第272話 ご令嬢のお召し物
好天に恵まれ気温も高いため、今日は濃灰色の外套ではなく、起毛のボレロに袖を通す。
血塗れになってしまったあの外套はしっかり洗濯をされ、林の中でほつれた部分などもきちんと繕ってもらえた。せっかくこの冬のために新調されたものだから、廃棄する羽目にならなくて良かったと思う。
街の店へ修繕に出しているポシェットも明日には戻ってくるらしい。あとは、無残な姿になってしまったアルトさえ直せれば、というところだが……
「よし、できました。ちょっと色味が強いかなーと思ってたんですけど、この服なら差し色にバッチリ合いますね、可愛いです!」
「機能に問題がなければ色は何でも良いのだが。まぁ、お前がそう言うなら似合っているのだろう。ありがとうフェリバ」
「どういたしまして! もし途中で暑くなったら取っちゃってくださいね。今日はお外もずいぶん暖かいみたいですから」
その言葉にリリアーナが空へ目を向けると、ちょうど出窓の柵に止まっていた小鳥が羽音をたてて飛び立った。
雲の少ない晴天、差し込む陽光がレースのカーテンを透かして床に模様を描いている。風も緩やかで、屋外で過ごすにはもってこいの日だ。
正面の姿見に視線を戻すと、身支度の済んだ自分が映っている。淡い上着に裾が長めのスカート、首元で結われた細いマフラーは濃い紅色。普段あまり身に着けない色合いだが、フワフワした糸で織られていて温かい。
「その組み合わせ、素敵ですわねぇ。お嬢様は落ち着いた色味が合うと思ってましたが、目の色が特徴的ですから、そういう思い切った色も良くお似合いですわ」
「でしょー! リリアーナ様ってば何でも着こなしちゃうんだもん、もうちょっと大きくなられて、お召し物の幅が出てからが楽しみですね!」
生前も今も、何だか着せ替えばかりされてるなと思いながらも、こうしてフェリバに着付けをされるのはあまり煩わしく感じない。イバニェス家の子女らしい衣服を纏う必要性に納得しているせいだろうか、それともヒトの娘になったことで感性も変化しているとか?
以前はなかったことだが、そういえば新しい服に袖を通す時、少しわくわくしている自覚はある。衣服自体を好ましく思っている、というよりは、似合うものを着せてもらうのが楽しい、ような……。
「リリアーナ様、どうかされました? もしかしてこれ、お気に召しません?」
「いや、悪くないと思う。ただ、わたしは未だに衣服の良し悪しとか、組み合わせ方などがわからない。何だか難しいものだなと……」
「そうですねー。お作法の授業でその辺も習うと思いますけど、ご自身でわからないなら人に任せちゃってもいいんじゃないですかね。今は旦那様のご許可を頂いて、私が好きに選ばせて頂いてますが、十五歳記の頃にはきっと専属でお衣装係がつきますし」
「え? ずっとフェリバやトマサがやってくれるのではないのか?」
自分の世話は、この先もお付きの侍女がするものだとばかり思っていた。
使用人たちの役職や担当に口出しをするつもりはなくとも、何となく寂しさのようなものを覚え、口をついて出た言葉にも不満が混じってしまう。
「ぎゃふっ、効くっ、上目遣いが刺さる! リリアーナ様が望んで下さるなら、今からでもお召し物についての勉強しようかなぁ、トマサさんならそっち方面も詳しいだろうし……」
「別に無理をして仕事を増やすことはないだろう」
「やですー、やっぱリリアーナ様が大きくなってからも私が髪を結ってお召し物選びたいですー!」
駄々をこねるように握り締めた手を上下に振るフェリバだが、それに見向きもせず、ポットの支度をしていたエーヴィが大きな籠を片手に近寄ってきた。
「そろそろ参りますか」
「あ、そうだな、キンケードを待たせているんだった」
エルシオンとの衝突から十二日目。体調に問題がないことを医師に認められ、ようやく部屋の外に出る許可を得られた。
久しぶりに屋外を歩いて鈍った体を動かしたいし、小屋に放置したままのテッペイも気がかりだ。カステルヘルミも部屋での反復練習に飽きてきたようなので、また庭に出てあの日のやり直しをしようかと提案した。これだけ天気が良ければ、木陰での読書も気持ちが良いだろう。
温かい格好に着替え、敷布に菓子とお茶のセット、ひざ掛けとクッションと読みさしの本。準備は万端。
……名目上は、家庭教師を伴ってのささやかな野外お茶会、ということになっている。
「そういえば、化粧などで困ったらエーヴィに訊けと言われているが。お前は衣服についても詳しいのか?」
「詳しいと胸を張れる程ではございませんが、多少の心得はございます。ですが……」
「ですが?」
首を傾けるフェリバを横目に、エーヴィはソファに立てかけてあった筒状の敷物を空いた腕に抱える。
「ご令嬢のお召し物というのは、時節や場合と場所、目的などにより最適解が変動いたしますから。加えて流行は渦中にいなくては掴みにくいもの。晴れて十歳記を終えられましたら、お嬢様には他家のお茶会などへ積極的にご参加頂き、余所のご令嬢たちの装いやさりげない話題の中から
