第256話 間章・はしる魔王さまは約束を守りたい②


 人狼族ワーウルフたちは頼まれた資材の運搬を終えたばかりで、この後は特に用事もないらしい。それならばと、目的地へ向かう道すがら周辺で起きた出来事などを聞くことにした。

 陽気で物怖じしない彼らは、これまで会ったこともない種族が相手でも構わず話しかけ、積極的に関わって友好関係を結んでいく。ウーゼたち小鬼族や大黒蟻オルミガンデとも上手くやっているし、気位の高い化蜘蛛アラクネルらもちょっとした頼み事をしては物品で返礼しているらしい。畏怖や身分に縛られない分、『魔王』である自分などよりよっぽど皆に馴染んでいるような……という極々個人的な所感はともかく。

 最近の話をと頼んだだけで、新しい集落の建設現場で大きな岩が出土したとか、空いた穴を利用して大黒蟻オルミガンデ協力のもと地下倉庫を作っただとか、あの家で五つ子が生まれたとか、植えているキイチゴに一株だけ異様に甘い実のなるものがあるとか、三名の口からはとめどなく様々な出来事が語られる。

 出土した岩は貴重な鉱石を含んでいたため自分の元まで報告は上がってきたが、それ以外は初耳の話ばかりだった。住まう者が増えた分だけ、日々色んなことが起きている。

 全てを監視下に置くつもりはなくとも、こうして出来事の断片を報告……いや、雑談という形で聞くのは、読書によって知識を得るのとはまた別の感慨があって悪くない。

 人狼族ワーウルフ内でも最近初めての懐妊がわかった者がいて、伴侶の雄が食糧や寝具にこだわってうるさいのだと、一番体の大きな者が尖った鼻先を上向けた。何となくその鼻を目で追ってしまうデスタリオラの横で、黒い毛並みの若者が「あー、そーいや」と声をあげて挙手をする。


「俺、なんかココ住むよーになってから、すんげー元気な感じするんすよね。前よりも速く走れるようになったし、コレは無理だろーって岩でも意外と持ち上げられちゃうし?」


「やっぱ喰いモンじゃね? 前は肉しか喰わなかったけど、最近は果物とか根ッコもわりとイケるじゃん?」


 いや水だ、葉っぱだ、塩かけた肉だと言い合う人狼族ワーウルフの若者は、確かに初めて会った頃よりずっと毛並みに艶が出て、その下の筋肉も発達している。膂力が増しただけでなく、体躯が一回り大きくなっていることは本人たちは無自覚なのだろうか。


「食糧事情の改善はもちろんのこと、お前たちは城に来て長い分、他の者よりも多く我が視て・・いるせいかもしれんな」


「見てるから? 魔王様に見られてんと何か違うんすか?」


「『魔王』の眼に長く映れば、それだけ潜在的な力が増すようになっている。だから広いキヴィランタの中でも、魔王城周辺に棲息するものは力が強い。……昔からそうだろう?」


 デスタリオラにとってはごく当たり前のこと、常識の範囲にある知識だったが、人狼族ワーウルフの三名は揃って首を傾けた。


「そうなんすか、初めて聞いたっす」


「おかしいな、こんな情報まで失伝しているのか? 魔王城には各地から強者が集まるだけでなく、臣下は『魔王』の眼によって更に強化され『勇者』の往く手を阻むもの。だから我とよく会って話をするお前たちも、以前より肉体が強靭になっているはずだ」


「へー! そんなこと私も初めて聞いたわ!」


 いつの間にか人狼族ワーウルフたちの隣にアリアが立っていた。裾の広がった衣服は先日新調されたものだが、外出していたのか見たことのない大きなつばのついた帽子をかぶっている。


