第280話 お嬢様と秘密の部屋①


 文頭に並べた挨拶と対になる言葉で文末を締め、自分のサインを添えてペンを置く。一通り読み返して誤字などがないことを確かめてから、薄紅色の便せんを丁寧に折って揃いの封筒へと収める。

 昨日、この屋敷で開かれた鑑賞会の余韻もまだ残るうららかな午前。さっそくその感想をしたためた手紙を書いてみたのだが、ああいう生の体験を文章にするのは難しい。自分の得た感動をそのまま伝えるためには、やはり同じ演目を同じ場所で一緒に観てもらうのが一番だと思う。

 リリアーナは背もたれに体を預けて一息つきながら、誰ともなしに呟く。


「イバニェス領にも大きな劇場があればなぁ……」


「普通のならコンティエラの街にもあるんですけど。さすがにここみたいな大規模なのは、定期的にそれに見合った劇団を招致できないと難しいかもですねー」


「中央からも距離がございますし。ああした大きな施設は維持をするのも大変でしょうから、有名な劇団の上演を観たいとなれば、やはり今回のように劇場のある場所まで赴くほうがお手軽に済むのかもしれませんわね」


 リリアーナが漏らしたぼやきに応えるフェリバと、向かいで香茶のカップを傾けながらそれに同意するカステルヘルミ。

 昨日は急な演奏会やら内輪だけの立食パーティやらで朝から準備にかかりきりだったが、今日は特に予定も入っていないためいつもの面子でのんびり過ごしている。


 朝食を終えてから取り掛かっていたのは、カミロに宛てた近況の手紙だ。今日中にファラムンドへ託せば、明朝出ると聞いているイバニェスへの定期便に同梱してもらえるだろう。

 日を置いて往復している手紙のやり取りも、すでに四通目。

 一度だけアダルベルトからの返信が同封されていたこともあるけれど、あの筆まめな兄らしからぬ簡素な内容で、ほとんどが当たりさわりのない定型文句に占められていた。忙しい中に返事を書いてもらえただけ有難いと思うべき……とはいえ、カミロの懸念もあるし、責任感の強い兄がひとりで無理をしていないか心配だ。


「カミロやアダルベルト兄上にも、昨日の演奏を聴かせてやりたかった」


「素敵でしたもんねー。たぶん侍従長なら何度もこちらにいらしてるし、接待とかで劇場に行ったことあると思うんですけど。アダルベルト様に聴いてもらえたら良い気分転換になっただろうなぁって、私も思います」


 急遽決定したという、サーレンバー領主邸での特別演奏会。正面の庭に面した本邸の大広間を使い、件のモンタネール歌劇団を招いて管弦楽と歌唱を披露してもらった。

 劇の演目をそのまま上演することはできないが、せめてサーレンバー領へ招く口実とした歌だけでもとブエナペントゥラが気を利かせてくれたらしい。

 無茶を通してはいないか懸念したが、公演期間の終了後であり、遠方からはるばる鑑賞に来たのに当日病欠してしまった令嬢のためならば、と劇団側は快諾したことをレオカディオが開始前に教えてくれた。

 演目中の歌とはいえ歌詞は抽象的だったりメッセージ性の強いものばかりだから、エルシオンとの約束にも反していないはずだ。


 生前を含めても、ああいう音による芸術を目の前で披露してもらったのは初めてのこと。

 鼓膜だけでなく、体中を全て震わせる音と歌声に圧倒され、演奏中はその他のことが全部頭から抜け落ちるほど夢中になっていた。脳の痺れるような余韻は、一晩明けた今もまだ色濃く残っている。

