第282話 お嬢様と秘密の部屋③


 落ち着いたのか、それとも気を取り直したのか、クストディアはどこか諦念の漂う顔で一息つくと、「こっちよ」と言って人差し指をくいくいと動かした。

 その令嬢らしからぬ動作が妙に似合っていて面白いなと思うリリアーナだったが、口に出せば怒ることくらいは想像がつくので黙ってついて行く。


「そういえば、シャムサレムの鎧は軋む音がしなくなったな。専門の者に見てもらったのか?」


「えぇ、暇だったから職人を呼んで調整をさせたわ。まだ背が伸びているなんて、そのうち天井まで届くんじゃないかしら」


「結構なことじゃないか。体に合わない鎧のせいで、成長が阻害されでもしたら大変だ」


 背後からついてくる黒鎧を見上げると、軽い会釈が返された。

 年齢がいくつなのか容姿から判別するのは苦手でも、歳若い青年であることは確かだ。きっとまだまだ伸びるのだろう。少し羨ましい。


「わたしもお前くらい背が伸びたら良いのだが……」


「はぁ? そんなに縦に伸びてどうするのよ。シャムは護衛だから見た目がいかつくても良いけれど、あんたは守られる側でしょうが」


「標的が大きいと危ない、ということか」


「そうじゃなくて! ……まぁ別に、あんたがゴツくなろうがどうでもいいわ。山猿みたいな姫がいるって聞くし、山狒々ヒヒみたいな令嬢がいてもおかしくはないでしょう」


 少し想像してみて、確かに今の自分が大きくなりすぎるのは、立場的にあまり収まりが良くないかと思い直した。馬車が窮屈になるし、ドレスを新調するのも大変そうだ。

 生前、事あるごとに体の小ささを揶揄されたものだから、つい大きいほうが良いという発想になってしまう。

 ……周囲が種族的に大きすぎただけで、ヒトと比べれば普通の背丈だったはず。カミロやファラムンドともそう変わらない。


「ここよ」


「うん?」


 クストディアに案内されて着いたのは、広い部屋の一角。

 刺繍張りの衝立で目隠しをした奥に、簡素なひとりがけの椅子と木製のチェストが置かれていた。

 隣の部屋に置かれた品々と比べれば、彫刻も金飾りもない極めて質素な戸棚だ。中に何が収められているのか、妙に薄い造りで壁際にぽつんと設置されている。


「何が入っているんだ?」


「ふふ、あんたでもきっと驚くわよ。大丈夫だけど念のため、あまり大きな声は出さないでちょうだい」


「……?」


 疑問符を浮かべるリリアーナを置いて、クストディアはチェストの金具に手をかけ、両開きの扉を開いた。

 横から中をのぞき込むと、棚の薄さよりもずっと奥行きがある。壁をくり抜いているのかと気づいたところで、伸ばされた白い指が金属製の管についたフタを外す。


『――れなら、次の機会に儂からも言っておこう。この件に関してはどこも口が重いはずだ、そう易々とは聞き出せまい』


「え?」


 壁から飛び出た金属の管、そこから聴こえてきた老人の声には覚えがある。少しだけ篭っているが間違いない、これはブエナペントゥラの声だ。


「この管は……伝声管になっているのか?」


「なんだ、思ったほど驚かないのね、つまらない」


「いや、十分驚いているさ。これは魔法具だな、音波を一方通行に制限しているし……あちら側では音を広く拾うような仕掛けをしてあるのだろう?」


「ええ、そうらしいわね。何度か試してみたけれど、こちら側の声は向こうに聴こえないみたい」


 どうやって試したのか気になったが、あえて聞かないでおくことにした。

 真鍮製の管は壁の中からまるでキノコのように生えている。同じような太さのものが全部で四本。それぞれに小さなタグがぶら下がっており、今フタを開けている管には『執務室』と書かれていた。


「どうも昔の……この屋敷が建てられた頃の、ご隠居の置き土産らしいわ。前に書斎で調べたの。領主の椅子を譲った後も、ご意見番としてあれこれ口うるさかったらしくて。老いて死ぬまでひとりでこのフロアを使っていたんですって」


「じゃあ、もしかしてここは元々、お前の部屋ではなかったのか?」


「ええ、おじい様にねだって私の部屋に改装する前は、長らく物置みたいになっていたわ。シャムとかくれんぼをしている時に、偶然見つけたの。その頃はまだ小さくて、これが何なのかわからなかったけれど」


