第232話 それは来たりて扉をひらく④


 様子を見守る侍女たちに手を振って、ふたりを林の中まで案内する。古びた物置小屋は降雨の前と変わらぬ姿でそこにあった。

 錆びた蝶番の木戸を開くと、ひどく軋んだ音がして今にも取れてしまいそうだ。扉から外光が差し込み、正面に鎮座する鎧の表面に反射した。


「この鎧……、何、素材は何で出来ているの?」


「鋼だ。これは用途が決まっていてな、その都合で単一素材のものをと注文をつけた」


 支柱によって立ち姿のまま置かれているテッペイには、鏡面加工の前処理を軽く施してある。届けられた時よりもずっと輝きが増して、近寄れば銀色の装甲に顔が映り込む。


「趣味わる」


「なっ! 何だと!」


「こんな無駄にピカピカさせてどうするのよ」


「だから、用途があると言ったろう、特定の光を反射させる必要があるんだ。これはまだ下処理の段階で、イバニェスへ持ち帰ってから必要な強化段階を踏んで表面の鏡面加工を終えたら改めて噴霧し常に空気中の水分を纏って艶消しと冷却効果が持てるように手を加えて最終的に目視では鈍い銀色になるはずなんだ、加工途中を見て不恰好だとか言うのはいささか早計にすぎると思うぞっ?」


 聞き捨てならない言葉に身を乗り出してそう主張をすると、反対にクストディアは半身を引くようにして顔を引きつらせていた。その怯んだ様子に、初めて会った日の反応を思い出す。


「……む、すまない。つい熱くなった」


「別に、私は何ともないけど、服を貶された時は大して反論もしなかったくせに。わけわかんない子ね」


 このコートの意匠については、着ているリリアーナ自身にも不可解に思う部分があり、「何で猫なのか?」と問われても答えられない。手袋の刺繍を見た時だって、完成度を高めてどうするのかという疑問があった。

 自分の好みはさておき、仕立てたファラムンドとフェリバがこの姿を喜んでいるし、元々服飾に対してはこだわりがない。防寒具としての役目さえ果たしているなら、まあいいかという気持ちが勝るのだ。

 ……とは言っても、生前の経験もあわせて、機能性ばかり優先しがちな自分の性質が、周囲の目には物足りなく映るのだということも薄っすら理解していた。


 生来の気質により求める性能を最優先し、磨き上げられたテッペイを見上げる。

 確かにこの風体では悪目立するが、元より鏡面のまま運用するつもりはなかった。最後の艶消し工程を済ませれば、今よりずっと格好良くなるはずなのだ。趣味悪くなんてない。……心の中でひっそり唱えて自分を励ます。


「先日、鎧は何から身を守るかによると、お前には言ったがな。これは色々と手を加えて、斬撃にも打撃にも、魔法にも耐えるように仕上げるつもりでいるんだ」


「は? 後づけの加工でそんなこと……」


 言いかけたクストディアはそこで言葉を止めて、目を瞠る。


「まさかそんなことに魔法師を使ってるの? ずるいじゃない、卑怯よ!」


 何が卑怯なのかわからないが、そう誤解してくれるなら都合がいいので、手法については曖昧に濁しておく。

 クストディアの背後から興味深そうにテッペイをのぞき込んでいたシャムサレムの兜が動き、フェイスガードの下から視線を感じる。


「だがな、やはり防具で防げることには限度がある。打撃も魔法も、度が過ぎれば中身がもたない。この鎧の場合は、そうした内側へのダメージを度外視して、どんな攻撃を受けても鎧だけが無事で済むように造っている」