 同席の叶ったカステルヘルミやフェリバと感想を分かち合ったのだが、それでもまだ足りず、カミロにも何とかこの感動を伝えようとペンを取ったわけだ。


 すぐそばで一緒に聴いていたはずのクストディアは気がついたら退席していたし、レオカディオとファラムンドも挨拶があるとかで劇団長の方に行ってしまった。

 こんなに興奮しているのは鑑賞が初めてだった自分だけなのだろうかと思うと、彼らを捕まえて話を聞いてもらうには躊躇が勝った。

 せめて観劇を楽しみにしていたクストディアとは、何か話せたら良かったのに。この後も予定はないし、久し振りに彼女の部屋へ行ってみようか……。


 手紙を書き終えて手持ち無沙汰になったところで、扉が外からノックされる。

 来客を告げる合図にエーヴィが対応へ出ると、まさに今、会いに行こうと思っていた相手が部屋の主のように堂々と姿を現した。


「クストディア、ちょうど良かった。お前に会いに行こうかと考えていたところなんだ」


「ふん、別に私はあんたの顔なんか見たくもなかったけれど。わざわざ出向いてやったのだから感謝なさい。どうせ日がな一日ヒマしてるんでしょう?」


 少女に続いて入室したシャムサレムが、エーヴィに何か箱のようなものを手渡している。先日、寝室へ来た時に持ってきた手土産と外装が似ているようだ、と気づいたところで、横からクストディアの視線を感じて振り向いた。


「意地汚い貧乏人らしく目敏いことね。そうよ、こないだ持ってきた手土産と同じもの。どうせイバニェスでは手に入らないんでしょうから、在庫を全部巻き上げてきたわ。有難く持ち帰りなさい、作り方はそこの侍女がもう覚えたのでしょう?」


「あの甘いやつですね! わぁ、ありがとうございます、リリアーナ様のお口に合うように濃さとか研究します!」


 先にフェリバに礼を言われてしまったが、着席を促してもいないのにソファの上座に腰かけたクストディアは、まんざらでもない様子でふんぞり返っている。

 初めてこの部屋に来た頃はまだ表情も硬く緊張を纏っていたものだが、ずいぶんと気持ちもほぐれたようで何より。フェリバも催促をされる前に、彼女好みの茶葉を準備しはじめている。


「見舞い品に続き、貰ってばかりですまないな。こちらからは礼になるような物は何もないんだが……」


「泥臭い貧乏人に施しを受けるほど落ちぶれちゃいないわ。対価が欲しくて持ってきたとでも思っているなら、目の前で燃やしてやるから」


「では素直に戴いておこう、ありがとう。……あぁ、そうだ。礼というほどではないが、カステルヘルミもいるからお前に良いアドバイスができるぞ」


「はぇ?」


 リリアーナとクストディア、ふたり分の視線を一度に受けた女魔法師がティーカップを手にしたまま硬直する。

 我関せずといった顔で会話を聞き流していたところに、突然名前を挙げられて驚いたのだろう。口元を引きつらせながらぎこちない仕草でカップを置いた。


「な、何でしょうお嬢様、わたくしには何も人様へ助言できることなんて……あ、もしかして、先日のあれでしょうか?」


「ああ。クストディアの髪飾りとか色合いとか、不似合いでもったいないと言っていたろう。わたしはその手のことに疎いから、お前の口から直接どう直せば良くなるかを教えてやったらどうだ?」


 クストディアの眦がきりきりと吊り上がり、それに比例して対面のカステルヘルミが身を縮こまらせる。

 だが、少女が本当に怒っている時はこの程度では済まない。ちょっと不機嫌になったけれど興味はある、……たぶんそんなところだ。


「何よ、私の身だしなみに文句でもあるわけ? 中央から来た魔法師だからってつけ上がりすぎじゃないの、イバニェスなんかに雇われてる時点で程度が知れるわ。それでも大きな口が叩けるなら言ってみなさいよ、何が不似合いですって?」


「ひぃぃ……」


 助けを求めるような視線を向けられたリリアーナは、ふむと口元に手を添えながら背後に控えるシャムサレムを仰ぎ見た。


「たしかクストディアの髪結いはお前が受け持っているのだったな。装飾品や衣服の選択もシャムサレムがしているのか?」


「そ、その日に、ディアの希望がなければ、俺が選ぶようにって……」


「まぁ、貴方がクストディアお嬢様の身支度を? 左右で同量の髪を同じ高さに結うのは結構難しいのですが、器用なんですのねぇ。リボンの結び目も均等で素晴らしく綺麗ですわ」


