第270話 星明りの下で⑤


 過ぎ去った日々、魔王城でともに過ごした面々が脳裏をよぎる。

 基本的にはこちらの言うことを良く聞くものの、元から自由気ままに生きてきた者たちだから、忠誠とか統率といった面ではちょっと怪しい。『魔王』である自分が死んだ後まで、素直に従っていろと言うほうが無理だったのかもしれない。


 胸に去来する懐かしさとともに、何だかどっと疲れた気がして、リリアーナはため息をつきながら居住まいを正す。

 ふかふかの羽毛クッションは座り心地が良いけれど、布袋に詰めすぎだと思う。もう少し適した布を使って詰め替えたほうが良い物になりそうだし、絹に詰めて枕にしても気持ちが良さそうだ。


「ええと……何だっけ、話が逸れたな。お前の問いに答えているところだったか」


「うん。リリィちゃんのしたいことを訊いてたとこだよ」


 気を取り直し、少し上にある薄笑いの顔を見上げる。

 未だ悪寒は背中にこびりついたままでも、こうして落ち着いて話をしていられるのはガラスに遮られているためだろうか。

 いつ割られるとも知れない透明な壁。それを壁たらしめているのは、そこから先に踏み入らないというエルシオンの誠意。信用していない相手の見せる誠意を信頼している、何ともおかしな状況だった。

 だが、この対話に応えたのは他でもない自分の意思だ。

 やりたいと思うことに素直でありたい、ヒトとしての自由を手に入れた時に自分はそう願った。だから、生き方と望みがイコールだったとしても、何もおかしくはない。


「今の平穏を維持し、イバニェス家の役に立って恩を返すこと。それがわたしの望みだ。余計な諍いを生む大それた野望などは持っていない。お前のような危険思想を持った異常者と一緒にするな」


「そっかー。さっきのを危険思想って判断できるなら、ほんとに価値観が人のそれなんだねぇ。試すようなこと言って悪かったけど、実際、『魔王』の記憶を持ったまま人間になるってどんな感じなんだろうと思ってさ」


「試す……?」


 どこからどこまでを指して言っているのか、すぐには理解できなかった。世界征服だとか更地にするとかいう、あからさまに不穏な言葉だろうか?


「いや、魔王領あっちでは荒野をイチから整えて町や畑を作ったって聞いたから。聖王国こっちでも、更地からスタートのほうが楽しいのかなーって思って」


「楽しいわけがあるか!」


 まるで卓上遊戯のようにそんなことを言う。土地はボード、ヒトは駒、その程度の認識なのか。

 やっぱり思考がおかしい、どうかしている。なぜ中央はこんな危ない奴を野放しにしているのだろう。

 ……まぁ、鎖に繋いだところで留め置けるとも思えない。現状、役目を終えた『勇者』として好きにさせるしかないのだとしたら、手綱を引ききれない側もさぞ大変だろう。身元保証人なんてものを引き受けている老剣士の心労に、つい思いを馳せてしまう。


「まったく、更地にするだの、いちから開拓だのとよくも軽々けいけいに言えたものだ。建築や開墾の苦労を知らない者の台詞だな」


「畑の世話くらいはしたことあるよ?」


「雑草も生えないような硬い荒れ地を耕し十分な水源を確保して土地を潤し邪魔な岩をどけ土に栄養を行き渡らせて作物を植えられる状態まで持って行く作業のことを開墾と言っているのだ、このうつけ者めーっ!」


 抑えた声で叫びながら、手のひらで窓を叩く。ぺちり、という音がしただけで厚いガラスは震えもしなかった。

 腹立たしさにか、顔が熱くなってきているのが自分でもわかる。


「お前は、作る苦労を知らんから軽々しく更地にするとか言えるのだ。建物も畑も何もかも、先人たちが工夫と歴史を重ね、連綿と創り上げてきたものだぞ。壊すのは一瞬でも、街や耕作地が今の形になるまでどれだけの手間と歳月がかかったと思っている!」


