【サーレンバー領、その後】

第249話 魔法師は見た!~策謀の劇場編~①


 令嬢の寝室から戻ったフェリバが、タオルなどを乗せた盆を片付けに部屋を横切った。未だリリアーナの容体は優れないのだろう、俯いた顔からは精彩が抜け落ちている。

 落ち込む友人にかける言葉が思いつかず、カステルヘルミは自分の膝に置いた手を開閉するだけで声をあげることもできなかった。


 別邸側の庭に突然不審な男が現れ、それを捕らえるための騒ぎが起きたのは昨日のこと。

 リリアーナを逃がす時間を少しでも稼ごうと矢面に立ってはみたものの、結局何の役にも立たず昏倒させられてしまったので、その後どうなったのかあまり詳しくは知らない。カステルヘルミが屋敷の治療室で目覚めたのは、もう日も落ちかけの夕方だった。

 幸い、狙われた令嬢たちには怪我ひとつなかったものの、酷い状態で戻ったリリアーナを見たクストディアは恐慌状態に陥ったとかで、同じ治療室の隣のベッドに寝かされていた。

 寡黙な黒鎧の護衛が言うには、夕飯もしっかり食べたしもう大丈夫とのこと。酷い状態とは一体どんなだったのか、フェリバやエーヴィに訊ねても誰も教えてくれなかった。


 ひとまず怪我がないのは幸いだが、リリアーナは夜分から高い熱を出して一度も目覚めないらしい。これまでも度々熱を出して寝込むことはあったから、安静にしていればきっと大丈夫だとフェリバは色のない顔で笑っていた。

 その顔を見ていると役に立てなかったことを謝るのも憚られて、カステルヘルミはただ令嬢の早い快復を祈ることしかできない。そばにいたのに守りきれなかったエーヴィや護衛たちは、きっと自分以上に無力感に苛まれているはず。ただの家庭教師風情が、守れなかったと悔やむのは何だか違う気がするのだ。


 元凶となった不審者は捕らえられたと聞いているから、その点だけは安心することができた。あのリリアーナが怯えるほどの手練れだったが、大柄で気さくな自警団員、キンケードの活躍によって捕まえることができたらしい。

 何でも知っていて、途方もない魔法の才能を秘めた少女。出会ってからずっと万能のように思えていたのに、つい最近本人も言っていた通り、魔法を扱えれば何でもできるというわけではないようだ。


「ルミちゃん先生、朝食ってもう食べましたか?」


「えっ? あ、朝食ですか? いえ、まだですけど……」


 物思いに沈んでいると突然声をかけられ、慌てて顔を上げた。

 すると四角い銀盆を携えたフェリバがにっこりと笑い、運んできたものを目の前の低いテーブルに下ろした。


「サンドイッチとミルクティー、本邸からの差し入れです。もし良かったら一緒に食べません?」


「まぁ、おいしそうですわね」


「エーヴィさんはまだ戻らないと思うんですけど、念のため少し残しておいて、あとは全部食べちゃいましょう。まだ出発まで時間もあるみたいですし、しっかり食べておかないと観劇の最中にお腹がグ~って鳴っちゃいますよー」


「そ、それは困りますわ……」


 そうしてとりとめのない会話をしながら燻製肉や葉物の挟まった鮮やかな軽食をつまみ、温かいお茶を飲んでいると、強張っていた体と気持ちがほぐれていくようだった。

 それはフェリバも同じだったのだろう。すっかり血の気をなくしていた頬に、わずかだが赤みが戻っている。両手でカップを包むようにして持ち、少しずつ飲みながら細い息をつく。


「……リリアーナ様は体調を崩された時でも、果物なら召し上がって下さるんですよ」


「そういえば果物のお菓子をよくつまんでおりますものね。瑞々しい果物なら、お熱を出して食欲がない時でも口にしやすいでしょうし」


「はい。だからこちらの厨房にお伝えして、色んな果物を用意してもらいました。お目覚めになったらきっと喜んでくれます」


 顔を上げたフェリバは、そう言ってはにかむように笑った。日なたのようないつもの笑顔にはまだ届かないが、そうして自然に笑っていてくれるとカステルヘルミの胸も温かくなる。

