第224話 武器の行方✕2①
もうこれ以上話すことはないとでも言うように、再び兜を被り直したシャムサレムは深く頭を下げてから踵を返した。
クストディアの心情、抱く恐怖、八年前の事故。それらも気掛かりなのはもちろんだが、歩くたびに軋んだ音をたてる黒鎧の関節部分がどうにも気になって仕方ない。
黙って退室を見ているのも何なので、リリアーナはひとまず扉まで見送りに出ることにした。
「おっ、もう話は終わったのか?」
「キンケード、来ていたのか」
廊下側から顔をのぞかせた男は、書斎を出ようとする黒鎧に気づいて道を空けた。
シャムサレムは通り過ぎ様に軽い会釈を向けている。部屋で見上げていた時は上背があるように思えていたが、キンケードと比べるとそう大柄でもないことに気づく。
クストディアだけにかしづく寡黙な若者。窓から見て、その全身がよく鍛え抜かれているのを知っている。あんな動きにくそうな格好をするよりも、要所に防具をつけた軽装のほうが向いているのでは……と思案しながら、リリアーナは廊下を往く黒い後ろ姿を見送った。
「嬢ちゃんが庭で手入れしてた甲冑よりも、ずいぶんと物々しいな、ありゃあ」
「普段の装備品とするには重量がかさみすぎている。頑丈ではあっても実用には適さないと私も思うんだが、まぁ、あれの主の意向だそうだから、部外者からはとやかく言えんさ」
廊下には朝食後から姿の見えなかったキンケードと、その向こうにテオドゥロとエーヴィが立っている。ここへ来る時はもうひとり自警団員がいたはずだが、どこへ行ったのだろう。
周囲を見回す視線からその疑問を察したらしく、キンケードが後頭部を掻きながら「抜けててすまねぇ」と謝罪した。
「野暮用に呼ばれてな。さっきまで代わりを頼んでたアージの奴は、下に帰したよ。ちっとばかし色々あったもんで、朝から時間食っちまった」
「今朝着いたという、屋敷からの報せで何かあったのか?」
「さすが、察しが良いもんだ。例のほら、別邸を出る時に捕まえた馬車あったろ。あの件がだいぶ面倒なことになっててなぁ……」
目つきの悪い視線が窓の外を見て、また戻ってくる。珍しく歯切れの悪い様子からして、ここで話して良いものかどうか逡巡しているのだろう。
積んでいた物が物だ。運ばれる途中で押さえたとはいえ、表に出せない武器の用途なんて物騒なことに決まっている。大人からすれば、幼い子どもにはあまり聞かせたくないような類の。
領内でそんなことが起きているなら知っておきたいとは思うものの、今の立場を考えれば出過ぎたことは望めない。
「この前も言った通り、話せる段階になってから、言える範囲で教えてくれればいいさ。直接わたしに関わることでもないようだし」
「気を遣わせて悪ぃな。向こうでも捜査を進めてるんだが、一朝一夕でどうにかなる問題でもねえし。長男坊もあんま根を詰めてないといいんだがなぁ」
「アダルベルト兄上が……?」
カミロが手紙に書いていた、長兄に疲弊が見られるという話はこの件も関連しているのだろうか。
ファラムンドが屋敷を離れているタイミングで厄介事が舞い込んでも、カミロがいれば大丈夫だとばかり思っていたけれど。責任感の強い兄のことだから、代理を任されている以上は自分が何とかしなければと、気張ってしまっているのかもしれない。
「まぁ、カミロの奴もついてるし、屋敷のことはあんま心配すんな。早馬の便りでこっちとも連絡取り合ってるから、そうそう困ったことにはならねぇよ。あれでまだ成人前だってんだから、嬢ちゃんの兄貴は大したモンだぜ実際?」
「そうだな……」
「そうですよ! アダルベルト様もお父上に似てめちゃくちゃすごいです、詰め所にも来られたことあるんですけどもう人の上に立つ人間って纏う空気が違いますよね、びしっと指示されればそれだけで言うことききたくなるっていうか、訓練場でも一回だけ手合わせしてるとこ見学させてもらったことあって、頭いいのに腕っぷしも強いとか尊敬します、俺の十五歳の時なんて頭からっぽで何も考えてなかったのにアダルベルト様なんてもう領を背負って立つ覚悟っていうか気迫みたいなの感じるし名君の誉れ高いファラムンド様の若い頃にもそっくりだし俺も自警団の一員として日々の鍛錬を頑張ってずっとこの人について行きたいって心から思、っぐげ」
