第227話 四回目のご訪問①


 昼食時に訪問の先触れを頼んでから、軽く服装を整えて部屋を出る。

 今回はカステルヘルミも同行ということで、フェリバが安心していいのか心配するべきか微妙な顔をしていたが、心構えがあればカップが飛んでこようとすぐに防いでやることはできる。あの手癖の悪ささえどうにかなれば、クストディアと会話をするのは意外と楽しいのに。

 同行に際し、変に警戒をさせても何なので「威嚇はしてくるが、急に近づかなければ大丈夫」とだけ忠告をしたら、侍女と口を揃えて「猛獣ですか」と返された。……まぁ、似たようなものじゃないだろうか。


 四度目となる長い廊下で護衛たちと別れ、緊張に顔をこわばらせるカステルヘルミと共に、大きな扉の前で足を止める。軽くノックをすると、これまでの訪問の中で一番早く扉が開かれた。

 応対に出た黒鎧の威容に驚き、カステルヘルミがわずかにのけ反る。その横から挨拶に手をあげると、シャムサレムは言葉では応えないまま、同じように胸のあたりまで手を持ち上げて見せた。

 先導するその背を追うようにして、細い通路を歩くのも四回目。また異なる道筋なのかと思っていたら、今回は前にも歩いたことのある経路だ。たしかこれは、最初に案内された時の道順ではないだろうか。

 周囲の調度品や木箱を見上げて記憶と照らし合わせていると、すぐ後ろを歩くカステルヘルミが感嘆のため息を吐いた。


「はぁぁ……カーミヤンの花瓶、あんなに大きな物は初めて見ましたわ……これなんてエッジルドのチェストではございませんか! 彫刻も色付けも素晴らしいですわね、それに無造作に積まれているあの箱はガンディッタ社の刻印、中身は何かしらーって同じ箱が四つもありますの? あわわわわ」


「お前は、これらの品のことがわかるのか?」


「わ、わかると申しますか、いずれも有名な工房や商社の取り扱い品ではございませんの。あの花瓶ひとつで一年は食べるに困りませんし、この彫刻のチェストは予約が数年先まで埋まっているような人気店の物ですわ。そ、その下敷きにしているラグなんて、おそらくダダンの染織物……ひざ掛け大でも金貨百枚は下りませんわ」


「きんか、ひゃくまい」


 百枚って何枚だっけ? ……と、頭の働きが止まりかけた。

 リリアーナがこれまで手にした中で一番の大金は、最初にコンティエラの街へ出かけた際に持たされた、金貨三枚。それでもかなりの額だと認識していたのに、調度品の下敷きにしている薄い布地が金貨百枚。その上に鎮座するチェストや花瓶は、カステルヘルミの口振りからして更に高価なのだろう。


「……わたしの認識が甘かったな。物が多いとは思っていたが、ひとつひとつの価値までは考えなかった」


「眼福ですわぁ、こんなに間近で見られるなんて。わたくしの実家にもカーミヤンの茶器が一式ございましたけれど、特別な来客時にしか出しておりませんでしたから。良い品というのは、普段使いに愛用してこそですのに……」


「少しは目端の利く人間を連れてきたようね?」


 大きな箪笥の向こうから少女の声が聞こえる。ここまで近づいていたなら、こちらの会話も筒抜けだったのだろう。障害物の家具を大きく回り込むと、少し開けた空間に出た。


「よお、クストディア。また遊びに来たぞ」


「……」


 最初に訪問した時と同じソファにくつろぐクストディアは、頭痛をこらえるように額を押さえた後、足を組み直し、言葉にするのをやめた呼気を用済みとばかりに深く吐き出した。

 何だその挨拶はとか、遊びに来ていいなんて言ってないとか、こちらの無礼を色々と指摘しようとして、何を言っても無駄だと諦めたのだろう。もてなす側の態度が変わらない以上、自分とて礼節を尽くすつもりはない。


