第271話 リザルト


 一度こちらに手を振ってから庭を駆け抜け、あっという間に見えなくなる人影を、カーテンの隙間からじっと見ていた。

 自身が捕らえられている牢にまた戻るのだろう。どうやって抜け出してきたのかは知らないが、こうも易々と出入りができるなんて、囚人の監視体制が甘いのでは。……そんなことを考えかけて、あの男ならどこからでも抜け出せるだろうなと思い直した。手玉に取られているサーレンバーの領兵たちには同情しかない。


<対象、本邸の敷地から出ました。特に魔法を使っている様子はないのですが、警備の目には引っかからないようです。手慣れてますね>


「見つかって余計な騒ぎを起こすような下手は踏むまい」


 あれだけ動けるのなら、もげた右腕はもう完治したと見て良いだろう。リリアーナは安堵なのか何なのか自分でも良くわからない感情を持て余しながら、カーテンの隙間をぴっちり閉じた。

 さっきよりも寒く感じるのは窓を少し開けたせいだろう。感覚の鈍くなった指先を揉み、冷たくなった肩を撫でながらベッドへ戻ることにする。


 ……あの極楽鳥の羽毛が詰まったクッションは、正直ちょっと惜しかった。

 エルシオンも譲ると言っていたのだが、自室に出所不明の物品が増えると言い訳に困る。なので少しだけ開けた窓の隙間から押し出して、持ち主に返したのだ。

 あの男からしたら、今でも収蔵空間インベントリを自由に扱えると思っていたのだろう。大掛かりな魔法を見せた後だからその誤解も無理はない。受け取ったクッションを手に変な顔をして、すぐに自分の収蔵空間インベントリへ納めていた。


 あれを枕に加工し直したら心地よく眠れるだろうなと未練を引きずりながら、飛び起きたせいで乱れたベッドを整える。

 上着もかけず窓際にいたせいですっかり体が冷えてしまった。毛布へもぐり込む前に、簡単な暖気の構成を描いて寝具を温め直す。

 癖になるといけないと思って普段はやらないのだが、一度この心地よさを知ってしまうと誘惑に打ち勝つのは難しい。


「おぁ~~、温かい……これは、まずいな、癖になる」


 鼻先まで毛布をかぶって枕に頭を埋める。心地よいぬくもりに、眠りの中へ垂直に落ちて行きそうになる手前、薄く開けた視界に何か動くものが映った。

 サイドテーブルの上、アルトの片方だけになった角が物言いたげに揺れている。


「……どうした?」


<いえ、その、奴をこのまま放置して良いものかと……>


「そうだな。氷にでも閉じ込めて地中深くに埋めておけば、わたしとしても安心だったのだが。できないものは仕方ない。未だ奴の目的も不透明だし、目の届くところで大人しくしている限りは様子を見よう」


 また行方をくらませて、どこで何をしているか分からない状態になるよりはずっとマシだ。

 好きにさせていること自体危ないというアルトの懸念はもっともだが、今はあの男の行動を制限するだけの力も権力も持ち合わせていない。こちらに危害を加える気がないという言葉をひとまず信じるしかないのは、自分としても業腹だ。


 毛布の中でぬくまってきた手を握り締め、ふれていた窓の冷たい感触をリセットする。

 ガラス越しに見せた痛切な目、あれは一体何だったのだろう。


 『今度は絶対に、キミを死なせはしない』


 妙な宣言をされたけれど、奴以外から命を狙われるような覚えはないし、今のところ大きな病気もせず健康そのもの。生命を脅かされたことなど、先日の採掘場跡での一件だけだ。

 ……それすらもこちらの先入観によるもので、散々追いかけ回してきたエルシオンは別に命を狙っている訳ではないと言うし。


「まったく、何なんだあいつは……」


 未だ信用に足るものではないけれど、ああも切実さを滲まされては無下にもできない。おかしな態度の理由も、言葉の真意も何もかも分からないままなのに、あの男の本気だけは伝わってきた。

 何十年も手掛かりを求め探してきたくせに、その目的が会話をしたいからだなんて。さすがにそのまま受け取るほど考えなしでもない。

 実際、ふたりだけの対話の機会を持てたというのに、費やした年数に見合うような話は全く出なかった。

 なぜ自分と話がしたいのか、なぜやりたい事を手伝うなんて言い出したのか、奴の目的は依然として何もわからないまま。


 もし、こちらからそれを訊ねたら、素直に真意を話すのだろうか。

 そもそも、追ってきた理由を訊ねて「話がしたかったから」という回答はずるいような気がする。そう返されたら「なぜ話がしたいのか」と、もう一問費やすことになるではないか。

