第273話 ちょいとツラ貸せや、なぁ


 鬱蒼とした雑木林は前に通った時と変わらない。庭に近い辺りはまだ木の間隔もゆとりがあるため、曲がりくねった道にまばらな木漏れ日が落ちている。

 燦々と降り注ぐ陽光で外はもっと暖かいと思っていたのに、日陰に入るとまだ寒い。厚手の外套が必要なほどではないが、しっかりマフラーを巻いてもらって良かった。庭の方はよく日が当たっているから、木陰でももう少し暖かく過ごせるだろう。

 常緑樹の多い林はこの季節でも青々としている。中を駆け抜けた時は夢中だったからよそ見をする余裕もなかったけれど、異なる木が混ざり合った緑の濃淡はなかなか趣がある。

 護衛役のキンケードをすぐ横に伴い、葉揺れの音や木々の匂いを楽しみながら、リリアーナはのんびりと細い林道を歩く。


 庭に広げた敷布ではカステルヘルミが構成を描く練習をしており、そばにエーヴィとテオドゥロを残してきた。

 テッペイの回収には元々全員で向かうつもりはなく、小屋の中が狭いからついて来るのはひとりで良い、と言いながら目配せをしたのが通じたのか、そこで真っ先に名乗りを上げたのはキンケードだった。意思疎通がちゃんとできて内心ほっとする。

 自分から彼を名指しするのは、先日の一件で護衛対象を守りきれなかったと落ち込んでいるふたりにひどい追い打ちをかけるようで、何となく気が引けたのだ。

 本当に、あれはもう、とにかく相手が悪かったとしか言いようがない。


「小屋ん中は荒れてたが、普段使ってないし大事なモンは何もないそうだから、くっついてる辺りは下手に触らずあの日のままにしてあるぜ」


「そうか、テッペイをなるべく傷つけず回収したかったから助かる。手でふれても害のないよう合成したが、あれは燃やしても凍らしても剥がれない。組成から分解する必要があるんだ」


「ふーん、だからか。ヤツがここの守衛からぶん盗った制服がな、抜け殻みてぇに残ってるんだよ」


「まるで蛇の脱皮だな……」


 足止めとして粘着材を纏わせたテッペイに体当たりをさせ、わずかながら庭まで逃げる時間を稼いだ。

 長く拘束はできないとわかっていても、解除方法を知らなければそれなりに厄介な代物。あれこれ試行する分だけ時間がかかると踏んだのに、その予想以上に奴の脱出は早かった。

 再度現れた時にエルシオンは着替えていたから、制服は接着されてダメになったのだろうと思ってはいたが、抜け殻みたいに中身だけ脱していたとは。


「眠らされて制服を引っぺがされた守衛な、人目につかない所に下着姿で放置されてたモンで、酷い風邪ひいて三日寝込んだらしいぜ」


「奴の罪状が増したな」


「まったくだ。前の一件も合わせたら、首が三つあっても足りやしねぇぜ」


 サーレンバー邸の守衛を装ってこの奥の小屋まで入り込んだエルシオン。髪色を変えていたし、遠目なら見咎められることはないと思っての変装なのは理解できる。

 だが、あれから日数の経った今でも奴の記憶を失った者は出ていない。コンティエラの街とこの屋敷への潜入、むしろ対面した相手に記憶されて困るのはこちらの方ではないだろうか?

 なぜ今回に限って、記憶を残さない暗示だか術だかを使わなかったのかはわからない。クストディアだけは、公演に関する約束を本人が忘れたら困るという理由なのは想像つくが……


「ええと、その当人は、牢の中で大人しくしているのか?」


「あー、二回くらい様子見に行ったが、特に暴れたりとかはしてねぇよ。聴取にも応じてるそうだし、怪我もいつの間にか治ってぴんぴんしてらぁな。こっちで裁くかイバニェスに連行するかは、まだちっとわからねぇな」


「そうか……。そうした後処理なんかも色々と迷惑をかけた。それにお前には、アルトを探させたり手袋を拾ったりと、何度もこの辺に足を運ばせて悪かったな」


「どれも嬢ちゃんのせいじゃねえだろ。まあ、お前さんが寝てる間はヒマしてたってのもあるし。もうちと早ければあのぬいぐるみも鳥につつかれる前に見つけられたかもしれねーんだが。アレはまだ直せてねぇのか?」


「うん……。父上が購入した店に素材を問い合わせてくれているらしいが、続報はない」


「どーいう仕掛けだか知らねぇが、喋る分にはあんなボロボロでも平気だっつってたか。しかしあのまま持ち歩くわけにもいかねーし、早く直せるといいな」


 キンケードとそんなことを話しているうちに、件の物置小屋が見えてきた。扉はちゃんと閉まっているし、外観は以前と全く変わりないように見える。

 だが、その扉から中に足を踏み入れた一歩目で、思わず声が出た。


「これは、大変だな……」


「何だ、嬢ちゃんがやったんじゃねぇのか?」


「テッペイを体当たりさせて横に吹き飛んだところまでは視認したが、とにかくクストディアを避難させねばと急いでいたからな。あまりちゃんと見ていなかった」


 小屋の扉を開くなり、床には砕けた木材や棚の破片らしきものが散らばり、酷い有様だった。

 右側へ視線を向けると、部屋の隅には木屑の山ができている。関節をあらぬ方向に曲げた甲冑と、その全身にくっついた様々な木片、それからエルシオンが着ていた守衛の制服。それらが混ざって何だかよくわからない塊になっている。

