かな明かりが灯り、空気は淀んでおらず熱っぽさも感じないから、イバニェス邸の書斎のように精白石入りの魔法具で管理しているのだろう。
「すごいな……。ここはお前専用の書庫なのか?」
「コレクションと趣味の本を並べているだけだから、書斎っていうよりは確かに書庫みたいなものね。図鑑や演劇の台本が多いし、普通の本棚じゃなく頑丈なラックとガラス戸のついた棚にしているわ」
「大したものだ、事典なども様々な種類を揃えているんだな。あちら側がみんな空なのは、これから中身を増やすためか?」
「ええ。いちいち業者を入れるのも面倒だから、一度に設えさせたの。窓側が製本されたもので、戸棚は台本や冊子類よ。まぁ、私が死ぬまでには全部埋まるんじゃない?」
軽い調子で説明をするクストディアだが、その言葉には隣の部屋について話す時よりも愛着が滲む。何か目的があって形作られた隣の部屋とは違い、自分の好みを詰め込んで作った場所なのだろう。少女が「居室」と表現したのも頷ける。
装飾性の薄い室内には棚が整然と並んでおり、令嬢の私室というよりはまるで図書館のよう。
だが、中央に取られた空間にはシンプルなソファとテーブルのセット、観葉植物などが置かれており、居心地は良さそうに思える。有り体に言って、自分好みだった。
「うん、とても良いな、わたしもこの空間は好きだ。落ち着いて読書ができそうだし。クラウデオ殿も読書好きだったと聞いているが、やはり私室はこんな感じなのか?」
「お父様の部屋はもっと、その、普通よ。古い本と骨董品の匂いはするけれど、稀覯本とか手元に置きたいもの以外はみんな書斎へ移していた様だし。……私は、子どもの頃はあんまり本に興味なかったから、この部屋を作ったのは十歳記の後なのよ」
「そうなのか。叶うなら同じ本好きとして、クラウデオ殿とも話をしてみたかった」
「……ずっと前、お父様も似たようなことを言っていたわ。あんたのとこの長男、根暗で本が好きでしょ。大きくなったら読んだ本の話をするのが楽しみだって、お母様と話していたのを覚えてる」
「そうか……」
両親との過去を語るクストディアに悲壮さはなく、むしろ思い出を懐かしむような表情は柔らかだった。そのことに、内心でほっと安堵する。
何となく顔を見ているのが気まずくて、少しだけ窓側へ近寄る。一番近い棚にずらりと収められた本はどれも背表紙が真新しい。下段には同じ表装で十冊ほど、とても厚い大判の図鑑が並んでいる。
その上の段にはいずれも別のシリーズらしき事典が並ぶ。この棚は主に辞書や事典の類を収めているようだ。
隣の棚に目を向けると、そちらはもう少し表装がばらけている。地質学に薬学、植物学、心理学。ざっと見る限りではそうした小難しい解説書などが収められていた。
「なんだか……すごく、面白そうだな……。わたしにこれを見せたかったのか? 読んでいいか? いつ頃までいていい? 昼食後にまた来ても良いのか? 夜はどれくらいに寝ている? 夕食後にも来て良いか? 明日は?」
つい早口になったリリアーナが詰め寄ると、クストディアは短い悲鳴を上げて飛び退いた。少女を守るはずのシャムサレムまで一緒になって後退する。
「あ、すまない、驚かせるつもりはなかった。もう近寄らないからちょっとだけ読ませてくれないか? 一冊だけ、いや二冊、いや三冊で我慢するから」
「そうじゃなくて……。あんたこそ、そーいう見た目が台無しなのは控えなさいよね! ひとのこと言えやしないわよ!」
「台無し?」
今日は部屋でのんびり過ごすつもりだったから、あまり外向きに相応しい格好はしていない。見た目がどこかまずかっただろうかと髪やスカートを整えていると、クストディアは大仰なため息を吐いて地団駄を踏んだ。
「あぁもう、いいわよ! 後で好きなだけ読めばいいし、持てるだけ貸してやるわよっ。あんたをここへ連れて来たのは別の用件!」
「本以外に……何が?」
この部屋と並んだ本だけで十分ではないだろうか。そんな疑問をありありと浮かべて首をかしげるリリアーナを前に、クストディアは拳を固めて「んもぉーっ!」と何かに耐えかねるような声をあげた。
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