第262話 間章・はしる魔王さまは約束を守りたい⑧
体をさらに大きくして背の面積を増したセトに乗り込み、麓の針葉樹林を一気に飛び越える。
初めて空を飛ぶ鉄鬼族たちは、十名ばかりが玉のように固まって身を縮こまらせているが、銀加と黒鐘だけは興味深げに眼下の林や遠くの風景を眺めていた。
埋葬のための穴を掘るのは簡単でも、方々へ散っていた者たちの死体を全て探し出し、住処の岩場まで運ぶのは思いの他時間がかかってしまった。闇に包まれていた空はとうに明るみ、地平の向こうから寝起きの太陽が頭を出している。
夜明けは特に気に入っている色だが、見事なグラデーションを描く空を眺めても、なぜかいつものような感慨は沸かなかった。
翼竜の飛行に重量はあまり影響しないため、これだけの大人数が乗っていても不安定さや揺れは全く感じない。次第に明るくなる空を眺めるのも束の間、深く広がる林をすぐに抜けてしまう。
やがて五角形の岩が見えてくるとセトは高度を下げ、手を振っているアリアから少し離れた場所へ柔らかに着陸した。
砂煙もたてずに降りたその足元へ、少女が跳ねるようにして駆けてくる。
「遅かったから心配したじゃない! まぁ、あんたなら相手が何でも大丈夫だろうけど。連れてきたのはそれだけ?」
「ああ。埋葬をしていたから、遅くなった」
「……そう」
短くそれだけを答えたアリアは踵を返し、岩陰まで鉄鬼族の子どもらを呼びに行った。
黒鐘がセトの背から降りると、そちらの方にわらわらと子どもたちが駆け寄る。水を飲んでしばらく休んだためか、こちらも発見した時よりはいくらか気力を取り戻したようだ。
事情の説明などは黒鐘や銀加から行うだろう。合流を果たした鉄鬼族の生き残りたちを横目に、元の大きさに戻ったセトの首元を撫でた。
「ご苦労だったな。城に寄っただけなのに、運搬役ばかりさせてしまってすまない」
『構いませんよ、あなたのためなら、何だってしますとも』
セトは念話で応えながら、首をわずかにもたげて鉄鬼族たちに目を向ける。
『でも、あれを一度に城へ運ぶのは、少し難しいかも、しれませんね』
「なんでよ、でっかくなれるなら全部乗せちゃえばいいじゃない?」
背後から寄ってきたアリアが顔を突き出し、そんな無茶を言う。
『大きくなるだけなら、問題はないのですけど。それで飛ぶとなると、ちょっと中身が、ぼやけちゃうんですよね』
「ぼやけ……?」
翼竜の体についてあまり詳しく知らないのだろう。デスタリオラは何か使えるものはないかと辺りを見回しながら、横で首をかしげているアリアに補足をしてやる。
「我々のように生まれた時から固定の肉体を持つ生物とは違い、翼竜は本来、決まった形を持たない。その姿も、手足……翼を動かすのも、飛行も全てを魔法で制御しているんだ」
「え、そうだったんだ、知らなかった。でもそれなら、もっと大きくなって飛ぶのも平気なんじゃない? なんでダメなの?」
「体が大きくなればそれだけ負荷も増す。自重を保つだけでも相当な力を要するだろう。セトのように内臓までしっかり作り込んでいるなら尚更だな」
『ええ。あんまり力を分散させて、ボヤけちゃうと、空気に混じって溶けて、そこらの精霊みたいに、なってしまうの。そうなったら、もう戻れないから、注意しないと』
その話はデスタリオラにとっても初耳だった。「へぇー」と素直に声を上げて驚くアリアと並び、そうだったのかと興味深く聞いていた。
「さっきの大きさまでは平気なら、あの子たちを半分に分けて往復するとか?」
「ここへ残す半数はどうするのだ。食糧もないのに、お前が残って番をするのか? セトだって疲労している中、さらに往復させることになる」
「あ、そうね……じゃあどうするの?」
もう代案は思いついている。そのために利用できそうなものはないかと周辺を見回していたが、林の手前の荒野には所々に岩が突き出ている以外、他に何もない。
「セト、盆のようなものに彼らを載せ、我が軽量化と風避けを施したら、まとめて運ぶことはできるか?」
『ええ、掴まる所さえあれば、たぶん大丈夫ですよ』
「ではそれで行くか」
ちょうど城の外壁補修で使っていたロープを預ったままだ。蔦を編んだ丈夫なものが二本、それを
一体何をしているのかという好奇心混じりの視線を複数、背中にちくちくと感じながら、デスタリオラは巨岩の向こう側へ回って強化した縄を十字に重ねて置く。
「お前たち、危ないからそこを動くなよ。欠片が落ちるかもしれんから、アリアもその岩陰に入っておけ」
鉄鬼族らに注意を促しながらまた反対側へ戻り、再び
伸ばした右手に掴む、長い柄。
