第251話 魔法師は見た!~策謀の劇場編~③


 主役の男優がイマイチだったとか、ふたりのヒロインは配役を逆にしたほうが良かったとか、四十年前には流行していなかったドレスの三重袖は時代錯誤だとか、さすがに歌唱だけは満足の出来だとか、観たばかりの劇の感想をあれこれ言い合って盛り上がる令嬢たち。

 座席で天井を眺めるカステルヘルミがぼんやりとその話を聞いていると、出入口を隠すカーテンが揺れ、向こう側からサーレンバー邸守衛の制服を着た男が姿を現した。


「旦那様のご指示により、お迎えに上がりました、お嬢様方」


「迎え?」


 挨拶に向かった領主のふたりは、ここへは戻ってこないということだろうか。不思議そうに顔を見合わせる護衛係のテオドゥロとアージに向かい、男は鋭角的な敬礼を返す。


「本日のご予定が押しているため、御二方はこのまま来賓の皆様と会食へ向かわれるとのこと。お嬢様方には別に席を設けているので、そちらへご案内しお食事を楽しまれるようにとの仰せです」


「まぁ、お父様ったら結局戻ってこないのね。私たちを放ったままひどいわ、後で埋め合わせに何をおねだりしようかしら」


「私、新しいドレスが欲しい」


「そうね、それがいいわ。お食事の後でご一緒に仕立てに参りましょう!」


 小鳥の囀りのように欲しい物を相談しあう令嬢を微笑ましげに眺め、守衛の男は一行を廊下へと促した。

 左右に分かれた護衛がふたりの少女を囲み、その背後をカステルヘルミが続く。廊下を進む途中で劇場の警備をしている衛兵たちに礼を返しながら、先ほど入ってきた通路をそのまま戻る。

 ……と思いきや、一階の停車場へ出ると、案内役の守衛は馬車を停めている方向とは逆に向かって歩き始めた。


「なぁ、待ってくれ、ウチの馬車はあっちじゃなかったか?」


「……」


 方向の間違いを指摘されても、聞こえていないのか返事もなく歩いて行ってしまう。

 アージが引き止めようとして肩を掴むと、男は振り向きざまに小袋のようなものを顔面に叩きつける。白い粉が宙に舞い、「ぐあっ!」と短い悲鳴を上げた護衛の青年が激しく咳き込みながらその場に崩れ落ちた。


「きゃぁ!」


「なっ、一体何ですのっ?」


「騒ぐな」


 倒れたアージに駆け寄ろうとした眼前へ、鋭いナイフが突きつけられて思わず息を飲む。

 咄嗟に屈んだカステルヘルミが身を震わせている少女の肩を抱くと、その横を疾風が通り抜けた。

 薄明かりの空間に鋭い金属音が響き渡る。素早い踏み込みで男の持つナイフを薙ぎ払ったテオドゥロだったが、物陰から飛び出したふたつの影がその背後に迫る。

 危ない、と声を上げる暇もなく、肉を打つ鈍い音がして不意を突かれた青年が倒れ込んだ。後頭部を押さえたまま蹲り、動けないようだ。


「あ、あなたたちは、一体……」


 腰が抜けかけの状態で、少女らを背後に庇うカステルヘルミ。ここまで先導してきた案内役の男と、布で口元を隠したふたりの男がそれを見下ろしてせせら笑う。


「侍女にしては身なりがいいな?」


「わ、わたくしは、お嬢様の家庭教師ですわ! こっこここれ以上の狼藉は許しませんことよ!」


「許さなかったら何だってんだ? アンタに用はない、怪我をしたくなけりゃ大人しくしてな。お嬢様のために自分が痛い目を見るのは嫌だろ?」


 男が一歩近づくと、怯えたサーレンバー家の令嬢が短い悲鳴を漏らす。そのか細い声を聞き、カステルヘルミの胸に燃え上がらんばかりの炎が灯った。

 震える膝にえいやと力を込めて、腰の引けた不自然な格好のまま何とか立ち上がる。


「や、雇われ家庭教師だからってなめないで下さいまし! このわたくしがいる限り、お嬢様には指一本ふれさせませ……ふぎゃっ」


 口上の途中で男の手に振り払われ、そのまま壁に激突してあえなく撃沈した。





    ◇◆◇





 上流階級用の特別停車場に停めていても不自然ではない程度に、その馬車は質の良さがうかがえる造りをしていた。

 内装も一流にやや劣るくらい。広めに造られたキャビン内をざっと見る限り、イバニェス領主邸で普段使いしているものにも引けを取らない。停車中に怪しまれては誘拐も何もあったものではないから、こればかりはケチらずにまともなものを用意したようだ。