「今日は、うちの魔法師を連れてきたぞ。興味があったのだろう?」


「あっ、お初にお目にかかりますわね、クストディアお嬢様。わたくしイバニェス家で魔法講師を務めております、カステルヘルミと申します。どうぞお見知り置きを」


 荷物の中から一番上等な衣服を引っ張り出してきたカステルヘルミは、このまま公式な場へ放り込んでも問題ないくらい華やかに繕っている。エーヴィの指摘であれこれと無駄なコサージュやレース飾りを取り払われたため、派手さは控えめだ。広がるスカートを手袋の指先で摘まみ、綺麗に礼の形を取って見せた。


「あんたが噂の女魔法師ね。イバニェス領なんて辺鄙な田舎、何もなくてつまらないでしょう。どう、今からでも私に乗り換えない? 給金も倍は出すわよ?」


「有難いお申し出ですが、わたくしの雇用は魔法師会を通して年俸での契約となっております。来年の更新時、もしイバニェス公に継続のご意思がなければ身が空きますので、その際に改めて魔法師会の方へお話を通して頂ければと」


 外向きの微笑みでそう言ってのけるカステルヘルミは、普段の頼りない様が嘘のように毅然としていた。仕立ての良い衣服に身を包み、背筋を伸ばして無礼な勧誘を払いのけるその様子は、まるで本当に敏腕魔法師のようだ。


「カステルヘルミには、まだまだうちで働いてもらわないと困る。魔法の家庭教師が欲しいなら他をあたれ」


「ふん、いらないわよ。もう興味が失せたわ。どうせ凄腕だなんていうのも、話に尾ひれがついただけでしょう?」


 実際その通りなのだが、教えてはやらない。

 クストディアの対面に設えられた揃いのソファ、最初に訪れた時にはなかったそれに回り込み、勝手に腰を下ろした。そのタイミングで調度品の向こうへ姿を消していたシャムサレムが茶器の乗ったトレイを手に戻ってくる。

 勝手知ったる他人の部屋。構わないとばかりにリリアーナが隣を手で叩いて催促すると、戸惑っていたカステルヘルミは観念したように一礼をしてからソファへ座った。


「次は手土産を持参すると言ったのに、用意する時間がなかったのでな。代わりに彼女を連れてきたんだ」


「その女が何の代わりになるって言うのよ。ここで魔法を使った芸でも披露してくれるのかしら?」


「レオ兄よりは魔法師のほうが良いと言ったのはそっちだろう。それとも、またうるさい置物を連れて来れば良かったか?」


 冗談じゃないと言うように手で払う仕草をしてから、クストディアはテーブルに置かれたカップを手に取った。

 用意された香茶は三人分。リリアーナが自分の前に出されたカップへ手を伸ばそうとすると、隣から伸ばされた手が先にそれを持ち上げた。何か言うよりも早く、カステルヘルミはお茶を一口含んで嚥下し、小さくうなずく。


「何もお前がそんなことをしなくとも」


「フェリバさんたちから、くれぐれもと申し付かっておりますの。お嬢様はわたくしの身を守るおつもりでしょうけれど、本来は逆ですわよ?」


 伸ばされた指先が、隣から手つかずのカップを移動する。その気遣いに対してそれ以上言う言葉を持たず、リリアーナも白い湯気をくゆらせる香茶を手に取った。

 果実など混ぜ物の匂いはしない、シンプルだが深い香りが立っている。レオカディオのように産地などを当てることはできないが、質の良い茶葉だということくらいはわかる。


「シャムサレムはお茶を淹れるのが上手いんだな」


「長くやってれば誰だってそれなりになるわよ。それで、今日は何の用? まさか女魔法師を見せびらかすためだけに来たってわけでもないのでしょう?」


 ちらりと隣を見ると、当の女魔法師は両手で持ったティーカップを恍惚の眼差しで見つめている。おそらく、この茶器もとんでもなく高価な品なのだろう。

 金色の縁取りや側面の絵柄はたしかに美しいと思うが、普段使っているものとの差異はあまりわからなかった。


「いくつか、お前に知らせておきたいことがあってな。まず、明後日に控える公演のことなんだが、少々問題が起きたようで、」


 そこで、シャムサレムが香茶と一緒に持ってきた小さな籠に気がついた。中に敷いた布には色とりどりの小さな欠片が盛られている。半透明のそれは凍らせた果実のようでもあるが、一体何だろう?

