第275話 内緒話をしましょう②
突然現れて何を言い出すのか、とはキンケードも内心で思っているだろう。
聴取でまだ話していないようなことを聞き出せるなら収穫ではあるし、自分にとっても未だ納得のいっていない、追われた理由についてちゃんと説明がされるなら損はない。
だが、何をどこまで話すのか予測がつかず、このまま話を続けさせて良いのかと僅かな不安が胸中で頭をもたげる。
「何を偉そうに。お前なぁ、自分にかけられてる罪状がどんだけのモンか、わかってんのか?」
「えーっと、ここに何度も忍び込んでること?」
「もっと前からだ。コンティエラでの自警団員に対する傷害と任務妨害、イバニェス領主令嬢と侍従に対する恐喝及び傷害未遂、護衛への傷害。こっちの領では歌劇団への脅迫行為、領主邸への不法侵入及び器物破損と私有地内での破壊行為、守衛への傷害と窃盗、ここの領主令嬢への脅迫、それから再度イバニェス領主令嬢への恐喝及び傷害未遂、護衛と家庭教師への暴行。……ったく、絞首刑何回分だかわかりゃしねぇ」
どの行為がどんな罪になるのかあまり把握していなかったけれど、こうして挙げられると簡単に釈放はされないだろうことくらいは、法政の知識が薄い自分でもわかる。
ただ、つらつら並べられた中の破壊行為に関してだけは、ほとんど自分がやったことなのだが……そこは一応、訂正をしておくべきだろうか?
そんなことを考えていると、キンケードは声に険を帯びたまま間を置かずに言葉を続けた。
「それと、今こうして留置場からの脱走と再びの不法侵入、おまけに令嬢の部屋へ夜中にご訪問だと? ふざけんのも大概にしろよ、たとえ何もなかったとしても風評ってのはそうもいかねぇんだ。その辺の厄介さは、てめぇなら十分わかんだろーが」
「……うん、そだね。どうしてもふたりで話したいことがあったから、押しかけちゃったんだけど。次からはもう少し気をつけるよ」
「次なんざねぇよ!」
息巻くキンケードを笑顔で受け流し、エルシオンは小さく肩を竦めて見せた。
「それにしても、イバニェスでの嫌疑はまた別件って言われたから、まとめて聞かされるのは初めてだな。いやぁ、参っちゃうね、他人に迷惑かけるつもりはなかったから色々と小細工してたのに」
「変装と、自分のことを会った相手の記憶に残さないあれか」
「そーそー。こんな髪色してると、さすがに目立つからさ」
リリアーナがかけた短い確認の言葉にうなずき、エルシオンはへらりと苦笑を浮かべた。そして自身の毛先をつまみながら「またオーゲンにどやされるなぁ」なんて気の抜けた調子でぼやく。
こうしていると軽装も相まってどこにでもいそうな若者にも見えるのだが、その一挙手一投足をキンケードは油断なく見据える。そばにいるだけで緊張が肌に伝わるようだった。
「いくら過去に偉業を成し遂げた『勇者』だろうとな、こんなロクでもない犯罪者の言うことを、このオレが真に受けるとでも思うか?」
「もしかしてオレってば信用ない? それともこないだの負け惜しみだったり?」
「てめぇに負けたのは、単純にこっちの力不足だ。そこははき違えちゃいねぇよ」
「ヒュゥ~、潔いね!」
茶化すようにそう言ってから、エルシオンは目線を下げてリリアーナを見た。
……見られているのがわかるのに、視線は合わないその目はもう知っている。ここにいる自分を見ながら、何か別のものを透かし見ている目だ。
「オッサンは信じないかもだけど。リリィちゃんてさ、ずっと前に死んじゃったオレの知り合いの、知識や記憶をまるっと受け継いで生まれた子なんだよ。……ホントは、死んじゃう前にもっと話がしたかった。色んなこと聞きたかったし、オレも聞いてほしかった。リリィちゃんが今のオレの全てだ。だから囚われようが埋められようが、もう絶対にそばを離れる気はないよ」
「……」
あっさりと告げられたその言葉は、キンケードの「なぜつけまわしているのか」という問いへの答えなのだろう。
てっきり『魔王』であったことも全てばらすのかと懸念していたのに、その辺の事情だけは綺麗さっぱり削ぎ落している。
エルシオンがどういうつもりなのか、意図はまだわからない。だが、どうやらここで自分たちの関係性まで開示するつもりはないようだ。
こっそりキンケードの様子をうかがうと、受け取った剣を床について柄へ手を置いたまま、じっとエルシオンを注視している。
死者の記憶を継いでいる、なんて信じがたいことを言い出したのに、こちらを向いて真偽を問わないのが少しだけ意外だった。
「……嬢ちゃんがあれこれ継いでるからって何だ、そんなのは死んだ誰かさんの代わりじゃねーかよ」
「代わりなんかじゃないもん。中身さえ同じならガワは問わないよ、オレこう見えて守備範囲広いんだから」