 果物の話をしながらも、大皿に添えられている苺には遠慮して手をつけようとしないので、ひとつつまんで口に押し付けてやった。


「お怪我もないそうですし、よくお休みになれば、きっとすぐ元気になられますわ」


「むぐ……ん、はい。夜よりは熱も下がってきたみたいです。うなされたりしてないし、こちらのお医者様も熱が上がらなければ大丈夫だって仰ってくれたので。私は今日一日、お部屋でリリアーナ様のご様子を見ていようと思います」


「ええ、わたくしたちも午後には戻りますから。……お嬢様も公演をご覧になられたかったでしょうに、残念ですわ」


「リリアーナ様の分までいっぱい楽しんできてください。劇の様子や内容を後でお伝えするだけでも、きっと喜んで下さいますよ!」


 両手を握って励ましてくれるフェリバにうなずき返しながら、内心では暗澹たる気持ちを消せなかった。

 着飾ったドレスのしわを伸ばし、さりげなく腹部が出ていないか確認する。長時間座っていても苦しくないようにという配慮からか、支度を手伝ってくれたエーヴィはコルセットをあまり強く締めてくれなかったのだ。

 皿の上が空になっても、待ち人は来ない。

 もしかしたら伝令は来ないのではないか、忘れられているのではないか、そうであればさっさと楽な服装に着替えてリリアーナの快復を待ちたい。……そんな思いを抱きながら、ちらちらと何度も扉の方に視線を向ける。


 公演当日の予定変更や何やら、領主たちの間では昨日から度々話し合いが持たれているらしい。その一環で、リリアーナの観劇可否に関わらず、カステルヘルミは劇場へ向かうよう従者経由でファラムンドからの指示が出ていた。

 領主自らの命令なんて滅多にないことだし、一緒に観劇できるならそれに従うのは客かではないカステルヘルミだったが、肝心のリリアーナが寝込んでいるというのに自分だけが暢気に楽しむのはさすがに心苦しい。

 今日は公演初日、最終日まではあと十日ほどある。それまでにリリアーナの体調が戻ったら、再び機会を設けてもらえないだろうかと思うのだが、警備体制などの都合を考えると難しいのかもしれない。

 せっかく遠路はるばる隣領までやって来たというのに、観劇できないまま帰路につくのはあまりに可哀想だ。自分ばかり良い思いをして、目覚めた少女に何と言えばいいのか。柔らかなソファに腰かけたまま、カステルヘルミは憂慮に湿るため息を吐く。


 今朝はいつもよりうんと早くに起き、髪型、服装、化粧、装飾品の全てにエーヴィのダメ出しを受けながら半泣きで身繕いを終え、リリアーナの部屋で出立の合図を待っていた。

 共に劇場へ向かう以外に何か用事があるらしく、支度の手伝いを終えたエーヴィはどこかへ出かけたきり、未だ戻らない。

 寝込んでいるリリアーナの世話をするフェリバは当然留守番として、劇場へはファラムンドとレオカディオ、自分とエーヴィ、その他護衛役たちが一緒に向かうことになっている。別の馬車ではサーレンバー領主ブエナペントゥラと、クストディアたちが向かうらしい。

 観劇が終わった後は集まっている有力者たちとの食事会が開かれるらしく、そこへ参加しないクストディアやカステルヘルミは他に用もないし、おそらくそのまま屋敷へ戻るのだろう。

 詳しい段取りは当日朝にでも、と従者の男に言われたままだが、その後どうなったのか。こうして指示通りリリアーナの部屋で待っていても一向に知らせはやってこない。


 そうして窓の外を眺めながらまんじりともしない時間を過ごしていると、廊下側の扉がノックされた。

 いくつか決めている合図の音ではなく、普通の叩扉のように思う。一体誰だろうと様子をうかがえば、応対に出たフェリバの横から、淡い寒色を纏う少年がひょっこりと顔を覗かせる。


「あ、魔法師のセンセイだ、おはようー」


「まぁ、レオカディオ様、おはようございます。あの、お嬢様はまだお目覚めには……」


「それは聞いて知ってる。別にリリアーナに用があって来たわけじゃないからいいんだ」


 そう言ってイバニェス家の次男坊は荷物を抱えた侍女たちを引き連れ、遠慮もなく室内へ入ってくる。

 イバニェス邸でもサーレンバーでも度々顔を合わせてはいるが、個人的に会話をしたことはまだ一度もない。何となく言語化しがたい苦手意識を持っている少年相手に戸惑いつつも、カステルヘルミは大人らしく余裕の笑顔を取り繕って出迎えた。