 クストディアが『執務室』のフタを下ろし、右端にある『侍女控室』のフタを開けた途端、今度はけたたましい女の笑い声が響いてきた。


『アッハハハ! だから言ったじゃない、近づくのも無理だって!』


『ちょっと差し入れのお菓子を持って行っただけなのにさ、あそこの侍女ってばガード固すぎんのよ。あーあ、一度でいいから近くでお顔を拝んでみたいわぁ』


『かっわいい顔してるよね、あの次男坊。たしか長男もいんでしょ、父親にそっくりだとかいう』


『そうそう、美形揃いじゃない、領主があんなイイ男なんて羨ましいったらないわ。今は独り身なんだし、うっかりお手付きになれたら領主夫人に――』


 パタンと音をたててクストディアがフタを閉めた。構成による補助が効いているためか、音の減衰も少なく複数人の会話が明瞭に聞き取れる。


「……つまり、そのご隠居とやらは、屋敷内の会話を盗み聞くためにこれを設置したのか?」


「そういうことじゃない? 屋敷中に耳を置いているわけだから、知らないはずの話をいつのまにか知られて、秘密を掴まれて。当時の使用人も新しい領主も、気の休まることがなかったでしょうね」


 にやりと口の端で笑って見せるクストディアだったが、その顔にはどこか自嘲が透ける。当時の隠居老人と自分を重ねでもしているのだろうか。

 外に一歩も出ることなく、こっそり屋敷内外の情報を得られる秘密の部屋。

 本やシャムサレムから得られそうな話以外にも、妙に外の事情に詳しいと思っていたら、こんな情報源を隠し持っていたとは。これがあったからクストディアは引き籠りのくせに情報通だったのか、とここへ来てようやく腑に落ちた。


 大人たちの会話を盗み聞くだけなら、自分とてアルトの音声探査を用いればいくらでも執務室での話を聞くことができる。

 だが、それは幼い娘のためを思って与える情報を制限している大人たちの配慮を無にしてしまう不当な行為だ。

 隠されていることを知りたいという欲求はあるけれど、リリアーナとしての生をまっとうすると決めた以上、できるだけそういう裏切りのような真似はしたくなかった。


「何よ、不服そうな顔ね。盗み聞きがはしたないとでも?」


「自分ではしたないと理解しているなら、わたしから言うことは特にないさ。まぁ、聞くだけでそれを悪用しないのなら別に、……お前自身が盗み聞きのために設置した物でもないしな」


「あら、悪用しているかもしれないじゃない?」


「その判断はお前の節度に任せよう」


 まだクストディアのことを理解したとは言い難いが、しばらく付き合ってみた限り、無差別に他者へ危害を加えるような悪童でもないようだし。ひどい癇癪さえ起こさなければ、普段の言動が偽悪的なだけでわりと理知的な娘だ。

 だから行為自体は褒められたものでなくとも、ここでとやかく言うほどのものではないと判断した。


 ……もっとも、知らない所で『悪辣魔王』だの『歴史上最も嫌われた魔王』だのという悪評が立っていた自分では、あまり善悪の判断基準はあてにならない。

 聖王国中から魔物が減ったことで、素材の減少という事態を招いた浅慮については反省しているものの、それ以外ではヒトに迷惑をかけるほどのことは何もしていなかったはずなのに。

 軍を率いて侵攻することもなかったし、そもそもベチヂゴの森を越えたことはないし、サルメンハーラたち武装商団のことも手厚くもてなしたし。なぜそこまで嫌われてしまったのか、未だにさっぱりわからない。


 リリアーナが逸れた思考のままに悩んでいると、隣のクストディアが訝しげな顔を向けてきた。


「何よ?」


「あぁ、いや。うーん。……そういえばお前はいくつも『勇者』関係の本を読んでいるのだったな。もしかして『魔王』についても詳しかったりするか?」


「はぁ? 何よ唐突に、そんなものに詳しい人間なんていないでしょう。どの時代の本を読んだって『魔王』について大した記述はないわよ」


「そうか……」


 そういえば歴史の教師による熱い語りの中でも、『魔王』の容姿や行使した魔法については言及されなかった。エルシオンは討伐後に王宮で報告をしたと言っていたが、その際に『魔王』のことはあまり語らなかったのだろうか?

 それとも『勇者』の活躍に焦点を当てるため、歴代いずれの本でもその辺りはぼかすことになっているのか……。


「こないだの、あの変質者の言ったことでも気にしてるわけ?」


「え? あの男の言っていたことって……嘘の書かれた脚本で上演されるのは困るとかいう話か?」


「それもあるけど。例の稀覯本といい、あんたは妙にエルシオンの話を気にしてるじゃない」


 エルシオンのことを気にしているなんて言われると語弊しかない。あんな奴のこと、全く微塵もこれっぽっちも気にしてなんかいない。

 リリアーナはそんなモヤモヤしたものを飲み下しながら、何か『魔王』の伝承について知っていることはあるだろうかと、思い切って訊ねてみることにした。


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