第246話 牢獄
キンケードは間合い外から一気に距離を詰めての振り下ろしをフェイクに、半回転して返す刃で鋭く横薙ぎにした。片腕を目いっぱいに伸ばしたその一撃は、長いリーチも相まって避けたエルシオンに易々と届く。
かわせないと判断したか、エルシオンは立てた短剣でそれを受けるも威力を流しきれず、押されるまま大きく二歩跳び下がる。
自分に向けられていたのとは一転した険しい横顔も、口元にだけ妙に楽しげな笑みが残っている。
体勢を立て直した男が短剣を持つ右手を軽く上げ、振り下ろすと、その手に握っているのは白銀の長剣に変わっていた。得体の知れない強化を施された剣を相手取るには不利と見て、
白刃の輝きに一瞬ひやりとするが、それは『勇者』の聖剣ではなく、ただの
纏っている構成は、斬撃強化、耐衝撃、耐腐食……といったところか。それなりの逸品とはいえ、自分が強化した剣よりは格下。道具の差でキンケードの足を引っ張ることはなさそうだ。
「お、何だ、手品か? イイもん持ってんじゃねぇか」
「エリタスの骨董品だけどね、付与有りの掘り出し物だ。もしもオレに勝てたらコレを持ってっていいよ?」
「ハッ、どっかの武器強盗じゃあるめぇし、人様の得物なんざ要らねぇよ!」
言い捨てるなり大きく踏み込み、膂力を乗せた斜めの斬撃を放つ。
相当重いであろうその一撃を、エルシオンは構えた剣で真っ向から受け止める。刃を震わせる激しい金属音。踏みしめた靴底が土を掻くが、「打撃」に変換された力を今度は流しもせずに受け切った。
そこから間髪を入れずに二撃、三撃と互いに刃を交わす。
腕力、速度、技巧、いずれも伯仲しているように見えて、まだエルシオンの方には遊びがある。その表情通り、キンケードとの鍔迫り合いを楽しんでいるかのようだ。
類まれな実力者同士、打ち合いに夢中になってくれれば好都合なのだが、ギラギラとした赤い瞳には油断がない。対峙するキンケードを真っ直ぐ見ているはずなのに、絶えず視線を感じる。剣戟に手を抜かないまま、決して自分から注意を逸らしていない。
あれだけ魔法を見られたなら、次の手を警戒されるのは当然。それで気が散って、相手取るキンケードが少しでも楽になるなら、それもいい。
時間を稼いでもらえたお陰で、構成は描ききった。
あとはこれを発動し、回す力が必要だ。
自力だけでは到底無理な大魔法。
(やれるだけの準備はした。自前の力も必要なら絞り切ってやる。望むモノも与えてやる。……だから、お前たちの力を貸せ)
サーレンバーは自身の『領地』からずいぶん離れているが、キンケードが来た副産物として、イバニェスの『領地』で従えた精霊たちがこの場に集まってくれた。見知らぬ土地の汎精霊たちと、一度従えた精霊とでは実行力の精度が大きく違う。
見上げれば、頭上は弾ける水滴につられて群がった金の輝きで満ちている。
周囲が明るいのは晴れているからではない。変わらぬ曇天の下、淡い燐光を放つ雲に、果たしてエルシオンは気づいているのか。
金色の空を見上げながら、リリアーナは両手を掲げる。
【
紡ぐのは聖句の歌。
精霊たちに捧げる詞。
未だに大元の詞はわからないままだけれど、これが精霊たちを楽しませるための、ヒトの発する唄と音で彼らを歓ばせるために作られたモノだという考えは、たぶん間違っていない。
言葉が通じず意思の疎通ができない、不可視のナニカ。
大陸に住まう者たちは、それを遥かな昔から『精霊』と呼称し、魔法の原動力として行使してきた。
【
精霊とは一体何なのか。なぜ彼らが奇跡を起こすのか。
寿命の短さゆえか、様々な知識や技術が失伝している聖王国側のヒトよりも、『魔王』であった自分は少しだけ本当のことを識っている。
物理法則の範囲で現象を引き起こす「魔法」と、法則に縛られることなく人知を超えた現象を起こしてみせる「精霊」。
物質としての定命があり、大地で暮らす我々とは異なり、精霊はどちらかと言うと法則の側にいるモノだ。生命やモノというより、そういう概念なのかもしれない。
形がないのに感情を持ち、世界の裏側に漂い、常に楽しいことを求めている。
物理現象を自由に扱えるくせに物にはふれられず、思考もしないものだから、彼ら自身では娯楽を生み出すことができない。
だから、それが楽しいことなのだと
奇跡の具現化、それがヒトの言う「魔法」だ。
起きている現象の向こうに何がいて、なぜそんなことが起きているのか。ヒトの間ではもう永く失われてしまったようだが。
炎と伝えて炎を出す、水と伝えて水を出す――言葉の通じない相手に意思を伝えるための手段。それが構成陣であり、音を印にした
それは古い、……とても古い、約束だ。
精霊と、最初に彼らと出会った誰かとの。
【
周辺に漂っていた土着の精霊たち、キンケードが連れて来たイバニェスの精霊、そしてそれらにつられて集まった周囲の精霊らの輝きが空一面を埋め尽くす。
黄昏時を濃縮したような金色の光が地面を照らす。
一際大きな金属音を立てて刃を打ち払ったエルシオンが、驚愕に歪んだ顔で空を仰いだ。
「これって、まさか……っ」
隙を与えず斬りかかるキンケードの剣をいなしながら、離れて立つこちらを振り返り、正面から目が合った。
余裕のすっかり消え失せた顔、その目が大きく見開かれる。赤い精霊眼に気がついたのかもしれない。
