第257話 間章・はしる魔王さまは約束を守りたい③
木陰にアリアを残し、
高い石壁に設えられた金属製の門扉は、朽ちかけの魔王城に転がっていたのを修繕して取り付けたものだ。いつの時代に造られたのかは定かではないが、古代竜と思しきレリーフが両翼に向い合せになっている重厚感のある意匠は、いかにもといった風情で大変よろしい。大広間に繋がる鉄扉も同じ彫刻が施されているから、これと揃いで造られたのだろう。
いつか、『勇者』が城を訪れた際にはこの門が行く手を阻むのだろうが、今は閉じておく必要もないため昼夜問わず開きっぱなしになっている。
「えー、あのトゲトゲした黒いやつ、すんげーカッコ良かったじゃないっすか~」
「だろう、そうだろう。
「あの蜘蛛の姐さん、イケてる物の価値がわかってんねーんすよ、魔王様も一度ビシッと言ってやった方がイイんじゃねっすか?」
「言ってはいるんだがな……。最近はどうも服のことで気が立っているようだから、もう少し落ち着いたら返却を求めて交渉してみよう」
『魔王』の
竜種の爪をあしらった黒い肩鎧、魔王城に着いてからずっと愛用していた物なのに、禍々しい形状がどうにもアリアや夜御前のお気に召さないらしい。とうとう先日、服の試着のため脱いだ隙をついて持ち去られた。
せっかく威厳の足しにと装備していたのに、また着任初日の格好に戻ってしまった。夜御前の言う「ボロっちく貧乏臭い雑巾のような服」だ。……雑巾はいくらなんでも言い過ぎだと思う。
「やはり、幅と鋭利さは必要だと思うのだ」
「デカさとトゲトゲっすね! やっぱ装備はゴツくていかつくて、グワッとしてて強そうなのが良いっすよ!」
「そう、それ、その通りだ、やはりお前たちの方が話がわかる。身に着けるなら、動きやすく見た目の強そうな物が良いに決まっているのに。他に何かないかと
「あー、そんなら例の
黒い毛並みの
「んー。我としてもそうしてもらいたい所ではあるが、まずは彼らの住居や生活環境を整える方が先だな。定住に適しているかどうかしばらく住み着いて確かめてから、一族の残りを連れてくるかの判断をすると言っているし」
「それなら心配いらねーと思うっすよ、もうほとんどできてるし」
「ほとんどと言っても、この短期間では夜露を凌ぐための家屋がせいぜいだろう?」
「いや、アレはなんつーか……あー、もうすぐそこだし、実際見てもらったほうが早いっすよ」
そう言って体躯の大きな
高く積まれた建築資材らしき丸太に岩、大きな麻袋、乾燥中の板材などがずらりと並び、まるで防壁のようになっている。移住に伴う家屋の建造真っ只中なのだろう。
あの辺りから先が
うず高く積まれた資材の横を通り過ぎ、集落に入ったデスタリオラの足がそこで止まる。
城の周辺にできた集落はいくつも見てきたけれど、他とはあまりに様相が違っていた。木材や石を使った家屋は
体の小さな種族だから建物も小振りではあるが、とても夜露を凌ぐ仮設の家などとは言えない。まだそこら中に建築資材が積まれており、職工らしき
「あの煙、……壁は焼成煉瓦か?」
<肯定:奥に簡易な窯が造られております。後方に積まれている袋の中身は、全て煉瓦の材料ですね>
「この短期間でよくここまで……大したものだな、驚いた。見たほうが早いというのはこのことか」
「そっす。木とか石とか土とか、色々運ぶのは俺らも手伝ってるんすけど。あいつら気がつくとじゃんじゃん作ってるんすよね、昨日来た時よりなんか家も増えてるし」
一晩で家が建つほどの労働力があっただろうか。先遣隊に続いて第一陣として移住してきた
それに、住居の数だ。彼らの文化形態をよく知るわけではないけれど、移住者数に対し家の数が多すぎるような気がする。まさか一名につき一軒の割り当てということはないだろう。
デスタリオラが足を止めたまま建築の様子を眺めていると、造りかけの家の向こうからひとりの
「おや、そこにおわすは魔王様じゃァないですか。あっしの方から出向くつもりでいたンですが、わざわざご足労頂いちまって申し訳ねぇ!」
「お前は……ゴビッグか。いや、集落の様子見をしたかったんだ、気にするな」
「それにしても、驚いた。種族によって住まいの建築様式は様々だが、自前の煉瓦を用いたのはお前たちが初めてだ」
「へぃ、周辺で採れるモンは何でも利用して構わねぇってことでしたんで。すぐそこの地割れから質の良い粘土が出まして、薪も豊富でしたんでさっそく窯を。家はこの通り、ちゃちゃっと組めますんで、その他はこれから着手しようかって所でござんす」
早口にそうまくしたてると、ゴビッグは自分の額をぺちりと叩く。
背後についてきていた
「
「ああ、彼らにはよく働いてもらっている。お前たちも返礼に装備品の調整をしてやっていると聞いたが?」
「へぃ、あっしらには物を作るとか直すとか、それくらいしかできやせんで。魔王様もご入用でしたら何なりと」
「そうだな、ちょうどお前たちの暮らしが落ち着いたら頼みたいと思っていたところだ。その話はまた改めてするとして、面会希望だと聞いたが……」
