第260話 間章・はしる魔王さまは約束を守りたい⑥
※流血表現注意。
一体が倒れたことで、大柄な鉄鬼族は残り八体となった。満身創痍の黒鐘とは違い、いずれもその巨躯に大した傷を負っていないようだが、岩のような両手だけが赤黒く汚れている。
突然乱入してきたデスタリオラを胡散臭そうに眺めながら、何か話しているようだ。襲ってくる気がないならと、血濡れの体から湯気を立ち上らせている黒鐘のそばに近寄る。
「ひどい怪我ではないか、手当ては? この三日ずっと戦い続けていたのか?」
自然治癒能力の高い鉄鬼族でありながら、全く治癒が追いついていない。体中にある深い生傷からは今も鮮血が流れ続けている。ひどく腫れている部分は中で骨が折れているのだろう。
「戦いが終らまで、手コ当てはすね決まりだ。構わね」
黒鐘自らが言う通り、これまで治療どころか止血をした形跡もない。それが種族内での決まりなら仕方ないかもしれないが、わざと続け様に戦いを挑み、疲労と負傷を蓄積させて弱体化を狙っているのだとしたら悪質だ。
「たった今、一戦を
その場に立ったまま、視線だけで構成を描く。上腕筋の断裂、数々の裂傷、体中の打撲、折れた肋骨と砕けている尺骨、ひびの入った頭蓋、……アルトバンデゥスから上がってくる精査を元に修復を施す。
あえて体表に流れ出た血液や痣はそのままにしたから、腫れが引いていくところを見ていなければ、本人以外には治療をしたとわかるまい。
<報告:消化器に腫瘍を発見。かなり大きいですがまだ転移は見られませんので、今でしたら患部の切除のみでも治療が可能かと>
「臓腑を病んでいたのか、よく見つけた。位置と範囲の指定を頼む。もののついでだ、切り取って捨ててしまおう」
視界に浮かび上がる内臓の輪郭、そして対象を示すマーカー。アルトバンデゥスの指示を頼りに臓器の一部を切除、同時に接着し治癒を促進。そして切り取った部分を体外へ転移させた。
数歩離れた場所に、赤黒い肉片がぼとりと落ちる。
「うう……」
低く呻く黒鐘が腹を押さえた。麻酔も何もしていない強引な治療だから、さすがにきつかっただろう。
「悪い、少し痛んだか」
「何ばした……?」
「余計な物を取っただけだが、それで少しは動きやすくなったはずだ。我慢強いのも程ほどにしろ」
腹を撫で、しわに埋もれた目がわずかに見開かれる。
その驚きには首肯だけで応え、代わりに必要なことを伝えるために小声で続けた。
「林の外へ逃れた子どもたちは無事だ、我の臣下が保護している。集落の若者らにお前の住処が襲われたと聞いて、先ほど見てきたところだ」
「子らは?」
この川岸へ来る途中に、生き残りはひとりもいなかった。黙って首を振ると、黒鐘は歯を強く食いしばりながら喉の奥だけで唸った。
老人にかける言葉を探していると、背後で砂利を踏む音とともに、ひとりの若者が前に進み出る。
「何だ、まだ続けるのか?」
「当然だべ、よそ者は引っ込んでろ!」
鼻息も荒く、拳を固めてこちらに近づいてくる。何か話しているようだったのは、誰が出るかを決めていたのかもしれない。
「黒鐘。もしかして、これまでも一人ずつ相手にして戦っていたのか?」
「んだ。儂らの戦いは必ずサシの勝負、どちきゃ一方が地面サ背ば付けるまで続つもっける。肩コさふれて挑まれたモンは、決して断ってはだばねどいう昔かきゃの掟だ」
「……」
必ず単騎差し向いでの勝負、一方が地面に背をつけるまで続けられる。
黒鐘のその言葉で、住処から離れたところにあった不自然な死体はいずれも、一対一で引きつけるために少しでも遠ざかろうとした者たちなのだと理解した。