「そんなの……鎧の意味がないじゃない!」


「うん。だから、お前の・・・参考にはならないだろうな」


 黒い鎧がわずかに項垂れた。剣も、魔法も、落石すらも、たぶん違う。この男は一体、何からクストディアを守りたいのだろう。

 そう考えて、また話題がまずい方向へ行っていることに気がついた。


「ああ、えっと、すまない、昨日の二の舞になるところだった。この話はやめておこう」


「もういいわ。……あれは私が勝手に醜態を晒しただけ。忘れなさい」


 クストディアはそう言い切ると、床につかないようドレスの裾をおさえ、持ってきたひざ掛けを抱える格好でテッペイの足元にしゃがみ込んだ。膝の関節部を確かめるように、甲の裏側を指先でつついている。


「……こないだ。あんたは、三年前の領道の事故現場にいて、潰れた馬車を見たと言ったわよね」


「ああ」


 座り込んだということは、まだしばらくここにいるつもりなのだろう。リリアーナは少し距離を空け、甲冑の右足側に屈み込んだ。

 見せるだけで気が済むと思ったのだが、こんなことなら小屋へ移動せず、予定通り護衛に頼んで庭までテッペイを運んでもらうべきだったかもしれない。


「私も、八年前の事故の時、いたのよ。あの場所に」


「……え」


 思考が逸れかけていて、理解がわずかに遅れた。応える言葉を失い、すぐ横にいるクストディアの顔を見る。

 強気な眦はいつも通り、だが前を向いたままでも甲冑を映してはいない。高く結んだ髪が流れ、その横顔すらも隠してしまう。


「途中から乗ってたの、お父様やお母様と同じ馬車に。……だから、私だって見たわ。御者の逃げ出した馬車が、大きな石に潰されて、車輪が飛んで、倒れて、そのまま崖の下に落ちていくところを」


「お前が無事だったのは、」


「シャムが。その頃はまだ見習いで、馬で随伴していたシャムが、抱えて逃げてくれたのよ。だから私たちだけ助かったわ」


「そうだったのか……」


 シャムサレムの額の傷跡は、やはり八年前の落石事故で負ったもののようだ。まさかその現場に、クストディアまでいたとは思いもしなかったが。

 昨日の激しく取り乱した姿を思い出す。両親を一度に失っただけでなく、その目で直に最期を見ていたのなら、二度と思い出したくもなかった光景だろう。不用意な発言で少女の内側を傷つけたことを、深く悔いた。

 それきり言葉の途絶えた少女の横で、じっと光沢のある甲冑の足元を見つめる。


「お父様は、誰かに殺されたのよ」


「何か見たのか?」


「……わからない。でも、お父様がいなくなることで得をする連中が仕組んだのよ、そうに決まってるわ。ファラムンドの事故だってそうなんでしょう? 領主だからって、そんなつまらない理由だけで、命を狙われるのよ!」


 膝を抱え、口元をひざ掛けに埋めたままクストディアは声を荒げた。言葉は乱暴でも、その悲嘆な響きが耳を打つ。

 実際、ファラムンドが巻き込まれた領道の崩落は、人為的なもので間違いない。何者かが魔法を行使して、あの道沿いの岩山を崩したのだ。領主という役職ゆえに命を狙われる、その理不尽に対するクストディアの怒りは痛いほどわかる。

 ……クラウデオの事故は、果たして本当に事故だったのか。

 キンケードも事実を掴みあぐねている様子だったから、未だ原因がはっきりしないのかもしれない。八年も経っていると、自分が現場の精霊たちを動員したところで探るのは難しい。


「ここだけの話、仮に……お前の言う通り、クラウデオ氏を害することで得をする者がいたとして。この八年で、そんな利を得た者が本当にいたのか? 次の領主に取って代わることが確定していたならともかく、未だブエナ氏の後継すら決まらないのだろう?」


「知らないわよ、そんなの。何か恨みでも買っていたのかもしれないし、勝手な思い込みとか、理由なんていくらでもあるじゃない。お父様は優しすぎたから、もともと領主なんて向いてなかったんだわ」


 話を聞く限りでは、クラウデオが暗殺されたという確かな証拠や目撃情報があるわけではないようだ。

 事故の起きた場所が場所だけに、できればどちらなのかだけでもはっきりさせておきたい。もし八年前の件が人為的なものなら、同一犯か模倣犯かは知らないが、ファラムンドが狙われた件と関わりがある可能性だって――


