第252話 魔法師は見た!~策謀の劇場編~④


 アイボリーを基本とした落ち着いた空間、品の良い調度品はいずれも名工の手によるもの。主張の強いそれらに調和を持たせて配置した室内には、クロスを敷かれたテーブルがひとつだけ。

 目の前には何かの肉に何かのソースをかけて何かした皿が置かれ、添えられているのは何かをあえたもので、前菜のスープはこれと同じ地域で採れる何かをを何かした何かだったらしい。

 給仕されながら長々と料理の説明を受けたのだが、どれひとつとして頭には入ってこなかった。

 それでもお腹が空いているのは確かなので、カステルヘルミは銀のカトラリーを黙々と動かして一口大に切った肉を口へと運ぶ。……とてもおいしい。


「ちょっと、センセイ。さっきから何なのその無表情。父上が同席できないのは予想外だったし、お礼にならなくて悪いことしたけどさぁ。この僕の顔を見ながら食事ができるってのに、一体何の不満があるわけ?」


「えぇっ、不満だなんて滅相もない! それに、ファラムンド様と同じテーブルでお食事だなんて恐れ多い、とんでもない、もう色々と無理でございますわ!」


「なんか、センセイのは狙ってるって言うより、……。まぁどうでもいいや。それより味に文句があるならはっきり言ってくれていいよ、中央にいたなら舌も肥えてるんでしょ?」


「中央でのお食事よりも、イバニェス家のお屋敷でお世話になっていたら嫌でも舌は肥えますわ……。あ、いえ、お料理はとてもよろしゅうございます。ただ色々とあったので、ちょっとまだ頭と心の整理がつかなくて」


 カステルヘルミはナイフとフォークを置き、水の入ったグラスに口をつける。ほんの数滴レモンを絞ったらしい爽やかな水は、未だ混乱する脳内をいくらか落ち着けてくれた。


「はぁ……。段取りをおうかがいした時から、危ないことをなさると思っておりましたが。本当に暴漢が現れた時はもう、心臓が竦み上りましたわ」


「実行されないならそれはそれで、別に良かったんだけど。あのオッサンは南河開発で派手な損失出したばかりだったから、鼻先に好機を匂わせてやれば、小金と利権欲しさに短絡的な手に出るとは思っていたよ」


 顔を洗って着替えを済ませ、髪を後ろでひとつに括ったレオカディオは小さく切った肉を口へと運んだ。

 食べ盛りの年齢だろうに、聞いている通りの小食らしい。メインの肉料理もカステルヘルミに用意されたものと比べると半分ほどしかない。給仕の前にお付きの侍女の毒見を経ているが、まさかそのせいで量が減っているということはないだろう。

 白く細い指先が器用に銀食器を扱い、美しい作法で食事を進める様は芸術品を眺めているような心地になる。

 ぼうっとそれを見ていると、「食べないの?」と視線で促されたので、自分の食事を再開する。

 今度はしっかり噛んで味わうと、風味豊かな肉汁が口いっぱいに広がった。下処理をきちんとされた肉は臭みや余計な筋が全くなく、柔らかくも程よい弾力が満足感を与える。ソースも何かの肉を煮込んで作ったものだろう、深い味わいと香りは飲み込んだ後も舌の上に余韻を持たせた。

 さすがサーレンバーの有名店なだけはある、これは良く味わって食べないともったいない。


「面倒なことをする羽目になったけど、これでようやくブエナおじい様も諦めがつくでしょ。身内贔屓はわかるけどさ、あれは優しさってよりもむしろ、認めたくなかったんだろうね」


「認めたくない? 身内の犯した罪を……ですか?」


「んー、悪事そのものより、たぶん相手を恨みきれない方がしんどいよ。事故なら不運を嘆くし、故意なら犯人を憎める。でも単なる落石事故じゃなく人災で、それが身内のせいだったなんて。いっそ本当に暗殺だったら犯人を処刑して少しは鬱憤が晴らせただろうに……っと、これは不謹慎が過ぎるな、聞かなかったことにして」


「え、ええ。ですがあの、いくら悪人だからって、娘さんにまで怖い思いをさせる必要はなかったのでは……?」


 可愛らしく頬を染めながらレオカディオと話をしていた栗毛の少女。以前、廊下でリリアーナの手を無理に掴んで痣を残した、双子の片割れだ。

 あの時はどこか不気味さを感じたものだが、着飾ってすましていれば普通の女の子と変わりなく見えた。おそらくレオカディオに想いを寄せているのだろう、一緒にいられるのが嬉しくてたまらないといった無邪気な様子を思い返すと心が痛む。

