第263話 うららかな朝の訪れ①


 厚手のカーテンの外側にかけられている、レースつきの白い薄布が陽光を透かす。

 冬の季らしからぬ暖かな日だが、少し風が出てきたとのことで窓は朝食後すぐに閉められてしまった。

 小春日和とも言える過ごしやすい朝。せっかくなら庭に出て日光浴がてら散歩でもしたいところだけれど、今はそうもいかない。

 明るい窓の外をうらめしげに眺めながら、寝間着のリリアーナはベッドの上で広げた足の間に上半身を伏せた。

 そのまま二十を数えて、右足首を掴みながら体を右側に倒しもう一度十数える。その次は左足。脇と腿の筋肉が十分に伸びているのを感じながら、ゆっくりと仰向けになる。

 血流が行き渡り、体が内側から温かくなっていくのが心地よい。


<リリアーナ様、あまり息が上がるような鍛錬はお控えください>


「わかっている。また熱を出して動けなくなるのは勘弁だからな。この程度は鍛錬ではなく、筋の柔軟性を維持するための運動に過ぎない」


 サイドテーブルの籠に入ったアルトへそう返しながらも、本当は少し負荷を強くしていることは、体温の上昇や呼吸の変化から筒抜けだろう。

 度が過ぎればさすがに止められるし、先の騒動で災難に見舞われたアルトを労わりたい気持ちもある。リリアーナは深く息を吐きながら、ベッドの天蓋に向かって指先を組んだ両手を伸ばした。



 『勇者』エルシオンとの望まぬ再遭遇から、早八日。あの騒ぎのあと、湯浴みや着替えをする前に意識を失ってしまい、そのまま高熱を出して三日も寝込んでいたらしい。

 喉の渇きをおぼえて目を覚ました時には、すぐ横で顔面をぐちゃぐちゃにしたフェリバが号泣していた。それからすぐにファラムンドやレオカディオも駆けつけ、自分の無事を喜んでくれたのだが、捕らえたエルシオンがどうなったかという問いははぐらかされてしまった。

 体を拭いてスープだけの食事をとり、少し落ち着いてから医師の診察を受けた時には、もうすっかり発熱は治まって健康そのもの。……と訴えてみても当然通るはずはなく、念のためあと数日は安静にという診断が下され今に至る。


 すでに熱は下がって気怠さもないのに、日がな一日ベッドで過ごすのは退屈で仕方がない。

 あんまり長く寝て過ごすと体中が鈍ってしまいそうだ。自身の体力のなさを痛感したばかりだから、できるだけ体を動かして筋力を鍛えておきたいのに。

 庭へ出て散歩をするどころか、未だ部屋の外へ出る許可も得られない。これだけはと訴え、日課としている軽い柔軟体操のみ何とか目こぼししてもらっている状態だった。

 窮屈ではあるが、確かに体力と精神力を磨耗した直後であり、しばらくは安静にしていないとまた体調を崩しかねない。

 それに、自分のせいで周囲の皆へ迷惑と多大な心配をかけてしまったことは自覚している。

 その反省もあり、当面は大人たちの言うことを素直に聞いて静養する以外、リリアーナに選択肢はなかった。



 仰向けになったまま両膝を軽く曲げ、上体をひねりながら持ち上げて腹筋への負荷を左右十回ずつ。それが終わったら今度はひねらずに真っ直ぐ十回。仰向けに体を戻す途中で止めて、さらに十数える。

 ゆっくりと力を抜いて、腹膜を意識した深呼吸をする。

 そうしてベッドの上での運動をこなしていると、寝室の扉がノックされた。


「リリアーナ様、クストディアお嬢様がお見えですよー」


「ああ、また来たか。通していいぞ」


「また来たか、とは随分なご挨拶ね」


 リリアーナが応えるなり、扉を開けたフェリバの横からクストディアが姿を現した。入室の許可をちゃんと待たずに入ってくるのも三度目となれば、何も言う気は起きない。


「これでも歓迎しているつもりだ、そこに座れ、何なら茶菓子でも用意させるか?」


「結構よ。病人にもてなしを催促するほど落ちぶれちゃいないわ」


 深緑のドレスに身を包んだ令嬢はそう言って鼻を鳴らし、ベッド脇に置かれた安楽椅子へ腰を下ろした。その後ろにはいつも通りシャムサレムもついてきて、背中側に手を組んだ格好で直立する。

 本来は令嬢の寝室へ男を入れるだなんてもっての外、ということらしいのだが、なるべくお付きの侍女を同室させることで今だけ黙認してもらっていた。


 熱が下がり面会許可が出てからというもの、クストディアは毎日のようにリリアーナの部屋へ顔を見せている。長く自室に籠もりきりでいたそうだから、きっかけは何であれ部屋の外へ出るようになったのは良い傾向だ。

