第245話 殺意


 描き途中の構成全てはカバーしきれていないから、何か準備をしていることくらいはエルシオンもとうに悟っているだろう。それでも悠々と距離を詰めてくる気楽な様子には、力量差による余裕が見えた。

 ……それとも、言葉通り幼い自分にはヒトを傷つける魔法は使えないと本気で思い込んでいるのか。それが隙なら好都合だが、どうにも初手を誘われているように思えてならない。

 普段であれば牽制の魔法でも放っているところだが、生憎と今はそんなことをする余力もない。言葉か身振り、もしくは何かを演じてでも、あと少しの時間を稼ぐ必要がある。


「そうまでして居場所を知り、追い詰めて、何もかも奪ってどうする気だ。もうとうに役目は、」


 足を踏みしめ、リリアーナが声を張り上げたその時、林の中から石のようなものが飛んでくるのを見た。

 両手を握り合わせたような大きさのそれは、エルシオンの斜め後方から真っ直ぐ飛来し、頭に直撃する寸前で抜いた短剣に叩き落とされた。

 振り返りもせず防いだその手腕に目を瞠る間もなく、石の死角へ同時に飛んできていた刃物が避けた男の赤毛を掠める。

 自分の立ち位置だから全て視認できていたが、完全に死角からの攻撃を囮も刃物もよくかわしたものだ。リリアーナは驚愕に口を開いたまま林の奥へ目をこらす。すると、木々の隙間から黒い服の男がのっそりと姿を現した。


「あっぶないことするなぁ、今のはちょっとヤバかった」


「余裕で避けながら良く言うぜまったく……」


 藪を跨いで大股に近づきながら、腰の剣を引き抜く。油断なく標的を見定める凶悪な目つきを見返し、エルシオンも半身の姿勢からそちらに向き直った。


「キンケード!」


「よぉ、嬢ちゃん。助けが要るときは遠慮なく呼べとか言っときながら、こんな遅刻しちまって悪いことしたな。ケガなんかしてねぇか?」


「また自警団のヒトかー。大丈夫、女の子に怪我を負わせるようなことしないから安心してよ」


「あぁ? お前にゃ訊いてねぇよ、散々好き勝手してくれて何言ってやがる青二才が、ふざけんな。この落とし前はキッチリつけてもらうぜ」


 きっと来てくれると信じていた、それでも安堵から膝が崩れそうになる。気力を振り絞って震えそうになる足を支えながら、自分は大丈夫だとうなずきだけを返した。

 クストディアたちが呼んできてくれたのだろうか、それとも用事が済んで戻るなり裏庭の異変を目にしたのか。ともあれ、間に合って良かった。

 キンケードが携えているのは、以前屋敷の裏庭で強化を施したあの剣だ。彼の腕前さえ確かなら、エルシオンの得物などに打ち負けたりはしないはず。

 大きな手に握られた長剣は、一見すると何の変哲もない量産品。打ち合うまではエルシオンにだってどんな効果が付与されているかはわかるまい。

 ……そんな想いに自ら強化した剣を見つめていると、その刀身から、キンケードの体から、一斉に金の燐光があふれて飛び出した。男がイバニェスの精霊たちに纏わりつかれていることを知っているリリアーナでも驚いたのだから、エルシオンの驚きは尚更だろう。


「う、わっ! 何……きもちわるっ?」


「ハァ? ご挨拶だなてめぇ、証言に必要な部分だけ残して全部切り落としてやんぞコラ!」


 一息に距離を詰めたキンケードが大きく斬りかかると、エルシオンは横に跳んでそれをかわす。間合いを計り、距離を取ったふたりの男を真横から見る形になる。

 ちらりとリリアーナに視線を向けたキンケードが、言葉を選んだように「コイツか?」と訊ねてきた。

 その一言だけで、全てを言わずとも何を知りたいのかは通じる。

 以前、裏庭で打ち明けた『赤い髪の男』……コンティエラの街でも対峙し痛い目を見る羽目になった、あの相手なのかと訊いているのだろう。


「そうだ」


「ふーん、そうか。髪は真っ黒に見えるけどな、コイツが例のアレか、わかった」


「え? 黒い……?」


 一体何を言っているのかと瞬き、遅れて理由に思い当たったリリアーナがエルシオンへ視線を向けると、男はしてやったりと言わんばかりの笑みを浮かべている。

 最初に現れた時の、色彩を惑わす魔法、あれを完全には消していなかった。小屋を脱したあとに効力をずっと薄めて、低レベルの幻惑が効かない眼にだけは元の赤毛がちゃんと視えるようにしていたのだ。

