第234話 対峙



「な、何よあれ、鎧が動い……あんた、何したの!」


「テッペイは元々そういう造りにしてあるんだ。とにかく今は走れ、あの程度の足止めではそう時間を稼げない。庭に戻ればうちの護衛たちがいるし、すぐにキンケードを呼んでもらって、それから……」


 感情に振り回されてはいけない。もう驚きは過ぎ去ったし、足の竦みも治まった。

 逃げ場のない状況はひとまず脱することができたから、交渉に応じる気のないクストディアを安全な場所へ移し、この後どうするかを考えなくては。

 逸る気持ちをおさえ、冷静さの維持を心がけてひた走る。

 その足が、まだ小屋が見えるような場所でつんのめって止まった。振り返ってみると、腕を引いていたクストディアが転びそうになったらしく、前のめりの不自然な体勢をシャムサレムが支えている。体力的な問題というより、足が震えてもうこれ以上は歩くこともできないようだ。


「仕方ない、お前がそのまま抱え上げて走れ。鎧とクストディア、どちらを軽くして欲しい?」


「鎧」


「はぁ? 何言って、」


 物分り良く簡素に答える男の鎧にふれ、その重量を一時的に緩和した。厚手の衣服を着込んだくらいの重みになっているはずだ。

 シャムサレムは感覚を確かめるようにその場で足踏みをすると、クストディアを横抱きに抱え直す。フェイスガードの下から黒い瞳がこちらを見て、力強くうなずき返した。

 一刻を争うこの非常時、何も問い返してこない潔さは評価に値する。

 重みさえなくなれば関節の具合が悪い鎧でも、クストディアを抱えていても、走る分には問題ないらしい。まだ何か不平を喚く主人を抱き上げたまま、シャムサレムは金属音をかき鳴らし先導しながら走った。


「痛いっ、ちょっと、あちこちぶつかって痛いのよ!」


「走れないお前が文句を言うな。ちなみに、念のため訊いてみるが。明日からの公演を変更なり中止なりして欲しいという、あの男の要請を聞き入れる気はないのだな?」


「当たり前でしょ! モンタネール歌劇団の誘致は三年振りなんだから、あんな不審者のせいでこの機会を逃してたまるもんですか!」


 三年前の事故の影響で観劇ができなかった分、今回の上演にかける熱意は相当なもののようだ。

 それでも、奴の言う通り上演内容が違法なものであるなら、後々それを容認したサーレンバー領側が面倒なことになりかねない。今のうちにエルシオンの要望を飲んで、無駄な揉め事を回避したほうが賢明だと思うのだが……。

 やんわりとそんなことを伝えてみると、クストディアは抱えられたまま首だけで振り向き、鎧の腕越しにこちらを睨みつけてきた。


「あんただって、本が読めないなら劇の方に期待してるって言ってたじゃない! そもそも、あの無礼者は何なの、どこの誰、知り合いなんでしょ、追い払ってよ!」


「そう易々と追い払えるなら苦労はしない……。詳細は省くが、あれはとんでもない手練れでな、わたしも前からつけ狙われている側だ」


「つけ狙われ……って、変質者!」


「まぁ、うん、何でもいいや。とにかく木っ端の守衛などでは束になっても敵わない、サーレンバー邸には魔法師は常駐しているのか?」


「いるにはいるけど、あいつの侵入をみすみす見逃す程度のゴミカスよ。腕の立つ魔法師なら、あんたの家庭教師がいるじゃないの」


「あー、うーん……」


 中央から招いた凄腕の女魔法師ということになっているが、実情はアレだ。足止めどころか交渉役すら任せられないし、巻き込まれる前になるべく安全なところへ避難させねば。

 こちらの戦力として数えられそうなのは攪乱が得意らしいエーヴィと、未だ戻らない近接戦役のキンケード、それと情報処理役のアルトのみ。サーレンバー邸の助力はあてにせず、今はこの面子と自分でどうにかするより他ない。


 元々小屋の位置はそう奥深くはないため、すぐに細い林道の出口が見えてきた。木々の間を抜ければもうそこは元の庭だ。

 敷布の上でくつろぐカステルヘルミが驚いた様子でこちらを見ている。


「な、何かありましたの? クストディアお嬢様は、まさかお怪我を?」


「三人とも怪我はしていないが、緊急事態だ。すぐに――」


<対象、高熱の蒸気と冷却により粘着の足止めを脱したようです。破損した衣服を換え、小屋を出てこちらへ向かっております!>


 そう長くはもたないだろうと思っていたが、想定よりだいぶ早い。

 そもそも接着剤を使っての足止めは、魔王城の塔周囲に流し込まれたオニモチを参考としたもの。あれが群生しているベチヂゴの森を抜けてキヴィランタへたどり着いた『勇者』であれば、その攻略法も既知ということか。

 異常を見て取ったのだろう、離れた場所でこちらの様子をうかがっていた自警団員のふたりとエーヴィが駆け寄ってくる。周囲をざっと見回してみるが他には誰もいないようだ。


「テオドゥロ、まだキンケードは戻りそうにないか?」


「え? あ、はい。午前中には戻るはずなんで、もう少しだとは思います。何がありました?」


 平時と変わらない彼らの様子を見る限り、エルシオンはこの庭を通らずに回り込む形で林を抜けてきたのだろう。「侵入者だ」と短く告げると、普段の気さくな様子をしまい込み、青年は表情を引き締めて林の奥へ視線を向ける。

