第261話 間章・はしる魔王さまは約束を守りたい⑦


 崖下の水音と梟の鳴き声。すっかり日の落ちた岩場にはそれくらいしか音がなく、静かなものだった。

 つい先ほどまでは激しく打ち合う打撃音や砂利を踏みしめる音が響いていたのだが、それももう終わった。中途半端に欠けた月がずいぶん高くまで移動している。

 怪我を癒し、病巣も取り除いた黒鐘に敵うような相手は誰もいない。それでも老爺は決着を急ぐことなく、ひとりずつ力と力をぶつけて仕合っていたため、思ったよりは時間を要した。


 つい今しがた仰向けに倒れ込んだ男はびくともしないが、まだ息はある。他に四名が先に意識を取り戻し、息絶えた三名の遺体と共に端のほうで戦いの結末を見守っていた。

 あの妙に血気盛んな巨躯の若者を失ってから、村から来た鉄鬼族の集団は見るからに意気をなくした。どうやら彼がこの一件の統率者だったようだ。とはいえ、それぞれが腕を血色に染めている以上、やったことは同じ。


「これで全員が地に背中をつけたな。もう終わりということで構わんか?」


「あぁ、文句はね、俺たじの完敗だ。黒鐘のずっちゃさえ潰せば後は何んぼサなるど思てたが、甘がたの。殺すだば何だば好きサしてぐれ、抵抗はすね」


 脱臼した肩を押さえている若者がそう告げると、他の生き残りも観念したようにうなだれた。

 最初の威勢はどこへやら。実力差を見せつけられたことが堪えたのか、それとも敗者としての立場を甘んじて受け入れることも掟の内なのか。

 部外者であるデスタリオラに裁決を下す権利はなく、黙って視線を黒鐘へと送る。


「……村さ、帰れ。もう儂きゃに構うな。うぢの馬鹿せがれサそそのかされたのがもしれんが、子らば殺まなぐたごどは許せね。村さ帰って、えば守って真っ当さ生きろ」


 かつて集落を治めた元長の言葉に、鉄鬼族の若者たちは両手の拳を固めて地面につけ、深く首を垂れた。






 負傷を癒し、川縁で水分や食事を摂取させると、黒鐘が背に守っていた者たちは意外なほどの回復を見せた。元々崖沿いの岩場を三日間も逃げ延びるだけの体力はあったのだ。集落内での弱者といえど、さすがは鉄鬼族ということか。

 先に若者たちを帰した道を、全員が思いの外ハイペースで駆け戻る。

 岩を越え木々の間を抜ける、小柄な鉄鬼族たち。体は動いてもやはりその表情は一様に暗い。時折、互いに手を貸しながら荒れた岩場を往く彼らのしんがりを務めながら、デスタリオラは黙ってその様子を見ていた。


 住処としていた岩場の近くまで来ると、さすがに息が切れたようでひとりが足元をふらつかせた。窪みに足を取られ、転びそうになるところを腕を掴んで引き上げる。

 驚いたような顔を向けてくるのは、巨躯の男に睨まれていた黄色い髪の青年だった。


「どうも、すまねだ……」


「お前たちも黒鐘も、そろそろ休息が必要だろう。住処の中は休める状態ではないから、野営場所を作る必要があるな」


 自分の足で立ったのを確認し、支えていた手を離すと、青年は口を何度か開閉してから首を振った。

 住処に生き残りがいないということで、状況は想像がつくのだろう。何か思うところも言いたいこともあるのかもしれない。だが、そういった青年の心情を慮るような言葉は何も思いつかなかった。

 ふと視線を上げると、先に到着していた者たちも所在なげに立ち、デスタリオラを見ていた。中にはすすり泣く者や、落ちている死骸を胸に抱く者もいる。

 もう一度ふさわしい言葉を探し、視線をさまよわせていると、住処の暗がりから黒鐘が出てきた。暗澹たる空気を纏いながらも、深いしわの刻まれた顔からは表情を読むことはできない。


「……弔ってやらねばならね」


「あぁ、そうだな。我がここに来る途中で見かけた骸の場所は、覚えている。せめて埋葬くらいは手伝おう。方法は、土葬か?」


 そう訊ねると、黒鐘と黄色髪の青年が同時にうなずいた。

 穴を掘って埋めるだけならそう手はかからない。特に作法に取り決めがないのなら、自分が魔法で穴を作ればすぐに済む。……そう思ったが、言葉にするのはやめておいた。埋葬するための場所と、必要な深さを聞き出せば十分だ。