到底敵わない相手だろうと、自分を追う間はその一体分、住処にいる仲間たちへの襲撃が手薄になる。中には相討ちに持ち込んだ者もいた。食糧を満足に得られず体格にも恵まれない中で、よくやったものだ。
一対一でなければならない、肩にふれないと挑めないという制限があるからこそ、黒鐘も身内を庇いながら三日間持ちこたえることができたのだろう。崖を背にもうこれ以上は退けない状況だが、ここでなら負けない限り背後にいる者たちを守ることができる。
少し前に岩の間で倒れていた男、それと崖縁でこと切れている大柄な死体と、先ほど黒鐘が締め落とした男。他は川にでも落としたのだろうか。
黒鐘の体技は打突と締めを基本とした正攻法、敗北した相手の体にも無駄な損壊はない。
杖を握る手に力を込め、デスタリオラは壁のように連なる若者たちを振り返る。
「……林や住処で見たのは、いずれも無残な死体だった。殺すだけならあそこまでする必要はあるまい。そもそも、なぜ一対一の手間をかけてまで無抵抗の弱者を殺した? お前たちに排斥され、すでに村を出た者たちだ、放っておいたところで害になるわけもであるまいに」
血濡れの岩場を目の当たりにした時からの疑問。若者たちに対するその問いかけに対し、一番体が大きく肌の赤褐色も濃い男が、黒鐘の後ろにいる黄色髪の青年を見ながら口の両端をつり上げた。
「生ぎでらだげで害だ、一族の恥晒すども。逃げ出す前さ全員殺すておぐべぎだった。この俺が、一匹ずつ間引いてやったばて」
「……最近、村さ残ってた中がらも僕らの住処さ逃げでぐら増えであった。一族の長どすて見過ごすてはおげねがったんだら。だはんで急にこった事ば、」
「黙れ、役立たずな半血のクソ餓鬼に、長どすての務めも果ださず逃げだ臆病爺! 弱ぇオドゴも混血児も、鉄鬼族ば名乗る資格はねっ!」
怒鳴られた黄色髪の青年が肩を竦ませる。鉄鬼族にしては体つきが細いし、身長もデスタリオラの肩ほどまでしかない。ここに来るまで必死の抵抗をし逃げてきたのか、貧弱な体はどこも擦り傷だらけだ。大柄な男の言葉通りだとしたら、あの青年は他種族との混血なのだろう。
……実に下らない。それぞれの種族の事情にはなるべく立ち入らないよう心がけているため、その言葉は吐き出す前に飲み込んだ。
だが、やはり下らない。一体どんな理由があるのかと思えば、従わずに村から逃げた者を殺し、己の面子を保つための見せしめにしたかっただけとは。
そんなことのために、同族の命をいくつも奪ったというのか。
何代か前に暴虐の限りを尽くし、恐怖による支配を敷いた『魔王』には鉄鬼族も苦難を強いられたはずなのに、やっていることは何も変わらないではないか。
胸の内に、怒りと呼べるほど感情の揺れはない。それでも、憤りは覚える。
理にかなわない、不条理で身勝手な理屈による損失に対しての不快感。
振れ幅は狭いものの、自分はおそらく、腹を立てているのだ。
アルトバンデゥスの杖で地を打つと、下がっている金属の護符が打ち鳴った。高く澄んだその音に、黒鐘と黄色髪に対し悪態を向けていた若者がデスタリオラを見る。
「それが一族の掟だと言うなら、我は種族内の決まりごとにまで口出しはせん。だがな、お前たち鉄鬼族はそう繁殖数の多い種族ではない。いちいち弱者を間引いていたのでは、今に至るまでにとうに種が絶えていたろう。……然るに、昔からの掟だと言う一対一の挑戦は、本来であれば極端に力の劣る者や子ども、老いた者に対して挑むべきではないという制限、もしくは暗黙の了解があったのではないか?」