 少女は今日も何か手土産を持参したらしく、見慣れない木箱を抱えたフェリバが「それじゃ、用意してきますねー」と言い残し寝室を出て行った。


「このみすぼらしいぬいぐるみ、まだこのままだったの?」


「ああ。なくなった角が片方、見つからなくてな」


 自ら手配し設置させた椅子でくつろぐクストディアは、足を組みながら籠の中のアルトを一瞥する。

 最初にここへ訪れた時、生きたネズミと勘違いしてものすごい悲鳴を上げていたから、そばに置いてあるだけでも不快なのかもしれない。だが壊れたぬいぐるみだと分かってからは特に何も言ってこないので、構わずそのまま置いてある。


 採掘場跡へ向かう途中で落としたポシェットとアルトは、目を覚ます前にキンケードが回収してきてくれた。肩紐が切れてしまったポシェットは街の工房へ頼んで修理中だ。

 ただ、アルトの方はそうもいかない。どうやら雑木林の中で野鳥につつき回されたらしく、片目のボタンと左の角がなくなってしまった。中に詰めた宝玉が無事なのは幸いだったが、同じ素材が見つかるまで失った部位の修繕はお預けとなっている。

 何度かキンケードが探しに行ってくれているものの、あの広い林の中で見つけ出すよりは、同じ生地とボタンを取り寄せる方が現実的だ。

 ファラムンドは別のぬいぐるみをプレゼントしようと言ってくれたけれど、ずっと持ち歩いて愛着も湧いているし、できればこのボアーグルのぬいぐるみを直してやりたいと思う。


「父上が購入した店に問い合わせてくれているから、そのうち何とかなるだろう。それより、今日は本を持って来ていないのか?」


「私が来ることより、そっちが目当てなのはわかるけど、あからさま過ぎるわよアンタ」


「いや、話し相手になりに来てくれるのは嬉しいと思っているさ。部屋に籠りきりはどうにも退屈で……。お前はよく長い間引き籠っていられたものだなぁ」


「何のあてつけよ。ほんとに隅から隅まで失礼な子ね、ぬいぐるみの前にその口を縫い付けたらどうなの?」


 相変わらずなクストディアの言い様に、思わず笑いが漏れる。別に小馬鹿にしたつもりはないのに、それを見た少女は渋面を浮かべ、いかにも嫌そうに口元を歪めた。


「たまに出すその顔の使い方を、理解してからが怖いわね。次兄みたいにならなければ良いけれど」


「レオ兄が何だと?」


「別に? もしあんなろくでなしに似るようなら害悪でしかないから、年頃になったらサーレンバー領への出入りを禁止してやるわ」


 何のことかと訊ねても、クストディアは唇を尖らせて窓の方を向いてしまう。

 頑固な少女のことだから、これ以上追及したところで何も出てこないだろう。相変わらずレオカディオとは仲が良いのか悪いのか、いまいち分からない。

 きっとクストディアも、カミロの言うところの「難しいお年頃」というやつなのだろう。


「そういえば、わたしが起きるより少し前に、レオ兄の方で何か騒ぎがあったらしいのだが。お前は聞いているか?」


「何かって、……あぁ、あれね……」


 クストディアは顔をこちらへ戻したものの、今度は何とも言い難い微妙な表情になる。その脳裏に一体何を思い出しているのか、視線をリリアーナの頭より少し上に逸らしたまま細い息をつく。


 エルシオンによる騒動の翌日、歌劇団による初公演の日にどうやら一悶着あったらしい。屋敷の外の出来事はあまり情報が入ってこないし、それとなくカステルヘルミやフェリバに訊ねても曖昧な笑みを浮かべるだけで、詳しいことは何も教えてもらえなかった。

 もし口止めでもされているなら無理に聞き出すことはためらわれる。そう思って見舞いに来たレオカディオに同じことを訊いたら、「寝こけていたリリアーナが悪い」と言われてしまい、ぐうの音も出ない。

 別に好き好んで寝ていたわけではないのに……と、いじけ混じりにぼやいてみても、次兄に通じるはずはなく、適当に話を逸らされたっきりそのままだ。


「あれはもう終わったことだから、放っておけばいいじゃないの。私だって詳しい事情は知らないわよ。何か面白そうなこと企んでるみたいだったから、アンタのとこの次男に古いドレスを二着くれてやったけど」


「レオ兄にドレスを? 何に使ったんだ?」


「さぁ? 教えてもらえないってことは、聞いたところでどうしようもない話ってことよ。諦めなさい」


 そう言って酷薄に笑う様を見る限り、クストディアはおおよその事情を知っているのではないだろうか。だが、この口振りではどう訊ねたところで話してくれそうにない。

 誰に訊いても教えてもらえず、追及することが迷惑になるなら、言われた通り諦めるべきだろう。

 自分が子どもだからと情報の開示に制限があるのは、今に始まった話ではないし仕方ないと理解している。それでも、知りたがりのリリアーナとしては正直、言えない事柄ならもうちょっと上手く隠してほしいものだなぁと思わなくもない。


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