 まんまと嵌められたことには悔しさを覚えるものの、一体なぜそんな面倒なことを……


「この髪で『勇者』エルシオンの話をしていても、あの口の悪いお嬢様や家庭教師のおねーさんは無反応だったでしょ。視えてる上に、色が変わっても反応なし。リリィちゃんだけが、オレの正体に勘付いてるんだなって思ってたよ」


 そう話しながらエルシオンが自らにかけていた迷彩を解いたのがわかった。キンケードの目にも赤い髪が映ったのだろう、驚いたように眉を持ち上げ、不敵な笑みを浮かべた。


「なるほどな、まぁ正直どっちでもいいや。嬢ちゃんに手ェ出す不届き者な上、余計な経費や手間を増やしてくれた元凶だ。テメェのせいで痴呆だの老化だの散々罵られた分まで切り刻んでやらんと気が済まねぇ。五体満足でこの場から帰れると思うなよ、アァ?」


「ガラ悪いなー、悪モノの台詞だよねそれ」


 エルシオンが下げていた短剣を構える。……と同時に踏み込んで一息に迫るが、キンケードは危うげなく鍔元でそれを弾き、返す刃で胴を狙った。

 横薙ぎの一閃は同じように短剣で防がれ、甲高い剣戟の余韻を残し互いに一歩ずつ退がる。


「……っ、ずいぶん重い剣だ、手が痺れる」


「脳天かち割られたくなけりゃ、せいぜい防いでみな!」


 斬撃無効の効果がついているため、キンケードの剣では何も斬ることができない。

 その代わり、切断することで通り抜ける力が一点に留まり、込められた威力すべてが有り得ないほど集約された「打撃」に変換される。

 斬れることと何が変わるのかと言えば、たとえ剣撃を防がれたとしても、打撃としてのダメージが丸々相手に入るわけだ。剣先を避けても、掠めただけで防具の受けた斬撃の分だけ中身に打撃が入ってしまう。


 斬れすぎないようにと再加工を頼まれた時は、正直ここまで計算に入れていたわけではないのだが、剣としての斬る役目を封じたことで、膂力が並外れたキンケード向きの武器に生まれ変わった。

 俊敏な牽制から入る大上段の一閃、空気を薙ぎ割くそれはもはや刃物を振るう音ではない。巨大な棍棒でも振り回しているみたいだ。

 攻撃を繰り出す、刃で受ける。刀身が鋭く動くたびに裂けることを防がれた不可視の物質が左右に避けられ、周囲に風圧を生んでいる。

 激しい剣戟を繰り返すふたりの周囲には、絶えず砂塵が舞っていた。


「……な、んか、この剣筋はっ、つい最近も見たことあるんだよなぁ。どっかで会ったっけ?」


「勝手に人の記憶を消しやがったくせに、ずいぶんとな言い草だなぁオイ!」


「ん? やっぱ最近会っ……あぁ、思い出した、イバニェスの裏通りにいたヒゲ男! なんかさっぱりしてるからわかんなかったよ」


 互いに攻撃の手を緩めぬまま、合間にそんな会話を交わしていた。

 強化を施した剣には、刀身の自動修復だけでなく血行増進などの体力活性効果もつけているが、それを握るキンケードの表情は険しい。

 斬れすぎない剣なら存分に力を揮える、足場も悪くない、林を駆けてきた疲れも活性化でいくらか取れているはず。それでも実力が拮抗しているためか、あと一歩のところで決定打が入らない。

 見守るリリアーナの目からもほぼ互角に思える剣戟、表情から笑みを消さないエルシオンも決して遊んでいる風には見えなかった。手は抜いていない。だが、まだ何か手札を控えている、そんな余裕だ。


「見たこともない付与魔法エンチャントだね。その剣どこで……いや、誰に強化してもらったの?」


「答えると思うか?」


「じゃあオレが勝ったら、戦利品として貰っちゃおうかなー」


 二歩分跳んで下がったエルシオンが左手を高く掲げ、帯電の白い火花が散った。


 ――白迅雷撃エ・エレクトラが来る!

 自身の布石を信じ、爆音を覚悟してその場で身構えた。




  ッゴ  ッオォォォォ……ン!