用のないとき以外は決して呼び出すなと口うるさく言われているが、今こそその力が必要な時だ。
引き出しを念じ、虚空より瞬時に現れたのは、黒光りする巨大な刃。
取り出すやいなや、頭の中に思念の声が浮かぶ。
<なに、呼んだ? 誰をぶった斬るの、今度こそ骨のある奴なんでしょうね?>
「骨はないが、硬いことは保証する」
響いてくる念話に応え、湾曲する刃先で五角形の巨岩を指し示す。
「あれの上を水平に切り取る。魔法よりもお前を使ったほうが確かそうだ、力を貸してくれるか?」
<ふふん、私の切れ味は知っているでしょう? あんなデカいだけの石っころ、わけもないわね!>
「ああ、お前は我の知る刃物の中で、他の何より良く斬れる。そのために造られた一点特化の在り様はじつに潔い。どんな大質量でもお前なら容易く両断できるだろう」
<そっ、そうよ、よくわかってるじゃない。でも、勘違いしないでよねっ、ちょっと褒められたくらいで私がその気になるとか、甘いこと考えるんじゃないわよ。とっておきの特別製なんだから、この私を振るえることを光栄に思いなさい!>
「そうだな。お前を造り出した
<……ふん、殊勝な心がけね。いいわ、特別に私が力を貸してあげる、せいぜい感謝することね!>
居丈高な宣言とともに、刃と柄の境に嵌められた金の宝玉が淡い輝きを放つ。
自分が魔法で付与できる斬撃強化よりもずっと強力な構成が込められた漆黒の刃は、それを振るう者が斬りたいと思う対象を、素材も硬さも度外視で全て斬り裂く。思考中枢である宝玉が構成の制御も行っているのだろう。
切る以外の用途は始めから与えられていない、切断のために生まれた道具。
それは巨大な、両刃の黒鎌――固有名称を『ダンテマルドゥクの鎌』という。
剣も槍も、どんな武具でも一通り揃っている『魔王』の
少し前に強靭な種族とやり合った際に使用して以来、久しく握ることのなかった己の得物。その硬質な柄の感触を手に、デスタリオラは自身に【
眺める岩の横幅と推定質量から、持ち上げても割れない程度の厚みを目測で割り出す。
目標を見定め、その意思が黒い刃へと伝わる。
最大級の斬撃強化が発動、鈍く光るその鎌を右側へ水平に構え、思い切り横薙ぎに振るった。
ビィィィィ ン……!
分子の断裂に大気が震える。
刃先がふれたのは巨岩のほんの表面に過ぎないが、それを斬る対象として設定されている以上、接触面積は関係ない。斬られた岩肌から先、反対側の終端まで切断の効果は及ぶ。
上側五分の一ほどを切り離された巨岩。そこへ重力緩和をかけながら、片足で下から蹴り飛ばした。
五角形の岩の上がふたを開けるようにして、ばかりと反対側へ落下する。
緩和された重力に引かれ、目測違わず落ちたのは十字に設置した縄の上だ。鈍い落下音とともに煙と見紛うほどの砂埃が舞い上がった。
「よし、上手くいったな」
上から眺めた上々の出来栄えに満足し、ダンテマルドゥクに礼を言って
もう出ても大丈夫だと伝えると、外に出てきた鉄鬼族らが盆のような形で落ちている岩を見て足を止めていた。人数はアリアと自分を入れて二十五名。あの大きさなら十分、全員が乗れるはずだ。
「さて、腹を空かせている者もいるだろう、早いところ城へ向かおう。ちょうど真上で縄を縛れば、岩を吊して行けるはずだ。乗り込む岩と鉄鬼族は我が浮かせるから、セトは縄を掴んで飛んでもらえるか?」
『了解です、まっかせてください。やっぱり、魔王様は素敵だわ!』
巨きな翼竜の姿のまま、すぐ横まで歩いてきたセトが顔をすり寄せてくる。
古びた服が硬い鱗にざりざり削られているのが気になるものの、労いを兼ねた接触ならばと拒否はせず受け入れた。自分でなければ肌まで擦りおろされているところだ。
そのまま黒鐘に向かって全員をその岩の皿へ乗せるよう伝えていると、少し離れたところに立ったアリアが妙な表情でこちらを見ながら、預けていたアルトバンデゥスの杖を地面へ突き立てた。
「デスタリオラ、あんたね。いっつも私たちのこと脳筋扱いするけど、その筆頭が自分だってこと、そろそろ自覚するべきだと思うわ……」
<黙秘:ノーコメントでございます>
「……?」
意味が分からず首をかしげると、顔を寄せていたセトの鱗で横側の髪が切断され、ぱらりと地面に落ちた。
肩口で不自然に切れた黒髪、それを目にしたアリアの顔がさらにおかしなものになる。
予感がして自分の両耳を塞ぐと同時に、天まで突き刺さるような悲鳴が早朝の荒野へ響き渡った。
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