第274話 内緒話をしましょう①


 熱が下がって、少し頭が回るようになってからすぐ、キンケードには話せる範囲でエルシオンの情報を開示しようと決めていた。

 そこから推測で自分の正体に辿り着いたとしても構わない。もう十分に、キンケードからはそれに値するだけの信頼を傾けてもらった。今度はこちらが応える番だ。


 思えば、領道の崩落現場に連れて行ってもらった時から、この男には無茶な願いを聞いてもらってばかりいた。並外れた魔法の行使も見られたし、アルトが念話で話せることを知っていて、おまけに大精霊パストディーアーの姿まで目にしている。

 ……だというのに、それについてなぜだとか、どうしてとか、自分だったらすぐに口をついて出るような言葉がキンケードから発せられたことは一度もない。

 何を言っても、どんな突飛なことをしても信じるというかつての宣言通り、どれだけ常識外れの出来事に巻き込まれようが自分の言うことは全て受け入れてくれた。

 話が早くて助かるなんて範疇はとっくに超えている。彼の身を二度も危険に晒してしまった以上、もうその厚意に甘えてばかりはいられない。


「お前が、わたしの話を信じてくれるのも、言えないことを深く追求せずにいてくれることも、本当に助かっていた。だから甘えることに慣れてしまっていたのだな。本当なら危険が迫っていると確信した時点で、ちゃんと相談するべきだったのに」


「まぁ、事前に相談してもらえるならそれが一番だけどよ。嬢ちゃんにだって考えや何やらあるんだろ、易々と言えることならとっくにカミロ辺りに言ってるはずだ。オレなんぞに打ち明けちまってホントにいいのか?」


「ここにカミロがいたとして、ちょっとまだ奴に告げる度胸は持てないな。あれは察しが良すぎる」


 そう正直なところを漏らすと、キンケードは肩を揺らしてさもおかしげに笑い出した。


「ハッハハ! それもそーだ、オレはアイツと違って言われた通りにしか受け取らねぇから安心しな。そんで、……あの赤毛野郎は本物のエルシオン、何十年前かに活躍した『勇者』サマってことでいいんだな?」


「ああ。なぜか外見上は歳を重ねていないようだが。間違いない、あれは『勇者』エルシオンだ」


「……」


 自身の中で折り合いをつけるように、深く息を吐き出してキンケードはしばらく瞑目した。

 直に剣を交えて相手の実力から感じ取ったこと。他者の記憶に干渉したり、警備の厚い領主邸へ簡単に侵入しえた底の見えない能力。それらの事実をひとつずつ噛み砕いて、答えと一緒に飲み込んでいる。そんな間を置いてから目を開け、再び人相の悪い顔を向けてきた。


「タダもんじゃねぇとは思ってたけどな、まさか『勇者』のお出ましたぁ……。オレとしちゃあ手合わせできて光栄な限りだけどよ、何でアイツは嬢ちゃんのことをしつっこくつけ回してんだ?」


「それについては、本人から答えちゃうよー!」


「「は?」」


 突然横から入り込んできた能天気な声に、キンケードと揃って間抜けな声が出る。

 小屋の奥の暗がり、リリアーナが腰かけているのとは反対側に置かれた木箱の陰から突如、両手を広げて立ち上がった男。目を疑って瞬きをしてみても、そこにいるのは間違いなく、たった今話していた問題の人物エルシオンだった。

 こちらの反応を待っているのか、両手を掲げた格好のまま今度は指先をひらひらと動かしている。

 そんなふざけた動きに構うことなく、キンケードは大股の一歩だけでリリアーナのそばに寄り、背に庇う形で立ち塞がった。


「テメェ、なんでこんな所にいやがる?」


「いやー、庭の辺りまで来たらリリィちゃんが林へ向かうのが見えたからさ。きっとこの小屋に用があるんだろうと思って、先に入って隠れてたんだよ。驚いた?」


 悪びれる様子もなくそう言うと、大きな木箱を股いで全身を現した。先日バルコニーに姿を見せた時と同じ軽装で帯剣はしていないが、収蔵空間インベントリを扱えるなら見える範囲の装備品に意味はない。

 それにしてたって、この男はなんでこういつもいつも、予想だにしない登場の仕方をするのだろう。三度目ともなると、もはや怒りより呆れが勝ってしまう。


「その、だな、キンケード。これも併せて伝えるつもりでいたのだが……」


「何だ?」


 遭遇に驚かされるのは三度目。なぜよりによってこのタイミングで現れるのかと頭を押さえつつ、他の場所で侍女たちに見つかるよりはまだマシだと自分を宥める。精神を乱せばまたこの男のペースに乗せられる。冷静に対処しよう。


「実は一昨日の夜中に、わたしの部屋のバルコニーに来たんだ、こいつ」


「ちょっ、待った、こんな狭いとこで剣抜かないでくれるっ、目がマジだし!」


「安心しな、両脚の腱を切るだけだ。口と舌さえありゃ調書は取れるだろ」


「いやいやいや、まだ罪状も確定しないうちから私刑は良くないと思うな? リリィちゃんも何か言って止めてあげて!」


 個人的には行動の自由を封じておくのは大賛成だが、この小屋の中を余計に汚して使用人らの手間を増やしたくはないし、止血の治癒だ何だとあれを繰り返すのも面倒だ。それに、どうせ仕留めることはできない。

