第268話 星明りの下で③
こんな場所で、こんな問答をすることになるとは予想外だったが、素をさらけ出してできる情報交換と思えば悪くない。
どうせこちらは『魔王』の記憶を有しているだけの、ただの八歳児だ。普段から大人たちによって情報を遮断されているため、何を問われたところでイバニェス領的に困ることはないだろう。
それならばと、エルシオンが持っている情報の中で一番知りたいことをストレートに訊ねることにする。
「お前は先ほど、デスタリオラとして一度死んだわたしが、再び生まれ直すことを知ったと言ったな? それはどういうことだ、誰から聞いた?」
リリアーナとして生を受けてからずっと疑問に思い、その答えが見つからずにいた謎。
なぜ自分は、死んだはずの『魔王』デスタリオラの記憶を有したまま、ヒトの娘に生まれたのか。
その答えを知っているなら明かして欲しいと真っ先に訊ねれば、エルシオンはあからさまに表情を歪めた。苦いものでも噛んだような顔をして頭を抱える。
「うぅー、やっぱその質問が来る? ゴメン、ほんとーにゴメン! その辺のことはキミに言わないって約束してるんだ。でも、もしキミがどーしてもって言うなら、オレの口が裂けようが腸が飛び出ようがバラしちゃってもいいんだけど……」
「構わん。知らないことと、黙秘を約束していること以外、という条件はさっき聞いた。だから言えないなら別にいい。生まれ直した理由を知らずとも、今のところ特に困ることはないしな」
「リリィちゃん優しい~、惚れ直す~!」
小さく口笛を吹いたりとひとりで騒がしくしている男に向かい、「うるさいぞ」と言って窓ガラスを小突くと、エルシオンはそんな些細なことにも声を上げて喜んだ。
どんな反応を見せても相手を歓ばせるだけなら、もうこの場では一切動かないほうが良いのかもしれない。
一番訊きたいと思ったことが不発に終わったせいもあり、子どもじみた挙動を目の当たりにしているだけで無性にイライラしてくる。
「他に何かない? オレに訊きたいこと、答えられることなら何でもぶっちゃけるからさ!」
「……」
「リリィちゃん?」
「いや、他は特にないな」
「そんなこと言わないでさー、オレのこと知りたくない?」
「興味ない」
エルシオンのことを知る手掛かりとして伝記や歌劇へ期待を寄せていたのは、その生い立ちや道中の記録に何か弱点となるものはないか、それを調べるためだった。
だが対決に一旦の決着を見て、こうして普通に問答をするに至ってはそんな情報も不要だろう。
個人としてのエルシオンには特に興味がない。それを素直に答えると、目の前の男は口を大きく開けて愕然とした。
「そ、そんな……。でも、いや、照れ隠しとかそういう……?」
「隠す必要もなく、お前には興味がない」
「……ッ!」
雷を受けたように全身を震わせ、絶望の表情で固まる。なぜこんなことで泣きそうな顔をするのか理解ができない。
だが問答のルールを設けておいて、一問も交わさぬうちに終わるのもどうかと思う。
何かなかっただろうかとあれこれ考えを巡らせ、そういえば伝記の件があったと思い至った。
「お前、自身の伝記が今では稀覯本となっていることを知っているか?」
「伝記って、アレでしょ、こないだの劇の元になってたやつ」
「それだ。出版直後に差し止めと回収の騒ぎがあったとかで、今は手に入らなくなっている。先日、お前は劇が嘘ばかりだと言っていたが、本もそのせいで回収されたのか?」
過去の『勇者』たちの伝記は、いずれも再出版を繰り返して残されているのに、一番新しいエルシオンの伝記だけが未だ一冊も流通していない。
回収騒ぎの原因についても、自分が知るのは人伝いの憶測だけだ。何かまずい記載があったのなら、その部分だけを修正すれば良いのに。なぜエルシオンの伝記だけが世に出回っていないのだろう。
別に今となってはどうしても知りたいことではないが、当の本人から理由を聞けるならと挙げてみた。すると赤毛の男は、またしても苦い顔をする。
「……何だ、これも言えない話か?」
「ううん、言えるけど。何だかリリィちゃん、ピンポイントにきっついとこばかり突いてくるねぇ、さすがだなぁ」
エルシオンは深々と息を吐き出し、膝についた手に顎をのせる。いかにも不承不承とか、嫌々ながらとか、そんな感じだ。
「あれね、王都に帰ってから城で道中のことをあれこれ聴取されてさ、それを元に書かれたらしいんだけど。店に並ぶ前の本をオーゲンが持ってきて、中身ぱらぱらっと読ませてもらったらさぁ……」
「嘘ばかりだったと?」
「いや、旅の内容は概ね伝えた通りだったんだけど。何か、この方が売れるからみたいな感じで、変な脚色がされてたんだよ」
「脚色?」
それくらいは、ままあることではないだろうか?