 何だか上手いことはぐらかされたようで、眠気とともに胸中へモヤモヤしたものが渦巻く。


<例の、記憶消去のすべについては、お訊ねにならなくてよろしかったので?>


「魔法に関して、わたしが、あいつに、わからないからと、種明かしを請うのか?」


<ヒェッ……も、申し訳ありません、出過ぎたことを>


「いや、すまない、ただの八つ当たりだ。こんな時間でなければフェリバに甘いお茶でも淹れてもらって、少し落ち着きたいところなんだが」


 横向きからごろりと仰向けになって、高い天蓋を見上げる。今は苛立ちよりも眠気が勝っているから、このまま温かい寝具にもぐっていればすぐに眠りに落ちるだろう。

 子どもの体というのは、とにかく睡魔にだけは勝てないようにできている。


「奴の行う記憶消去については、あれからも少し考えてみた。自分と出会った記憶だけを選んで消す、というのは極めて難しいが、前提条件を変えてみれば不可能ではないかもしれない」


<前提条件、と言いますと?>


「記憶を消すのではなく、記憶させない。それなら頭の中をいじる必要もないし、いずれも結果は同じだから、いわゆる発想の転換というやつだな」


<なるほど……。では単純な魔法行使によるものではないと>


「ん。どちらかというと、暗示の類か……」


 呟きが吐息に掠れる。眠くて頭が重い、まぶたも重い。

 順序立てて話すのも億劫だ。どうせ相手はアルトだから、多少の省略をしても言葉の意図は通じるだろう。


「即効性があるなら魔法を併用しているかもしれない。どちらにせよ、実用化には膨大な実験が必要になる。四十年の時間があったとして、あの男が旅を続けながらそんなことをしていたとは考えにくいのだが……」


 大してエルシオンを知っているわけではなくとも、何となくイメージに合わないというか。コソコソと動き回るためとはいえ、そんな遠まわしな搦め手をあいつが研究するだろうか?

 ――いや、ペッレウゴから教授されたのかもしれないし、思考の幅を狭めるのは良くない。暗示や占術に対し勝手に陰湿な印象を持っているせいで、どうも余計な先入観を持ってしまう。


「まあ、あくまで推論に過ぎん。コンティエラで正面から奴を観察できなかったのは残念だな。たとえわたしが術中に陥っても、お前がいれば何かわかったかもしれないのに」


<そんな自らを危険に晒すようなことは……。もちろん、私がついていれば何か異変を察知した際にはすぐにお知らせいたしますが>


 あの段階では、エルシオンがそんな手段を持っているなんて知る由もなかったから、今になってもしもを論じても仕方がないのだけれど。

 自身に関する記憶を残さない、未知の術。あの男以外も使える者がいるのかはわからないが、もし悪用されれば厄介この上ない。キンケードたちにも迷惑をかけてしまったし、できることなら安直に訊ねたりせず、この手で暴いてやりたい。


「仮に暗示を用いているとしたら、最初から対人を想定して作られた術だな。実験も全て聖王国内で行われたはずだ。精神的に無防備な者ほど覿面に効果が出る。今のわたしのような幼い子どもには、特に効きやすかろう」


<防ぐすべはないのでしょうか?>


「まずは仕組みを解明しないと何とも言えん。だが生体への作用である以上、お前のような無機思考体やゴーレムなどには効果がない。あとは精神が強靭な上位種、鉄鬼族とか化蜘蛛アラクネルにもな」


 霞がかった頭に、かつての臣下たちの顔が浮かんで消えていく。ヒトにしか効かないなら、キヴィランタの住民や対『魔王』を想定して作られた術ではない。地下書庫の本にも収められていない、ヒトが同族相手に使うもの。


「とにかく。併用でも何でも、魔法の手数で奴に遅れを取るのは腹が立つ。そのうち、必ずや解明してやる」


<無駄に小器用な男ですから、どんな手を隠し持っているかわかりません。先ほども何やら着地の際に、遮音の構成を設置していたようですが……>


「は?」


 重いまぶたを開いて薄目でアルトを見ると、一本だけの角をぴんと上に持ち上がった。


<アッ! ええと、ベランダへ上がってきた際にですね、範囲遮音を展開していたようです。窓付近から外には会話も物音も漏れておりませんので、フェリバ殿たちには気取られておりません、ご安心くださ、>


「…………」


<あの、なんかすいません……>


「お前が、謝る必要は、ない」


 鼻の上までかぶった毛布の中で、きりきりと歯軋りをする。

 何も魔法を纏っていないと思ったら、そんな所に置いていたとは。目の前の本人にばかり気を取られて、全く気がつかなかった。

 悔しいやら腹が立つやら。浮かんできた赤毛のにやけ顔に、頭の中で拳を打ち込む。自分の不注意が口惜しい。

 だからあんなに余裕の態度でべらべらと話していたのか。目の前で魔法を使えばこちらを警戒させると思ってのことかもしれないが、それならそうと、一言何か言えば良いものを。

 遮音なんていう単純な構成に気づけなかった不甲斐なさが、とにかく悔しい。あの男に、自分が、魔法で後れを取るなんて。

 おのれ。おのれエルシオン。だからあいつは嫌いなんだ。


「ぐ、ぬ、ぬ、 ぬ…………」


 寝つきには向かない険しい顔のまま、リリアーナは今度こそ深い眠りに落ちていった。


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