第277話 リザルト②


 しばらくそのまま動かずに様子を見ても、扉の外に変化はなかった。

 奴の唐突さには度々驚かされているから、一度姿を消したからといって油断はできない。去った足音が戻ってくるとか、隠れてこちらを驚かそうとしている気配がないのを確かめ、ようやく一息ついて、リリアーナは腰かけていた木箱から飛び降りた。


「はぁ、想定の三倍くらい疲れた。お前にはもっと事実のみを簡潔に伝えるつもりだったのに、何だかおかしな話になったな。やはりアルトも連れてくるべきだったか……」


「嬢ちゃんは、大丈夫か?」


「ん? いや、ここに座っていただけだから、疲れたと言ってもただの気疲れのようなものだ、心配はいらない」


「あー、何ともないなら、まぁそれが一番だな」


 らしくなく、何かを濁すように話を締めようとするキンケード。疑わしげに男の顔を見上げたまま、リリアーナはその場で足を広げて腕を組む。


「どうした、はっきり言え」


「いや、別にどうってこたないんだが。……嬢ちゃん、前からアイツのことはえらい警戒してたろ。嫌なヤツとこんな近くで話してて、気分悪くなってねぇかと思ってよ」


 何てことはない、純粋に自分を気遣ってくれていただけだとわかり、毒気が抜かれる。偉そうな態度を取ってしまったことにばつが悪くなり、すぐに組んでいた腕を解いた。

 どうやら思った以上に心配をかけていたようだ。そういえば屋敷への侵入者騒ぎの際、裏庭ではずいぶん取り乱した所を見せてしまったような気がする。あの頃はまだ今の・・エルシオンの脅威度を計りかねていたし、自分の居場所が割れれば殺されるとも思っていた。

 実際のところはなぜか命を狙うでもなく、やりたいことを手伝うだの、自警団に入るだの、妙なことを言って付き纏ってくるだけ。あの男が本心では何を考えているのか全くわからない。


 それにしたって、キンケードの危惧通り、本来であればもっと警戒を露わにしていても良いくらいなのに。先日の窓越しの会話で、あの男と当たり前のように話すことに慣れてしまったのかもしれない。

 良くない。実に良くない傾向だ。あれだけ恐れを見せていたくせに、たった一度の対話であっさり懐柔されたようではないかと、途端に気恥ずかしさが湧いてくる。


「……今でも、警戒はしているぞ。だが今日はお前が一緒にいたから、少し気が抜けていたかもしれん」


「そんなら良かった。二度もボロ負けしてて護衛としちゃ信用もへったくれもありゃしねぇんだが、お前さんにそう言ってもらえるなら護衛冥利に尽きるってもんだぜ」


 そう苦笑して大きな手が伸ばされる。……が、リリアーナの頭にふれる前に、その手は不自然な位置で停止した。

 おそらく頭を撫でようとしたのだろう。ためらうように指先が動き、引っ込んでいくのを見て、リリアーナは自分から頭を突き出して武骨な手のひらにぐりぐりと押し付ける。


「お? おぉ?」


「お前ならふれても構わん。フェリバなど、毎日この髪に触らないと発狂しそうだと言ってくる。手入れを欠かしていないから撫で心地は良いだろう?」


「発狂まで行くのもどうかと思うが、まぁ確かに上等なモンだ。レディの髪に軽々しく触るなって、トマサ辺りにゃまたこっぴどく叱られそうだけどよ。帰って早々抓られるのは勘弁だから嬢ちゃんも黙っててくれや」


「ん。……あの男はな、わたしにふれられないんだ」


 壊れ物へ接するように不器用な仕草で頭を撫でていた手が、そこでぴたりと止まる。


「触れない? どういうこった?」


「害意……ではなかったか、ええと、正確には何と言ってたかな。我欲か? 欲を持ってわたしにふれる異性は、契約によりパストディーアーの攻撃を受けることになっている」


 頭の上に乗っていた手が、そうっと離れていく。まるで爆発物でも前にしたような態度に少し複雑なものを抱くが、突然こんな話を聞かされては仕方ないかもしれない。


「お前やカミロは問題ないさ、抱き上げてもらったこともあるだろう? 今生でこのルールに抵触したのは聖堂の官吏と、サーレンバー家縁戚の双子の兄と、あとは先日のエルシオンだけだ」


