第258話 間章・はしる魔王さまは約束を守りたい④


 重い墜落音とともに立ち上る砂埃……と、空気を裂く悲鳴。そこら中から地人族ホービンたちが顔を出し、一体何事かとこちらをのぞいている。

 北の空から、とてつもない速度で何かが落ちてきた。そばにいたゴビッグを抱えて跳び退いたデスタリオラは難を逃れたが、直撃を受けた少女は衝突による勢いのまま派手に吹き飛んでいった。

 少し前にも塔の部屋で同じような光景を見たなと、叫び声をあげながら転がっていく少女らを見送る。絡まり合った塊はそう遠くまで行くことはなく、木の幹に追突してそこで止まった。


「アリア、ついてきていたのか」


「ううぅぅ……、なに……何これ……?」


 おかしな格好で手足を痙攣させているが、頑丈だから大丈夫だろう。ただ、せっかく新調した衣服は砂だらけで台無しだ。

 抱えていたゴビッグを再び地面へ下ろし、資材置き場に突っ込まなくて良かったと息をつきながら、デスタリオラは北の空から礫のように降ってきた塊の一部を見下ろした。


「こら、セト。そういう着地は危ないからするなと言ったはずだろう」


「うふふふ、ごめんなさいな。ちょっとでも早く魔王様に会いたかったの。どうです、ご覧になって、今度は前よりもずっと素敵でしょう?」


 そう言って絡まっていたアリアを放り投げるように脱し、たおやかな仕草で両手を広げて見せる女は、胸元や腰周りに白い羽毛を生やしていた。真珠のような輝きを持ったそれは自前のものと思われる。皮膚に直接羽根が生えているのか、巻き付けているだけなのかはわからない。

 前回、ヒト型になって現れた際には全裸だったため、その姿を取るなら衣服が必要だと窘めたせいだろう。


「ふむ、この前よりは体のバランスもおかしくないし、服も……それは衣服に入るのか? まぁいいか、着用しているのは評価するが。なぜそうもヒト型にこだわるんだ?」


「だって、この姿なら、魔王様のお城へ入れるじゃありませんか。私だってご自慢のお城の中を見てみたいわ。いっつも外側しか見えないんですもの」


「翼竜の姿のまま、小型化すれば良いではないか」


「それでは面白くありません、魔王様と一緒に歩いてみたいのです!」


 そう言ってセトは駆けるような動作で空中を移動し、片腕に纏わりついてくる。形は真似られても、まだ二足歩行はできないようだ。

 すべらかな肌に細い手足、深い碧眼は竜の時と変わらない。一見しただけなら木精族の少女に見えなくもないが、耳をつけ忘れているし、白い髪にも羽根らしきものが混じっている。ヒト型の擬態にはまだまだ練習が必要だろう。


 翼竜セトが今と同じ勢いで塔の窓に突撃し、補修したばかりの壁もろとも吹き飛ばして大穴を空けたのは記憶に新しい。いつも長距離移動の際には助けられているから、それくらいの失敗で叱ったりはしないが、セト自身の反省は深いものだった。

 いつもは城の屋根か庭に着地してもらうことが多いから、いっそ塔にもベランダや出窓ようなものを取り付けるべきかもしれない。そう考えていた矢先のことだが、ヒト型の擬態という手段に出るとは思っていなかった。


「大広間の方なら、元の姿でも自由に出入りできるくらい余裕があるぞ。以前の『魔王』はずいぶん大きかったそうだから、城の中央部は扉も通路も大きな造りをしている。ただ入口の辺りを直している最中で、あまり動き回ることはできんが」


「あの塔がいいんです。あなた様の寝床も見てみたいわ、この姿ならおそろいだから、睦み合えるのでしょう?」


「またそれか、懲りないな……。第一、お前は最近つがいとなったばかりだろうに。我のことより、もっとその伴侶を構ってやれ」


「私のことも、もっと、気にしてほしいんだけど……」


 セトの背後では、全身を砂まみれにしたアリアが煙を思わせる動作で揺れている。振り乱した髪もひどい有様だが、ざっと見る限り怪我はしてないようだ。大元・・から血は薄まったとはいえ、吸血族ダンピールも強力な種族だから地面を転がった程度ではかすり傷ひとつ負うことはない。


「ちょっとあんた、お相手がいるならデスタリオラに構うんじゃないわよ、翼竜だかなんだか知らないけど、……え、翼竜?」


「ぶう~。あれは長がうるさいから、仕方なく、見合いを受けただけです。魔王様みたいに強くもないし、卑屈で弱気でお話もつまらないんですよ。また私の背に乗って良いですから、どこかへ遊びに行きません? あ、そうそう、ここへ来る途中に見かけたんですけど。あれたぶん、前に魔王様が気にしてらした、鉄鬼族じゃないかしら?」


「ちょっとー、その腕を離しなさいよ腕! 私だってまだ腕を組んで歩いたことなんてないのにー!」


 横から迫るアリアの顔面を手のひらで押しのけ、セトの細い肩を掴んだ。


「セト、鉄鬼族を見たのか? 途中というのは、テルバハルム山脈とこの城の間のどの辺りだ?」


「あの尖った木の森を出たばかりのとこですよ、小さいのが、ええっと六体くらいだったかしら?」


「時間はどれくらい前になる?」


「今朝早く、日の昇りきらない薄暗いあたり。早くお会いしたくて、今日は急ぎ目に飛んできたんです」


 小さいということは、以前会った黒鐘は含まれていないのだろう。いつでも魔王城に来て良いとは伝えたが、彼が匿っていた弱者だけで住処を離れるとは考えにくい。あの住処で何か問題でも起きたのだろうか?