 彼女を利用したことを責めるつもりはないのだが、好意を逆手に取るようなことはいかがなものかと思って問いかけると、レオカディオは目を細めてうっすら微笑んだ。

 嫣然としたその笑みを見て、カステルヘルミの中のいじめられて育った末っ子の部分が「まずい」と警鐘を鳴らす。


「センセイはさ、あの子の兄が腕の骨を折ったこと知ってる?」


「は、はい、聞いておりますわ。お嬢様と遭遇した廊下での一件後、歩いていたら突然痛いと言って泣き出したとか……」


「あれね、精霊様の罰が当たったらしいよ。前にもリリアーナに手を出そうとした馬鹿な官吏が、聖堂で雷に打たれたことがあるんだ。……でもさぁ、双子で同じことしたのに兄だけ痛い思いするなんて。ちゃんと妹にも罰が下らないと、公平じゃないってそう思わない?」


 少年は首をちょっとだけ傾げ、淡い唇が柔和な弧を描く。それだけで猛禽に睨まれた蛙のような心地になり、黙ってコクコクとうなずくことしかできない。


「僕だって、リリアーナに怪我を負わせた件さえなければ、あの子まで巻き込むつもりはなかったよ。でも、お陰ですんなり釣り上げることができたし、都合が良かったことは否定しないかな。……『劇が終わるまでブエナおじい様がふたりの変装に気づかなければ僕の勝ち、っていう賭けを父上としているんだ』なんて、馬鹿げた話にホイホイ乗ってくるんだもん」


 柔らかな笑顔のままそっとグラスを傾ける。

 言葉を一旦切ったのは、給仕が次の皿を持ってきたせいだろう。テーブルに並べられたのはガラスの器に美しく盛られた生野菜。あまり見ない色をしたトマトが青菜の中に鮮やかだ。

 ちらりと視界に入ったレオカディオの器には、トマトだけ乗っていなかった。苦手なのかなと思いながらも、そこをあえてつつくような恐れ知らずなことはしない。


「あのオッサン……ブエナおじい様の弟の息子にあたるわけだけど。保身にだけは頭の回る小賢しい奴でさ、八年前の横領も、南河開発の不正も、上手いこと証拠を隠して尻尾を掴ませなかったんだ。だから父上的には、多少強引なことをしてでも自分の滞在中に投獄して吐かせたかったんだと思うよ」


 少年は器用にフォークで丸めた青菜をはみながら、「おじい様も、もう長くはないだろうし」と零すように呟く。

 それは、イバニェス家の親子にとっての本音だったのだろう。老いによって保守的な立場に甘んじるブエナペントゥラに代わり、サーレンバー領の膿を出すために一計を講じた。

 今日の一件には老領主当人も一枚噛んでいる。劇場での様子を見る限りもう踏ん切りはついている様子ではあったけれど、その心情までは計り知れない。



 リリアーナに扮したレオカディオと、クストディアを装わせた双子の妹。そのふたりを釣り餌として、初公演当日に誘拐計画を誘発するという策を持ち込んだのは、眼前に座るこの少年らしい。

 前日になってリリアーナが寝込み、観劇ができなくなったために出た案なのか、それとも前々から企てていたのかはわからない。ただ、ふたりの領主令嬢がともに屋敷の外へ出るのは滅多にないこと。その機を狙ってブエナペントゥラの親戚が営利誘拐を企てていると、顔の広い少年はどこからか聞きつけたらしい。


 『当日は両領主も同行しているが、閉幕後にそのふたりが別行動を取って警備が手薄になる機会がある』――犯行を防ぐのではなく利用することを思いついた少年は、第三者経由で犯人にそう吹き込んでいた。

 リスクは相応に高くとも、成功すればサーレンバーとイバニェスの両方から莫大な身代金をふんだくることができる誘拐計画。金に困窮した犯人にとって、この機を逃す手はなかっただろう。致命傷になりうる釣り針とも知らずに。

 さらにレオカディオたちは万が一にも令嬢へ危険が及ばないよう替え玉を用意し、狙ってくるのを待ち構えて捕らえる……だけではなく、首謀者が自ら白状するよう仕向けるため、クストディアの代役には犯人の娘を利用した。


 カステルヘルミとしては正直、どっちが悪者だかわからない。

 絶対に言葉にはしないけれど。


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