「あー、なるほど。キミはそういう発想なんだね、だんだんわかってきた」


「何がだ」


「ものを大事にするっていうか、積み重ねに重きを置くタイプ。何かちまちま作ったり花壇で植物を育てたりするのも好きでしょ?」


「……」


 だったら何だと言うのだ。好むことを言い当てられるのも気に食わなくて、無言のまま睨みつける。

 するとエルシオンはだらしなく笑い、窓を叩いたままでいた手に自身の手を重ねてきた。

 成人している男と、十歳記前の少女では手のひらの大きさも全然違う。めいっぱい伸ばしても、指先はガラスの向こうの第二関節まで届かない。その差が、現在の力量差を現しているようでますます腹が立つ。


「オレだって必要がなければ無闇やたらに建物を壊したりしないさ、戦闘のときはなるべく周りに被害が出ないように気をつけてるし。こう見えて、わりと文化財とか大事にする方なんだー」


 その言葉に、じわじわと温度を上げていた怒りが沸点を越えた。


「よくも……そんな大嘘を。大広間のステンドグラスも彫刻のレリーフも雷撃で木っ端微塵に吹き飛ばしたくせに、よくぬけぬけとそんなことが言えるものだな! あれが完成するまで一体どれだけかかったと……わたしを攻撃するだけなら、あんな上にまで当てる必要はなかったはずだ!」


「は? ステンドグラス? ……あー、あの色の綺麗なガラス窓ね、思い出した。だからあの攻撃の後、あんなにブチギレてたのかぁ」


 男はぽかんとした後、何かを懐かしむように頬を緩ませて虚空を見上げた。


「あんときは死角を突きたくて頭上を狙ってみたんだよ。うん、よく覚えてる。綺麗だったなー、いろんな色したガラスの破片が、キラキラしながらキミの周りに舞い落ちてさ、浮かんだ青い炎に片っ端から溶かされて。その中心で目を爛々と光らせてるキミに見蕩れたもんだから、慎重に描かないといけない構成にも思わず力が入っちゃったよね!」


「あ、の、収束光の、熱線かー! ろくでもない魔法を使いおって、よくも腕をスッパリ切り落としてくれたな!」


「キミだってその後に飛ばしてきた見えないアレ何、足の肉ごっそり持ってかれたんだけど! 回復用意してなかったら冗談抜きにアレで詰んでたからね?」


「貴様だってこちらの腹を裂いてきただろうが!」


「内臓落っこちるより早く治しちゃったくせに! 修復が早すぎるんだよズルいでしょあんなの!」


「それがわかっているならまず先に首を落とせば良かったのだ!」


「やろうと思ってできるならしてるっての、近接武器戦も魔法戦も肉弾戦もイケる口とか、どー考えてもおかしいじゃん!」


「練習したからな!」


「そっか! じゃあ仕方ないね! ……っていや待ってよ、自己鍛錬を積む『魔王』って何なのそれ、普通しないでしょ、おかしいって。もしかしなくてもオレ、歴代で一番強いのと戦わされたんじゃない?」


「「……」」


 言われて初めて気づかされたが、もしかして『魔王』というのは、鍛錬をしてはいけなかったのだろうか?

 魔法の研究は楽しかったし、黒鐘たちと格闘術を磨くのも心躍るものがあった。自己強化というよりは、どちらかというと趣味のような取り組みだったのだが、強化された『魔王』を相手取ることになる『勇者』としては災難なことだろう。