 大枚はたいて新しく設えるほど懐に余裕はないだろうし、下手に借りたり盗んだりしては足がつく恐れがある。大方、囲いの職人に命じて、手持ちの中で最も上等な馬車の外観にだけ手を加えたとか、その辺りだろう。

 実行犯の男らは金で雇ったゴロツキ連中のようだが、口調や所作を見る限り、守衛の制服を着た男だけはどうも毛色が違う。貴賓用の通路をよく知っていたことを考えると、元劇場関係者か、それとも衛兵崩れか。

 どちらにせよ、捕まえて吐かせたところで依頼人の身元をどこまで知っているかは怪しい。元より証言なんてあてにしていないし、この馬車と職人を押さえれば誘拐の物的証拠としては十分おつりがくる。


 視線だけで素早く検分を終えると、レオカディオは心細さを表すために胸の前で両手を握り締め、顔を俯けた。

 イバニェス家の令嬢だとわかった上で誘拐されたのなら、ここでいたぶられる心配はない。それでも、相手は金のために犯罪に手を染めるような連中だ。あまり容姿を気に入られすぎると何をされるかわからない。

 たとえ性別がばれたところで、一度伸ばされた手はその程度で止まらないことを知っている。


 ゴロツキふたりはそれぞれ脅しのためのナイフを手に持ち、制服姿の男は腰の帯剣と、懐にも何か忍ばせている。御者も合わせれば相手は四人。

 ……警備が分断され手薄になった所を狙うなら、まぁこんな所か。雇い人が増えればそれだけ口封じに余計な金がかかる、後詰めはいないと見ていい。

 カーテンを全て閉めきっているため外の様子を伺うことはできないが、最初に左折をしたから邸宅の並ぶエリアには向かっていない。街を出るには人目につきすぎる外観の馬車だから、おそらく南地区の空き倉庫でも押さえているのだろう。

 ついでに中に積まれている荷を探れば、余罪がわんさかと出てきそうだ。

 嘲りを胸の内に隠し、レオカディオはそっと目を細める。


 薄暗いキャビン内には、ガラガラと響く車輪の音と少女のすすり泣く声だけが響いていた。

 こういう時はできる限り静かにして相手を刺激せず、会話や周囲の物音をよく聞いておくべきなのに。有事の際の教育もろくに受けていないのかと呆れかえる。

 馬車に放り込まれてすぐに「娘じゃないとばれたら、あの家庭教師のように不要だと言って殺されちゃう」と耳元で囁いておいたから、余計なことはしゃべらないと思いたい。もっとも、泣き枯れた喉ではまともに話すこともできなそうだが。

 頻繁にしゃくりあげるその声が耳障りだったのか、不意に男のひとりが座席の横を蹴り上げた。大きな物音に、隣の肩がびくりと跳ねる。


「うっるせぇな! 外に聞こえんだろ、痛い目見たくなきゃ黙ってろ!」


「お前の声の方がうるせーよ。まぁ確かに、泣き叫ばれるのは厄介だ、布でも噛ませておくか?」


 それを聞き、泣いていた少女は両手で自分の口を塞いだ。近づかれるのを恐れるように肩を震わせながら身を縮こまらせる。


「そうそう、静かにしときゃいいんだよ。まったく、ひでぇ泣き顔だな。領主の孫娘だって聞いてどんなもんかと思ってたが、こんなんじゃ酒場のジジイんとこのクソガキと大差ねぇや」


「こっちの銀髪は隣の領主の娘だっけ? 惜しいな、あと十年早く生まれてれば放っとかなかったのによ。いや、今でも十分いけるか……?」


「趣味悪ぃな、手ぇ出すなよ。つってもこんな小さいお口じゃ、いくらお前のモンでも入らねぇだろ」


 揃って下卑た笑い声をあげながら、覆面男の片方がしゃがんで顔をのぞき込んできた。反抗的な態度を見せても何の得にもならない。睨みつけたい気持ちを抑え、身動きせずじっとしている。

