第236話 転換


 この状況で動けるような性格をしていないし、むしろじっとしていてくれた方が危険が及ばずに済んでこちらも助かる。――そんなことを考えていたのに、エルシオンとの間に立ち塞がったカステルヘルミは背筋をぴんと伸ばし、広げた両足を踏ん張っていた。

 庇われる格好のためリリアーナからは背中しか見えないが、垂らしたままきつく握り締めている両手は小刻みに震えている。そんな無理をして盾になるような真似をしなくても、弟子に守ってもらおうなんてはなから思っていない。万が一、大きな怪我でもしたらどうする。今の自分はすぐに修復をかけてやれるほどの力はなく、治癒の魔法だってあまり得意ではないのに。

 横で大人しくしていろと制止の声をかけようとしたリリアーナは、ふと、ドレスに隠れた指先が背中側に向けてちょいちょいと動いているのに気づく。

 ……おそらく、何かの合図のつもりだろうが、残念ながら何が言いたいのか全くわからなかった。


「わっ、わたくしは、お嬢様の家庭教師を務めておりますカステルヘルミと申します。さささささっきから聞いておりましたが何ですかあなたっ、侵入者の分際で身勝手なことばかり! 旦那様からお預かりしている大事なお嬢様に、これ以上の無礼は許しませんよ!」


「許さなければ、どうする? そっちの怖いお嬢様が言うみたいに、魔法でオレを痛めつけてみる?」


師匠・・から教わったわたくしの魔法は、そんな乱暴なことに使うものではございませんわ」


「……師匠?」


 余裕を滲ませていたエルシオンの声音がわずかに変わる。

 神経麻痺や転移の魔法を教えた相手、ヒトならざる魔法の腕を持つその相手こそ『魔王』デスタリオラだと思っているらしい男にとって、それは聞き捨てならない言葉だったろう。

 実際、カステルヘルミに魔法を教えているのは自分デスタリオラだから、言っていることもエルシオンの推測も何も間違ってはいない。

 ……間違ってはいないが、ここで矛先を自身に向けてどうするというのだ。確かに、カステルヘルミには乱暴な魔法なんて教えていない。乱暴どころか、まともな効果を及ぼすものはまだ何ひとつ教えていないのに。


 言いたいことも遮る言葉も全て飲み込み、カステルヘルミの背を見ながらその向こうを側を意識で透かし視る。

 もうすでに眼には映した、立っている位置も対象の配置も把握している。何かあればすぐに目の前の女を引き倒せるよう心の準備だけしながら、胸の前で手を握り合わせた。


「いざ、刮目して見よ! わたくしの地道な魔法特訓の成果を!」


 声高に宣言し、カステルヘルミは勢いよく両手を前に突き出す。その膨らんだドレスの後ろに隠れたまま、エルシオンの「おぉ?」という驚愕の声を聞いた。

 女魔法師の前には、ヒトの顔面ほどの大きさをした円が浮かんでいるはず。

 発光するでもなく、色がついているでもない、ただそこにあるのが視えるだけの構成円。何の効果も描き込まれていない、ただの円だ。

 ふわふわと虚空に浮かぶ無意味な輪っかは、教えておいて何だが、カステルヘルミが浮かべてみるまで自分も視たことがなかった。聖堂の妙な教えを排した魔法の入門編。構成円を描く練習としては間違っていないはずだが、突然このマルだけを視せられたら、高位の魔法師ほど困惑するはずだ。

 案の定、エルシオンも女魔法師が何をしたいのかわからないらしく、素で戸惑っていた。一歩たりとも動かずに。


「……え? 何これ、え? 構成なんだよね?」


 その的確な足止めにはどんな大魔法よりも効果的だった。自分は良い弟子を持ったと思う。

 

<対象の立ち位置変化ありません、干渉を弾く防護魔法及び護符の類も反応なし、いけます!>


 アルトは一度見ている手だから、描いている構成で何を狙っているかがわかったのだろう。その補佐の言葉を聞き終えたところで、偽装を上塗りしながらの構成陣が完成した。

 ヒトの脳神経系に直接作用を及ぼし、運動野の伝達を阻害する。その他の領域への干渉は危険すぎるので、生前に構成を創った時から作用範囲は限定していた。

 五感も意識もそのままに、動作の自由だけを奪う術。

 物理干渉ではないため、筋力による強引な抵抗も、普通の防護魔法も通じない。ただし用途があまりに限定的すぎて、『魔王』でいた間は結局一度も実用することのなかった創作魔法。



