第267話 星明りの下で②


 夜更けに突然現れた男は悪びれた様子もなく、窓の外に座り込んだまま機嫌良さそうに笑っている。望み通りここで相手をしてやらなければ、何を言っても諦めそうになかった。

 ヒトを呼ぶ、無視をしてカーテンを閉める、もしくは隙をついて魔法で拘束する。……それらを選んだ後のリスクを考えれば、ひとまず対話に応じて様子を見るのが一番妥当に思えた。

 リリアーナは受け取った極楽鳥の羽毛入りクッションを床に置き、その上に腰を下ろす。クッションに乗っていてもなお座高には差があり、見上げる形になるのがちょっと癪だ。


「それで、何なんだ話というのは。こんな夜遅くにお前と雑談に興じるほど、わたしは暇ではない。つまらない用件ならカーテンを閉めて寝るぞ」


「八歳だもんなぁ、たくさん寝ないといけない時期かぁ。夜更かしさせちゃってゴメンね。あ、添い寝する? さわらないから、何もしないから、大丈夫、ほんとほんと!」


 うんざりしながらカーテンに手を伸ばすと、エルシオンは「冗談、冗談だって!」と慌てたように両手を振って見せる。


「そんなつまらない冗談を言うために、何度も追ってきたのか?」


「街での誤解はともかく、こないだは『デスタリオラ』の手掛かりだって思ったから、知ってることを教えて欲しくて。いやぁ、まさか手掛かりどころか、本人がこんな小さい女の子になってるなんて思いもしないよ。怖い思いさせちゃってゴメンね?」


 言葉も身振り手振りもその表情も、全てがふざけているようにしか見えなかった。

 言っていることの全部が嘘でないとしても、虚実の境がわからない以上、鵜呑みにはできない。

 ただ、相手は窓の外から近寄らず、今のところ不審な構成も纏っていない。それを誠意と受け取って良いのかは悩むところだが、ふたりきりで話すためと言って余所へ連れ出されるよりはマシだ。人目につかない時間を選んだのは虜囚である自身のためであり、こちらの立場を慮ったゆえだろう。

 対等に、何にも邪魔をされず対話をするための条件は揃っている。


 ……そうまでして話したいことがあると言うなら、聞くくらいは良いか。

 何も言わないこちらを見て、会話に応じる姿勢と受け取ったのだろう。窓の向こうの男は目元を緩めながら再び口を開いた。


「長かったなぁ。あの戦いの後、色々あって……キミがまたどこかに生まれ直すはずだと知ってさ。それからはずっとキミを探してた。何十年も方々さまよって、旅をして、探してた。どうしても、もう一度会いたかったから。ほんとに長い間、大陸中を探し歩いたよ……」


「なぜそこまでして。ヒトとなったわたしを殺すためか?」


「まっ」


 ゴッッ


 勢いよく顔を突き出した男が、額をガラスに打ち付けた。鈍い音がしただけで、窓は割れずに済んで良かった。

 ぶつけた当人は顔を押さえたまま俯いている。どうやら鼻も打ったらしい。


「……まさか。そんな風に思われてたのか、いや、仕方ないかもだけど。違うよ、オレは……、さっきも言ったけど、ただキミと、話がしたかったんだ。ずっと。一緒に、色んなおしゃべりがしたかった」


 途切れ途切れに話す少し鼻声になった男を、じっと見ていた。

 アルトなら、体温や鼓動の変化によって嘘かどうかを判別することができるかもしれない。

 少なくとも、聞いている限りは本心の吐露のように思える。そう思えるのに、やはり今までのことがあるせいだろうか、告げられた言葉の全てを信じるのは難しかった。

 この頑固な疑心が、怯えに根ざしていることは自覚している。この男が怖いから、信じられない。

 ……そんな狭量さに自分でも嫌気がさしてくる。

 ガラス越しに悟られないよう一息ついて、気持ちを切り替えた。


「ひとまず、わたしと話がしたいという点は理解した。……先日も言った通り、もうわたしは『魔王』ではなく、聖王国への害意も持っていない。ただのヒトとして生き、定命を全うすることを望んでいる。その生活を決して邪魔しないと約束できるなら、会話くらいは応じよう」


