第225話 武器の行方✕2②
そう時間はかからないと護衛たちに言い置き、リリアーナはひとりで隣の書斎へ入った。
資料や解説書を優先してしまったため、こちら側の本はまだあまり見ていない。物語は読むのに時間がかかることが多いし、せっかく書斎を開放してもらえたなら、ここでしか読めないような本に目を通しておこうと考えたためだ。
創作物語ならどこでも読めるとか、そういう侮りを持っているわけではないのだが、やはりどちらかと言えば堅実な資料のほうが知識欲を満たしてくれる。
生前より蓄えた知識は膨大でも、聖王国側の事情はまだまだ知らないことも多い。産業や工芸に関する専門書などが収められた書斎は、リリアーナにとってまさに宝の山だった。
部屋と並行になった本棚へ向かい、著者ごとに並ぶ背表紙を見上げながらゆとりのある通路を歩く。
イバニェスの屋敷の書斎は櫛のような形で棚が並んでいたけれど、こちらは部屋の長辺に沿ってずらりと横に並んだ棚が二列、その奥には壁に造りつけられた本棚がある。
魔王城の地下書庫も壁に本が並んでいる形式だったから、規模は違えどサーレンバー邸の書斎に少しだけ似ている。
結局、通い詰めても生前は全ての蔵書を読み切ることができなかった。歴代の『魔王』たちが利用し、時には自ら追加をしながら在り続ける停滞の書庫、一体どれだけの知識が収められていたのだろう。
手近な一冊を手に取り、考えても仕方のない郷愁のような何かを頭から振り払う。
薄いわりに重みのあるその本は、表装に茨の蔦が這い、銅版画で牙を強調した男やコウモリが描かれている。創作物としてありふれたタイトルに苦笑いをしたリリアーナはそれを元に戻し、代わりに隣の本を引き抜いた。
斧と剣が交差する図柄。題名からして戦記物らしい。ぱらぱらと頁をめくり、目に入る単語の直截な表現があまり好みではなかったので、それも元に戻した。
<本日は気乗りがしませんか?>
「あぁ、うん……。昔の『勇者』を扱った本もいくらか置いているようだが、後日にしよう。どうも今は、あまり戦闘とか討伐とか、物騒な話にふれたい気分ではない」
歩きながらざっと見た限り、資料の書斎から消えていた背表紙が空白の本と手帳が差し込まれている様子はなかった。やはり誰かが持ち去ってしまったのだろう。
隣の書斎ではあの本にも埃が積もっていたから、自分が手に取るまでは誰もふれず長くあそこにあったはず。なぜ、見つけた直後に消えてしまったのか気掛かりだ。
それに加え、先ほどキンケードから聞いた、……否、詳しく聞くことはできなかった、コンティエラの街での怪しい動きも気になる。
あの荷馬車に積まれていた武具は、一体どこからどこへ、何の用途で運ばれる物だったのだろう。
防具はともかく、武器だけなら十数人が武装できるだけの数だ。キンケードが言い渋るのは、何もわかっていないのではなく、逆に用途の目星がついているからこそ、自分に言えないのではないかと思った。
「隠れて武具のやり取りをするとは、穏やかではないな。領内で、何か騒乱の兆しでもあるのだとしたら。……いや、ここでわたしが気を揉んだところで仕方ない、対処は兄上や父上たちに任せるしかないのだが……」
<あの荷馬車に積まれていたのは、いずれも使い込まれた中古品ばかりでした。安価で売り買いされる、足のつかなそうな品というのがまた、何とも不穏な感じですな>
「一体誰が、何と戦うために用立てているのやら。あまりおかしな騒ぎを起こして、アダルベルト兄上を煩わせるようなことはやめてもらいたいものだ。……さっきテオドゥロが言っていた、「北とのいざこざ」というのもひっかかる」
北というと、イバニェス領の北部と面しているクレーモラ領を指しているのだろうか。
凱旋と言うからには、戦闘行為があったのだろう。内政が少し荒れているとは聞いたことがあるけれど、過去の武力衝突にファラムンドも直接関わっていたのは初耳だ。
自分が生まれるより前、おそらく曾祖父も存命の頃。屋敷の書斎には何の資料も置かれていない、――自分に開示されていない、空白の年代。
「この前は強盗の侵入騒ぎもあったし、屋敷の防備はもう少し手を加えないと安心していられないな。『勇者』への対策だけでなく、その他の護りもどうにかせねば」
<鎧のゴーレムを、他にもお造りになりますか?>