「こんな日差しの強い日に外へ出ているとは、珍しいな。大丈夫なのか?」


「わ、もしかして心配してくれるの? そっちの方が珍しいじゃない!」


「直射日光が苦手だと言ったのは自分だろうに。最近は良く働いているそうだし、役に立とうという気構えさえあるなら、臣下のひとりとして尊重はする」


 つばの下からのぞく目に向かってそう言うと、やはり日光を浴びたのがまずかったのか、首から上の皮膚がどんどん赤くなる。日焼けの火照りは冷やすのが効果的だと本に書いてあった、冷水を用いて水浴びをすると良いかもしれない。


「裏の水場なら冷えているから、水浴びでもしてくるといい」


「は? 何で?」


「テルバハルム直送だ、清潔で冷たいぞ」


「え? なに、まさか私が汗臭いとかそういう意味っ?」


 語尾を震わせながら、帽子の下の顔がさらに赤みを増す。

 日差しの熱を受けているのも良くないのかもしれない。デスタリオラは手のひらを上向け、氷の塊を作り出してそれをアリアに手渡した。


「顔がひどく赤い。日に当たりすぎたのだろう、早く日陰へ入って冷やせ」


「う、え、あ……」


 氷を手にしたまま固まって動かないアリアの手首を掴み、そばの木陰まで引いて歩いた。その後ろを人狼族ワーウルフたちもぞろぞろとついてくる。

 いつも顔を見せれば何かと騒いでうるさい少女なのに、全く口を開かずされるがままでいるのは、やはり体調が優れないせいか。帽子を取って樹木のそばに座らせ、軽く冷風を送ってやると気持ちよさそうに目を細めた。


「動けないようならバラッドを呼ぶか?」


「いらないわよあんなの。その……、えっと。ありがと」


「礼には及ばん、動けるようになったら自分で部屋に戻れ。もっと氷が必要なら出してやるが?」


「ちっ、違う、別に氷とかそういうのは……、そんなんじゃなくて。あーもう、ずっるいなぁ、いつもこれくらい優しければいいのに……」


 ふすー、ふすー、という妙な音に振り向くと、人狼族ワーウルフ三人衆が揃って鼻息を吹きながら口元を波打たせていた。種族による顔面の造りが違いすぎて、それがどういう感情の発露によるものなのかはわからない。


「気にするな、臣下の体調が悪ければ休養くらい取らせる。こいつらが同じ状態に陥っていても、我は同じ対処をするだろう」


「はぁ? この私を人狼族ワーウルフと同じ扱い? 同レベルだっての? あぁぁぁもう、ほんっとにこの男は、んもー! 今に見てなさい、夜這いが無理ならそのうち茂みにでも押し倒してやるんだからー!」


 髪を振り乱して金切り声をあげるアリアに、持っていた帽子をふんだくられた。これだけ元気ならひとりで部屋に戻るくらいは訳もないだろう。

 奪った帽子でこちらの足を繰り返し叩いてくる少女の額を人差し指で押して、顔色の確認をする。まだ赤らんでいるし目も充血しているから、もういくつか氷を残しておこう。


「そんなに肌が弱いなら、外へ出る時はもう少し対策をしろ。その衣服だって夜御前に作ってもらったばかりなのだろう、生地が痛むといけないから無闇に藪へ突っ込んだりするなよ」


「うー~~~!」


 とは言っても化蜘蛛アラクネルの糸で織られた布はとても丈夫だから、茂みや木の枝に引っ掛けたくらいでは鉤裂きひとつできないだろう。

 アリアは唸り声を上げながら、手渡した氷塊を齧りだした。火照った顔へあてて冷ます用に作ったのだが、まぁいい。


 顔を合わせるたび口喧嘩ばかりしているアリアと夜御前のふたりは、いがみ合っているくせになぜかよく一緒にいる。趣味や生活習慣が合致するようでもないのに、一体どういうことなのだろう。仲が良いのか悪いのか、傍目には全くわからない。