「や、……やった! ありがと!」


 片手で鼻を押さえたままの男は、たったそれだけのことで相好を崩して喜ぶ。

 どうやら本当に、こちらに危害を加えるつもりはないようだ。それが確かめられたことで、ぞわぞわと背筋を這っていた悪寒がいくらか治まったような気がした。

 窓辺の寒さのせいなのか、不倶戴天の敵が目の前にいるゆえの悪寒なのか。寝間着の下で粟立つ腕をそっと撫でる。


「リリィちゃん、もしかして寒い? 上着も出そうか?」


「不要だ。お前と話をしていると、いつも首や背中のあたりに悪寒がまとわりついて気持ち悪い」


「えー、気持ち悪いだなんんてヒドいな~、へへへ」


「……なぜ嬉しそうなんだ」


「何とも思われないよりはいいかなって。オレが特別で、会話も刺激的ってことでしょ?」


 あまりの前向きさに言葉も出ない。

 天敵だとか危険な相手だとかいう理由を除いても、ゆるんだ顔や言動だけで十分気持ち悪いのだが……。

 今すぐカーテンを閉め、全部なかったことにして寝直したいなと思い始めるリリアーナをよそに、エルシオンは胡坐をかいて座ったまま体を左右に揺らした。


「あ、それで話は戻るんだけどー。リリィちゃんが『魔王』でない以上、オレとしても敵対する理由なんてないわけだし。もちろんリリィちゃんを傷つけるとか、今の平和そうな生活を壊すだとか、そーいう嫌なことをするつもりもないよ。安心して?」


「その言葉だけで安心できれば良いのだがな」


「んー、証拠とか差し出せって言われても困るけど。あ、聖剣いる?」


「いらん!」


「じゃあ、右腕また切って渡そうか?」


「いらん!」


 何てものを差し出そうとするのかと顔を顰めれば、その返答がわかっていたようにエルシオンはからからと笑う。

 だが、笑うだけで今度は「冗談だ」とは言わない。おそらくこちらが要求すれば、どちらでも差し出すつもりでいただろうことが伝わってきて薄ら寒い。


「わたしと周囲に妙な手出しをしないと誓えるなら、何もいらない。お前に望むことなど何もない」


「もちろん誓うよ。この命にかけて!」


 揺らしていた体を止め、少しばかり真顔になった男はそう宣言してからすぐに首をかしげた。


「……いや、命とか軽々しく言うから信用度低いのかなぁ。この名に誓って? 天と地にかけて? それも違うか。今はフリーで国とかどうでもいいし、精霊なんてもっとどうでもいいし。オレの信奉するものって言ったら……『魔王』に誓って、とか?」


「それが『勇者』の台詞か?」


「元だよ、元。もうやめちゃった」


 あっさり言い切る男を前に、唖然とする。

 生きている意味にも等しい生得の役割を、そう簡単に自分から辞められるものなのだろうか?


「一応義理は通しておこうと思って、王様にもちゃんと言いに行ったしー。後からぐちぐち言われるの嫌で支度金は耳揃えてきっちり返したしー。やることやったんだから、外野に文句は言わせないよ」


「まぁ確かに、役目は終えたから、お前自身がそれで良いなら、良いのか……?」


 あまりにも自信満々に言われるものだから、わからなくなってくる。

 事実として『魔王』デスタリオラは斃され、『勇者』エルシオンの勝利が華々しく歴史に刻まれた。最も新しい伝説が誕生してすでに四十年。きちんと役目を終えたのだから、本人が『勇者』の名を返上したと言うならそれも良いのかもしれない。


「……わたしとて、『魔王』を倒した後のお前は、役目を終え、どこかで平穏に余生を過ごしているのだろうと思っていた」


「余生って感じでもなかったけどね」


「そういえば、なぜまだ若いままなのだ? 魔王城で戦った時とほとんど外見が変わらないように見えるが」


 望まぬ再会を果たした時から気になっていたことを訊ねれば、男は「んー」と唸りながら首を左右へ傾ける。


「それね。オレも旅して十年ちょっとした頃に気づいたんだよ、何かもっとこう、ワイルドでイケてるダンディになるつもりだったのに、髭も生えてこないしさ。おかしいなって思ってはいたんだよね、何でだろ?」


「何でだろって……」


「ゴメン、ほんとわかんない。知らないことと、言っちゃダメって約束してること以外なら何でも答えるんだけど。もっと他に何か、オレに訊きたいことない?」


 こんな他愛ない問答も対話も楽しくてしかたないという様子で、エルシオンは落ち着きなく体を揺らす。その言葉通り、きっと何を訊ねても答えられることなら何でも答えるのだろう。

 せがむように笑いかけてくる男に対し、問いの代わりに前置く。


「ひとつ質問に答えたら、相手の質問にもひとつ答える。……ということで良いな?」


「ん? うん、オレは別に構わないよ。リリィちゃんに訊いてみたいこともあったし」


 かつてノーアとやり取りをした時の、公平を期すための問答ルール。それを持ち出すと、エルシオンはすんなりうなずいて見せた。

 自分ばかり訊ねたいことを矢継ぎ早に問うのも何だし、対話に応えるという要望を飲んだからといって、話の優位性を譲られるのも落ち着かない。

 ひとつの問いに対し、ひとつの答え。それならフェアに話せるだろう。

 エルシオンの承諾に対し、リリアーナもうなずきを返した。


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