神経干渉トカネルヴォ



 カステルヘルミの体越しに、練り上げた魔法を作用させる。

 術が弾かれた気配はない、ちゃんと届いた手応えはあった。……だというのに、何だろう。妙にいやな予感がする。


 後ろからカステルヘルミの腕を引き、エルシオンからわずかばかりの距離を取る。

 コンティエラの路地でかけたときと同様、効果はそう長くもたない。瞳孔を収縮させ精霊眼の行使をも妨害するが、構成を浮かべるだけで済むような軽度の魔法なら扱えるから、それによって効果相殺の方法を見つけるか、痺れに構わず攻撃魔法を仕掛けてくる可能性だってある。

 運動野への麻痺が効いている間に、何か別の足止めを講じなくては。


「お嬢様、あの、わたくしがっ」


「いいから!」


 腕を引かれるがまま下がるカステルヘルミの向こう、遮るもののなくなった先にいる赤毛の男。

 その目が、笑っているように見えた。


 気のせいだ、まだ効果が切れるほど時間は経っていない。今のうちに体を半ばまで凍らせて行動不能にするか、それとも一時的に魔法を扱えないよう奴の精霊眼を――


「……うん、相方がいなくてもわかるよ。コレ・・は、家庭教師のおねーさんじゃないね。リリィちゃん、キミの魔法だ」


「っ!」


 もう言葉を出せるなんて、いくら何でも早すぎる。術を相殺された感触はないし、効果は確実に及んでいる。体内で中和しているのか、もしくは以前と同じ魔法が来ると踏んで、予め対策を用意してきていたのか。

 自分の脳に自分で干渉するなんて、いくら『勇者』とはいえそんな器用なことがヒトにできるとは思えない。


「さすがに、二回目ならね。ちょっとは、解析くらいしてるよ……、うん、もー少しかなー?」


 一度麻痺を受けただけで神経系への直接干渉だと勘付くなんて、どう考えてもおかしい。思考武装具アルトバンデゥスがついているわけでもないのに、自己解析なんて有り得ない。この男、もしかしてヒトではないのでは?


 リリアーナが言葉もなく後退すると、エルシオンの眼球と首が動いてその姿を追う。

 今の自分にできるとっておきが、狙っていたほどの効果を示さず、苦渋に歯噛みする。この分ではじきに手足の自由も取り戻すだろう。


「な、なんか動けないみたいですわね。お嬢様、今の内にお逃げください、この男はわたくしがストールでぐるぐる巻きにして、テオドゥロさんの持ってる縄で縛りあげておきますから!」


「だ、だめだ、そんなもの効果はない。お前は早く屋敷に、」


 言葉の途中で突然、視界がぐるりと半回転した。

 腹部に衝撃があり、息が詰まる。何事かと思っている一瞬のうちに全身が硬い何かにぶつかった。


「……っ、な、シャムサレム?」


 片手で腹を掬って抱き上げられたらしい。腕に乗るような形は、以前キンケードに抱えられた時と同じ格好だ。

 黒い肩鎧に手を置いたところで、反対側の腕にはクストディアが抱えられていることに気づく。あまり大柄ではないから膝同士がぶつかって窮屈だ。クストディアも「狭い」だの「痛い」だのとしきりに文句を言って肩を叩いている。


「つかまってて」


「えっ」


 短く呟くやいなや、両手にリリアーナとクストディアを抱き上げた男は踵を返し、そのまま針葉樹林の中へと突っ込んだ。

 均された林道も何もない藪の中を構わず突き進む。体中が甲冑に守られたシャムサレムは構わなくとも、顔が出ているふたりはたまったものではない。前進するたびに木の葉や枝が無遠慮に全身を叩いてくる。