 至近距離で爆発した雷撃。

 光輝く稲妻が対象に直撃し、熱と電撃による大ダメージを与えるエルシオンの得意魔法だ。

 耳をつんざくような轟音が体と鼓膜を震わせる。

 過去に見知っているものより規模が小さいのは、さすがに生身のヒト相手ということで威力を絞っているのか、それとも騒ぎになって屋敷の人間が駆けつけるのを避けたか。本来の威力で直撃したら、並みの生物なら木っ端微塵で焦げカスしか残らない。


 エルシオンの呼び出した白い稲光。

 それは天に向かって伸びる木の枝のように、魔法を行使した本人の意図とは正反対の方向へ飛び散り、空へと霧散した。

 振り仰げばまだ消えきらない帯電の名残が、火花の欠片を散らしている。


 キンケードとの戦闘に焦れるとこれを使ってくることは、先のコンティエラでもわかっていた。そのため前もって置いていた対策が見事、功を奏したようだ。

 上空にある雷雲の中では、稲妻は上に向かって走るのと同じ原理。予め逆の負荷を持たせた水滴を散布し、白迅雷撃エ・エレクトラの稲妻を空へと散らせてやった。

 一度見た相手の魔法を解析し、二度目に備え対策を立てているのはお前だけではないのだと、リリアーナは心の中だけでこっそり嘲笑う。


「……っ、なんで? あ、水の粒か!」


 種明かしをするまでもなく、自身で原因に気づいた男は唖然と空を見上げ、そしてリリアーナの方を振り返った。

 信じがたいものを目の当たりにしたように目を見開いている。笑みの気配がすっかり消え去った、その驚きに固まった顔を見られただけでも、先手を打っておいた甲斐はあった。

 そして、ここからが正念場。この男は、無駄口と軽薄な笑いが薄れるにつれ本気の力を出してくる。油断につけ込むならば、こちらの正体を悟られる前に本命を決めてしまわねば。


「手の内を知られてるってのは、なかなか新鮮な感じだなぁ、驚いた。オレのことはどこまで聞いてる?」


「……」


「あ、じゃあこないだの街でもこれを……いや、あの時はちゃんとヒゲ男に直撃したはずだ。コイツ、なんでまだ生きてるの?」


「え、」


 エルシオンが発する疑問の声に、底冷えのするような悪寒を覚えた。純粋に不思議で仕方ないという表情から、それは冗談でも何でもない本心なのだということが伝わってくる。


「……お前、あの時、キンケードを殺すつもりだったのか?」


「だって誘拐犯に協力してる自警団員なんてさ、悪いヤツに決まってるじゃん?」


「はぁ? 誘拐犯に協力ってなんだよ、オレは、……あー」


 言葉の途中で後頭部を掻くキンケード。子どもふたりを抱えて走るカミロの姿を思い出したのだろう、どこか納得するような声をあげて顔をしかめた。言い掛かりも甚だしいが、そこで反論して余計な情報を与えるようなことはしない。

 そうして口を禁む大男を視界の端に入れながら、リリアーナは身を震わせた寒気が、次第に臓腑を煮るような怒りに塗り変わっていくのを感じた。


 聖王国の守護者たる『勇者』ならば、ただのヒト相手に命を奪うような攻撃はしないだろう……なんて、ただの思い込みに過ぎなかったのだ。

 手加減をされたから軽い火傷で済んだわけではなかった。キンケードに纏わりついている精霊たちの護りがなければ、あの時に受けた白迅雷撃エ・エレクトラで本当に死んでいた。

 偶然、少し前に武器強盗の騒ぎがあって、その経緯でたまたまキンケードに精霊がたかって。もし、それがなかったら……。


「嬢ちゃん、こんなヤツの言うことに一々耳を貸すこたねぇよ」


「だがっ」


 自分たちがエルシオンに追われていたせいで、引き寄せられて来たこの男に足止めなんて頼んだせいで、危うく命を落とすところだったのに。

 発しかけた言葉と一緒に、不甲斐なさも悔しさも全て飲み込んで、止まっていた作業に集中する。

 エルシオンの手によって殺される恐れがあるのは、自分だけだと思っていた。

 ある意味、それは甘えにも似た慢心だ。自分が失敗しても、命を脅かされるのは自分だけなのだと――代わりに周囲の誰かが殺されるかもしれない可能性までは、想像しきれていなかった。


(落ち着きを欠くな。打てる手はこれで最後。この体に残っている全ての力を注ぎ込んででも……必ず成功させてやる!)


 胎の内を焦がすようなこの感情には、覚えがある。

 以前は怒りに我を忘れてしまいそうになったが、今なら冷静に受け止められる。

 これは、殺意だ。


 いつの間にか再開されていた剣戟の音が遠い。頬を冷やしていた空気の冷たさも、間近に迫る天敵への怖れも、もう感じない。


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