 その横をエーヴィが一気に駆け抜け、リリアーナやクストディアを庇う位置に立った。


「エーヴィ、決して無理をするな。覚えてはいないかもしれんが、コンティエラの街でやり合ったあの男だ。たとえ不意をついても打倒や拘束は難しい、可能な限り交渉でどうにかしたいと思う」


「リリアーナお嬢様の身の安全を確保した上で、そちらも考慮致しましょう。カステルヘルミ様、御二方をお屋敷までお願いします」


「えっ、うぇ、はい!」


 敷布の端でもたもたと靴紐を結んでいるカステルヘルミを振り向き、また林道の方へ視線を戻すと、そこにいたはずのエーヴィの姿が掻き消えていた。

 金属同士の衝突音が響く。


「よく動くメイドさんだなぁ!」


 細い道の向こうから男の声が響いた。木々の隙間にエプロンドレスの白がはためく。

 針葉樹を蹴って鋭角的な攻撃を繰り出すエーヴィだが、その手から放たれる短刀はことごとくかわされているようだ。

 林道から出るのを遮るように投げられた刃を避け、姿を現しかけた男が飛び退く。その首を狙い、側転をしながら翻る足がわずかに光を反射する。靴の爪先に刃物が仕込んであるらしい。

 寸でのところで回避しきったエルシオンはさらに後退をして、庭からは何も見えなくなる。

 突然襲い掛かったことには驚いたものの、クストディアたちをここから遠ざける時間を稼げたのは有難い。カミロが「大抵のことはできる」と推した人材だが、大抵・・の幅がちょっと広すぎではないだろうか。


「エーヴィさんんんっ、あわわわわお嬢様、今のうちにお屋敷へ参りましょう!」


「……クストディアを頼む。荒事を屋内へ持ち込むわけにはいかない。エーヴィと出来る限り足止めをして対話を試みるから、落ち着くまで他の守衛などがここへ近寄らないようにしてほしい」


「な、何を仰いますの! だって、あんな、あぶな、突然、あの、不審者ですわよっ、お嬢様をこんな所に残してなんて行けませんわ!」


 ひどく動揺しているカステルヘルミを手で制し、鎧の腕に抱えられたままのクストディアを見上げた。


「公演の中止か変更を飲んでくれさえすれば、お前の方はもう付き纏われずに済む。本当の本当にだめか?」


「くどいわね。それを承諾したとして、あんたはどうするのよ、あの変質者に付け狙われてるんでしょう!」


「遅かれ早かれ、直面する問題だったんだ。準備不足のうちに来られたのは計算外だが、ひらけた場所で部外者に見られないこの庭は、わたしにとっても都合がいい」


 もし屋敷へ逃げ込み、追ってきたエルシオンと対峙するとして。途方もなく高価な品がそこら中に無造作に置かれているサーレンバー邸の中、あの小屋のような無茶をできる自信がない。

 無機物への被害を仕方ないと割り切ったところで、騒ぎを聞きつけたヒトが集まってくるような場所では、魔法の余波による人的被害を気にしてしまう。

 かといって、先ほどの小屋のような閉塞的で逃げ場のない場所は論外。

 また、戦力として数えられる者以外は、はっきり言ってしまえば足手まといだ。魔法を使っているところを目撃されるのも不都合だし、それなら下手に騒ぎを大きくせず、この場でどうにか収めたほうが良いと判断する。


 ……正体をまだ勘付かれていないことは、こちらに有利に働くはず。

 なるべく身の安全を確保し、距離を保ったまま会話に応じて――、それで何らかの解決が見られれば、安心してイバニェスへ帰ることができるのだから。

 元々、『魔王』の記憶と権能を持って生まれてしまった自分のまいた種だ。『勇者』がまだ現役の力と役目を有して生きている以上、たとえ幼子といえどデスタリオラの残滓を放っておくことなどできないだろう。


 生まれ直した『魔王』を殺すことが奴の目的なら、命がけの戦闘は避けられない。

 だが、もし、少しでも共存の目があるのなら、そこに賭けたい。

 どの道、真っ向勝負ではどうやったって敵わない相手なのだから、会話で命の危険を回避できる可能性を生み出せるなら安いものだ。


「交渉とは言っても、実のところ手札は少ないからな……。まずは相手の望みを聞き出すところから、か?」


 なぜコンティエラで執拗に追ってきたのか。転移後の再会を望むほど、何をたずねたがっていたのか。

 円柱陣や汎精霊を集めたことが目印になったのだという推測が間違っていないなら、奴は『魔王』デスタリオラがまだ生きていることをすでに察知している。

 目印を追ってイバニェス領へ来て、……一体、どうするつもりだったのか?


 身を守り、対話し、落としどころを探り、――生き延びる。


 エーヴィの鋭い牽制を目にした護衛ふたりが腰の剣を抜いた。キンケードが持っていたものと同じ型、自警団の支給品だ。

 決して彼らの腕前を侮るつもりはないが、相手が悪すぎる。下手に手を出して怪我をするよりは、クストディアを連れて本邸へ戻るか、もうすぐ戻るというキンケードを呼びに行ってもらいたい。


<リリアーナ様!>


 そう声をかけようとした所でアルトから名を呼ばれ、同時に疾風が通り抜けた。


「っが!」


 短い呻き声を漏らし、ふたりの護衛がその場に崩れ落ちるのを呆然と見ていることしかできない。

 敷布の向こう側、倒れ伏すふたりの背後に立っているのは、燃えるような赤い髪の男だった。


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