キンケードが固めた拳で後頭部を殴りつけ、そこでようやくテオドゥロの濁流のような言葉が停止した。
こんなに饒舌な男だとは思っていなかったから、突然のことに少しばかり驚いてしまったが、言っていることは至極もっともだ。
リリアーナは両手に力を込め、同意に強くうなずく。
「うん、うん。その通りだテオドゥロ、お前はよくわかっているな!」
「ですよね! あ、もちろん次男のレオカディオ様も才覚に長けたすごい方だと思いますよ、あの歳で商工会の爺さん連中とも対等に渡り合ってるし、他領の大商人や街の気難しい親方にも顔が利くとか、交渉関係の才覚がとんでもないっていうか、誰とでも打ち解けられる話術ってどっから出てくるのか俺には想像もつかないけど、べらぼうに頭が良いんでしょうね。街の若い娘なんてレオカディオ様の乗った馬車を見かけるだけでキャーキャー言ってるくらいどこ行っても人気者だし。そういうとこやっかみとか受けそうなのに、人当たりが良いし場を和ませるのがお上手だから嫉妬交じりの羨望しか聞こえてこないのとかやっぱ人望ですよねー」
「そう、そうなんだ。その通りだテオドゥロ、良く見ているではないか!」
「いやぁ、リリアーナお嬢様にそんなこと言われたら照れてしまいます。でもほんと、後継がどちらに決まってもイバニェス領は安泰ですよ。何たってあのファラムンド様のご子息だし、すごい父親の背中を見て育つと小さい頃から抱く心構えとかが違うんでしょうかね、自分の親があんないい男で腕っぷしも強くて辣腕の領主様だなんて想像もつかないや。俺の世代だと物心ついた頃には北とのいざこざも落ち着いたけど、街中を挙げて祭りになってたのは良く覚えてますよ、自分の生きてる時代に本物の
とめどなく流れる川どころか、高所から落ちる滝のようにテオドゥロの口からは兄や父を褒め称える言葉が次々に出てくる。実に耳に心地よい。
若者の熱弁を前にリリアーナが何度もうなずいていると、突然、大きな手に頭の上をもさもさとかき混ぜられた。同時に鈍い音がして、短く悲鳴をあげたテオドゥロが屈み込む。
「ったく、お前ほんとに素面か? 酒の席でもそこまでじゃねぇだろ」
「何をするキンケード、せっかくテオドゥロが父上の偉業を語っているのに」
「ファラムンドの親バカっぷりは今に始まったことじゃねぇが、実はお前さんも相当だな……」
なぜか苦々しい顔をして見せる大男は、頭頂部を押さえてうずくまるテオドゥロの襟首を掴み、力任せに引き上げてその場に直立させた。
「廊下で立ち話するくらいなら、いったん部屋に戻るか? それともまだ書斎で本を読んでくか?」
「んー……、そうだな、少し隣の書斎を見てから部屋に戻ろうと思う」
もう少しテオドゥロの話を聞きたくはあったが、たしかに廊下で長々と立ち話なんてするものではない。物語の本がある書斎を調べたら、予定よりも早めに戻ることにする。
キンケードの話を聞いて、何となくカミロの手紙にあった言葉の意図が読めた気がした。
らしくもなく心配事を滲ませていたのは、こちらからアダルベルト宛てに手紙を書いてほしいと促していたのではないだろうか。明確な催促ではない以上、カミロからの要請で書いたことにはならないとか、何かそんな回りくどいことを考えていそうだ。
とはいえ、文面であからさまに兄の体調を気遣ったり、休息を勧めたりするつもりはない。サーレンバー邸で読んだ本の話や、初めて立ち入る書斎の様子など、自分が楽しかったことを報告するだけ。
……そんな何でもない話でも、妹からの便りを読む間くらいは仕事の手を止め、休憩を入れてくれることだろう。
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