 抜き身の剣を握ったまま殺気を立ち上らせるキンケードに、「構わなくていい」と声をかけると、硬質な気配はそのままに得物を鞘へと戻した。


「今はお前と話をするための時間だ、この機会を逃すとあまりふたりだけで話せる機会はなさそうだし。外野に構うな」


「外野ってヒドくない? だってオレのこと話してたじゃん? むしろ中心人物じゃん? っていうかリリィちゃん、オレを差し置いてこの元ヒゲとはおしゃべりしたいわけ? ビビッと予感がして来てみて正解だ、危ないからダメだよ密室に男とふたりっきりなんて。あ、扉はちゃんと隙間開けてるんだね、見た目のわりに意外と紳士~」


 無視して話を進めようとしてもそうはいかないとばかりに、次々と益体もない言葉を垂れ流す。この分では相手をするまで騒ぎ続けるつもりだろう。うるさい口を閉じさせるために、先に水を向けておく。


「危険人物の筆頭が何を言うか。どうやって牢を抜け出してきた?」


「寝台に身代わりの荷物を置いてー、毛布被って寝てる偽装をしてー、天井の空気取りの窓から出てきたんだ。いっつもこの時間は聴取とかないし、すぐ戻れば大丈夫だよ、バレないバレない!」


「天窓から?」


「そう。天井まで浮いて、鉄格子をこう、ぎゅっと広げて」


 そう言いながら、目の前で握った拳を横に広げる動作をする。

 サーレンバー領の警備体制や牢のつくりに文句を言うつもりはないが、もう少し魔法師の犯罪者を想定した構造にしておくべきではないだろうか……?

 もっとも、収蔵空間インベントリから身代わりを取り出し、【浮遊レビト】を使用しながら筋力強化も併用して鉄柵を空けられる魔法師なんて、もう今の聖王国内には存在しない。こんなに易々と出入りを繰り返されるのは番兵としても想定外の一言に尽きるだろう。


「……一昨日の晩か。嬢ちゃんには何もなかったんだな?」


「え? あぁ、うん、もちろんだ。窓越しに話をしただけで室内にも入れていない」


「そか」


 そこでようやく剣呑な気配を薄れさせるが、見上げたキンケードの横顔は警戒を滲ませて硬いままだった。


「それで、噂の『勇者』サマが何だって先回りしてまでこんなトコに来てんだよ。うちの嬢ちゃんにまだ何か用か?」


「そーだね、話の続きをしたかったってのもあるし、明るいとこで顔を見たかったし。あとそれとは別に、いっこ、お願いしたい事があるのを思い出したんだよ」


 立てた人差し指を陽気に振りながら、その目は真っ直ぐこちらを見ている。

 木箱の前にはキンケードが立ち塞がっているため、首を伸ばすようにしないとエルシオンの姿がのぞけない。体勢的に疲れてきたので、黒い制服の裾を引いて少しだけ横にずれさせた。

 こうでもしないと、目前にあるキンケードの尻に向かって話すことになってしまう。


「でもその前に、さっきの疑問だね。本人から答えたほうがわかりやすいでしょ?」


「お前……っ」


 一体何を言うつもりだと遮るために発した言葉は、逆にエルシオンの掲げた手によって遮られた。

 予兆も音も何もないまま、その右手の中に現れた物。

 見覚えのあるそれに息を飲み、出かけた声は言葉になる前に消えてしまった。制服の裾を掴んだままでいた指に力が籠る。


「何だその剣、どっから出した? また手品か?」


「確かに手品みたいなもんだけど。世界中のどこにいても、自分の家の物置から好きなモノを取り出せる魔法、かな?」


 街の通りを歩いていそうな軽装には不似合いの、豪奢な装飾が施された長剣。

 白い鞘に金の彫刻、羽ばたく翼のような意匠をした護拳の鍔。

 まだ抜いてもいないし、それ自体から何かが発せられているわけでもないのに、目にするだけで背筋に冷たいものを差し込まれる心地がした。

 そんな腹の奥が重くなる気分の悪さに反し、小屋の中の埃っぽい空気が清涼に洗われていく。

 周辺から寄せられたのだろう、小さな光の粒たちが興味深そうにエルシオンの持つ剣の周りを舞っている。


「これね、『勇者』だけが扱える聖剣・エントルドワールっていうんだけど。知ってる?」


「あー、昔話には聞いたことあるな」


「じゃあ話は早いね、何ならオレの身分証明にもなるでしょ?」


「ソレが本物ならな」


 素っ気ないキンケードの言葉が終わりもしないうちに、おもむろにエルシオンは持っていた剣を鞘ごと放り投げてきた。ゆるい曲線を描いてそれはキンケードの手の中に収まる。


「っぶねーな、何すんだテメェ」


「大丈夫、オレ以外には抜けないらしいから。ソレ、あんたが預かっててよ」


「はぁ?」


「没収されたのとソレしか武器は持ってない。あと魔法は何も使わないと約束する。だからさ、もうちょっとだけ気を楽にして話さない?」


 何も持っていないと示すように両手をぶらぶらと振って、エルシオンは向かいの木箱の上に腰を下ろす。

 キンケードを見上げると男も同時にこちらを振り返った。

 護衛の立場としてはそう簡単に信用できるものではないだろう。ましてや二度も刃を交わし、怪我を負わされている相手だ。

 護衛対象であり、エルシオンに狙われている――と思っている領主令嬢がここにいる以上、キンケードの気が緩むことはない。


「聴取で答えねーようなことを、ここでなら話すってのか?」


「それは質問次第だけど。とりあえずオッサンが一番知りたがってるさっきのやつなら、ちゃんと答えるよ」


 両手を木箱の上について足を組む。力の抜けた体勢に軽い口調、そして静けさを湛える眼差しを向けたまま、エルシオンはこちらの返答を待っていた。


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