「そちらのお荷物は?」


「ああ、僕が使うんだ。急いで着替えなくちゃいけないんだけど、空いてる部屋はある?」


「え? ええ、あちらのお部屋は物を置くくらいにしか使っておりませんが……」


 そう言って空き部屋の扉を指すと、レオカディオは礼代わりにひらりと指先を翻し、大荷物の侍女を伴ってそこに入って行った。

 なぜ着替えのためにわざわざリリアーナの部屋へ来る必要があるのか、残されたフェリバと顔を見合わせる。身支度を口実に妹の様子を見に来たという風でもないし、何か自分の部屋では着替えられない事情でもあるのだろうか。

 フェリバと一緒に落ち着きないままそわそわ待っていると、やがて空き室の扉が開かれ、中から侍女と仕立ての良い外出着を纏った少女が出てきた。

 ……見間違いかと思って数度瞬きをしてみるが、そこに立つのはどこからどう見ても麗しの令嬢だ。


「は……?」


 呆然と立ち尽くすカステルヘルミをよそに、少女はあどけなさを前面に出すような、幼い仕草で小首をかしげて見せる。中央でもそうそうお目にかかったことのないような、とびきりの美少女だ。

 透明感のある白い肌、つぶらな藍の瞳。真っ白な花柄レースのケープには薄水の差し色が入っているから、それに合わせたのだろう、ゆるく巻いた淡い髪を同色のリボンが彩る。

 ただそこにいるだけで、存在自体が光を放っているようだ。瞬きをするたび、硝子細工めいた睫毛がきらきらと輝く。どんな化粧も太刀打ちできない、天然物の美がそこにあった。ぽかんとした口を閉じるのも忘れて見入ってしまう。


「フェリバ、どう?」


「すっごく可愛いですよ! でもちょっぴり頬紅が濃いですかね?」


「劇場は寒そうだからこんなもんかと思ったんだけど、そうだね、リリアーナもあまり血色の良いほうじゃないし、もう少し薄くしておこうか」


 少女は納得したようにうなずき、傍らの侍女に指示をして化粧直しをさせる。信じられない思いもあったが、その声を聞いてようやく誰なのか確信が持てた。


「……まさか、レオカディオ様ですの?」


「他に誰がいるっていうのさ。リリアーナが愛用しているストールがあるって聞いたから、防寒具は上着しか用意してきてないんだけど」


「あ、それなら劇場でのひざ掛けにもちょうど良いのがありますよー。あと、髪のリボンが少し淡いかなって思うんですよね、同じような素材の青いリボンがあるので差し色に重ねてみませんか?」


 花咲く笑顔を取り戻し、生き生きとした様子でさらに飾り立てようとするフェリバに、何だか置いていかれたような寂しさと驚きを隠せないカステルヘルミは目を丸くしながら道を譲った。


「え、え、フェリバさんはご存知でしたの?」


「いいえ、何も知らないですけど、レオカディオ様はこのお姿で観劇されるんですよね?」


「うん」


「じゃあ、とびっきり可愛くしないと! 事情とか細かいことはどーでもいいです、可愛いは何物にも勝ります!」


「あははは、僕はそういうフェリバの話が早いとこ好きだよ」


 そう言ってにっこりと微笑んだ少年は、戸惑ってばかりのカステルヘルミへ向き直ると、頭の先から足先まで品定めでもするように観察した。


「……ふーん。もっと派手好きな人だって聞いてたんだけど、今日はそんなに悪くないんじゃない?」


「そ、それはよろしゅうございましたわ……」


 エーヴィにとっておきのコサージュも上塗りしたラメもリボン飾りも、何もかも引っぺがされて物足りなく思っていたのだが、どうやらそのお陰でレオカディオの審美眼をパスできたらしい。後でお礼を言っておかねば。


「それで、あの、そちらの格好は一体……いえ、もちろん大変良くお似合いですけれども」


「うん、僕を可愛くないなんて言ったら視力か正気を疑うところだよ。その様子だと、まだ今日の段取りは何も説明されてないんだ?」


 フェリバとともに、大きくうなずく。するとレオカディオはリリアーナがいつも使っているソファに腰を下ろし、足を組んでから、「これはちょっとはしたないね」と舌を出して両足を揃えた。

 もう何でも許したくなるくらい愛らしい。それが見目だけだということは薄々感じながらも、手のひらで対面の席を促され、抗いがたい魔力に引っ張られるようにしてカステルヘルミはソファへ浅く腰掛けた。


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