 生得の知識がどれだけあっても、地下書庫でどんな本を読んでも、女心ばかりはデスタリオラにも理解のできないことだった。


 そんな理解不能な女の片方、女王蜘蛛の夜御前は、当初はデスタリオラのための『魔王』らしい衣装を作るのだと張り切っていたのに、最初に仕上げたのはアリアの衣服だった。

 本人が言うには「試作を何度繰り返してもイメージと違うから、気分転換に一着どうでも良い服を作っただけ」とのこと。

 デスタリオラ自身は別に服には興味がないし、今のままでも生活に支障はない。それでも、アリアの纏う新しい衣服は光沢のある白い生地に淡い髪が映えて、なかなか美しい出来だと思うのだ。


「……我はもう行くから、お前はそこで少し休んでいろ」


 もうひとつ追加で作った氷を少女の膝の上に放り、頬にかかる髪を払いながら立ち上がった。

 そばに立つ木は葉があまり密ではない広葉樹だから、隙間を通り抜けた木漏れ日がふたりの上に不規則な模様を落とす。

 少し前まで、この辺りは陽の強い季節になると乾いた荒野に蜃気楼も浮かぶほどだった。水が豊富な今なら、この日差しは畑の作物にとって生育の恵みとなるだろう。

 光を吸うばかりの自身の黒髪を指先で摘まみ、肩の後ろへ流す。髪を伸ばしてまだ日が浅いため、どうにも慣れない。


 『魔王』らしい衣装制作が上手くいかない夜御前の、苛立ちだか何だかわからないものを向けられたのはほんの五日ほど前のこと。

 試作品の試着や採寸のやり直し、意匠案の見比べなどを長時間に渡って要求され、面倒臭くなったデスタリオラが「もう何でもいいから」と言った途端、……夜御前が、キレたのだ。

 あの時ばかりはさすがに驚いたし、感情の抑制が効いているはずなのに、ちょっとだけ恐怖みたいなものも感じた。アルトバンデゥスと一緒になって何とか宥めたものの、未だ埋火は収まっていないように思う。

 だが、彼女の放った、「あなた様が『魔王』としての威厳を持ちたいとお望みだから、わたくしも精一杯取り組んでいるというのに。『魔王』ともあろう者がボロっちく貧乏臭い雑巾のような服を着ていてどうするのです! もっと身なりに気をお遣い下さいまし! 御髪だってせっかく綺麗なのですから、そんなざんばらではなく、もっと長く伸ばしてみては如何ですか!」――という啖呵には頷ける部分も多かった。

 だからこそ、言われた通りその場で、髪を腰の下あたりまで伸ばしてみたのだが……。


「せめて結んではいけないか、この髪、長すぎて動くのに邪魔だ」


「とか言って、適当な麻紐で雑にギュッとやるつもりでしょ、そんなみっともないこと私も夜御前も絶対に許さないんだからね! 切るのもダメよ!」


 刺々しい声とともに、吊り上がった眦で睨まれる。

 眼下に座る少女も、当の夜御前も妙にこの伸ばした髪が気に入りのようで、しきりに櫛で梳かせろとか手入れをさせろと言って日中も部屋へやってくるようになった。

 髪は長いほうが威厳はある、ということ自体はウーゼも白蜥蜴もうなずいてくれたから、間違いではないはず。ただ、パーツの嵩が増すことで見目の威圧感が増すらしいと本に書かれており、ならば角や翼も生やした方が良いだろうかと訊ねた時は、ふたりとも無言で首を激しく振っていた。


「魔王様、やっぱ雄なら毛は長ぇほうがカッコイイんすよ!」


「そういうものか?」


「ウチの長老なんか地面にずるずる引きずって、もう毛なのか尻尾なのかわっかんねーくらい長ぇし!」


「集落の長が、そうか……なるほどなぁ」


 ならば髪だけではなく髭も伸ばそうか、とデスタリオラが言うと、言葉が終わる前に氷塊が飛んできた。


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