 接着剤のついた制服は奴が無理に脱いだせいだろう、あちこち裂かれてボロボロだ。洗濯して繕っても、もう着られそうにない。


「ええと、とりあえず分解してテッペイを回収して、……後の片付けはサーレンバー邸の使用人に任せた方がよさそうだな」


「ああ、用があるのは鎧だけなんだから、他人の仕事を取っちまうこたねぇ。そんで、その分解ってのはすぐできんのか?」


「うむ、そう手間はかからん」


 くっついた木屑や甲冑から脱するために、あの男が小屋を燃やしたり何か派手な破壊行為をするのではと少し不安に思っていたが、服を脱ぐだけであっさり抜け出せたとは意外だった。

 そういえばアリアがオニモチの罠にかかっていたのは、長い髪や肌など全身に貼りついて取れなかったせいだ。

 エルシオンは反射的に腕で防ぐなりして、テッペイに接する面積が少なく済んだのだろう。もっと髪や肌にべったりついていれば良かったのになと、ちょっと惜しく思う。


「むむむ。同じ手は通じないだろうが、接着剤はいくらか種類を知っている。次はもっと抜け出しにくい罠を考えよう」


「落とし穴でも掘るか?」


「あぁ、そういう原始的な手ほど、慢心している相手には通じやすかったりするんだ。……よし、できたぞ」


 話しながら片手間に描いていた構成で、粘着質に変えていた組成を分解した。繋ぎ合わせていたものが消えたことで、それまでひとかたまりになっていた木屑や鎧が音をたてて崩れ落ちる。

 舞っている埃は面倒だから風で小屋の外に追い出すと、キンケードが残された木屑を払ってテッペイを掘り出してくれた。


「ちと汚れちまったが、目立った傷はないみてぇだな」


「どうせイバニェスヘ持ち帰ってから、土に埋めて仕上げを施すつもりだ。表面が汚れるくらいは構わん」


「んじゃ、コイツはひとまず端に置いとくとして。……それで?」


「ん?」


 引きずり出した甲冑を壁際に置き、こちらを振り向いてから腕を組むキンケード。

 何を促されているのかわからず首をかしげると、男は小さく噴き出した。


「たまーに仕草が幼いんだよなぁ。いや、実際子どもだけどよ。その、なんだ、オレに何か話があったんじゃねーのか? さっき『ちょいとツラ貸せや、なぁ』みたいな目ぇしてたろ?」


「あっ、うん。そのために来てもらったようなものだから、忘れていたわけではないぞ? 先に片付けておこうと思っただけで。別のことを考えててすっぽ抜けてたとかじゃないからな?」


 そう念を押してから、リリアーナは適当な木箱にハンカチを広げてその上に腰を下ろした。

 『ちょいとツラ貸せや、なぁ』な目というのはどんな目だろう、と思いながら楽な姿勢を促すと、キンケードは立ったままそばの壁に寄り掛かり、聞く体勢を取る。

 あまり長くかかるとエーヴィたちが心配するだろうから、手短に。そう思ってあらかじめ考えてきたことを頭の中に並べながらも、一体どう切り出したものかと初手に迷う。


「……あの男のことか?」


「うむ、その通りだ。このタイミングで内緒話をするなら、その件だろうと察しがつくか」


 こちらが言いあぐねているのを見かねたのか、キンケードの方から切り出されてしまった。

 一度打ち明けると決めたことだ。腹を括って、いかつい男の顔を見上げる。


「イバニェスでの侵入者騒ぎの時も、コンティエラの街で面倒をかけた時も、結局はっきりしたことを言えないままだったが。話せるようになるまで訊かずにいてくれるお前に、いつまでも甘えているわけにはいかない」


「別にオレは、必要なこと以外は無理に知ろうとは思わねぇよ」


「わたしは必要なことだと判断する。今回、お前には命を救われた。あの場面では必要な情報を得ていなければ、お前の命だって危うかったかもしれないのに。だから、わたしの身勝手で隠しておくのはここまでだ。……直に剣を交えて、あれがただ者でないことくらいわかっただろう?」


 そう問いかけると、キンケードは頭の後ろを掻いてわずかに顔を横向ける。視線だけでその先を追うと、木々の残骸の中に守衛の制服が落ちていた。


「エルシオン。……奴はそう名乗ってるらしい。上の世代にはわりとありふれた名前だが、そういうんじゃねぇ。アレは、本物・・か?」


 自分の中の確信を形にするかのような問い。真っ直ぐに向けられる黒い目を見返しながら、リリアーナは無言で肯定のうなずきを返した。


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