「いっ、痛い! ちょっと、ふざけんじゃないわよシャム!」


「あまり口を大きく開くなクストディア、虫が入るぞ」


「~~~……っ!」


 忠告が効いたようで、クストディアの甲高い文句はそこでぴたりと止まった。肩鎧にしがみつくような格好で固まったのを確認し、横目を黒い兜へと向ける。


「この林の奥はたしか、古い採掘場があるのだったな?」


「……そう」


「広い、平らでひらけた場所はあるか?」


「建屋も、置き場所も、全部引き払ってあるから、何もない。平らで、広い」


 それだけわかれば十分だ。軽量化がまだ効いている甲冑に、重ねて消音の構成を描く。

 これくらいの軽い魔法であれば大した負担にはならないが、今日はもうテッペイの起動に加工剤の変質、神経系麻痺といくつも魔法を使っている。不意の遭遇により気力はごっそりと削られているし、魔法を扱う力は体感で残り七割といったところ。

 エルシオンに効くほどの大掛かりな構成は、一発が限度だろう。それも、今の自分では描き切るのに時間が要る。


「シャムサレム、もう少し進んだらわたしを下ろしてくれ」


「だめ」


「いいから、聞け。……お前たちには消音の魔法をかけた、もう甲冑の音も話し声も気にしなくて平気だ。だからわたしを下ろしたら、この林を大回りして側面から屋敷へ戻り、イバニェスの護衛のキンケードという男を呼んで欲しい。お前は書斎の前で一度会っているだろう、大柄で黒い髪をまとめた目つきの悪い男だ」


<ぁ、……>


 ひどい揺れの中、何とか舌を噛まないように注意しながら兜越しの耳元で話しかける。

 時間も手数もない、限られた札を使って精一杯手を打ってみて。……それでも駄目なら今度こそ諦めるから、せめて周囲の者たちには危害が及ばないようにしたかった。

 残してきたカステルヘルミのことは気掛かりだが、リリアーナがあの場にいなければ退避をためらったりはしないだろう。無力な女魔法師をどうこうするほど『勇者』の性根も腐っていないはずだ。倒れた護衛やエーヴィ、カステルヘルミたちを人質に取っても意味はない。奴は必ず、体の自由を取り戻し次第、真っ直ぐこちらを追ってくる。


 被ったフードの中、額から汗が伝い落ちてくる。鎧に掴まっている手の甲に押し付けてそれを拭い、もうこの辺でいいと黒い腕を叩いた。それでも止まらないのでもう一度叩くと、少しずつ進みが緩くなり、じきに足が止まった。

 ひどく息切れしている男に注意深く下ろされ、地面に靴がつく。

 自身で危惧していたほど、もう足は震えていなかった。覚悟に、肝が据わったのだろう。


「あ、あんたが残って、どうするのよ。あの男に誘拐されたり、変なことされるかもしれないでしょ!」


「いいから行け、シャムサレム。頼んだぞ」


「ちょっと、待ちなさい、こんな所に置き去りにして、もしあんたに何かあって領間の問題になったりしても私は絶対謝らないし責任だって取らないんだからね!」


「……ふ。そう心配するな」


 漏れそうになる笑いを押さえながらそう返すと、少女は赤い頬を膨らまして黙った。確かに、何も知らないまま幼い子どもをこんな場所に残して行くのは、さすがのクストディアでも気分が悪いだろう。

 何となく稚気じみたものが沸いて、人差し指を一本、唇の前で立てて見せる。


「これは内緒なんだが。実をいうとな、わたしはあの家庭教師よりも強いんだ。……さぁ、行け!」


 掛けた発破とともに、角度を変えたシャムサレムが駆けて行く。その後ろ姿を見送りきらぬまま、リリアーナも林の奥へと走り出した。

 針葉樹林とその奥にある採掘場跡は、別邸の窓から何度も見て距離感を把握している。鎧の軽量化が効いたようで、シャムサレムが目算八割くらいは進んでくれた。もう少し北上すれば林の切れ目が見えてくるはずだ。

 息が上がりすぎないように深い呼吸を意識し、なるべく茂みの浅い部分を選んでひた走る。

 ヒトとして生まれて以降、日頃から散歩や運動を欠かさずにいて良かった。これがノーアだったら、もうとっくに息が切れて動けなくなっていただろう。ふと先日ともに過ごした白い少年のことを思い出し、口元が緩む。

 ……体力にも、気持ちにもまだ余裕はある。大丈夫だ。


 そう自身を鼓舞して走り続けた先、少しずつ木と木の間隔が空くようになって、地面の固さが変わったことに気づくと同時に視界が大きくひらけた。


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