<リリアーナ様。こちらにサーレンバー邸の守衛がひとり、近づいてきているようです>


「ん、クストディアの迎えか?」


 隙間を開けたままの扉を振り返っても、まだその姿は見えない。あまり戻りが遅くなるとエーヴィたちも心配するし、風は防げても寒いのは大差ないから、そろそろ戻るべきだろう。

 立ち上がってクストディアの方を振り向き、声をかけようとしたところで、少女はおもむろに人差し指を一本立てた。何をするのかと見ていれば、そのまま指の腹をテッペイの脛に押し付ける。


「あーっ!」


 指を離したあとには、くっきりと見事な指紋が残っていた。


「思った通り、すごく指紋がつくわね」


「あ、当たり前だろう、酸化防止をかけているとはいえ、何するんだ! 拭けば取れるが、こんなに磨き上げられた物へわざと指紋なんてつけるか普通、ああっ!」


 言っているそばから、クストディアはさらに指紋をふたつ、みっつとつけていく。まだ足りないとばかりに立ち上がり、平面の多い胴体に手のひらを押し付けて、ついた手形を前に満足そうな笑みを浮かべた。


「ひ、ひどい、お前ひどいな、あんまりじゃないか?」


「こんなにピカピカしてたら、指紋をつけたくなるでしょう?」


「ならない! あーっ、またつけた、こら、ちゃんと拭けよ?」


「嫌よ。どうせ魔法師に何かさせるんでしょ、これくらいいいじゃない。あははは、面白いくらい痕がくっきり残るわ!」


 とうとう両手を使い、人差し指の連打を始めた。鏡面のようだった鎧の表面が見る間に曇っていく。

 はーっと息を吹きかけてコートの袖で拭いていってもキリがない。曇りなく掃除された窓ガラスにも平気で指紋をつけるタイプなのだろうか、信じられない。

 リリアーナがむきになって両手の袖で指紋を拭けば、拭いたそばからクストディアは新たな指紋を付けていった。


「あーっ、もう、何でそう、お前なー!」


「あっははははは、ご自慢の鎧が台無しね!」


「このーっ、次に部屋へ行ったら、あの金色の大きな壷に指紋をつけてやるからな!」


「ふふん、やれるもんならやってみなさい貧乏人。王室にも同型が献上されたガンディエッタの水瓶は、たしか金貨二百五十だったかしら?」


「に ひゃく ご じゅ……!」


 そんな代物に遊びで指紋をつけるなんて、とんでもない。

 というか、通路付近の不安定な木箱の上に、なぜ高価な水瓶なんて置いているのだ。価格も場所も何もかもが理解できない。銘品と聞けば手を出せないことがわかっているのだろう、攻撃範囲を篭手の方にまで広げたクストディアが声を上げて笑う。

 さらに指紋をつけようとする右腕を両手で掴めば、左手で指紋を押し付けられる。左手を封じれば右手が来る。あまりに不毛な戦いだが、笑い声の尽きないクストディアは楽しげだ。

 ふたりで騒ぎながらそんな攻防を繰り返していると、中途半端に開けていた扉が大きく開かれ、明るくなった小屋の中に人影が差した。



 ――――途端。


 背骨に氷を突き込まれたような寒気を覚え、息を飲んだ。

 ぞくりと全身が震え、足がすくむ。



「やぁ、なんか楽しそうだね。ちょっとオレも混ぜてくんない?」



 それは確かに聞き覚えのある声だった。

 朗らかに澄んだ、男の声音。

 知っている声。



<え! なぜ……っ!>


 狼狽するアルトからの念話が、意識の上辺を通り過ぎていく。


 呼吸を忘れてしまいそうな肺を胸の上から押さえ、ゆっくりと入口を振り返り、目の端だけでその姿を確認する。


 サーレンバー邸守衛の制服を着た若い男がひとり、そこに立っていた。


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