第228話 四回目のご訪問②


 気を取り直し、緑色の砂糖菓子をもうひとつ摘まんだ。風味にわずかな青臭さを感じるものの、苺や柑橘とはまた違う甘酸っぱさが新鮮でおいしい。


「ふむ……。なるほどなぁ、演劇の中止を迫る脅迫なんて、てっきり経済活動の妨害の類かと思ったが。原典の本が理由という可能性も有り得るわけか」


「ふん、公演を取りやめる程度じゃサーレンバーの経済には何の影響も出ないわよ。もっとも、誰が何をしようとわたしが中止になんてさせないけれどね」


 自信満々にそう言い切るクストディアだが、その指示を出すのはブエナペントゥラだし、最終的な決断をするのは歌劇団のまとめ役だろう。現にアントニオも、劇団の誰かが脅迫の件で相談に来ていると言っていた。

 脅しの内容がどんなものかわからない以上、まだその危険性を計ることはできないが、孫可愛さからブエナペントゥラは多少の無理を押しても上演の決行を命じるのではないかと思われる。

 その動機に、少しでも自分が含まれていると思うと他人事ではない。できれば危ないことに近寄りたくはないし、家族を巻き込みたくもないのだが――


「……」


 そこでふと気づいたことがあり、目の前で気怠げに香茶を飲んでいる少女を見る。

 歌劇団が脅迫を受けても、強硬な態度で中止になんてさせないと言うクストディア。脚本を集めて読むのを好んでいるようだし、それだけ今回の公演を待ち望んでいたのだろう。

 だが、三年前に行われた公演は、楽しみにしていたにも関わらず観劇をしなかった。


 ファラムンドが、落石事故に遭ったとの知らせを聞いたからだ。


 死ねば良かったなんて言われた時は怒りで我を忘れそうになってしまったが、こうして会話を重ねるうちに、その狂暴な言葉の向こうにある本心が何となく見えてきた気がする。発せられた暴言も、自分に対し乱暴を働こうとしたことも軽々に許せるものではないけれど。

 たくさんの物を置いて守っているのだと、つい先日カステルヘルミたちと交わした言葉が蘇る。物で、言葉で、覆い隠さないといけないくらい、脆弱な何かをずっと守っている。


 ……なるほど。なるほどなぁ。

 色々と腑に落ちるものがあり、リリアーナは腕組みをしてふむふむとうなずいた。隣のカステルヘルミが心配そうな目を向けてくるので、何でもないと笑顔を返しておく。


「急ににやけだして何なの、気持ち悪いわね」


「色んなことを考えていただけだ、気にするな。脅迫に関しては、もし本当に危ないようであれば中止なり延期なりの判断を下してもらいたい所だが……正直な所、本の入手が遠のいた以上、わたしとしても劇のほうに期待したい気持ちはある」


「遠のいたって何よ。例の本、おじいさまに貸してもらえなかったの?」


「いや、クラウデオ氏の私室を探しても見つからなかったそうだ。書斎の方にも見当たらなかったし、ブエナ氏は記憶違いかもしれないと言っていた」


「……本当にそうかしら。まぁいいわ、後でお父様の部屋に行ってみるから。私が見つけたら、あんたなんかには貸してやらないわよ」


 自分と同様に、エルシオンの伝記に興味を持っているクストディアだ、屋敷の中に稀覯本の現物があるかもしれないとなれば気になるところだろう。それが亡き父親の遺品ならなおさら。タイトルも表装も知らない自分が探すより、ここは彼女に任せておいたほうが良いかもしれない。

 別に現物を貸してもらえなくとも、読んだ後で内容を教えてもらえれば十分事足りる。クストディアは読んだ本について語るのが好きらしいから、ねだれば要点くらい聞かせてくれるのではないだろうか。


 ……その希少性から、現在では途方もない高値がついているという『勇者』エルシオンの伝記。内容や価値の話ばかりで、これまで全くその名前が出てこなかったけれど、そういえば何というタイトルなのだろう?


