第231話 それは来たりて扉をひらく③


 二杯目のお茶を飲み終わる頃にはクストディアも落ち着いたらしく、走ったせいで乱れた髪をシャムサレムに任せ、整えさせていた。

 侍女の代わりに支度を手伝っているというのは本当のようで、篭手を外した無骨な指先が器用に髪を掬い、レースのリボンを結びつける。指通りの良い髪は櫛がなくとも問題ないらしく、あっという間に元通りになる。

 初日に会った時からずっと、クストディアの髪を彩るのはレース編みのリボンだ。似たような形のものをいくつも持っているらしい。ゆるやかに波打つブルネットの髪に白いレースは良く映えるが、ドレスと合っているのかどうかまでは判別がつかなかった。

 そういえば昨日、自室へ戻ったあと、カステルヘルミがその組み合わせについて何か言っていたような……


「何よ」


「いや、別に何も。シャムサレムは器用なものだなと思って。わたしも毎朝髪を整えてもらうが、うちの侍女は編み込んだり何か結びつけたりするのが好きらしい。お前は、そのふたつに結ぶ髪型以外はしないのか?」


 そう純粋な疑問を投げかけてみると、クストディアは鼻にしわを寄せて露骨に不機嫌を表す。


「何、文句でもあるの?」


「いいや、そんなことはない。ただ、お前の髪は色艶が美しいから、髪をいじって様々な形にしたがる侍女の気持ちが少しわかるなと思ったんだ。ああ、そうそう、昨日は軽はずみなことを言って悪かった。明日劇場で会ったら謝ろうと考えていたのに、今日も顔を合わせるとは意外だったな」


 その言葉を終わりもしないうちに、クストディアは抱えている膝に顔面をつけて全身からぐたりと力を抜いた。肺から絞り出すような深い溜め息が聞こえる。


「あんたと話してると、無駄に疲れるから嫌なのよ。外になんて出てくるんじゃなかったわ……」


「そうか」


 想定より早くなったが、謝るという目的を達成することができて良かった。心もち肩のあたりが軽くなったような気もする。

 飲み終わったカップを受け取るため手を出すと、顔を上げてこちらを見たクストディアの動きが、そこで不自然に停止した。


「……ちょっと、何よそれ?」


「ん?」


 少女が凝視しているのは差し出した自分の手。上向けたため、フェリバに縫い付けられた丸い刺繍が露わになっていた。


「まさか手袋のそれ、肉球なの? っていうかフードについてるのは何かと思ってたけど、耳? やだちょっと、後ろ、もしかしてベルトじゃなく尻尾? はぁぁ?」


 何だ何だと戸惑う間に、背後に回り込んだクストディアが背中側についている飾り紐の端を鷲掴みにした。

 実際は尻尾ではなくただの飾りだから何ともないが、本物の猫だったら全身の毛を逆立てて怒っているところだ。


「ばっ、馬鹿じゃないの、何よその格好、猫? え、黒猫? 最っ悪、何なの信じられない、正気? ぶっ、フ、アッハハハハハハ!」


 罵るだけ罵ったと思ったら、今度は突然大きな口を開けて笑い始めた。

 呆気に取られ、腹を抱えながら笑っているクストディアを眺めることしかできない。まだ紐を握られたままだったので、引っ張ってその手の中から取り返す。

 喉がひゅうと音をたてるまで散々笑ったクストディアは苦しそうに体を丸め、その背をシャムサレムが撫でている。紐は引っ張ったせいで少し生地が伸びてしまった。

 何なんだ一体……とリリアーナは憮然とするも、顔を上げた少女の笑いすぎて真っ赤になった頬と涙目を見て、怒る気も失せてしまった。


「他人の装いを笑うとは失礼な奴だなぁ」


「わ、笑いも、するわよ! 何なのそれ、一体誰の趣味よ!」


「父と侍女だな」


 ありのままを答えると、それまでおかしくて仕方ないという様子だった顔が急に険しくなる。


「最低……とんだ変態親父ね、見損なったわ……。あんた、その見目のせいで大人のオモチャにされてるんじゃないの?」


「え、いや、ちゃんと防寒性も優れているんだぞ、フードの突起はともかく。今日は少し冷えるから着込んできたんだ。お前もその格好では寒いだろう、そろそろ部屋へ戻ったほうが良いのではないか?」


 毛織りのストールを貸しているとはいえ、部屋着のままではさすがに冷える。ここで風邪なんてひかれたらせっかく楽しみにしている公演を見逃してしまうし、屋敷へ戻るまではひざ掛けも巻いておいたほうがいい。

 上空はもっと風が強いのだろう。何とはなしに空を仰いでみると、一面まだらになった灰色の雲が南へと流れていた。

 熱いお茶を飲んで体は温まったはずなのに、部屋を出る前からどうも背筋のあたりに嫌な寒気がつきまとう。


「わざわざ寒空の下、こんな所にみすぼらしい布なんか敷いた上、ポットまで持ち込んで。また鎧いじりをするつもりだったの?」


「また?」


 以前にもここで作業をしていたことを知っているのだろうか。空から視線を下ろし、座る少女の向こう側、本邸のほうへ目を向ける。

 頭の中で平面図を思い描くと、渡り廊下で繋がる手前の棟の奥、大きなバルコニーのある窓がクストディアの部屋だと思われる。だいぶ距離があるものの、日中であれば庭に誰がいるのかくらいは視認できそうだ。

 そういえば、と前回ここで作業をしていた時のことを思い返す。キンケードが本邸の方を気にしている様子だったのは、遠目にクストディアの姿が見えたか、その視線を感じでもしたのだろう。


「この前の作業を見ていたんだな。お前の部屋に飾ってある甲冑から着想を得て、ちょっとばかり加工をしていたんだ。こないだの雨のせいで庭がぬかるんで、しばらく作業の続きができなかった」


「本はともかく、甲冑って。貴公位の娘が何でそんな物に興味を持つわけ? これだから田舎育ちは嫌よね、周りにろくな娯楽がないんでしょう」


 個人的な趣味をとやかく言われたくはない。お前だって高価な品をろくに使いもせず積み重ねているくせに、と文句を返したくなったが、この手の言い合いはキリがなさそうなのでやめておいた。


「それで? 肝心の鎧はどこにあるのよ。シャムの鎧に文句をつけるくらいなんだから、さぞかし立派なんでしょうね? どんなもんか見せてみなさい」


「なんだ、結局お前も興味があるんじゃないか」


「そんなこと一言も言ってないでしょう! 私に手入れがどうだとかでかい口叩いておいて、コソコソいじってるのがしょうもないガラクタだったら、ただじゃおかないって言ってるの!」


「やっぱり興味があるんだろ」


 今にも噛みつきそうな顔で睨んでくるので、「わかったわかった」となだめて立ち上がる。

 まだ自律行動ができほどの構成は込めていないし、表面も下処理を終えただけの姿だ。お披露目するには若干、物足りなさを感じるが、ただの鎧として見せるくらいなら構わない。

 むしろ問題があるとすれば、その置き場所ではないだろうか。リリアーナが林の方向を指差し、あの奥の小屋にしまってあると言うと、案の定クストディアは面倒臭そうな渋面を浮かべた。


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