「何、鉄鬼族って前に言ってた、八朔の樹をくれた相手?」


「ああ。黒鐘という名の老爺が、里からあぶれた弱い者たちを率いて隠れ住んでいるんだ。水源の様子を見るついでに彼らの集落へもまた寄るつもりでいたのだが、すっかり間が空いてしまった。……ふむ」


 ひとつ思案し、傍らで所在なげに佇むゴビッグを見る。何を思案しているのか視線から読み取ったらしく、丸めた紙束を抱え直した男は、かぶっている帽子に手を添えて一礼した。


「こっちは後で構いやせん、どうぞお行きなすって。図面なんかはもっと仕上げを詰めたもんご用意しときやすんで、お手隙の際にでもまた立ち寄って頂けりゃ良うござんす」


「そうか、ではまた改めて寄らせてもらう。……セト、さっそくですまないが背に乗せてテルバハルムまで運んでくれ、急ぎだ。お前の翼なら夜までには着けるだろう」


「うっふふふ、お安い御用です!」


 そう言って十歩分ほど離れたセトが、瞬きの間に擬態を解き、翼竜の姿へと戻る。

 淡く輝く白の威容。その姿を間近で目にしたのは初めてなのだろう、ゴビッグと周囲で遠巻きに様子をうかがっていた地人族ホービンらが感嘆の声をあげた。


「あ! 私もっ、私も一緒に行くからね!」


「お前に構っている暇はないんだが……」


「もし本当になんかあったなら、ガサツなあんたと竜だけより、私も一緒のほうが絶対役に立つわよ!」


<補足:この私もついておりますが>


 アルトバンデゥスの主張はともかく、ここで揉めている時間も惜しい。見上げた先のセトは、何人でも構わないと言うように首を垂れて乗りやすいよう脚を屈める。

 頑固なアリアのことだから、無理に置いていっても後がうるさそうだし、本人の言う通りもしかしたら何かの役に立つかもしれない。


「……まぁいい、好きにしろ。落ちても知らんからな」


「だーいじょうぶよ! 振り落とされそうになったって、意地でもあんたにしがみついてやるんだから」


 何が楽しいのか満面の笑みで後ろをついてくる少女は、白い翼竜に乗り上げようとしてさっそく足を滑らせて転倒した。





 普段の飛行よりも数倍の速度を出し、キヴィランタの空を往くセト。

 風圧から身を守るため周囲に防壁を張っており、風の音も耳には届かない。見落としがないよう念のため雲の下を飛んでもらっているが、セトの目とアルトバンデゥスの探査があれば鉄鬼族らと行き違いになることはないだろう。


<報告:高亜音速域に入ります。衝撃波も強くなりますので、念のため防壁の保持にご注意ください>


「ああ、こちらは問題ない。セトは大丈夫か?」


『このくらい、わけもありませんわ。ちゃんと、落ちないように、座っててくださいね』


 一層速度を上げるセトの上で、念のため白い羽根をしっかり握り締めておく。体は固定しているし防壁も十全だが、ここまでの速度で飛んだことはないため、もし振り落とされた際にどうなるかわからない。

 意識さえ保っていれば自分で浮遊をかけることはできるし、万が一地面に墜落したとしても『魔王』の肉体なら死にはしないだろう。今は同行者がいるため、そうした事故を起こすわけにはいかないが。

 そうして飛行を続けるうち、妙に静かな後方を首だけで振り向いてみる。乗るまでは威勢の良かったアリアが背中に張り付いて微動だにしない。


「おい、どうした?」


「う、動かないで、落ちるー!」


「大人しくしていれば落ちたりはせん。何だ、塔の外壁を登っていたし、高いところが苦手ということもあるまい?」


「それはソレ、これはコレ! こんな、雲の高さまで来るなんて、聞いてない……!」


 魔王城の塔は大丈夫で、この高さはだめなのか。境界はどのあたりになるのだろう。試すわけにはいかないが、落下して死亡の可能性がある高さだろうか……などとデスタリオラの思考が無為な方向へ逸れかけたところで、アルトバンデゥスからの念話が届く。


<報告:魔王様、発見いたしました。鉄鬼族が六名、現在は岩の陰で休息を取っている模様>


「見つけたか。セトに位置の指示を頼む」


 なるべく体を動かさないように首をかたむけ、翼竜の首の先へと視線を向ける。

 眼前に聳える壁は世界を隔てる山脈、絶界のテルバハルム。そしてその麓に広がる色濃い針葉樹林と、まばらに転がる大岩群。あの裂け目に黒鐘たち鉄鬼族の住処がある。

 アルトバンデゥスの案内により、林の手前に広がる荒れ地の一角、五角形をした巨岩めがけてセトは降下を開始した。


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