 カステルヘルミが漏らす素直な賛辞に、クストディアの小鼻がぴくりと膨らむ。とても満足そうだ。


「貴方は、どこかで専門的な知識や技術を御学びに?」


「いや、自分で、練習して……」


「うーん、でしたら問題は色選びかしら? 感覚的なセンスは簡単に身に着くものとは言えませんけれど、色の合わせの指南書なんかも出ておりますし、そういうものを眺めて把握するところから始めては如何でしょう?」


「色? ディアに、似合ってない?」


 以前、カステルヘルミを伴ってクストディアの部屋を訪れた後、少女の服装や髪飾りが合っていないようだと零していたのが気になっていた。他人を寄せ付けようとしない彼女のことだから、周囲にはそれを指摘できる者もいないのだろう。

 こちらの意見を大人しく聞くかは本人に任せるとして、服飾に詳しいカステルヘルミやエーヴィから、それとなく助言をしてもらえれば彼女の役に立つのではないだろうか。

 ……そう思いながらも、正直なところ難点への指摘に怒り出すか、身になる話ならちゃんと聞く姿勢を取るかは半々と見ていた。


「お衣装には季節に則した色というものもありますし、合わせる差し色にも良し悪しがございますから。特に、以前お嬢様も褒めていらした通り、ブルネットの御髪がとてもお綺麗でいらっしゃいますし、それを生かす工夫をされればもっと素敵になると思いますわ」


「つまり、私とシャムにはセンスがないって言いたいの?」


「うっ、そ、そこまで直截には……」


 またもカステルヘルミから助けを求める目が向けられる。見た所クストディアも機嫌を悪くしている様でもないし、助言自体は聞く耳を持っているように思える。


「その指南書とやらを取り寄せるのもいいし、滞在期間はまだあるのだから、その間お前が少し見てやってはどうだ? この部屋を使っても構わん、クストディアの部屋へ行くならわたしも付き合うぞ?」


「そんなこと言ったって、大した時間もないじゃない。予定を繰り上げて帰るんでしょう?」


「え?」


 少女の発した意外な言葉に瞬く。そんな話は聞いていないはず、と思いながらソファの横に控えるフェリバを振り返れば、何か失敗をしでかした時の顔で「あひゃー」という呻き声を漏らした。

 そのやり取りだけでおおよそのことを察したのだろう、顔をしかめたクストディアが大仰なため息をつく。


「こんなこと伏せるほどでもないでしょうに。分別のつかない子どもじゃあるまいし、何でもかんでも隠さず本人に関係することくらいちゃんと伝えておきなさいよ」


「うう、すいません……。まだ確定とは聞いていなくて、日取りが決定したら改めてリリアーナ様にもお伝えするとの事だったんですけど。たぶん、今日の夕餉のお時間にでも旦那様からそのお話が出るんじゃないでしょうか?」


「伝達を頼まれていないならお前のミスではない、気にするな。……しかし、もうしばらくは居られると思って悠長にしていたからな。帰りが早まるなら、気になる本は優先的に読んでおかねば消化が間に合わない」


 何日も寝込んだり、部屋から出られない日が続いたのは痛い。あれがなければもう少し読書も捗っていたのに。

 ひとまず物語の本は後回しにして、資料の棚から気になるものを優先して目を通しておこう。この機会を逃せば、もうしばらくはサーレンバー領へ来る用事もなさそうだ。

 そうしてあれこれ読書の算段をつけるリリアーナの隣で、何か考え込むように視線を落としていたクストディアが声をあげる。


「……ちょうど良いわ。あんた、この後は特に予定もないんでしょう、少し付き合いなさい」


「別に構わんが、どこへ行くんだ。書斎か?」


「私の部屋よ」


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