「な、なるほど……」
「また、いち早く素材を押さえるためには流通や商店の動向にも気を配る必要がございますし、いずれ主催側となれば御自ら流行を作り出すくらいの準備と気構えが必要になるでしょう。加えてイバニェス公秘蔵の愛娘ということで、未だ公の場に姿を見せないご令嬢へは領外からも多く注目が集まっております。女性の装いは戦装束、決して甘く見てはなりません。リリアーナお嬢様にはこの先、座学以外でもたくさん学んで頂く必要があるかと存じます」
「……」
学ぶことは嫌いではない、という言葉は、喉につかえたまま口から出ることはなかった。
誰しも、得手不得手というものは、ある、と、思う……。
暗澹たる気持ちが顔に出ていたのか、カステルヘルミとフェリバが揃って若干引きつった笑顔を向けてくる。
「ま、まだ当分先のことですし、ええ!」
「そうそう、今日は久し振りのお散歩なんですから、イヤ~なことは考えずに楽しんでらして下さい!」
「うん……」
柔らかなマフラーを手で揉んで、下降しかけた気分を盛り上げる。
本当なら程よい弾力を備えたアルトを握りたいところだが、未だ素材の問い合わせ中で修繕ができず、片角のまま籠の中だ。
いくら愛用品を装っているとはいえ、壊れたぬいぐるみを持ち歩くのはさすがに不審だろうと思い、今日は留守番を頼んでいる。
捕縛されたエルシオンも日中は大人しくしているだろうし、あの双子はもうこの辺に近寄らないと聞いている。それに護衛としてキンケードがついてくれるから、アルトと離れたところで危険はないだろう。
「えーっと、お茶のポットは詰めてもらったし、ひざ掛けも二枚入れたし、忘れ物はありませんよね?」
「何か足りないものがあればエーヴィに頼むから大丈夫だ」
「そうですね。何なら二階に向かって声かけてもらえれば、私がすぐ届けに行きますから。それじゃあリリアーナ様、ルミちゃん先生、エーヴィさん、いってらっしゃーい!」
フェリバの明るい声に見送られ、三人で部屋の外に出る。
石造りの硬質な廊下には、仕事中らしく背後で手を組んだキンケードとテオドゥロが控えていた。踵を揃え、鋭角的な敬礼を向けてくる。
「すまないな、待たせた」
「構いやしねぇよ。男ってのは、女の身支度を待つ生き物だからな」
「そうなのか」
「……真顔で納得されても何なんだが、まぁ、世間ではそういうモンらしいぜ」
そんな軽口を交わしてから、キンケードは侍女の手から荷物を引き受けた。筒状に巻いた敷布も、ティーセットや本を詰めた籠も全部左手で抱えてしまう。護衛として右手は空けておくものなのだろう。
手持ち無沙汰なテオドゥロがその後ろで何か言いたげな顔をしている。目が合うと、快活な彼らしくない曖昧な苦笑いを浮かべながら再度の礼を向けてきた。
「どうした?」
「あぁ、コイツな、あの日にてんで役に立たなかったっつって、ヘコんでやがんだよ。放っとけ」
あの日、と言われて、庭での光景を思い出す。突然現れたエルシオンに対し、何の手出しもできないまま意識を落とされたことを指しているのだろう。
護衛として面目が立たないのは理解できるが、あれはさすがに相手が悪かった。
とはいえ、『勇者』だから仕方ないとは言えないし、自分は無事だったから気にするなというのも結果論でしかない。他に慰めの言葉を探してみるけれど、あまり適したものは出てこない。
「んー、まぁ、うん。まだ若いのだし、これからだな」
「はい、肝に銘じます……」
「精進いたします……」
「がんばりますわ……」
テオドゥロに向けた励ましのつもりが、なぜかエーヴィとカステルヘルミまで顔色を悪くして一緒にうなだれた。
どんよりと暗雲を被ったような三人を前に、キンケードは「あー……」と言いながら気まずげに視線を逸らす。
方々から鈍いと言われる自分でも、さすがに三人がなぜ気落ちしているのかくらいは察しがつく。だが、これ以上何か言っても追い打ちをかけるだけな気がして、どうしたものかと困り果てる。
そう気にするなと言っても職務を全うできなかった大人たちには大問題だし、仕方ないなんて言葉で割り切れるものでもないだろう。かといって気を紛らわせたり矛先を逸らせるほど話術は巧みでない。
ここは下手に慰めようとせず、逆に発破をかけた方が良いのだろうか?
「えっと……、期待してるから、次に備えて、がんばってほしい、な?」
「はいっ!」
綺麗に唱和した三人の返答に押されつつ、目にギラギラとした活力が戻っているようなので、少し安心した。
過ぎた失敗よりも、先のことに目を向ける気になったなら何よりだ。自分の言葉が励ましに足りたようだと、リリアーナは安堵の息を吐く。
「人タラシってのは、こうやって育ってくんだなぁ……」
一歩離れたところでしみじみぼやく、キンケードの呟きは誰の耳にも入らなかった。
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