 そんなことを考えて数拍の間が空く。

 言葉を途切れさせたことで、怒りに沸いていた頭も少しは冷えた。切り替えよう。


「……まぁ、過ぎたことはもういい。昔の話だ」


「うん、そうだね、お互いあの戦いのことを言い合っても不毛なだけだ。……それで、どうする? どうしたい? 何でも言うこときくよ、オレに何してほしい?」


「しつこいな。言ったろう、お前に望むものなど何もない」


「何もないの? ほんとに? わりと何でもできるよ?」


 何度も不要だと言っているのに、なおも粘るエルシオン。こちらがどう断っても食い下がる気だろう。

 これでは「リリアーナが何をしたいか」という質問ではなく、「エルシオンに何をさせたいか」という問いかけに主旨がずれている。

 それが知りたいなら最初からそう訊ねれば良いのに、回りくどいことだ。この男が何を考えているのか、どんな目的で話しているのか全くわからない。

 だが、こちらだって意味のわからない問いかけにいつまでも付き合っているほど暇ではない。さっさと無為な問答を終えて休みたい。正直ねむい。

 リリアーナは窓に手を当てたまま腰を伸ばし、真正面から赤い眼を見つめた。


「……だったら、イバニェスで手に入る食材を使って舌が溶けるようなうまい食事を、朝昼デザート夕食と毎日作ることができるか?」


「え、料理?」


「父上に付き従って政務の補佐をしながら屋敷の収支を管理し、務める使用人全てを取りまとめて的確な指示を出すことができるのか?」


「……」


「わたしの髪を梳いて四箇所から編み込み、毛先が見えないようにまとめた上からリボンを結ぶことがお前にできると?」


「専門職かぁ……」


 こちらの言いたいことは理解できたのだろう、エルシオンは参ったという顔をして自分から視線を逸らした。

 わずかな星明りを受ける瞳は、鏡で見慣れた赤色よりも彩度が高い。小さな灯火の、一番明るい部分を思わせる。

 こんな近くで『勇者』の虹彩に刻まれた紋様を観察できたのは、きっと自分が初めてだ。


「わたしが望むのは、そういうことだ。お前の言う「大抵のことができる」は、「力でどうにかなる」という意味だろう。生憎と魔法の腕なら自前で済むし、剣技と防備ならキンケードたちがいる。権力なら父上を頼る。お前の持っているものなど、わたしはひとつも求めていない」


「……参ったな。確かにキミの言う通りだ、オレにはいくらかのコネと、剣と魔法しか取り柄がない」


「わかったのなら問答はこれで終いだ。明日に響くからわたしはもう寝るぞ」


「あ、待って。……ごめん、もういっこだけ、訊きたいことがあったんだ」


 声のトーンを落とした男に引き止められ、離しかけた手をそのままに窓の向こうを見た。

 ひとつの問いに対し、自分もひとつ答えるルール。だが、デスタリオラが死んだ後の魔王城の様子は知りたいと思っていたことだから、その分と思えばあとひとつくらい答えても構わない。

 承諾にうなずくと、エルシオンはほっと白い息を吐き出して顔を近づけてくる。そしてガラス面につけた手の甲に、自らの額を当てた。

 吐き出した呼気で窓が薄く曇り、男の表情が見えなくなる。


「キミは、あの時のことを、……デスタリオラが死んだ時のこと、どれくらい覚えてる?」


「……」


 意外な問いに、すぐには応える声が出てこなかった。

 生前の出来事、死に際のこと、対峙した時のこと。全く覚えていないわけではないけれど、昨日のことのように鮮明に思い出せるものでもない。

 リリアーナとして生まれる前の記憶は、有り体にに言えば「昔のこと」という感触だ。ちゃんと覚えている事柄でも、思い出すのに少しだけ隔たりがある。


 魔王城での戦闘後、自分の死に際は――

 ただ、視界が完全に閉じきるまで、眼前にあるこの男の顔を見ていた。それが最期の記憶。

 交わした言葉は覚えている。自分が何をしたのかも、忘れてはいない。

 怒っているのだろうか、あの時のことを。ただ忌々しいだけだったエルシオンに対し初めて、引け目のような後ろめたさを感じる。


 リリアーナは曖昧に唇を震わせ、表情のうかがえない影をじっと見ていた。


「生前の記憶を有していると言っても、全てを明瞭に覚えているわけじゃない。自分の死に際を覚えていたら、何だというんだ?」


「ん、別に。あんまり覚えてないなら、それでもいいや」


 答えを濁したのは自分の方なのに、肝心なことをはぐらかされたような気がして閉口する。だけど、ここで追及することもできない。

 何とも言いあぐねて言葉を探していると、向かいの男は窓につけていた手を下ろして顔だけを寄せた。


 ガラス越しに、小さな手のひらへ口づけをする。

 ふれてはいないから何の感触もないのに、妙に恭しい動作に驚いて動けなかった。

 そのまま固まっていると、伏せていた目が開かれ、強靭な意思を宿す赤い瞳が至近距離からこちらを見上げる。


「……『魔王』に誓うよ」


「何、を」


「今度は絶対に、キミを死なせはしない」


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