第269話 星明りの下で④
笑っている顔ばかり印象に残る男だが、レオカディオのように笑みの形を作っているのとはまた違う。それが心からの笑いかはともかくとして、エルシオンは笑顔のバリエーションが広いのだと段々わかってきた。
表情筋が柔軟なのか、それとも器用なだけか。色んな顔を浮かべはしても、その内面はさっぱりうかがえない。
これと比べたら、まだ鉄面皮のカミロの方がどんなことを思っているのか想像しやすい。基本的には無表情な男だが、よく話すようになってからは目元や口の端の微細な変化で何となく読み取れるようになってきた。
最近は、ほんの少しだけ笑みも見せるようになったし。大安売りしているこの男と違って何と慎ましやかなことだろう。
窓の外で楽しそうにしている男を眺めながらリリアーナがそんなことを考えていると、また少し笑い方を変えたエルシオンは指を立てて自身をさした。
「それじゃ、次はオレが質問する番だよね」
「ああ、何かあるなら言ってみろ。わたしも答えられることなら答えよう」
どんな質問が来るかはわからないまま鷹揚に返す。
あてもなく四十年かけて探し歩いたと言うくらいだ、その目的が自分との対話にあるなら、何か余程の問いでもあるのだろう。
『魔王』に関する秘密か、それともこの世界の根幹にふれる話か。
生前の身では口にできなかったような事柄でも、もしかしたら、今の『リリアーナ』なら話すことができるのかもしれない。
役割の制約から抜けた今なら――ということは、もしかしたら、この男はそれが狙いでヒトになった自分を探していたのか?
複雑な思いを胸に、身構えてエルシオンからの質問を待つ。
「リリィちゃんはさ、これから何がしたいの?」
「……? ん? どういう意味だ?」
「え、そのままだけど? 平和な領のお嬢サマに生まれて、身分も生活も恵まれてるわけじゃん。それなら、これから好きなコトなんでもできるでしょ。今度は人として生きながら何がしたい?」
リリアーナはあまりにも予想とかけはなれた問いかけに、目を瞬く。
「何がしたいって、……だから、もう『魔王』ではないのだし、ヒトの娘として平穏に暮らしていけたらと、」
「それはリリィちゃんとしての生き方の話じゃん? そうやって平穏に幸せに暮らしながら、これから何をしたいのかってことを訊きたいんだよ」
何がしたいのか。
それはノーアやクストディアに語った、「何のために生きているか」という話とは、また違うのだろうか?
生前は口にできなかった様々なうまい物を食べて、本を読んだり庭を眺めたりして日々を安穏と過ごしながら、優しい家族のためイバニェス家の役に立ちたい。
……それが偽らざる自分の望みだ。
だが、エルシオンからすればそれらも「したいこと」ではなく、「どう生きたいか」に分類されてしまうのかもしれない。
物心ついた頃からヒトとして生きる目的を設定してきたせいで、やりたいことと生き方を混同している……?
「あ、悩ませちゃった? ゴメン、そんな難しい顔しないで、単純にキミの望みを訊いてるだけだからさ」
「望み?」
「そうそう。リリィちゃんが何かやりたいことあるなら、オレもそれを手伝いたいなーって思って」
「何を望んでいようと、お前の助力を得たいとは思わんが」
恩着せがましく妙なことを言い出す男に眉を顰める。自分の生き方だの何だの、深く考えすぎだったかもしれない。
目下、思い浮かぶ中でやりたいことと言えば、テッペイを調整し直してイバニェスの屋敷でも使えるようにしたいとか、中央にあると聞く巨大図書館で存分に本を読んでみたいとか、ノーアを見つけ出して約束していた質問をしたいとか。そういう、エルシオンの力など借りずに成し遂げたいことばかり。わざわざ苦手としているこの男の手など、借りたいとは思わない。
「そんなつれないこと言わないでさぁ。自分で言うのも何だけど、オレ大抵のことならできるよ?」
「お前の力量なら嫌というほど知っている。その上で、助力はいらんと言っているんだ。日々の安寧に『勇者』の力など出番もなかろうに」
「えー、小さな胸に秘めたでっかい野望とかないの?」
「小さいは余計だ! これからどんどん成長して体は大きくなる、お前などすぐに見下ろしてやるからな!」
「ふへへ、オレは大小にこだわらないタイプだから、どっちでも大歓迎だけど~」
なぜか両手の指をわきわきと動かしている男を見て、また背筋のあたりに悪寒が走る。寝間着が厚手だから平気かと思っていたが、やはり少し冷えてきたのかもしれない。
こんな場所で長話をしてまた体調を崩すといけないし、もし侍女が様子を見に来たら言い訳に困る。
何でもいいから適当に望みを言って問答を終え、早くこの男を帰らせなければ。