「なぁ、実はまだ知らないのだが、例の稀覯本と明後日の演目は、何という題名なんだ?」


「どうでもいいけどあんた、興味にむらがありすぎない? ……本の題名は『焔の勇者、其の愛』で、演目のほうはそれをもじって『炎の英雄、その恋』よ」


「…………」


「何、その顔」


「いや、何だか、あまり興味を引かれないなと、思っただけだ」


 また男女の恋情とか婚姻とか、その手の話を主題に扱っている本なのかと、リリアーナはつい渋い顔になる。

 屋敷の書斎で読んだような、『魔王』打倒までの険しい道のりを描いた『勇者』の冒険譚を期待していただけに、落胆を隠しきれない。たしか歴史の教師は普通の冒険譚だと言っていたはずなのに……

 いや、題名だけで判断するのは早計に過ぎる。王室や聖堂から出版停止や回収を指示されるくらいなのだから、きっと何か途方もなく大きな秘密が隠されているに違いない。

 演目の脚本は、どれくらい元となった本に忠実なのだろう。現実とかけ離れた内容である可能性はいなめなくとも、エルシオンのことを知る手がかりが少しでも掴めれば良いのだが。


 赤い苺味の欠片をもうひとつ摘まんで、冷めてしまった香茶の残りを飲んだ。ソファの向こうに控えるシャムサレムがおかわりを注ぎたそうにそわそわしているので、首を横に振って応えておく。


「前に南海から取り寄せた面白い茶葉を、こっちにも持ってきてあるんだ。今度はお前のほうからわたしの部屋へ来るといい、ちゃんと茶菓子も用意して馳走するぞ?」


「いやよ、誰があんたの部屋になんて。第一、南海産のものは主張がくどすぎて嫌いなの」


「あぁ、確かに少し香りが独特かな。甘みの少ないビスケットなんかが良く合うんだが、好みもあるだろうし無理強いはしない。何度もお前の部屋に邪魔するばかりだから、たまにはわたしがもてなそうかと思っただけだ」


「貧乏領主の娘にもてなしを受けたって何の足しにもなりはしないわ。部屋だってあの古びた別邸じゃない、隙間風が入るような古臭い場所へ行って泥水を啜るくらいなら、そこらの水たまりでも舐めていたほうがましよ」


「本当に、思わず感心したくなるくらい口が悪いなぁ、お前は」


 身内のレオカディオがあれだから、あまり他人のことばかり言えはしないが。

 何となく同意を求めてソファの向こうにいるシャムサレムを見ると、首を小刻みに横へと振った。自分の主人のことだから、さすがに同意はできないらしい。兜の端が首元にあたり、カチカチと音をたてる。


「……何よ。シャムに何か用?」


「いや、用というほどのことでも……ええと、ほら、その鎧は歩く時に不自然な擦過音がするだろう。関節の合わせが良くないようだから、手入れに出したほうが良いと思うぞ?」


「甲冑なんだから、音くらいするでしょう。知ったような口をきいて何よ、貴公位の子女のくせに武具いじりの趣味でもあるわけ?」


「趣味と言えば、まぁ、趣味にあたるのか? お前だって部屋にいくつも甲冑を飾っているし、護衛にそんな重たい鎧を着せているではないか。使用人の制服代わりにしているなら、定期的に調整にも出してやれ」


「べ、別に、制服なんかじゃ……!」


 思っていたことを指摘してやると、クストディアは口籠って乱暴にカップを置いた。


「ではなぜ部屋の中でそんな甲冑を着せているんだ? 全身甲冑フルプレートアーマーでなくとも要所を覆う防具で十分だろうに。重みで歩行も鈍るし、金属の擦れる音なんて耳障りだ。それにあまり若いうちから重い装備をつけていると、背丈や筋肉の発達にも支障が出るらしいぞ?」


「背はもう十分あるじゃない! あんたには関係ないでしょう!」


「確かに関係ないが、指摘くらいは聞いておけ。その鎧は全ての部位が無駄に厚すぎるんだ。脛当てを厚くするならふくらはぎは薄くするとか、関節部の素材を変えるとか、常に着用するならもう少し工夫をした方がいい」


「そんなことしたら薄い部分が守れないわよ、鎧の意味がないでしょう、馬鹿じゃないの?」


 眦をつり上げ、声を荒げるクストディアの肩から薄い羽織物が落ち、シャムサレムがそれを拾って肩にかけ直した。

 あの厚みのある篭手では何を掴んでいるか感覚もないだろうに、茶器を扱ったり薄手の布を摘まんだりと器用なことだ。「長くやっていれば」とクストディアが言う通り、不便を克服するほど長い時間、その格好で過ごしてきたのだろう。


「その鎧で、一体何から身を守ることを想定している? 剣か、弓矢か、それとも魔法による攻撃か? 重すぎて足や腕の動きが阻害されたままでは、剣を受けるにも間に合わないし、弓矢の軌道を読んでも避けられない。どんな攻撃から身を守るにしても、その場から動けないのでは滅多打ちだろうに」