だが、ここまで来たらもう正体がばれようが関係はない。どの道、この構成が完成すれば自ずと知れるのは覚悟の上だった。
自分の周囲を舞い、空に集まり、辺りを照らす力の源たちに語りかける。
「回れ、踊れ、存分に愉しめ。今生でもお前たちを楽しませてやると約束しよう、だからその対価としてわたしを助けろ!」
隠していた構成から隠蔽が剥がれる。
空に浮かんだ大きな構成円、強力な効果を描き込めるだけ描き込んだそれは、自力だけではあと百回生きたって回せるものではない。浮かんでいた精霊のかたまりがわらわらとたかり、発動できる段階まで補強していく。
複雑な構成をなぞるように精霊たちが線を描き、空に紋様が浮かび上がる。まずは一枚。
隅々まで光の行き渡った構成から、上空の厚い雲へそっくりそのまま投射。これで二枚。
さらに雲に映った紋様から、地上へ向けて光を投射した。地面に映る光線の構成で三枚。
この照射を維持することで、光の通過する部分全てに、無限に構成が
さすがにこの遠隔地では成層圏まで光を伸ばす余裕はないため、上への投射は諦めて、雲の下から地中までに限定している。範囲は狭いし、大気と地面の中に効果を及ぼすことができれば十分。
「この構成……いや、え、ちょっと待ってくれ、なんで、まさかキミが……っ!」
狼狽するエルシオンが反転しようとして、そのまま体を強張らせる。
空の構成に気取られた隙に、土伝いに氷の蔦を絡ませていた。履いている革製のブーツはすでに地面に縫い留められている。脱いでその場を脱しようとする前に、膝上まで一気に氷の範囲を広げてしまう。
「キンケード、林の中に戻れ!」
「嬢ちゃ、……いや、わかった!」
指示に対して何を問うこともせず、キンケードはすぐに木々が生い茂る中へ駆けて行った。
その間にエルシオンは魔法で氷を溶かそうと試みるが、表面が溶けてもすぐに復活する。地表伝いに凍らせているのではないと気づいた頃だろうか。持っていた剣を地面に突き立てると同時に、軽い爆発が起きる。
爆風と砂塵に目を瞑ったが、その程度で破られるものではない。冷たく凍てついているのは地中深くから。水は気体に換えていくらでも用意している。そして――
「キミが……そうなのか?」
エルシオンの赤い眼が、真っ直ぐにこちらを見ていた。
笑うでも、嘲るでもない、ただひたすらに真摯な眼差しを向けられて、なぜか心の内に戸惑いが生じる。
深く被っていたフードは爆風で外れている。素顔だけでなく、魔法を使っている最中の虹彩の色も見られてしまった。
ただの魔法師とは違う、世界で互いだけが持つ虹の輝きを目の当たりにしただろう。
「終わりだ、エルシオン。我々はこの世界に、ふたり同時には生きていられない」
「待ってくれっ!」
「安心しろ、命までは取らん。何十年か先、わたしが再び死んだ後でなら好きにするがいい」
標的を縫い付けていた氷が、地表を丸く凍らせている。エルシオンを中心とした氷円は五十歩分以上もある。効果のぶれ幅がわからないため、これ以上狭い範囲に絞るのは難しかった。
空気中に浮かべていた無数の水の粒が、集めていた気体が、うねりながらその上に集中する。
粒は水滴に、水滴は玉に、玉は水塊に、周辺の水分を吸い取りながら瞬く間に成長し、上空に滝を切り取ったかのような巨大な水の柱が出来上がった。
照射された構成により、範囲内に効果が載せられる。鼓膜を震わせるのは大気の振動。誰かの叫ぶような声が紛れた気もするが、もう聞き取ることはできない。
「水よ、刻よ、すべてを凍てつかせろ――【
――――――
実行を命じた構成が発動した。
宙に浮かぶ滝が落ちる。
地中から氷の柱が生えてそれと衝突する。
大瀑布の轟音。
空間の軋む音。
効果範囲内で氷塊と冷気が混ざり合い、一瞬のうちに凍結した。
土と氷の境目は、動と静の境界。
その外には一切の冷気が漏れず、外からは氷に干渉することができない。
ほんのひと呼吸の間に、目の前には見上げんばかりの氷の柱が聳え立っていた。
凍り付いているように見えるが、
生前にすら試すことのなかった、分類では時間と空間の操作にあたる『停止』の構成。自分で使ったのは初めてで、いまいち成功の手応えというものがわからない。
「……できた、か?」
空気中の水分を集めすぎたせいで喉がひりつく。だいぶ広範囲から寄せてしまったけれど、風が吹けばじきに混ざるだろう。
地中の水分もずいぶん奪ってしまった、地表がかさかさに乾いている。もう使っていない採掘場跡ということだから、荒れてしまっても支障はないだろうか。
……この氷柱のことはブエナペントゥラに何と説明しよう。クストディアたちのことも気掛かりだし、カステルヘルミやエーヴィ、昏倒したテオドゥロたちは大丈夫だろうか。林の中で落としたアルトも早く回収してやらないと……
色々なことがいっぺんに頭の中を駆け抜け、そして空白が生まれる。
ずっと見上げていた顔を俯け、肩から力を抜く。
眼球が乾燥するせいか何だか目が痛くて、少しだけ涙が出てきた。瞬きをすると雫がぽたりと落ちて、膝の上で小さく跳ねた。
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