歯を剥き出しにした若者は何も答えず、怒りに顔面の色を濃くする。その場で黒鐘だけが深くうなだれた。
「力の強い者こそが優れたる証、このキヴィランタにおいてそれは種が生き抜くための正道だ、我も否定はせん。中でも抜きん出て力強き鉄鬼族たちよ、その力を誇るならばこそ、何のための掟であるかを忘れるべきではなかった。仲間内でより研鑽に励まんと、武を競い、おのが力を高め合うため作られた掟だろうに。数を減らしたことで、いらぬ選民思想にでもとりつかれたか。愚か者め。理由もなく子を間引く種に未来はない」
「うるさぇ! 黙れ、急さ出でぎだよそ者が何ば偉んだサ、どこの誰だが知ねが、おめも首ば引っこ抜いでハラワタ抉り出すてぶぢ殺すてやらァ!」
元々、無抵抗の子どもらを殺していた時点で、話し合いによる和解は望めないとわかっていた。だから彼らに向かって述べたのは説教ではないし、説得でもない。
あぁ、自分は今、やっぱり怒っているのだなと新鮮な自覚を得ているデスタリオラに向かい、逆上した巨躯の若者が憤怒の形相で飛び掛かる。
伸ばされた手にふれられる前に、腕をかわし様その肩を軽く叩く。「我の挑戦を受けよ」そう宣言しながら、振り下ろした肘で肩甲骨のあたりを強かに打ち付けた。
「グアッ!」
うつ伏せで倒れ、顔面を地に強打した男が呻くが、まだ背中はついていない。
厚い体の下に足先を差し込んで、ひっくり返すように蹴り上げてからもう一度高く蹴飛ばした。その体が地面へ落ちきる前に、思い切り遠心力の乗った踵を後頭部へ振り下ろす。
肉と骨を打つ鈍い音と、再び顔面から着地して細かな砂利が吹き飛ぶ音が重なる。まだ背中はついていない。
「どうした、我は未だ杖で片手を塞がれたままだぞ。黒鐘とやり合った時は両手を使わされた」
「ぐ、ギギ……ッ」
「降参するなら、体をひっくり返してやるが?」
「こン野郎……殺してやらァ!」
それなりにダメージは入っているはずなのだが、鼻血を噴きながらも巨躯の若者は両手を突いて起き上がった。
どこまで手を下して良いものかと、一度黒鐘のほうを見る。何かを訊ねたわけでもないのに、老爺は静かにうなずきを返した。
了解と、許可だろうと勝手に解釈させてもらう。
彼らと違って
力を漲らせた筋肉でもなく、強靭な骨もなく、無防備な急所を壊すだけなら魔法も武器も必要ない。
喉笛を突き破り頸椎を砕くと、一度びくりと痙攣した巨躯は血を噴出しながら仰向けに倒れていった。岩を落としたような音をたて、皮の残っていた首が切れてそのまま動かなくなる。
地に背をつけたから、これで終わりだ。
濡れた手と衣服から汚れを分解除去し、息を飲む者たちの方へ目を向ける。
「残りの七名はどうする? こやつが率先しての愚行と見るが、まだやる気か?」
「こごで引いたっきゃ鉄鬼族の名折れだ」
退く気はないと言い、前に進み出ていた若者が再度黒鐘へと向き直った。残りの者も意思は変わらないようだ。
それらを眺めて視線を戻すと、黒鐘もまた拳を固めて前へと出る。
「あどは儂がやら。なさんは見でいてぐれ」
「あぁ、わかった。第六十七代魔王デスタリオラがこの名と我が眼にかけて、お前たち鉄鬼族の戦いを見届けよう」
「何だど、『魔王』?」
ざわつく若者らに構わず、手にしたアルトバンデゥスの杖で再度、地を打ち鳴らす。
それまで曲げていた腰を伸ばした黒鐘の腹の底からの雄叫びが、遥かテルバハルムに響き渡った。
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