「……岩は?」


「え?」


 問い返す声はリリアーナのものではなかった。そばに立つ鎧の中から発せられた言葉に、クストディアが驚きの表情でぽかんと見上げる。

 この部屋の中でシャムサレムが口を開いたのは初めてのことだ。あの書斎で言葉を交わした以外、男の声を聞くことがなかったから、ここでは話さない決まりにでもなっているのかと思っていた。


「たとえば、落石は? 全身を覆っていないと、危ない」


 何から身を守ることを想定しているのか。その問いに対して挙げられた「落石」という言葉に、兜の下にある大きな傷跡を思い出した。やはりあれは、八年前の事故の際に受けた怪我なのだろう。

 だが、再び落石事故に遭うことを危ぶんでいるなら、外出する時にだけ鎧を着れば済むことだ。常日頃からこんな格好をしている理由にはどうにも結びつかない。


「高度と石の大きさにもよるから一概にどうとは言えないが……人命を奪うほどの落石となると、それ自体の重みだけでなく落下による衝撃も加わってくるから、直撃すれば鎧を着ていても中身がやられる。金属板を厚くしようと防げるようなものではない。いくらか負傷を軽減できても、動きが鈍ければ逃げるのも間に合わないだろうし」


「どう、すれば?」


「うーん、想定しているのは切り立った岩場の落石か? ならば、壁面に砂が零れ落ちているのを見たら最初から近づかない。もし石が落ちてきたなら、戻るか進むか即座に決断して、全速力で突っ切る。振り仰いで様子を見ようとしない。そういう時は、少しでも足を止めるのが一番の悪手だ」


 防ぐことを考えるより、その場を生き延びるすべを並べてみる。

 自身の目で領道の崩落現場を見た後だからなおさら、「身を守る」ことの方向性の違いを指摘せずにはいられなかった。あれを鎧の強度だけで乗り切ろうなんて考えが、まず見当違いも甚だしい。


 高い位置にある兜に向かってそう答えると、近くから何か引き攣れるような音がした。

 視線を下ろすと同時に、ソファに座るクストディアが両手で頭を抱えるようにしてうずくまった。その喉から断続的に掠れた声が漏れる。


「あ、あ、あ、あ……」


「クスト、」


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁっ!」


 突如、叫びだし、抱えた頭を激しく振る。そばに膝をついたシャムサレムが背をさすってなだめるが、壊れたように声を上げ続けるクストディアは髪が崩れるのも気に留めず、ソファの上で激しく暴れた。

 少女の一番辛い記憶を無遠慮に引き出してしまったことに、今さら気づく。取り乱し、泣き叫び、素手で鎧の腕を叩き続けるクストディアにはどんな呼びかけも届かない。

 リリアーナはあまりのことに伸ばしかけた手を途中で引っ込め、逡巡してからそのままソファを立った。


「……すまない、嫌なことを思い出させたな。わたしが不注意だった」


「お嬢様、ここは一度、席を外させて頂きましょう。身内の方にお任せしたほうがよろしいですわ。きっと彼女にとっても」


「うん……」


 全身で抱え込むようにしてクストディアをなだめる男に、あとは頼んだと言い置いて、リリアーナたちはその場を後にした。

 背後から聞こえた叫び声は、少しずつか細いすすり泣きに変わっていく。


 八年前の事故にあまりふれるべきではないとわかっていたはずなのに、迂闊だった。

 訊ねられたことに対し、知識と推測から口が軽くなって、クストディアの前で彼女が一番耳にしたくないであろう話題に不用意にふれてしまったことを悔やむ。

 少しでも彼女のことがわかったような気になっていた自分が恥ずかしい。


「……失敗した。わたしは何てことを」


「大丈夫ですわよ。少し時間を置いたら、しっかり謝っておしまいです。あのご令嬢はこの前の件について、お嬢様に謝罪はなさらなかったのでしょう? でしたら、自分からごめんなさいを言えるお嬢様のほうが、ずっと大人ですわ」


「大人、かなぁ?」


「ええ、自分の悪かった点を反省して謝れる人は、立派ですわ」


 カステルヘルミは極々たまに、教師らしくこうしてためになる事や参考になる言葉をかけてくれる。

 ヒトとして生きている年数だけなら先輩だから、自分より多くを知っている部分もあるのだろう。いつもこれくらい頼もしくあってくれれば、教えることと教えられることが均衡するのに。

 ……なんてことを考えつつ、今のままのカステルヘルミが教師兼弟子で良かったとも思う。そんな実感を込めながら、リリアーナは自分の右手を取って先導する女の、温かな手をそっと握り返した。


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