「官吏って……いや、あの赤毛野郎もってことは、じゃあ腕を切断されてたってぇ話は、もしかしてソレなのか?」


「ああ。わたしが魔法で倒したとでも思っていたか?」


「そうとしか思わねーだろ。あん時、なんか甘い匂いの瓶を喰らってブッ倒れて、気がついたら翌日だ。周囲ではオレが体を張って侵入者を倒した事になってるしよ……。事実関係がハッキリするまで否定もできねーし、やってもいねぇ手柄でチヤホヤされんのは居心地が悪ィのなんのって」


「それはすまなかった。だが、お前のお陰で助かったのは事実だから、手柄は受け取っておいてくれ」


 持ち上げた手で自身の前髪の辺りを掻き回すと、キンケードは重苦しい嘆息を吐き出した。


「まぁいいか、好きなだけなすりつけてくれや。今後も魔法師のねーちゃんとオレがいりゃあ、大抵のことは被ってやれんだろうし。そしたら多少は嬢ちゃんも好きにできんだろ」


「そ、そこまでさせるつもりは……ないとは言わんが。というか、今さらな話ではあるけれど、お前は何を言っても受け入れるのだなぁ」


 何となく視線を合わせ難く、壁際に寄り掛からせているテッペイを見ながらそんなことをぼやく。

 キンケードに対し何をどう説明するのか、こちらも覚悟の要ることだから前もってあれこれ考えて、頭の中で予行練習までしてきたのに。あの男の乱入のせいで順序も何も台無しだ。


「ちゃんとわたしの口から伝えたかったのだが、エルシオンの言ったことは概ね本当だ。前に一度死んだはずが、なぜかその頃の記憶を保持したまま今は『リリアーナ=イバニェス』として再び生きている。魔法の知識や、奴との因縁などは、みんな生前由来のものでな」


「そうか」


「そうか、って。……別にお前を疑うわけではないが、すんなり受け入れすぎではないか?」


「それこそ今さらだろ。山崩れが元に戻ったり、ピカピカ光る精霊が目の前に現れたり、死にかけてたカミロが生き返ったり、二束三文の支給品が折れない剣になったり。散々信じられねーようなことを見たり何だりしてりゃあ、いい加減慣れもするっての」


「うっ、それもそうだけど……」


 それらを目の当たりにしてもなお態度を変えず、秘密を守ってくれるキンケードにこれまで甘えてきたわけだが、改めて本人の口から言われると、ことごとく常識外れな出来事に付き合わせてきたのだと実感する。良く今まで普通の子どものように接してくれたものだ。


「領道の件以降、何かと頼っては魔法も知識も披露してきたが……。だからって、お前は信じられるのか? わたしが生前の記憶を有しているなんていう、おかしなことを」


「ヤツが言うだけなら話半分に聞いてたが、嬢ちゃんは遮らなかったろ。反論も訂正もなかった。だから、まぁ、そーいうことなんだろうと思ってよ」


「ん? もしかしてわたしが話を止めるのを待っていたのか?」


「そーいう訳でもねぇんだが。とにかくだ、嬢ちゃんがどんなに突飛なことを言いだしても信じるって、オレは前にも言ったろ。たとえどんだけ納得いかねぇことだろうと、嬢ちゃんがそうだって言うなら何だって信じるさ。男に二言はねぇよ」


 言葉と共に、太い人差し指がつんと額を小突いてくる。

 少しのけぞったけれど痛みはない。突かれた額を押さえて巨躯を見上げると、キンケードはいつも通りの悪人顔で笑っていた。

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