 気になってひとつ摘まみ、口へ放り込んでみる。


「あっ、お嬢様、ですからわたくしが先に!」


「大丈夫だ。甘いな、これは苺か?」


「ただの砂糖菓子よ。っていうか子どもじゃないんだから話の途中で、いえ、子どもだったわね。とにかく、話を中断するんじゃないわよ、マナーってもの考えなさいよ、意地汚い、食べたければ籠ごと持っていけばいいわ!」


 もうひとつ黄色のものを食べてみると、こちらは同じような甘さの中に酸味を持っている。表面は指でつまめるほどの硬さがあり、中は少し柔らかい。溶かした砂糖に果汁を足して、何かで固めているようだ。

 甘みが強いためシンプルな香茶と良く合う。なるほど、なるほど、と数回うなずいて菓子と香茶を堪能し、一度カップを置いた。


「うん、それで明後日の件だ。何やら歌劇団が上演を阻む脅迫を受けているそうでな、お前の耳にも入っているか?」


「……聞いてないわね。でも、いわくつきの脚本だし、劇団側だってそれくらいは覚悟の上じゃない?」


「いわくつき、とは? 外部から妨害を受けることがわかっていたということか?」


 緑色の欠片を含んでみると、口の中に爽やかな香りと酸味が広がった。これは朝食の席でテーブルに置かれている瓶詰のスプレッドと同じ味だ。結局緑色の正体が何なのかは、未だにわかっていない。


「いくら名前を変えても元が元ですもの。大方、熱心なファンとか年寄り連中が難癖つけているんでしょうよ。まったく、脅迫なんかしたって無駄なのに、下らないことするわね」


「元って、歌劇の演目のことか? その脅迫事件の関係でパンフレットが手に入らなかったと伝言を持ってきたのだが、お前は今回の演目についてすでに知っているのか?」


「知っているも何も、あんただって初日にそのことを話してたじゃない」


 訝し気なクストディアと互いに顔を見合わせ、首をかしげる。どうも話が通じていないというか、おそらく自分のほうに何か理解が足りていない。


「そういえばブエナ氏も、先にあの稀覯本を読んでいないほうが上演を楽しめると言っていたが……もしかして、内容に何か関係が?」


「はぁ? 関係って、何言ってるの。だって今度やる劇は、『勇者』エルシオンが主人公の恋物語じゃないの」


「ハ?」


「え?」


 疑問のまま声を出し、開けた口をとりあえず閉じる。リリアーナは頭の中の疑問符をかき集めてしまい込み、隣でぽかんとしているカステルヘルミを見て、正面で不可解そうな顔のまま固まっているクストディアを見て、それから香茶を一口飲んだ。

 そうして落ち着こうとしても納得より驚きが勝って、やっぱり声が出てしまう。


「……はぁぁ? 初耳だが?」


「何でよ! あんたがこないだエルシオン関係の脚本はないかって訊いてきたのだって、今度の劇を見るからでしょう?」


「いやいやいや、それとは別件だ。本当に初耳だ。……えー、ええと、でも回収された伝記とは違って、劇の脚本は全くの創作だと、お前は言っていたな?」


「元になった本が回収されてどこにもないんだから、想像と伝え残っている話の継ぎはぎになるでしょう。それでも題材にしている以上は、多少実話も混じってるとは思うけれど。何十年も前のことなんて知らないわよ。どこまで本当かなんて、当人か一緒に旅をしていた仲間にしかわからないじゃない」


「それは、そうなんだが……」


 歌劇の鑑賞を目当てに訪れたわりに、その内容や演目などを教えてもらえないのだなと不思議には思っていた。これは当日まで内緒にしておいて、自分を驚かそうというブエナペントゥラの演出の一環だろうか。

 ……たしかに、驚いた。上演の二日前に驚かされることになったから、残念ながら彼の目論見は外れてしまったかもしれないが。妙な茶目っ気を出さず、できれば先に教えておいてほしかった。


 実際の話と違うのであれば、劇中にエルシオンの来歴や弱点が描かれていても何の参考にもならない……が、クストディアの言う通り、いくらかは事実が紛れているかもしれない。

 元々、演目を知らずとも歌劇そのものを楽しむつもりできたし、ひとまず鑑賞しておく価値はあるだろう。


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