「あれは元手がかかるだろう。たまたまブエナ氏から貰うことができたが、父上に何体もねだるわけにはいかん。テッペイは対エルシオン用に特化させるとして、屋敷へ帰ったら前庭の防備についてまた考えるとしよう。いずれ『勇者』の件がどうにかなったら、テッペイに衛兵の代わりをさせるのも有りかもしれんが」
強化を重ねて頑丈に造れば、そこらの武器では傷もつかない強靭な兵となる。実用に耐えるまでには動きを覚えさせたり、武器の扱いを教えたりと少し手間がかかるけれど、その辺はまた実演で……
「あっ、屋敷の守衛なら得物は槍か剣でないと駄目か? 槍はともかく、剣はあまり得手ではないんだが……となると、扱いを教えるのはキンケードに頼む必要があるな」
未だ直接戦っているところを目にする機会がないキンケードは、相当な手練れだと度々耳にしている。もし了承を得られれば、
自我も経験も空っぽなゴーレムたちには、とにかく反復練習が必要だ。今の自分では知識だけ備えていても、実技を教えてやることができない。
そもそも、生前はずっと別の得物を使っていたから、剣はどうにも手に馴染まないというか。
「まぁ、この体ではたとえ
<……へっ?>
その名を出したのが久しぶりなせいか、アルトは念話で間抜けな声をあげた。
魔王城では同時に引き出せばいらぬ言い争いばかりしていた二振りだが、同じ
……だというのに、実際に手にして用いたのは自分くらいなものだと、双方から言われたことがある。どちらも優れた能力を持っているのに、実にもったいないことだ。
意思を持つ宝玉が埋め込まれた、特異な武具。『
「
<いえ、あの、えっ、え……?>
「どうした?」
妙に口籠るアルトをポシェットから取り出し、両手で掲げ持った。
両側の角が空気をかき混ぜるように不規則に揺れている。迷い、悩み、もしくは困惑の表れにも見える。
<あのー……、私はご存知の通り、『魔王』デスタリオラ様が『勇者』を迎え討つ際に、前もって
「ああ、うん。すまなかったな、杖は近接戦闘に向かないからと言って、お前だけのけ者にするようなことを。もしかして、気にしていたか?」
<いえ、とんでもない。最終決戦を前に万全を期すのは当然のことですから、寂しくはありましたけれど、お役に立てない杖の我が身を呪いもしましたけど。それはひとまず置いておくとしまして>
置いておかれた。
やはり気にしていたのか、と密かな後悔を覚えつつ、どうやら主題はそこではないようなので首肯して話の先を促す。
<ええと、収納された後のことは私には知覚外の出来事ですが。デスタリオラ様の一番得意とされる武器としてあいつを引き出し、『勇者』との戦闘に挑まれたわけですよね?>
「そうだな」
<手にして、戦われて、そして……命を落とされて。……あの、そのあと、また
「あ」
アルトのボタン製の目と見つめ合う。無機質の目は小さすぎて、映り込む自分がどんな顔をしているかまではわからない。
そのまま当時のことを思い返し、今度は長く「あ~~~~」と喉から呻き声が出た。
「あー、しまっていない。戦った後、そのままだ。そうだった。わたしの死体と一緒に落ちているか、『勇者』が持ち去ったか、それとも魔王城で生き残った誰かが拾ってくれたのか……。あー……、そうか、あ~~~……」
すっかり、さっぱり、今の今まで忘れていた。
アルトバンデゥスの杖から宝玉だけを引き出せたため、そのうち同じようにしてダンテマルドゥクも取り出せないかと思ったことはあるけれど、あれは武器である自身に誇りを持っている。だから
だというのに、そもそも使った後、戻していなかったとは。
……別に無精で放ったらかしていたわけではなく、自分が死んだせいなので仕方ないと言えば仕方ないのだが。あれの疑似人格はアルトバンデゥスと違って苛烈な
それを謝るにしたって、どこでどうしているのか今のリリアーナには知りようがない。城で誰かに拾われ、宝物庫にでも保管されていることを願うばかりだ。
口うるさいため怯えて誰も近寄ろうとしない可能性も、なくはないが。どうだろう。
「一体、今はどこにあるんだろうな……」
<城に、遺されていると良いですね……>
手にしたアルトと一緒に何となく窓の外に目を向けて、薄曇りの遠い空を眺めた。
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