「つーか、そういう大事なことは本人から聞くっての。呼んでもいねぇのに横入りしてんじゃねえよボケナスが」
「オレの行動の理由について話してたから、わざわざ熱い胸の内をご披露したのに、ヒドイ!」
「うっせ! 脱走虜囚の分際で態度がでけぇんだよお前は!」
勢いよく交わされる応酬に、言葉を挟む隙間がなかった。
エルシオンの言っていることに虚偽はないし、キンケードさえそれを信じられるなら、もう自分が口を出す必要はないかなぁ、なんて疎外感すら覚える。互いに剣を向け合うような物騒なことになるよりは、何事も対話で解決するのが一番。
そのまま一通り罵詈雑言を吐いたキンケードはふと言葉を切って、木箱の上で足をぶらぶら揺らしているリリアーナを振り返った。突然だったので体勢を繕う暇もなく、バッチリ目撃されてしまう。
「そろそろ戻んなくて平気か? って、何してんだ?」
「い、いや、別に何でもないぞ! ええと、エーヴィたちのことは気にしなくていい、お前とふたりでいる限りは多少遅れても心配などされんさ。自分に寄せられる信頼がどれほどのものか、知らぬわけでもあるまい」
「そこまで言われると今度は責任が重てぇな」
眉尻を下げ、歯を見せて笑うキンケードはいくらか緊張が解けたように思えた。ただ、護衛としていつでも庇える位置から動かず、警戒を緩めていないのはわかる。
今のところ、こちらに危害を加えるつもりがないというエルシオンの言葉を信じることにしているが、キンケードにまでそれに倣わせるつもりはない。言ったところで無駄だろうし、だからこそ、遮るガラスがなくてもこうして安心していられるのだ。
「なーんか、仲良しでずるい……」
「フン、お天道様の下を堂々歩けないような犯罪者はさっさと湿っぽい牢に戻んな。昼メシ喰いっぱぐれても知らねーぞ」
「あそこ地下だからほんとジメジメしてカビ臭くて嫌なんだよねー。食事だけは結構まともだし、お陰でケガの方も何とか回復したけどさぁ」
そう言って右腕がしっかりついていることを確かめるように、自身の右肩をさするエルシオン。
あの時に使っていたのは完全な修復ではなく治癒だから、血を大量に失った影響が気掛かりだったが、どうやらそんな心配はいらなかったようだ。『魔王』がそうであったように、『勇者』の体も元々頑丈にできているのかもしれない。
「せいぜいウチの領主に感謝しとけよ。ここの爺さんは血管ブチ切れそうなほどおかんむりだったから、あのまま何も言わなけりゃ、お前が死にかけてるうちに斬首刑に処されてたとこだ」
「ウチのってことは、イバニェス領主だから、つまりリリィちゃんのお父さん? わ~、一度ちゃんとご挨拶したかったんだよね!」
「はぁ? テメェが何したか考えて物言えや阿呆。アイツの前にのこのこ姿を現してみろ、素手で首をねじ切られるか頭蓋を踏み砕かれるかのどっちかだからな」
「え、その二択なの? 猟奇的すぎない? イバニェスの領主サマって何かやたらと評判の良い、デキるひとなんでしょ?」
妙に焦った様子でこちらを見るエルシオン。先日、駆けつけた父がその頭を踏み潰そうとした所は確かに見たが、あれは状況的に仕方がないと思う。
もしも立場が逆だったとしたら――血まみれのファラムンドと、そばにこの男がいたら、自分だって何をするかわからない。
「その通り、父上は優れた統治者で人格的にも非の打ちどころのない素晴らしい人物だ。貶すと承知しないぞ」
「……リリィちゃんはお父さんが大好きなんだねぇ」
「父も、兄たちも、尊敬に値する相手だと思っている」
「今の生活を守りたいって言ってたもんね。そっか、良かった。いい家族に恵まれて、キミが幸せそうで」
そう言ってはにかむように笑って見せる男は、これまでと少しだけ様相が違うように思えた。
へらりとした軽薄な笑みが、どう違うのかはよくわからない。判断がつくほどエルシオンのことを知っているわけでも、作り笑いの見分けがつくわけでもない。ただ、感情が滲み出るようなその顔が妙に印象に残った。
「何かやりたいことがあるなら、それを手伝おうと思ってたんだけど。今の暮らしを続けることがキミの喜びなら、その維持を手伝うほうがリリィちゃんを幸せにできるのかな」
「それはどういう……」
「よーし、決めた。オレもイバニェスの自警団っていうのに入れてもらおう!」
「ハァ?」
横でキンケードが素っ頓狂な声を上げるが、気持ちは同じだ。突然何を言い出すのかと絶句していると、エルシオンは霞が晴れたような笑顔で腰かけていた木箱から立ち上がった。
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