 これが自分ではなくリリアーナだったら、真顔でどういう意味かと訊ね返したりしそうだ。先が思いやられるけれど、ひとまず純真な妹の耳が汚れずに済んで良かった。

 馬鹿なゴロツキには適当に怯える様子でも見せて、存分に油断をさせておけばいい。


 俯いたまま車外に注意を向けていたレオカディオの耳が、そこで車輪の音の変化を聞き取る。石畳から塗りの舗装路に変わった。横道に入ったのだろう。

 この先は通行人も少なく、たとえ大声を出したところで外に気づいてもらえる可能性は低い。川沿いの空き倉庫はいくらでもあるから、そこに入り込んだ後では、……不安が侵食してくる心を理性で宥め、何が起きても良いように身構える。


 ――途端、キャビンの屋根に、何か大きなものが落ちてきた。衝撃を受けた車体がガタリと揺れる。


「何だっ?」


「上だ! おい、今何か、」


 馬の嘶きとともに、キャビンが激しく揺れた。前方の小窓に向かって御者に声をかけた男がその拍子に躓く。

 これまでじっと席についていた守衛姿の男が立ち上がる。と同時に、車体の扉が外から開かれた。

 躓いていた男は外に引きずり出され、入れ替わりに黒髪の男が飛び込んでくる。

 残っていた覆面のナイフを片手で払いのけ、その顔面に鋭い拳を喰らわせた。まともに受けた男は鼻血を噴いて仰向けに倒れる。

 狭い車内では剣を抜くこともままならない、帯剣は役立たずだ。状況を見て人質にされることは察しがついていたため、レオカディオは自身に向かって腕を伸ばすニセ守衛の顔面めがけ、脱いだケープを投げつけた。

 怯んだのはほんの一瞬。だが動きを止めるのはそれで充分すぎた。

 一息に踏み込んだ黒髪の男はニセ守衛の鳩尾に跳び蹴りを見舞い、こめかみを短剣の柄で強打する。

 だが、咄嗟に角度をずらして頭蓋の固い部分で受けた。日頃から訓練し対人戦に慣れている動きだ、やはりただのゴロツキではない。

 目眩を起こしているのか、制服の内側から抜いたナイフを辺り構わず振り回す。それをかわしざま、下から厚いブーツで蹴り上げて凶器を手放させる。そのまま振り下ろした踵で後頭部に重い一撃を入れ、ようやく男の意識を刈り取った。


 ぐたりと床に崩れ落ちた男に怯え、泣き顔の少女が悲鳴をあげて足を引っ込めた。顔面とスカートを濡らしながら、双子の兄の名をずっと呼んでいる。振り乱したせいで扇のようになった真っ直ぐな栗毛。

 ひとまず少女のことはキャビンに入ってくる本物の守衛らに任せ、レオカディオは投げつけたケープを回収しながら、呆れた目で黒髪の男を見上げた。


「僕には危ないことをするなとか散々言っておきながら、こういう危険なとこに率先して乗り込んでくるの、ほんとどうかと思うよ。いくらカミロやキンケードが見てないからって、無茶しすぎ」


「まぁ堅いこと言うな。それより怪我はないか? 変なことされてないか? 大丈夫か?」


「いや、うん……僕は大丈夫だよ、全部想定通り。そっちの首尾も上々ってとこ?」


「まぁな。慌てふためいて、しまいには泣き出してやんの。いい年したオッサンがみっともない。身柄はソラに任せてきたが、あとのことはサーレンバー側で始末をつけるだろ」


 わざとおどけて悪そうな笑みを浮かべる。その顔からは全く透かし見ることはできないけれど、内心では複雑なものを抱いているはずだ。真実を明るみに出せないまま、悔しさと堅忍に過ごした八年は、自分などでは全く想像もつかないような時間だったに違いない。

 労いと無事を喜ぶ手に頭をがしがし撫でられながら、レオカディオは言葉を探して同じ藍色の目を見上げた。


「……お腹空いたよ。早く店に行って昼食にしよう、父上」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る