「……僕ら鉄鬼族は、自分ば鍛え上げでその強さ次の代さ伝えるごどが、生ぎる喜びだって考えなんだ」


 そばで俯いていた黄色髪が、ぼそぼそと呟く。視線を向けて聞く姿勢を取ると、その両目に訴える力を灯し顔を上げる。


「生涯かげで高めだ体は、死んだ後で土さ還り、水どなり木どなり、一族の強さの糧どなる。だはんで、僕らみだいな弱ぇ奴や混血児は、村の墓にも埋めでもらえね。木の枝さ晒さぃで鳥さ食わいだり、崖さ放きゃれたり。……そったの、僕は嫌だ、だはら!」


「体制を変える力がなくとも、お前は嫌だというその意思のもと行動し、声を上げた。十分に戦ったと言えよう。何も相手を殴り殺すだけが戦いではあるまい」


「旦那……」


 握り締めた骨の浮かぶ手を震わせ、声を萎ませる。その瞳には若々しい意思の力が宿っていた。こけた顔つきのせいで老けて見えていたが、もしかしたら少年と言うべき年齢なのかもしれない。

 集団の中で諾々と従うことを良しとせず、強者のしいる無体に反発して村を抜けた。その精神と行いは認めるに値する。


「我が名はデスタリオラ。お前の名は何という?」


「ぎ、銀加……黒鐘じいさまの、孫じゃ。なが倒してけだのは僕の叔父ちゃじゃ、礼ば言でゃ。母ちゃの仇じゃ、僕がやねどいげねがったばて」


「そうだったか。まぁ、成り行きだ」


 鶏の雛のような頭にぽんと手を置き、佇む黒鐘へと歩み寄る。腰を伸ばしているせいでその姿は前に会った時よりもずっと大きく見えた。もしかしたら、腰を曲げがちだったのは腹が痛んだせいなのかもしれない。


「黒鐘。林を抜けたところで匿っている子どもと女たちにも、お前の無事と住処のことを知らせてやらねばなるまい。合流はどうする、一度こちらに呼び戻すか? それとも埋葬を終えてから向こうに合流するか?」


「埋めるだげだはんで、手伝ってもらえるだばそう時間はががね。終えだっきゃこご出るべ」


「ここを出て、次はどこへ行く?」


「……」


 顔のしわを深め答えない黒鐘に、周囲にいた者たちもまた俯いて誰も声をあげない。

 行くあてなどないことを分かっていて訊いたのだから、こちらの意地が悪かったかもしれない。これ以上の精神的負荷はかけまいと、なるべく言葉を選びながらデスタリオラは話を続けた。


「この選択肢が限られた状況での勧誘は、いささか公平さに欠けると思うのだが。黒鐘よ、もし住処を移すのであれば、我が城に移住してこないか? 以前よりも他の種族らが増えて賑やかになっているが、それぞれに適した住まいを造ってみなが協力しながら暮らしている。お前たち鉄鬼族が加わってくれれば、大いに助けとなるだろう」


「儂が働ぐのは構わね。だが子や老いだもんは力はそう強ぐね。大すて役には立でねぞ?」


「城には小鬼族もいると前に話したろう、力の多寡など些細なことだ。腕力のない者は果実を潰して保存食を作ったり、蔦を編んで籠を作ったりと屋内で色々しているし、腕や足を欠いている者は水路の監視などを請け負ってくれている。まさか、小鬼族の子どもがやれている仕事まで無理とは言うまい?」


 こちらの提案に対し、何か懸念でもあるのか、黒鐘は喉の奥で唸りながら悩む様子を見せる。


「すたばってな、おめにこごまで助げでもらって、住処まで用意すてもらう義理は……」


「何を今さら、拳を交わした仲ではないか。前にも言ったろう、何か困ったことがあればいつでも我の城へ来いと。だからこそお前も、逃がした子どもらに城へ向かえと言ったのではないか?」


「……」


「じいさま、行くべ。こごではまだ何時、あいづらが来るがど安心でぎねす、思い出すて怖がる子もいるべ」


 義理固さゆえか、決めあぐねる黒鐘の背に手を当てて、銀加が決断を促した。

 顔を上げた黒鐘が周囲に立つ子どもや老人、女たちを順に見る。いずれも疲労にやつれた面持ちだが、力を失っていない目でうなずきを返した。

 目上だからと大事な決断を委ねず、自らの意思を見せる弱きものたち。か弱い命とともに灯る精神の光明、魂の輝き。沈殿した古い記憶のうずきを感じながら、デスタリオラはそっと目を細めてその様子を見ていた。


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