大きな袋を頭に乗せた
立ち位置がずれたことで、奥にのぞいていた煙の出所が少しだけ見やすくなった。石造りの半球状の建物が三つ並び、それぞれに太い煙突がついている。あれが煉瓦を焼く窯だろう。
「煉瓦に適した土も採れるとは知らなかった。利用できそうなものがあれば、何でも好きに使うといい」
「有難ぇことです、こんな良い土地を用意して頂けて。残りの奴らが到着するまでに家だけは一通り作っちまおうと、みなも張り切っておりやす!」
「残り?」
「へぃ、魔王様にお伝えしてぇと思ってたのはそのことで。移住を検討してまだ村に残ってる奴らにも、ここで採れる土や素材のこと伝えますんで。まずは百ほど、寒くなる前にはこっちへ移ってくると思いやす」
環境の良さを確かめ、ここに定住することを決めたということだろう。それは種族ごと正式に傘下へ加わるという表明に等しく、デスタリオラにとっても喜ばしい報せだった。
「そうか。広さには余裕があるだろうから、移住者数については問題ない。食糧や設備などについても、何か困ったことがあれば言うと良い。森は近くとも、水に関して少々不便ではないか?」
「立派な井戸がありやすんで今のところは。ですが、もし可能でしたら生活と工房のための細かい水路と、森から薪を運び入れるための経路を整えたいと思っておりやす」
「確かに、煉瓦を増産するにも燃料が必要だな。森までいくらか距離がある上に障害物も多い。そろそろ城周辺の通路を整えたいと思っていたところだから、何か方法を考えよう」
元はただの荒れ地だった場所に次々と集落が造られていったものだから、道についてはすっかり後回しになってしまった。キヴィランタの住民はいずれも足が頑丈なため舗装路までは必要ないが、岩や石ばかりで荒れ放題なのはそろそろ何とかしたほうが良いだろう。ウーゼたち小鬼族や
「荷車が通れる程度に均せれば十分ですんで」
「荷車……」
通行のしやすさ、道というものに対しそれしか考えなかったデスタリオラに対し、ゴビッグは当たり前のようにそんな提案をした。
これまで周囲からは挙がることのなかった、利便性の追求。
「荷車は薪だけでなく粘土の運搬にも使いますンで、必要な道は南と南西と……。ここに経路に関して概略図をまとめたものと、水道と運搬用滑車の配備案、それから耐火煉瓦の準備もしてるンで陶器類を焼くための窯の設計図なんかを用意しやした、どうぞお目通し願やす。あ、前に納めた紙なんかは村の職人が移ってきたら改めて工房を構える予定でして」
「陶器、設計図、紙……!」
<感心:さすがは工作族と呼ばれるだけのことはありますね、これは魔王様の城もより一層立派になることが期待できます>
本の中でしかふれたことのなかった、知識の中にしかなかった段階の生活水準。物々交換でしか他種族との交流を持たなかった
……いや、進んでいるというより、昔からの技術を失わず保ってきたのか。地図に使っている紙も均一で見事なものだった。現在のキヴィランタでは植物原料の紙を製造できるのはもう彼らだけだ。
文明の残り火。
胸の内に湧き上がる、何とも言い難い感情を持て余したデスタリオラは、丸々とした玉のような体を両手で掴んで持ち上げた。
「でかした、そういうことができる臣下が欲しかったんだ! 腕力以外での解決、それだそれ。実に、何と言うんだろうな、文化的な感じで良いぞ!」
「腕力以外て」
「頭を使って、便利に、より快適に。うむ、そういうの、良いよな!」
「逆に今までどんな生活なさってたんで……?」
どんぐり型の体を持ち上げたまま、その場でくるくると三回転した。
体に対してやや長めの腕と、短い脚。縦に縮めただけで自分とそう大差ない構造をしていると思っていたのだが、実際ふれてみると骨格がやや異なっていることがわかる。
脊椎が大きく外側にカーブし、腰の寛骨が広く、大腿骨が下側ではなく横についている。外見はヒト型と大差ないのに、股関節の作りはずいぶんと違うようだ。
持ち上げたままデスタリオラが観察していると、空中でなすすべもないゴビッグは気まずげに声を発した。
「あの、何か?」
「お前の体に興味がある」
「ひぁぁ~っ! い、いけませんぜ、あっしには妻と可愛いふたりの子どもが! で、でも、魔王様がどうしてもと仰るンでしたら……」
「そのうち死者が出たら埋葬前に骨を見せてもらえるだろうか。
「へぃ、骨を埋める前にお呼びしやす……」
脱力した丸い体を地面に下ろし、そばの材木に立てかけていたアルトバンデゥスの杖を手に取る。と同時に、青い宝玉の中央がきらりと瞬く。
<警告:魔王様、北の方角から高速飛行物体接近。あ、これは……>
アルトバンデゥスからの思念が届くやいなや、デスタリオラは一度下ろしたゴビッグを小脇に抱えて横に大きく跳び退いた。
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