旅をした本人の手による自伝でないなら、どうしたって著者の主観や脚色は入ってくる。そう思って首をかしげると、エルシオンは情けなく眉尻を垂れ下げた顔で話を続ける。
「よくある冒険記じゃなく、妙な恋愛モノ風っていうか。道中で出会った女性たちに惚れられて、方々でイチャついて、薄っぺらい台詞吐いて。最後には幼馴染の村娘と、旅の仲間の女官との三角関係? どーいう発想してんだか、冗談じゃないってのほんと勘弁……」
「それは……物語にはそうした流行と需要があるらしいからな。名前を使われている当人には災難でしかないが」
「でっしょー? だから絶対キミの目にも耳にも入らないようにと思って、すぐ回収するよう王様の襟首を締め上げてさ、」
「待て、ちょっと待て!」
リリアーナが開いた手のひらを向けると、エルシオンはぴたりと話を止めた。
数拍の時間をかけて同じところをぐるぐる回っていた思考が、イヤな現実と解答を指し示す。
「まさか、このわたしに見られたくないから、自分の伝記を回収をしたと?」
「そうだよ?」
あっけらかんと返される言葉に、思わず眉間を押さえる。
歴史の教師も、アダルベルトも、クストディアも、そして自分も。皆がその内容に興味を持ち、いつか読みたいと思いながら手に入れることは叶わなかった『勇者』エルシオンの伝記。
まさか、自分が原因で回収されていたなんて……。
いや、自分は一切、全く、何も悪くないから、全部この男のせいなのだが。
クストディアが回収の理由を知ったら、眦をつり上げてキイキイと怒り散らすことだろう。生前のことが絡むため話すつもりはないけれど、何だか申し訳ないような気すらしてくる。
「はぁ……、まさかそんな理由で稀覯本になっていたとは。その程度の真偽が混ざった内容、わたしが読んだところでどうなるわけでもあるまい」
「なる、なるよ! 真偽って言うけど偽しかないから、全然遊んでる暇なかったし、あんな見境なく方々に手を出して種まいて泣かせるようなこと絶対してないからね、不誠実な男だとかキミに誤解されたらオレ泣いちゃうよ?」
「わ、わかった、わかったから落ち着け」
身を後ろに引きながら、鼻息も荒く顔を近づけてくる男を何とか宥める。間に窓がなければ、確実にこちらへ手を伸ばしてまた吹き飛ばされていただろう。
がっくりと肩を落としたエルシオンはまだ何かぶつぶつ言っているが、それで気は済んだのか、口先を尖らせながら今度はしょぼくれた顔を向けてきた。
「たまに見つけては摘発してたから、もうほとんど残ってないと思うけど。絶対、あの本、読まないでよね?」
「勝手に回収の原因にされていることは腑に落ちないのだが……まぁ、本人がそこまで言うなら、どこかで手にする機会があったとしても中身を読まないと約束しよう」
「うん、ありがと」
エルシオンは安堵の息をつき、頬を緩める。
自分だって、もし『魔王』デスタリオラの残虐非道な行いを記した偽りの伝記なんてものがあったら、あまり家族の目にはふれさせたくないと思う。歴史の授業を聞く限りでは、それなりに捏造の記録が残されているようだが。
――『魔王』は聖王国の、全てのヒト種の敵なのだから、そうした偽りの情報を流布されるのは仕方ないと理解はしていても。大切な相手に誤解されたり、嫌われたりするのは、つらい。
「ふむ。……まぁ、回収の理由と原因についてはわかった。だがお前とて『勇者』だったのだから、伝記のひとつくらい残しておくべきだろう。偽りや過度な脚色部分を直した、ええと……本人監修版のようなものを出版し直してはどうだ?」
「それ出したら、リリィちゃん読みたい?」
「えー」
「読みたい?」
「あぁ、わかったわかった。本の体裁をしていれば大抵は楽しめるから、新たに出版されたら読んでやってもいい」
剣幕に押される形で応じると、曇っていたエルシオンの表情が一気に晴れた。あまりに単純すぎはしないか。
「じゃあ、今度あっちに行く用があったらオーゲンに言ってみる。王様とか祭祀長はもう代替わりしたみたいだけど、たぶん何とかなるんじゃないかな?」
「そのオーゲンというのは、お前の身元保証人だったか」
「うん、オレと一緒に旅してた剣士のオッサンだよ。もしかして知らなかった?」
キヴィランタにも『勇者』の一行について多少の情報は届いていたが、あまり詳細なことまで記憶にない。『魔王』である自分の元まで辿り着き、対決をするのは『勇者』だけだと、他の同行者を侮っていたせいもある。
あのベチヂゴの森を潜り抜け、剛腕巣喰う魔王城からも生還を果たした英傑だ。剣士オーゲン、その名はちゃんと覚えておこう。
「大魔法師と名高いペッレウゴのことはともかく、他の者については名も知らなかった。そうか、お前の仲間もまだ生きていたのだな……」
「オレと違って、もう白髪だらけの爺さんになっちゃったけどねー」
そう言って歯を見せながら、あの頃と何も変わらない顔でエルシオンは軽快に笑った。
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