「もし、リリィちゃんが世界征服をしたいって言うならバッチリ手伝うつもりでいたんだけど、今の生活に満足してるならその手の野望はないかなぁ。じゃあ、イバニェスの領地を拡大するために周辺の領から潰してくとかは、どう?」
「は?」
思考が逸れている間に、何かとんでもないことを言い始めた。
「お前な、冗談は……いや、本気ならもっとたちが悪い。わたしは聖王国に害意はないと言っているだろうが。征服なんてしない、せっかく平穏に暮らしているのに周辺領との関係を悪化させてどうする」
「どうするって……そうだね、確かにてっぺんの首獲って征服なんかしても、統治とか支配とか後々面倒くさいか。住民の恨みを買ってもうるさいし。それならいっそ全部更地にしちゃって、イチから開拓するほうが楽しいかも?」
「いい加減にしろ、どうしてそういう発想になるんだ。そんな無茶な領地拡大は望んでいない」
「リリィちゃん、ほんと優しいねぇ。やっぱ人間に生まれたら、関係ない人間の命も大事になっちゃう?」
そんなことを言ってからかいの色を浮かべて見せる男。その表情と言葉がわざとだと分かっていても、たまらなく腹が立つ。
それは立場が変われば信条も変わるだろうという、
たとえ冗談であっても、……否、冗談なんかでそんな侮辱をされてたまるものか。
どれだけ姿形が変わろうと自分は自分。ヒトの子になったからといって、価値基準までうつろうことはない。
内心の怒りとは裏腹に頭の奥が冷えていく。
「優しさなんて言葉で容易くわたしを計るな。必要あれば殺すことも壊すこともしてきたが、自然物も加工物も、どんな命も、一度たりとて軽々に扱ったことはない。過ぎた冗句は慎め、でなければお前との会話はこれまでだ」
「っ! ごめん! そっか、この辺がダメなラインなのか、覚えたよ、もう言わないから許して」
「許すも何も、お前には最初から期待はしていないから失望もない。……だが、これではっきりわかった。お前とは物の考え方が根本から相容れない。こうして同じ言葉を用いて会話はできても、相互理解は永久に無理だろう」
『勇者』と『魔王』がそういう風にできているのか、それとも単にエルシオン個人が相反した価値基準を持っているだけなのか。わざわざ確かめようとも思えないが、天敵は所詮天敵だったということだ。
完全に興味を失ったリリアーナの視線を受け、エルシオンは狼狽したようにガラスへ両手をつけた。
本気の焦燥が滲む顔は少し珍しい。……前にも、一度だけ見たことがあったかもしれない。
「待って、ごめん、調子に乗りすぎたよ。おしゃべりできるのが嬉しかったもんだから、つい軽口が過ぎた。『魔王』であった頃のキミが周囲の物も命も大事にしてたことは、ちゃんと知ってる。ほんとだよ、あの後しばらくは魔王城で世話になったし、色々と話も聞いた」
「世話に……?」
どういうことだ、と問う前にエルシオンは苦笑いを漏らし、顔を近づけているガラスが呼気に白く曇った。
「戦いが終わった後、オレも、他の奴らもみんなボロボロだったからね。また森を抜けられるくらい回復するまでの間、空いてる部屋を借りてしばらくあそこに滞在したんだよ」
「……うん、あぁ、そうか。そういえば臣下たちにはそんなことを指示してあったな、期待は薄かったけれど」
魔王城での決戦となったあの日。決着がついた後の手出しは禁ずると、皆にはきつく言い置いていた。
『魔王』が討たれれば今代での■■は終わりなのだから、生き残った者に余計な犠牲を生む必要はない。それが『勇者』の側であっても、『魔王』の側であっても。
たとえ敗者として遺恨は残るとしても、自分を尊重してくれるのであれば役目を終えたこと貴び、それぞれの命を繋いでいって欲しいと願った。そのために、自分がいなくなっても安全な生活が持続できるよう、長い時間をかけて技術と設備、それらの維持に必要な知識を残してきたのだ。
「あいつらのことだから、頭に血が上って無為な敵討ちに走るんじゃないかと危惧していたが。そうか、良かった、ちゃんと怪我人の面倒を見てくれたのだな……」
「あー、まぁ、襲ってきたヤツはなけなしの力を振り絞って全部返り討ちにしたけどね。もちろん殺してないよ。そんで双方みんなバテて動けなくなったとこで、お腹空いたし夜も更けたし、じゃあいったんお開きにしよーってことになって」
「……」
リリアーナはそっと指先でこめかみを揉んだ。あまりに想像通りすぎたが、今は殺していないというエルシオンの言葉を信じておこう。
どれだけ言い聞かせても、あいつらならきっとやらかすと思っていた。思っていた。予想通りだから問題ない。
……もう過ぎたことだし。問題はない!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます